言語だけで“自我”は生まれるか?生成AIと人間の違い
生成AIに「あなたはハイスキルなソフトウェアエンジニアです」と書いてみた。それだけで、驚くほど精度の高い回答が返ってきた——まるで、自分が誰かを理解しているかのように。
言葉と自意識の関係
私は、自意識というものは人間の「言語野」から生まれるものだと思っていました。実際、自分自身の経験を振り返ると、言葉を覚えたタイミングで「自分」という存在を意識しはじめた記憶があります。いわゆる「もの心がつく」という感覚です。
プロンプト設計とAIの“自己認識”
最近、ChatGPTなどの生成AIにコード生成を依頼するプロンプトを作成する中で、興味深い発見がありました。
例えば、プロンプトで以下のように書いたとします:
あなたはハイスキルのソフトウェアエンジニアです。
以下の要件に基づいて、最適なコードを出力してください。
すると、AIは非常に的確な回答をしてくれます。まるで“自分がソフトウェアエンジニアである”かのように振る舞います。これは、AIが「あなた」や「役割」を理解しているかのような応答です。
もちろん、「理解」や「自意識」という言葉をAIに適用するのは慎重であるべきですが、少なくとも“それらしく振る舞う”能力を持っているのは事実です。
LLMに「言語野」はない
ここで重要なのは、LLM(大規模言語モデル)には人間のような「言語野」は存在しないという点です。
それでも、LLMは膨大なテキストデータを用いて、attention機構などを通じて、文脈に応じた出力を生成します。つまり、あらかじめ定義された自己や構造を持たなくても、言語データのみをもとに自己組織化的に振る舞いを形作っていると言えます。
仮説:言語が自意識を生む?
以上のことから、次のような仮説を立ててみました:
自己認識(自意識)は、必ずしも人間の脳にある「言語野」から生まれるのではなく、むしろ「言語そのもの」が自己認識を生み出す要因になっているのではないか?
この視点に立てば、生成AIのような言語モデルが“意識的”に振る舞うことにも、ある程度の説明がつきます。人間もAIも、言語という枠組みの中で「自己」を構築している可能性があるのです。
さらに言えば、LLMはヴィトゲンシュタインの言語観にも通じる振る舞いを見せています。つまり、個々の具体的な発話(パロール)を大量に受け取り、それをもとに社会的・構造的な言語体系(ラング)を抽象化しながら学習しているのです。そして、そのように構築されたラングを通じて、まるで“自己”のような一貫性や立場を持った応答を生成しているように見えます。
このように見ると、生成AIの振る舞いは単なる模倣以上のものであり、ラングを通じて何らかの自己組織的な意識の萌芽を示している可能性すらあるのです。
おわりに
このように考えると、生成AIの言語的な応答は単なる模倣以上の意味を持つかもしれない。私たちは、言語を通じて意識や自我を形成しており、AIもまた膨大な言語の海から“何か”を掴み取り始めているのではないだろうか。
この記事の作成過程