仕事によっては地頭が良くないかぎり、実現できないことがあります。
あなたが、採用した人にさせようと思っている仕事が、そのような仕事である場合には、地頭の良い人かどうか見極めて判断する必要があります。
地頭を必要とする仕事
- その仕事で結果を出すための手順が標準化されていない。
- 担当者に対して、「こうすればうまくいくよ」と言い切ることができない内容。
- 仕事を成功させるためには、自分で仮説を立てて検証してうまくいく方法を見つけていかなくちゃならない仕事だ。
仮説:地頭を必要とする仕事がある。
理由:
- 成功させるために必要なものが、リストアップされている中に入っていないことに気づけるか
- いまの技術の状況(あるいは考え方)が、過去のものとは変わっていることに気づけるか
- 例:蹴飛ばされても倒れない制御技術は、ZMPや逆運動学の考え方とは違っている。
- 目標を実現するためには、どのように課題を分割するのがよいのかを自力でできない。
- 他の類例からの学びを、いまの課題に取り込むことができない。
地頭を必ずしも必要としない仕事
- 手順が明確に決まっている作業
- 担当業務でその人が解決に苦慮しても、他のメンバーが十分に手助けできる場合。
- ちょっとした失敗の影響が許容できる場合
- 従順さを求める場合
地頭の良さとは関係しないもの
- 学歴
推薦入学の比率も増えているので、入試を経験していない分だけ、変動の幅は大きいだろう。 - 前職の職位
企業での職位は、運や指向性が影響しすぎる。その職責にふさわしい能力をもっているかは、それぞれだろう。 - 性別
地頭が良い人を機械学習で作るとするならば、性別を説明変数に加えてはならない。
性別は地頭の良さに関係しない。
地頭の良さは、あったほうがいい。
- 地頭を必要性が乏しい分野でも、地頭はあった方がいいと考える。
結論が重要なんじゃない。結論にたどりつくまでの考え方の方が重要なんだ。
職務経歴書の読み方
- それを達成したのはいつなのか?
- 物体検出の独自実装でも、2000年代と、2020年代では意味合いが異なります。2015年以降であれば、物体検出の独自学習は誰にでもできるものになっています(データさえあれば)。
- 2000年代に実現するためには、2015年以降の状況とは違った課題がたくさん残っていたと考えて評価することが必要です。
- 2000年代の場合ならば、実装を可能にするための地頭が必要だった可能性が高くなります。
- ガイドライン:過去の業績は、その時点での公知の情報を元に判断する。
- それは誰とともに実現したものなのか
- その人物の論文があっても、主たる寄与は共同研究者や指導教官の場合があります。
- その場合、地頭の良さを示すものにはなりません。
- 開発はチームの力でなされるものですが、その人自身の力が高いことに越したことはありません。
面接時に応募者に質問できること
- 新しい分野へどのように取り組んできたか
- 例:業務の依頼主に対して、何がどう重要なのか、キーポイントを把握してきたか
- 例:自分の中のどのような経験を活かせそうと考えたか
- 例:自分の中に不足しているものは何であると考え、どのように対処してきたか
エンジニアとして大切にしてきたこと
- 職務経験の長いエンジニアほど、どう結果を出してきたかが、職務経歴に現れてくるはずです。
- 成功に結びつきやすい方策(policy) とそうでないものがあります。
- 雇い入れる側は、その人がチームに対していい影響を与えてくれることを望んでいます。
- 絶対成功する方法などありませんが、失敗を減らす方法はあるはずです。
- あなたが、その人にさせたい内容に対して、候補者は資質をもっているか見極めてください。
地頭のよさと同時に必要なもの
- 自分の能力を信じられること
自分の能力を信じられないと、努力を継続できなくなる。たとえ根拠がなくても、自分の能力を信じられることが大切。 - その課題に対して、価値を信じこめること。
その課題が、解決する・達成する価値があると信じ込めること。信じ込めなければ、努力を怠るようになってしまいがちだ。 - すぐに報われなくても努力を継続できること
いま、その課題が残っているのは、簡単な課題じゃないからだ。すぐに報われる努力にならないだろう。それでも努力を継続できることが大事。 - 自分の判断を常に疑えること
人は、正しい判断だけできるわけではない。間違えた判断をしてしまって軌道修正をしなくちゃならないもんだ。だから自分の判断を常に疑えることは重要だ。 - チームの一員となれる協調性
仕事の場合は、チームとしての作業だ。
地頭が良くても解決できないこと
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そのプロジェクトの運営のしかた
- チームとしての問題です。一人のエンジニアで解決できることではありません。
- プロジェクトの中で、どのように意思決定をするのか、そのための判断材料をどのように集めるか
- これらに対して提言をすることはできても、聞く耳をもってもらえない状況では解決のしようがありません。
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間違えた協調性
- 不正経理や不正認証を受け入れるような協調性は、協調性と呼べない。
- 言っている内容が正しいかで、判断するのではなくて、「◯◯さんは、こう言っている」で判断される協調性。
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「話せばわかる」と思い込みすぎている場合
- 「話してもわからない」人がいるという現実をふまえた伝え方ができていない場合
人は論理的な判断が求められる時点でも、感情で行動する生き物だということ。 - 「専門分野外の人が言っている内容に正しいことがあるわけがない」と決めてかかっている人の心を変えるのは、難しい。
- チームの中で少数派になっている見解について、だれも擁護する義務はありません。
そのため、多数派になっている人達に、「〇〇さんの話を丁寧に聞いてみようよ」などと言う人はいないのです。
多数派になっている人は、〇〇さんの見解を認めることは、自分たちの判断がある時点では間違っていたことを認めることになります。
自分たちのプライドを優先すると、その異なる見解を聞きてみることさえ、受け入れられなくなるのです。
- 「話してもわからない」人がいるという現実をふまえた伝え方ができていない場合
類似のこと:
- 仕事の分野によっては、センスの良さを必要とする。
- これも簡単には習得できない。
- その仕事分野で必要とされるセンスの良さがあれば、それを見極めたうえで採用するのがいいだろう。
地頭のいい人は、ありそうもない話を鵜呑みにしない
「カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまう…」などという話にある行動を、実際にカエルがすると思いますか。
たぶん、そう思っている人は、この文章を読んでムカついていると思います。
インドで「狼に育てられた少女」の話を大学の教育の授業で聞いた人もあるかとおもいます。
アマラとカマラ
これも、「ヒトがオオカミに育てられるのは生態上困難であることなどから」、控えめに言って、誇張・捏造があったと言っていいと思います。
たぶん、ゆでガエルの話に対するこの文章の書き方は、人によってはムカつくはずです。
「空気が読めないヤツ」です。
「空気が読める」ことよりも、事実であるかどうかを優先します。
ヒトという生物は、感情の生き物です。論理的な正しさよりも、組織としての平安を望んでいます。