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開発者としての人生をつれづれなるままに語る

Last updated at Posted at 2021-05-15

開発者として仕事をしてきた人生を振り返るいい機会としてつれづれなるままに書いてみる。

大学院への進学の失敗

とある有名私立大学に進学した筆者であるが、成績に関してはそこまで良いほうではなかった。しかし、噂によると結構な確率で大学院(修士)への進学ができると聞き、内部進学へのルートを探す。成績が良くなかったので、テストを受講する必要があったが、別に特段のテスト勉強もせずにテストをうける。テストの結果は以下。
電気:20点(100点満点)
英語:80点(100点満点)
結果:不合格

よって、大学進学には他の大学生と同様のテストを受けるほかなくなってしまったわけだが、別の大学の大学院に進学するつもりもなかったし、別にだったら、就職でいいやという感じで就職を始める。

遅かった就職活動とテキトウな会社調査

自分はITしか出来なかったので、開発系の仕事だとは決めていた。C言語に関してはほどほどにできたので、C言語の開発系の仕事を漁った。しかし、マイコン系の組み込みプログラミングはそこまで好きではなかったので、WEB系かなとおもいつついろいろな会社を受けていくこととした。また、大規模な会社だとプログラミングで組むということが難しいと感じていたので、小規模な会社への就職を目指した。(これが後の人生でいろいろと問題となる。)

結局内定をもらえたのは一社だけ

最終的に内定をいただけたのは一社だけであった。その会社でもいいかという思いで就職してしまう。(結構この辺でいま後悔している。)

内定が決まったら

内定が決まったあとは、卒論の作成とかをテキトウに行いながら、大学生活を満喫した。他の大学生に聞くと自分が就職を決めた会社よりもずっと有名で給料も高いし、福利厚生もいいし。もうちょっと粘ればとかと思う一方、そんな会社よりも自分の選んだ会社のほうがずっといいんだと言い聞かせていた。

実際に就職してみたら

研修

実際に春になり就職することになったわけだが、会社から何をしてくれることもなく、外部の会社に新人研修を依頼していたので、外部の会社に研修出向という形になった。その中で、WEB開発でJavaの研修をガシガシ行っていった。結局、Javaでの開発もC言語での開発もそこまで変化があったかといわれれば、別に特段変わったこともなかった。(仕様としてはいろいろな部分に違いはあったものの、それはそれでいいところを吸収しつつという感じで自分のプログラミングスキルを向上していった。)

実践

研修終了後、実際に開発者としての仕事をすることになった。最初に行った場所は自分の親会社の開発の現場であった。このときに先輩からこの親会社には1年くらいしかいられないことをきいていたので、1年頑張っていろいろと開発をしようと思った。この親会社の現場はいろいろと実践で開発をしていく中でのノウハウを経験出来て面白い場所であったと感じる。

1年後

1年後別の会社へ飛ばされることとなる。この時点で自分のいっていた会社の闇を感じる。この時点で始めて自分がSESで仕事をしていたということに気づく。また、1年後に飛ばされた会社が壮絶であった。
何も管理をしない管理職がいるわ、寝ている社員を注意しないわ、就業中に長時間の離席はあるわ、パスワードは使い回しだわ、パスワード管理がズタボロだわ。
結局不満はつきず、1年半年で自分の雇われていた会社から退職することになる。まあ、辞めてやると決めたら、退職代行に電話をし、即日退社をすることにきめた。幸い、有給は10日間以上残ったいたので、即日退社で何も会社側と話すことなく辞めることができた。

辞めたあと

辞めたのはいいが、次の会社も決めず退職するなんて基本馬鹿げている。転職活動中にもなぜ、あなたは前の会社を辞めたのであすかという質問にまともな答えを出せずにいた。そんななか、また、1社か内定をもらえた。今回は派遣の技術者として正社員採用された。前の会社がSESで正社員だったのと比べちょっとは進歩したのではないかと思う。

再就職後

まずは研修

中途採用って何をするのかなって思っていたら、普通に研修だった。まあ、技術系の研修があったわけではなく、会社に関することや福利厚生の使い方などに関する研修がメインだった。それから自分の目指すキャリアプランを聞かれ、開発者としてまた仕事をいただきたいとの解答をした。

早くも決まった開発の仕事

研修は長くて3ヶ月といわれていたが、1ヶ月くらいで開発の仕事に派遣されることが決定された。結構短いのだと感じつつ、いろいろと派遣前に説明をうけた。こんな感じの会社のシステムに就業時間をつけてなど。まあ、前の会社よりずっとましやんと思った。前の会社は自分がいくらの単価があるのかすらも教えてくれないし、自分の会社名は名乗らず、偽装請負をしろなどと命令してきたので、なんだこの会社と思う一方ではあった。

しかしすぐに派遣切りにあう

そんなわけで派遣された訳だが、2ヶ月ですぐに派遣の打ち切りにあった。大手の会社に派遣であったのだが、補充要員でしかなく、検証がメインだったので仕方がないかとも感じていた。そんな中でも少し中でもプログラミングは少しは出来たし、この会社も良かったなと感じることは多かった。

派遣切りが決定してから次の派遣先を決定するまで

派遣切りが判明してからというもの、次の派遣先を決めていくのであるが、筆者の場合にはすぐに次の仕事が決定した。しかし、開発の仕事ではなく、保守・運用の仕事であった。まあ、背に腹はかえられないと思いつつ、現在に至る。
保守・運用の仕事は開発の仕事は違ってプログラミングとかはしないものの、これはこれでありかなと思う部分がいっぱいあるし、これはこれで必要な仕事だとも感じる。

運用保守も案外難しい

開発の現場経験のほうが長いのだが、最近運用の仕事に携わっている訳で。そんな感じで運用保守のお仕事の難しさもひしひしと感じた。
開発の運用・保守のお仕事といえば、サーバの管理系だけかと思っていたが、実はリリースした後の利用現場の運用保守の仕事もある。これが以外と難しい。
まずは、飼料が確実に残っている保証がない。ちょくちょく訪問した現場でこちらが控えていた資料とまったく違う仕様になっていることもある。これが巻き起こす二次災害は結構ある。
また、自分の携わっている仕事がオフライン現場での改修(一部、オンライン接続はできるのが、普通にインターネットって感じでインターネットが触れるような環境ではない環境の改修)をしている。なので、現場で問題があったとしてもすぐにインターネットから情報を得て改修とかは出来ない。さらにいえば、改修バッチなどもインターネット上からの入手は不可である。そんなことを考えると運用保守も大事な仕事だと感じる。それに加え、現場に訪問しているので、真っ先にクレームは言われるわけで。(まったく。。。。。)

後悔

私はこのような人生を過ごしてきた中で一つだけいいたいことがある。
「大学3年時からしっかりと就職活動をしよう」
本当にこれだけはいいたい。テキトウに会社を決めていいことはない。

余談

ほんと2社目の派遣されたテキトウな会社には潰れてほしいと感じる。管理も雑だし、居眠りする社員はいるし。なんであれで東証一部上場の超大手有名会社の名を背負えるかな。

運用案件を経験すると

運用案件のあと、開発案件に戻ると結構苦労する。gitってなんだっけ。どうやって開発やってったっけとかいろいろと苦労します。
なので、開発の人間なら開発一本でこだわったほうがいいと。

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