最近、自動車部品メーカーの大手が運転の安全性を高める商品を発売した。
それに対して、「その技術の大半は10年以上前に開発していたのに」と大手電機メーカーの事情を知るものが悔しがる。
悔しがるのは勝手だが、その大手電機メーカーでは商用化できなかったのにはそれだけの理由があることを自覚してほしい。組織のあり方を変えない限り、商品化できずに終わってしまうことは変わらないだろう。
技術の例示
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kikaic1979/71/702/71_702_519/_pdf/-char/ja
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=60566&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1
https://www.denso-ten.com/jp/gihou/jp_pdf/61/61-1.pdf
先行技術開発はある意味あまい。
- 先進的な開発をしているのだという社内での宣伝で自己満足してしまう。
- 国プロなどでの対外的な関係ができてしまうと、それが最大の存続理由になってしまって、開発者の考えで技術的方針を変更することが難しくなることさえある。
- 私見:国プロとしての資金がなかったとしても開発したいと思う内容でなければ、国プロに入るべきではない。
- 私見:技術者が技術的な提案を設定することができず、官僚が作成したシナリオ(時として無理なシナリオ、無意味なシナリオ)につじつま合わせするように縛られてしまうなら、参加すべきではないと思う。
技術の改良だけに甘んじたくなる罠
- 改良ならば、既にある市場・製品があるので受け入れてもらいやすい。
- 改良ならば、既にその分野で利益をあげているので開発の継続がしやすい。
- 改良ならば、製造や販売上の変更点が少なく組織としても楽である。
- 改良ならば、技術や組織運営上の課題が少ないので、判断が楽である。
それらの理由のために、多くの組織は既存の製品から大きく異なる製品を市場に送ることをしたがらない。
(それがたとえ緩慢な死への道であったとしても、日本の組織の多くは、それに甘んじている)
「開発テーマの切れ目が技術者としての切れ目」
このような先行技術開発が途切れると、その開発者は社内で別の仕事を割り振られることになる。
時として技術開発の現場とは別な部門に移動させられることも珍しくはない。
そのために、その分野の技術者がなんでそんな部門で仕事をしているのという人材の浪費を引き起こしていることがある。
そのような行為は、社会に対する損失を引き越していることを自覚してほしい。
新しい一歩を踏み出さないための理由付け
- ある時点で先輩の経営者がした判断を、今の状況にも単純に当てはめてしまう。「***と呼ばれた程の人が***といっているのだし、今更社内で変えられない。」と安易に言ってしまう。
- 今の人が判断することの責任を過去の人に押し付けてしまっている。
方式が出来あがるタイミングと量産ベースでものになるタイミングは違う。
チームの開発者ができることは、方式を作り上げることである。
方式が出来あがれば、開発者としては上出来です。
しかし、その方式が量産ベースでものになる状況を、チームの開発者は創りだすことができません。
量産ベースでものになるタイミングは、センサーの進歩や計算リソースの進歩にまかせなければならないのかもしれません。
本当ならば:
量産ベースには移行できなくても、方式を作り上げていて、あとは、センサや計算リソースの進歩を待つ段階になっているのであれば、そのタイミングとしては、十分成功といっていいのではないかと私は思っています。
あとは、センサや計算リソースの進歩を待っていて、性能が十分上がってきたときに、その開発を復活させる可能性を組織の中に仕込んでおくべきだと私は思っています。
一度失敗した技術には関わりたくない
社内政治の分野では、一度失敗した分野には、「いかに私はそのことに関係していなかった」、「その失敗に私は責任を持たない」ことを強調したがる。社内政治の分野では、成功を導いた人ではなく、出世した人がたたまた気に入った人が次の出世をしがちである。そういった状況の中では、過去の失敗した技術が、ものになるタイミングが来ていても「失敗した技術に関わりたくない」が優先してしまう。
ではどうすれば、もう少しマシにできるのか?
マシな判断をするために
- 開発の打ち切りを宣言する場合には、なぜどのような判断をしたのか十分な理由を示すこと。
- その判断の前提条件がなんであったのか、再開する場合の条件を明示しておくこと。
- まったく同じ仕組みの技術が、CPUの計算性能があがったこと、性能が向上したセンサが低価格で供給されるように市場へ投入しても十分な水準に達していることがわかったときに再参入できる状況を維持すること。
技術の研究開発者がきちんとした報告書を残さないまま、プロジェクトを終えたとしたら、組織の中で糾弾されるだろう。個々の技術開発よりも高次の判断で、企業経営にインパクトのある判断、「この開発は打ち切る。」、「この開発は、これこれの理由により市場に新製品を投入することとする」などといった重要な局面での判断を用いた部分について、組織の中できちんと書類・議事録が残っていることは少ないのでないかと思う。
高次な判断をする人は、得てして自分たちを特別視しているので、開発者にはドキュメントを求める一方で、自分たちの判断については記録を残すことを嫌がる。
記録が残って、いつだれがどう判断したのが、後日問題視されることを嫌がるのである。
そのため、組織がどのように判断を間違えやすいのかを学ぶことなく、歪曲された社内の歴史にしたがって物事を解釈してしまうので、同じような判断の間違いが繰り返され続けることになる。
マシな判断をできる組織にならないと、悔しい思いが続くことになる。
技術者のために:
あなたの属している会社では、「開発テーマの切れ目が技術者としての切れ目」を引き起こしているかどうか調べてみよう。もしそのような不幸な自体が訪れたら、同じ会社で技術者ではない仕事で生きるのを良しとするのか、同じ技術分野で別の組織で生きるのかを選択しなければならなくなる。
- 大学などに移籍することが可能か?
- 同じ技術分野で転職することが可能か?
- 同じ会社の中で別部門で、自分を引っ張ってくれる人を見つけられるかどうか?
新しいものを市場に投入する勇気のない組織
ある種の組織の場合には、どれだけ十分の裏づけがあったとしても、新規のものを市場に投入できないレベルにまで劣化を引き起こしていることがあります。
新規のものを市場に投入するときに、いったいいくらの台数が販売できるかを、正確に予測する方法はありません。あるのは、予測の精度を上げる手法だけです。
どこかの時点で、決断して行動するする必要があるのですが、決断が少数者に委ねられて、しかも何も行動をしないという選択をしても、それらの人への評価が損なわれない場合には、失敗することで、個人的な評価をさげるよりは、失敗しないことで個人的な評価を保とうとする行動をすることがあります。
- 「それがうまく行くという根拠がないじゃないか、そんな類似の開発が他社で行われていないじゃないか」という人が、同時に「そんな他社で行われている開発とどこが違うんだ」と言うのです。 その論理にしたがう限り、どのような開発でも、製品化することはありえません。 でも、その担当者は、機にする様子がありません。