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下請けCOBOLERとして生きていた頃のノウハウ Advent Calendar 2016の25日目ぐらいの記事です。

完全なポエムです。
思いつくことをそのまま書いてます。推敲しろって思いますが、思ったことを全部書いていこうと思います。

現場の工夫の限界

2016年も終わりが近づいて来ました。
先日、この世界の片隅にという映画を見てきました。
戦前〜昭和21年期の広島を舞台に浦野(結婚後は北條)すずさんという庶民の目線で描いた、大変傑作なアニメです。こんな記事読むの止めて映画館に急いでください。

劇中では食料が少ない中で数多くの工夫が行われています。
摘んできた野草を使っておいしい料理を作ったり、楠公飯という煎ったお米を水に一晩つけて3倍以上に膨らませる料理に挑戦してみたり(これは美味しくないみたいです)
あらゆる智慧と工夫をして食糧難の時代を生き抜こうとしていました。

しかし、そんな工夫をしたところで、戦争状態にあるという根本的な原因を取り除くまではどうしようもない状態です。

自分がCOBOLの現場にいた頃、(戦時中を生きていた人には大変失礼ですが)自分達もまた、あらゆる工夫をしていたような気がします。
ウォーターフォール開発による出戻りの難しさ、政治的都合で間に会社が入ってきたり、大量に引きずらなければならない過去の負の遺産。
負の遺産が一番どうしようもないのですが、これはもう仕方のないことです。
それよりも、働きにくい環境を作っている要員はたくさんあると思ってます。
このアドベントカレンダーで書いていた、トイレにも行けない、飯も食えない、スーツ着用義務、インターネット接続不可等々です。
今のところなんとかなってますが、今後エンジニアの数が減ってきたときにどう対処するのか、働きやすさについて考えるときではないでしょうか。

殺人が横行する社会

機密性の高い仕事しているとおどろくほどの人間不信を前提にして悪さが出来ないように作られています。

何年か前に、教育関係の出版社で大量の顧客情報の流出事件がありましたが、会社側としてはシステム開発に大量のお金を払っているつもりでも、実際に末端でデータを触る人間は手取り15万だったりします。
残念なことにシステムの開発費保守費のいくばくかはそれ以外の用途に消えています。
穴埋めは自分のサービス残業時間です。

人間を非効率な業務に従事させて、安い賃金で使った上で命を奪うという行為はその人の残り時間を全て奪ってしまうことです。
サビ残の強制やシステムの安定のために単価以上に働くという行為は、一方的に人の時間を奪う点で殺人行為だと思ってます。
(もちろん本人の能力に問題がありすぎて残業するケースも多くあると思いますがそれは自殺だと思ってください)
自分がサボることでどんな障害が起きても偉い人たちが取材の場で謝罪することになろうが俺の賃金15万って意識は忘れないで欲しいと思います。
(もちろんそこで頑張ることが賃金うpに繋がりそうなら頑張る価値はあると思いますが下請けコボラーが頑張っても単価アップがせいぜいです。)

現場では不幸という感覚はあまりない

安い賃金で長時間労働というと恐ろしい暗い時代に思われますが、実は結構そうでもありません。
現場ではプロパーさんを含めてみんな仲が良く、よく飲みに行ったりしてました。
きついならきついなりに楽しみを見つけて楽しく過ごそうとするものです。
自分も残業代が出てればあそこでも悪くないと思っていた可能性がありますし、みんなが同じ時間働いているのだから、みんなこんなもんだろうという錯覚も覚えます。

職場の価値観に染まるな

職場の価値観を受け入れてしまうと、もうそういうもんだというあきらめで余生を送ることになります。
自分には幸いなことにオタクの知り合いやまたギークハウス界隈に出入りすることが出来たので、違う仕事というものをもう少し具体的にイメージ出来ました。
それまではwebエンジニアとかアプリエンジニアと訊いただけでもうひれ伏すしかなかったのですが、実は結構普通なんだなってことにも気づいてきました。

下請け企業は営業力なんてない

会社は何もしてくれません。というか何かをするノウハウを持ち合わせていません。

昔は何もしなくても仕事が振ってきました。
弊社も地方にいながら地元のSiの御用聞きに専念して、人足を求められたら人員を調整して派遣するだけでお金が稼げた時代があったみたいです。
営業努力というのは愛想を良くしてお中元やお歳暮を持って行くことぐらいなんじゃないでしょうか。

しかし、人口減少時代に入って日本自体が縮小を始めています。
昔は3ヶ月おきにリリースされていた携帯開発も、ものすごいマンパワーで乗り切っていましたがそんなことをしてる間にandroidやiosの登場であっという間にシェアを失い、今やガラケーwと呼ばれ嘲笑の対象ですらあります。
大量にいたガラケーエンジニア、ガラケー部門はどこに行ってしまったのでしょうか?

優秀なエンジニアなら縮小しても使って貰えると思うでしょうが、間に違う会社が入ってきて取り分が減りつつ同じ仕事をすることになるのです。
営業力がないから優秀な人員がお金を稼げないだけなのに、会社はお前は単価が安く使えない人材とまで断罪するでしょう。

COBOLが出来ますとかpythonができますとか、実際に出来ることよりも、出来ることを対外的にアピールしていく能力がなければ生きていけないでしょう。
仕事は能力で振ってきません。営業力で振ってきます。(かつては何もしなくても振ってきましたが)

幸せについて

色々書いてきましたがそろそろまとめようと思います。
エンジニアである自分にとって幸せとはなんでしょう?(主語がでかい
何かに邪魔されることなく新しい技術を追っかけて何かを作ることという人は結構いそうですね。
色々な勉強会に出て地方でも優秀なエンジニアがたくさんいることを知りました。
そういう人たちが能力をフルに発揮出来るような仕事をさせて貰えるかというとそうでもないような気がします。
色んなことに振り回されたりして、自分の仕事ができない、やりたいことができないという人が多いんじゃないでしょうか。
色々考えると、エンジニアにとっての幸せはコーディングに集中出来ることだと思います。

仕様のひっくり返りとか説明資料とかエビデンス収集とか、朝夕の通勤にも苦しめられず満足のいくものを創りあげる環境のことじゃないでしょうか。

もちろん、世の中はコーディングだけでは回りません。
お仕事を見つけてくる人、お客さんから要件を導き出す人、インフラを整備する人・・

そういう人たちがそれぞれの専門家として分業をきちんとこなし、お互い自由に仕事がしやすくなれば良いなぁと思います。

なんだかよくわからない内容ですが、2017年はエンジニアにとって仕事がしやすくなる年になれば良いなと思います。

それではみなさん良いお年を

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