はじめに
受動的な子ネコの憂鬱の記事で
ゴンドラの中でほぼ同じはずの視覚経験をえているはずなのに、能動的に自分の脚で動いているネコと、
ゴンドラに載せられているだけで、自分の脚の動きとなんら関係を持たない視覚経験をしているネコでは
その時間の中で習得しているものが違ってきていて、視覚誘導行動の発達が損なわれるという主張
について紹介した。
今回は、それを元に思った駄文を書く。
ここから先は、私の妄想だ。
- 組織の中の私は受動的なネコにすぎなかったりしないか?
- 組織が分業を進めていく中で、自分が主体性をもって観察し判断し行動するループを回し続けられていないのではないか?
- 物事が成功する・失敗する要因に対して、主体的に取り組んでいるとそれだけ言えるだろうか?
- 特にある方針だけ実行していて、対比する事例がないときは、分析が難しい。
- 対比事例がなければ、ある現象と別の現象間の相関の有無さえわからない。
- 成功した事例だけだと、成功した事例の何が成功に寄与したかを知ることはできない。
- 合格者体験談がそれほど有効ではない理由だ。同じような勉強法をしても不合格になる人は山ほどいるはずだ。
- 自分が関わった仕事での成功の事例にしても、私以上に成功に寄与した人の存在がある。
- 成功の要因はその人にあるのであって自分にはないのに、自分のアプローチが成功につながったと勘違いしている。
- だから、成功した事例での成功要因、失敗した事例での失敗要因とを適切に見極められているだろうか?
- 日本経済がなぜ衰退したのかという書籍が多数でているが、その見解は必ずしも一致していない。
それぞれの人が、それぞれの視点で見える範囲のなかでしか要因を推定できない。
それぞれの人の利用できる道具立ての範囲で分析する。
その結果は、違った結論になる。
- 日本経済がなぜ衰退したのかという書籍が多数でているが、その見解は必ずしも一致していない。
- 共に起きたこと(共起性)からといって因果関係があるとは言えない。原因と結果の取り違え、共通の原因が引きおこした相関。
- ある要因が結果に影響を持っていると仮定して、その寄与率はいくらあるだろうか
- 「健康だから、〇〇をする」と「〇〇をするから健康になる」とは山ほど違う解釈だ。
- 因果関係を主張するには、相関だけでは不十分すぎる。
ビジネスにおいて制御不能な変数のことは、どうしようもない。
- 自分の関与しているビジネスの中で、どうやったら成功するのかという議論の中で、どうしようもない変数がある。
- 例: 日銀の金利、為替相場、税制
これらは、自分の意にできない天気みたいなものだ。 - 日銀の金融政策をベースとする議論は、個々の事業が成功をおさめるための判断には結びつかない。
- 税制のあり方の問題も、個々の事業が成功をおさめるための判断には結びつかない。
制御可能な変数は
- 金利の変動、為替相場の変動、税制の変化に対してどう対応するかに関する自分たちの戦略に関する変数だ。
- 国内生産がいいのか、海外生産がいいと判断するのかは、自分たちで制御可能な部分だ。
- それであっても、自分たちの知見しだいで、状況は変わってくる。
- 自分たちの事業の成否をいる際には、為替相場ではなく、為替相場に対する自分たちの対応こそが求められる。
多数のサンプルの中での相関関係の発見
- サンプル数が多数ある場合には、同じ瞬間にデータを集めて分析しても、ある量と別な量との間に相関関係を見つけることが可能になる。
- 成功した事例と失敗した事例との間に傾向が違う何かがあるか。
- まずは、適切に因子を選択して、相関を見つけることだ。
- 比較する事例がなければ、そのサンプルが他のサンプルに比べてどうであるのかを知ることができない。
- 一つの組織の中で、その組織の中の事例しか知らなければ、比較先も無ければ、統計的に考えることもできない。
射影されて限定的な入力においては原因を見極めることができない。
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モンシロチョウのオス・メスを区別するのは紫外線写真だったら簡単だ。
「オスは紫外線を吸収して暗く、メスは紫外線を反射して明るく見える。」
https://museum.bunmori.tokushima.jp/ogawa/blacklight/pieris.php -
しかし、可視光の領域では、モンシロチョウのオス・メスを区別するのはほとんどできない。
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ヒトの可聴周波数は、ハツカネズミの可聴周波数とはかなり異なる
色々な動物の可聴域
ヒトには聞こえない周波数で、ハツカネズミ同士が連絡をとりあっているかもしれない。 -
入力が限られている状況においては、区別するのに有効な因子を見つけることができない。
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組織の中で、組織の運営の成否を決めている要因が何にあるのかは、それぞれの人が見えている範囲が異なる。
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日本の社会で、ドルベースの賃金が下がり続けている理由を分析する時に、分析のために用意する変数が
それぞれの分析で異なっていて、その中に本質的な要因が入っていないかもしれない。 -
だから、日本の停滞についての原因分析について、それぞれに異なった見解が存在する。
時系列情報での相関関係の発見
- ヒトは生まれおちたときから、生き残るために外界を理解するように定められている。
- 手に握っていたものをはなすと、それが落ちるという経験をする。
- それを飽きるくらい繰り返しながら、物が落ちるという現象を理解していく。
- そして、物をわざと落としてみせて、期待通りに落ちると、喜んでみせる。
- そういう具合に、偏見をもたない、学習者がいる。
- 時系列情報をもとにあるイベントと別のイベントとの相関を発見していく。
時間変化の発見
- 位置に対して、位置の変化を発見する。
- 位置の変化によって、位置という概念を見つける。
- 変化しない量に対して、その量の存在を知ることはできない。
- そのような変化の一つとして、時間変化という量(=座標の時間微分である速度)を算出できるようになっていく。
ある値の時間変化と、他の量との相関関係の発見
- 自分の位置の移動が、optical flow との相関をもつことを学習によって発見していく。
- 現象が個々の瞬間において相関を持つものであることから、その相関性をみつけていく。
- 相関関係は、時定数が短い現象ででないと見つけにくい。
受動的な子ネコの状況
- 受動的な子ネコは、自分の動きが制約されており、自分の意志とは無関係に外界が変化する。
- そのため相関関係を見出すことができない。
- 相関関係の存在はヘッブの強化則にしたがって、学習を加速する。
- しかし、受動的な子ネコは、「自分の動きと、Optical flowとには相関がない」ことを学習することになる。
- これは、受動的な子ネコが積極的に外界を理解しようとして同じことだ。
長い時定数の変化に対して、ヒトは相関関係に気づきにくい
- ヒトに限らずだが、長い時定数の変化に対して関連性を見つけることが難しい。
- ヒトがあるイベントの発生があったという記憶と、別のイベントとの気付きとを関連付けることはとてもむずかしい。
- 例:ある食べ物を食べて、30分後にお腹がいたくなったとしたら、相関関係を見つけることができるかもしれない。
- 例:タバコを吸うことと、30年後に肺がんになったこととの相関を、自分一人の経験の中では知ることができない。
- だから、長い時定数の現象に対して気づくことはとても難しい。
繰り返し回数が少ない現象での相関関係は見つけにくい
- 大地震の予兆を見つけるということは、期待されているほどには成果がでていない。
- 大地震ともなると、発生頻度が少ない。
- そのため、予兆についての仮説があったとしても、それを検証することが難しい。
- いつ起こるかわからないだけではなく、どこで起こるのかもわからない。
- そのため、相関関係があるかどうかを見つけることは難しい。
- だいたい、そのような明確な予兆が存在するのかさえ、わからないのだから。
一回きりの現象を正しく分析できるほど、ヒトの脳は賢くない。
- ヒトの脳がベイズ推定で仮説を立てて検証する能力をもっていたとしても、一回きりの現象を正しく分析することはできない。
ヒトは相関関係を因果関係と誤認する
- ヒトの認知能力は柔軟性が高いために、逆に間違えた認識をもしやすい。
- 例:ラバーハンド錯覚
「ラバーハンド錯覚」を試してみよう - このような錯覚を生じてしまうほど、ヒトの認知能力は柔軟性が高い。
- これほど柔軟性が高い脳にとって、相関関係を因果関係と誤認することは容易なはずだ。
- 例:「バスケットボールをすると背が高くなる」
実際は、背が高い人が有利なので、そういう人だけが残っているにすぎない。 - 例:健康な人の習慣と長生き
少し先の予測を成功させることによる報酬
- 動物は少し先を予測し、その予測に成功することによって報酬を得ている。
- 例:ネコにとって道路を渡るというには命がけである。
- 自動車という代物について、その動きを予測して、自分が渡ろうとする範囲の中で、ここまで到達しないという予測を、道路の方向について予測しなければならない。
- その予測が外れた、経験の浅い子ネコは、命が奪われてしまう。
- 生き延びるということがなんといっても最大の報酬だ。
- 危険に気づいて逃げるというということの中で、少し先の予測をすることの重要性が常にこととして存在し続ける。
- だからこそ、少しの気配に気づいて野鳥が逃げたりできる。
対比:少し先の予測を気にしない状況
- 外界から守られていて、餌を自分で獲得する必要のなくなった家畜。
- ほとんどの家畜は、家畜化によって脳が小さくなったとされる。
- それは、絶えず外界の状況を感知して予測をし続けなければならないという重圧から解放されたためである。
失敗は原因を見つけやすい
- 「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という言葉がある。
- 失敗は原因が見つけやすい。
- そのため、失敗に学べる人こそが、学びを進めることができる。
- 自分の失敗に学ぶことも、他者の失敗に学ぶこともあるだろう。
- 失敗事例と成功事例とを両方自分のものにすることで、人は学ぶことができる。
致死的なペナルティは、強化学習を不能にする。
- 殺されたクマは、人に近づくと碌なことがないと学習できない。
- 痛い目をみて逃げのびたクマは、人に近づくと碌なことがないと学習できる。
出世競争におけるペナルティ
- 致死的なペナルティは、集団での学習においてマイナスである。
- にもかかわらず、減点主義の人事を行う組織がある。
- 減点主義の人事を行う組織の場合おいては、何事かにチャレンジし失敗し、失敗から学んだ人は、出世競争の中で排除されてしまう。
大企業という組織
- 担当している範囲でしか情報を与えられない。
- セキュリティの強化で、他部門の知人が減少する。
- 給与という報酬は、ほぼ一定しているので、外界の変化に対して適応する必要性は、自営業ほど大きくない。
- 自分の寄与のほかに、多数の人々の寄与があるので、自分の何が、全体の成功に影響しているのかどうかを知るすべがない。
- 自分が開発した技術が、どの製品から実際に投入になって、他社の製品と比べて性能がどうだったのかさえ、役割分担から外れてしまうと知ることができなかったりする。
適切に現象を予測できない理由
- 時間の長い変化である。
- 一回きりの現象である。
- 多数の相関をもつ変数が存在する。
- 各人の見える変数は限られている。
- 失敗を経験した人物の知見は反映されない。
- 次の瞬間を予測するということに対する動機づけが少ない。
- 他の個体での経験との比較をすることがない。
- 相関関係と因果関係とを区別する方法が試されていない。
こういった状況の中で私たちは生きている。
「受動的な子ネコ」は失敗をしない。
- ゴンドラに載せられているだけの「受動的な子ネコ」は、行動をしていないので失敗もしていない。
- ゴンドラの別側の「能動的な子ネコ」とほぼ同じ光景を見ている。
- うまくいった状況に居合わせる経験をしている「受動的な子ネコ」は、そのうまくいった状況と自らの行動との間に関係性を見出して、
自分のあの行動が成功に結びついたのだと思って、自分は優秀だと思い込む。