1. はじめに
筆者は大学で物理学科に在籍していた。今から50年近く前のことである。大学で量子力学を学んだ記憶は確かにある。しかし、記憶をたどっても、担当教授が黒板にぎっしり書きこんだ数式を必死にノートに書き写していたという記憶しかない。そして、量子力学が何たるものかを全く理解しないまま卒業した。憧れだった。あの頃は、量子力学を学ぶ自分に酔っていただけなのかもしれない。40年近く働き続け、この春退職し、時間にも心にも余裕ができたので、もう一度量子力学を勉強し直そうとネットで有志が集まるオンラインセミナー[1]に参加した。いわば、量子力学の再履修である。
このメモは私の「再履修」の過程で学んだことを記録しておこうと思い立って書き始めたものである。全く系統的でないが、読んだ本やセミナーの議論での気付きや発見を残しておきたいという強い思いがある。そうしないと右から入った知識がそのまま左から出ていくだけだから。
2. 演算子と物理量
量子力学では物理量は演算子という形で現れる。たとえば運動量演算子は
\hat{P} = -i \hbar \frac{\partial}{\partial x}
\quad・・・\quad(1)
で与えられる(参考文献[2] の p.37 (3.23)式)。$P$ の頭にある記号 ^ は「ハット」と読む。$P$ が演算子であることを示す記号である。私は最初にこの式を見たとき、運動量なのにどうして位置 $x$ で偏微分するのだろうと不思議に思った。運動量といえば $mv$ で、速度 $v$ は位置 $x$ の微分 $d x/ d t$ だから$-i \hbar \partial / \partial t$ じゃないのと(これも理屈はとおっていないが・・・)。
ところで、波数 $k$ をもつ(空間的な)波の関数は $e^{ikx}$ で表されるので、これに(1)式の運動量演算子を作用させると
\hat{P} e^{ikx} = -i \hbar \frac{\partial e^{ikx}}{\partial x} = -i \hbar \cdot ik e^{ikx} = \hbar k e^{ikx}
\quad・・・\quad(2)
となり、運動量 $p$ と波数 $k$ を結ぶ有名な関係式(参考文献[3] の p.20 (2.2)式)
p = \hbar k
\quad・・・\quad(3)
を使うと、(2)式は
\hat{P} e^{ikx} = p e^{ikx}
\quad・・・\quad(4)
となる。これは、関数 $e^{ikx}$ は運動量演算子 $\hat{P}$ の固有関数で、その固有値は運動量 $p = \hbar k$ となるという式である。量子力学では物理量は演算子で与えられることは先にも書いたが、そのときの測定値は固有値で与えられるということである。この式はまさにそれを表している。
この観点でシュレディンガー方程式(参考文献[2] の p.121 (9.5)式)
i \hbar \frac{\partial}{\partial t} \ket{\psi(t)} = \hat{H} \ket{\psi(t)}
\quad・・・\quad(5)
を眺めてみる。この式で $\hat{H}$ はハミルトニアンとよばれる物理量「エネルギー」を表す演算子である。ということは、(1)式の類推から
\hat{H} = i \hbar \frac{\partial}{\partial t}
\quad・・・\quad(6)
であることが期待される。実際、波動関数として(時間的な)波の関数 $\ket{\psi(t)} = e^{-i\omega t}$ にこのエネルギー演算子を作用させると
\hat{H} e^{-i\omega t} = i \hbar \frac{\partial e^{-i\omega t}}{\partial t} = i \hbar \cdot (-i\omega) e^{i\omega t} = \hbar \omega e^{i\omega t}
\quad・・・\quad(7)
となり、エネルギー $E$ と角振動数 $\omega$ を結ぶ有名な関係式(参考文献[3] の p.20 (2.1)式)
E = \hbar \omega
\quad・・・\quad(8)
を使うと、(7)式は
\hat{H} e^{-i\omega t} = E e^{-i\omega t}
\quad・・・\quad(9)
となる。これは、関数 $e^{-i\omega t}$ はエネルギー演算子 $\hat{H}$ の固有関数で、その固有値はエネルギー $E = \hbar \omega$ となるという式である。
3. 運動量とエネルギー
こうしてみると(1)式で与えられる運動量演算子 $\hat{P}$ と(6)式で与えられるエネルギー演算子 $\hat{H}$ には興味深い対応があると気づく。右辺はいずれも $i\hbar$ という係数をもつが、符号が異なる。微分については、運動量演算子が位置変数 $x$ で微分するのに対してエネルギー演算子は時間 $t$ で微分する。そういえば運動量 $p$ と位置 $x$、そしてエネルギー $E$ と時間 $t$ は「共役な」物理量とよばれ、有名なハイゼンベルクの不確定性関係
\Delta x \cdot \Delta p \ge \hbar / 2
\quad・・・\quad(10)
\Delta t \cdot \Delta E \ge \hbar / 2
\quad・・・\quad(11)
で結ばれている(参考文献[3] の p.17-18)。
また、運動量演算子の固有関数は空間的な波の関数 $e^{ikx} = e^{ipx/\hbar}$ で、エネルギー演算子の固有関数は時間的な波の関数 $e^{-i\omega t} = e^{-iEt/\hbar}$ であり、それぞれの指数関数の引数は共役物理量の積が入り、その符号は演算子の符号とは逆になっている($ikx = ipx/\hbar \Leftrightarrow -i\hbar \partial/\partial x$ .vs. $-i\omega t = -iEt/\hbar \Leftrightarrow i\hbar \partial/\partial t$)。さらに、両者を掛けると $e^{i(kx-\omega t)}$ という一般的な波の関数になる。これを(1)式や(6)式で与えられる演算子に作用させると固有関数になっていることがわかる。
3.1 波数と角振動数
波数 $k$ は運動量 $p$ と(3)式 $p = \hbar k$ の関係で結ばれており、一方、角振動数 $\omega$ はエネルギー $E$ と(8)式 $E = \hbar \omega$ の関係で結ばれている。これらから波数 $k$ と角振動数 $\omega$ の対応関係が見てとれる。波数 $k$ や角振動数 $\omega$ は波動の属性を記述する物理量(波に関係する量)で、波長 $\lambda$ や周期 $T$ とは以下の関係がある。
k = 2\pi / \lambda
\quad・・・\quad(12)
\omega = 2\pi / T
\quad・・・\quad(13)
こうしてみると、空間的な波を特徴づける物理量である波長 $\lambda$ は、時間的な波を特徴づける周期 $T$ に対応する量であることがわかる。また、周期 $T$ は、これも馴染みのある物理量である振動数 $\nu$ とは
\nu = 1 / T
\quad・・・\quad(14)
という関係があり、これを(13)式に代入して(8)式を使えば
E = \hbar \omega = \hbar \cdot 2 \pi \nu = h\nu
\quad・・・\quad(15)
という、これも有名な式が出てくる。(14)式は、振動数は周期の逆数、すなわち、単位時間当たり何回振動するかを表す物理量である。これに対応する「単位長さ当たり何個の波が含まれるか」を表す式
\tilde{\nu} = 1 / \lambda
\quad・・・\quad(16)
も波数とよばれ、これと区別するため(12)式で与えられる $k = 2\pi / \lambda$ を量子力学では「角波数」とよぶそうだが[4]、いろんな量子力学本を見ても $k$ を波数と書いていることが多い。$k$ に出くわしたら、心の中で「角波数」を思い描きながら「波数」とよぶことにしよう。
そもそも波の数なのだから波数は $1/\lambda$ に決まっている。「角波数」という言葉はあまり馴染みがないため、1秒間に何回転するかを表す「角振動数」ほど直感的には受け入れることができない。もっとも、単位長さを半径とする円周上(円周は$2\pi$)に何個の波があるかという意味では分からないこともないが。
3.2 プランク定数と角運動量
ところで、(3)式や(8)式の右辺に現れる $\hbar$ は
\hbar = \frac{h}{2\pi}
\quad・・・\quad(17)
で、右辺の分子にある $h$ はプランク定数
h = 6.6207015 \times 10^{-34} \,[\mathrm{J\cdot s}]
\quad・・・\quad(18)
である。この定数は、黒体輻射のスペクトルを表すヴィーンの公式を改良するためにマックス・プランクが1900年に導入したものである。プランクは、振動数が $\nu$ の光のもつエネルギー $E$ のいちばん小さな塊を
E = h\nu
\quad・・・\quad(19)
で表した(参考文献[5] の p.42)。いわゆる「エネルギー量子仮説」である。「エネルギーは連続的には変化できず、あるまとまった単位の塊でやりとりされる」というこの理論から量子物理学は始まった。
ところで、プランク定数の単位 $[\mathrm{J\cdot s}]$ の次元は $[\mathrm{kg\cdot m^{2} \cdot s^{-1}}]$ と一致し、これは粒子の位置ベクトル $\boldsymbol{r}$ (単位の次元は $[\mathrm{m}]$)と運動量 $\boldsymbol{p}$ (単位の次元は $[\mathrm{kg \cdot m \cdot s^{-1}}]$)の外積で定義される角運動量[20]
\boldsymbol{L} = \boldsymbol{r} \times \boldsymbol{p}
\quad・・・\quad(20)
と同じ次元をもっている。すなわち、プランク定数は角運動量の単位を持つのである。このことから、角運動量は連続ではあり得ず、プランク定数の単位で飛び飛びにしか変化できないだろうと予想できる(参考文献[7] の p.193-194)。
3.3 波動関数のフーリエ変換
波動関数を $\psi(x)$ とすると
\tilde{\psi}(k) = \int_{-\infty}^{\infty} e^{-ikx} \psi(x) dx
\quad・・・\quad(21)
をフーリエ変換といい、$\tilde{\psi}(k)$ は運動量空間の波動関数という(参考文献[2] の p.75 (5.35)式)。また、関数 $\tilde{\psi}(k)$ から $\psi(x)$ を再現する
\psi(x) = \frac{1}{2\pi} \int_{-\infty}^{\infty} e^{ikx} \tilde{\psi}(k) dk
\quad・・・\quad(22)
をフーリエ逆変換という(参考文献[2] の p.75 (5.36)式)。
ところで、関数 $\psi_{1}(x), \psi_{2}(x)$ の内積を
\braket{\psi_{1}|\psi_{2}} = \int_{-\infty}^{\infty} \psi_{1}(x)^{*} \psi_{2}(x) dx
\quad・・・\quad(23)
で定める(参考文献[2] の p.25 (2.50)式)と、(21)式は $\psi_{1}(x) = e^{ikx}$ と $\psi_{2}(x) = \psi(x)$ の内積 $\braket{e^{ikx}|\psi(x)}$ になっている。先にみたように $\psi_{1}(x) = e^{ikx}$ は運動量演算子 $\hat{P}$ の固有値 $p=\hbar k$ に対する固有関数である。ということは、フーリエ変換を表す(21)式は、運動量演算子の固有関数と波動関数の内積を表している。固有関数は基底関数で、内積は射影なので、これは波動関数 $\psi(x)$ の基底 $e^{ikx}$ への射影と解釈できる。つまり、波動関数 $\psi(x)$ の波数 $k$ 成分が $\tilde{\psi}(k)$ ということである。線形空間で、その元である任意のベクトルをその線形空間の基底ベクトルの線形結合で表すようなものである。
3.4 ディラックのデルタ関数と不確定性関係
ディラックのデルタ関数は
\delta(x)=\frac{1}{2\pi}\int_{-\infty}^{\infty} e^{ikx} dk
\quad・・・\quad(24)
である(参考文献[2]のP.77の(5.44)式)。これは、$x \ne 0$ のとき $\delta(x)=0$ で
\int_{-\infty}^{\infty} \delta(x) dx = 1
\quad・・・\quad(25)
という性質をもつ。グラフにすれば、いたるところ $0$ で、ただ一点 $x=0$ で $\delta(0)=\infty$ となり、針のようにとがった形の関数である。(24)式は、フーリエ逆変換の式(22)において $\tilde{\psi}(k)=1$ とおいた式であることがすぐ見て取れる。デルタ関数 $\delta(x)$ を粒子の位置が $x=0$ に確定している状態とみなせば $\tilde{\psi}(k)=1$ は粒子の運動量が運動量空間全体に広がっている状態であるとみなせる。
逆に(21)式において $\psi(x)=1$ とおけば
\tilde{\psi}(k) = \int_{-\infty}^{\infty} e^{-ikx} dx
= \int_{-\infty}^{\infty} e^{ikx'} dx'
= 2\pi \delta(k)
\quad・・・\quad(26)
となり(第2項から第3項への式変形では変数変換 $x'=-x$ を行った)、これは、粒子の位置 $x$ が空間全体に広がっている(位置が不確定)ときは運動量が $k=0$ に確定していることを表している。
このように前節で見た波動関数のフーリエ変換によって不確定性関係を定性的に再現することができる。
4 波束の収縮
4.1 スピン演算子
スピンは量子力学に現れる量子特有の角運動量とされる特性で
\hat\sigma_{x} =
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix},
\hat\sigma_{y} =
\begin{pmatrix}
0 & -i \\
i & 0 \\
\end{pmatrix},
\hat\sigma_{z} =
\begin{pmatrix}
1 & 0 \\
0 & 1 \\
\end{pmatrix},
\quad・・・\quad(27)
というパウリ行列で表される物理量演算子である。
$\hat\sigma_{x}, \hat\sigma_{y}, \hat\sigma_{z}$ はいずれも $1$ と $-1$ を固有値にもち、その固有関数はそれぞれ
\ket{x_+} = \frac{1}{\sqrt{2}}
\begin{pmatrix}
1 \\
1 \\
\end{pmatrix},
\quad
\ket{x_-} = \frac{1}{\sqrt{2}}
\begin{pmatrix}
1 \\
-1 \\
\end{pmatrix},
\quad・・・\quad(28)
\ket{y_+} = \frac{1}{\sqrt{2}}
\begin{pmatrix}
1 \\
i \\
\end{pmatrix},
\quad
\ket{y_-} = \frac{1}{\sqrt{2}}
\begin{pmatrix}
i \\
1 \\
\end{pmatrix},
\quad・・・\quad(29)
\ket{z_+} =
\begin{pmatrix}
1 \\
0 \\
\end{pmatrix},
\quad
\ket{z_-} =
\begin{pmatrix}
0 \\
1 \\
\end{pmatrix},
\quad・・・\quad(30)
である。
固有関数は規格直交化されており
\hat\sigma_x\ket{x_\pm} = \pm\ket{x_\pm},
\quad
\braket{x_+|x_+} = \braket{x_-|x_-} = 1,
\quad
\braket{x_+|x_-} = \braket{x_-|x_+} = 0
\quad・・・\quad(31)
\hat\sigma_y\ket{y_\pm} = \pm\ket{y_\pm},
\quad
\braket{y_+|y_+} = \braket{y_-|y_-} = 1,
\quad
\braket{y_+|y_-} = \braket{y_-|y_+} = 0
\quad・・・\quad(32)
\hat\sigma_z\ket{z_\pm} = \pm\ket{z_\pm},
\quad
\braket{z_+|z_+} = \braket{z_-|z_-} = 1,
\quad
\braket{z_+|z_-} = \braket{z_-|z_+} = 0
\quad・・・\quad(33)
という関係を満たす。
(30), (28)式から
\ket{z_+} + \ket{z_-} =
\begin{pmatrix}
1 \\
1 \\
\end{pmatrix}
= \sqrt{2} \ket{x_+}
であるから
\ket{x_+}
= \frac{1}{\sqrt{2}} (\ket{z_+} + \ket{z_-})
\quad・・・\quad(34)
が得られる。これは $x=1$ の固有状態を $z=1$ の固有状態と $z=-1$ の固有状態の一次結合で表した式である。
同様にして
\ket{x_-}
= \frac{1}{\sqrt{2}} (\ket{z_+} - \ket{z_-})
\quad・・・\quad(35)
が得られる。
さらに、(34), (35)両式の辺々を足し合わせ、$\ket{z_+}$ について解けば
\ket{z_+}
= \frac{1}{\sqrt{2}} (\ket{x_+} + \ket{x_-})
\quad・・・\quad(36)
が得られ、(34), (35)両式の辺々を引き算して、$\ket{z_-}$ について解けば
\ket{z_-}
= \frac{1}{\sqrt{2}} (\ket{x_+} - \ket{x_-})
\quad・・・\quad(37)
が得られる。
4.2 ボルンの確率公式
状態 $\ket{\psi}$ から状態 $\ket{\chi}$ が見いだされる確率、あるいは、状態 $\ket{\psi}$ から状態 $\ket{\chi}$ に遷移する確率は
\mathbb{P} \left( \ket{\chi} \leftarrow \ket{\psi} \right)
= |\braket{\chi|\psi}|^{2}
\quad・・・\quad(38)
に等しい(参考文献[2] の P.21 の (2.34)式)。これをボルンの確率公式という。
これに従えば、$x = 1$ という固有状態(物理量 $\hat\sigma_x$ を測定して $x = 1$ という結果が得られた状態)に対して $\hat\sigma_z$ を測ったら $z = 1$ という結果が出てくる確率は
\begin{equation}
\begin{split}
\mathbb{P} \left( z = 1 \leftarrow x = 1 \right)
&= |\braket{z_+|x_+}|^{2} \\
&= \left |
\frac{1}{\sqrt{2}}
\begin{pmatrix}
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
1 \\
1 \\
\end{pmatrix}
\right |^2
=
\left |
\frac{1}{\sqrt{2}}
\right |^2
=\frac{1}{2}
\quad・・・\quad(39)
\end{split}
\end{equation}
と計算できる。
同様にして、$z = 1$ という固有状態(物理量 $\hat\sigma_z$ を測定して $z = 1$ という結果が得られた状態)に対して $\hat\sigma_x$ を測ったら $x = -1$ という結果が出てくる確率は
\begin{equation}
\begin{split}
\mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = 1 \right)
&= |\braket{x_-|z_+}|^{2} \\
&= \left |
\frac{1}{\sqrt{2}}
\begin{pmatrix}
1 & -1 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
1 \\
0 \\
\end{pmatrix}
\right |^2
=
\left |
\frac{1}{\sqrt{2}}
\right |^2
=\frac{1}{2}
\quad・・・\quad(40)
\end{split}
\end{equation}
となる。
4.3 測定が系の状態を変える:波束の収縮(射影仮説)
これらを利用すると $x = 1$ という固有状態からスタートして $\hat\sigma_z$ を測ったら $z = 1$ という結果が出て、その後さらに $\hat\sigma_x$ を測ったら $x = -1$ という結果が出る確率は
\begin{equation}
\begin{split}
\mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = 1 \leftarrow x = 1 \right)
&= \mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = 1 \right) \cdot
\mathbb{P} \left( z = 1 \leftarrow x = 1 \right) \\
&= \frac{1}{2} \cdot \frac{1}{2} = \frac{1}{4}
\quad・・・\quad(41)
\end{split}
\end{equation}
となる。
同じように考えると、最初は同じく $x = 1$ という固有状態からスタートして $\hat\sigma_z$ を測ったら先ほどとは逆に $z = -1$ という結果が出て、その後さらに $\hat\sigma_x$ を測ったら最後は同様に $x = -1$ という結果が出る確率は
\begin{equation}
\begin{split}
\mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = -1 \leftarrow x = 1 \right)
&= \mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = -1 \right) \cdot
\mathbb{P} \left( z = -1 \leftarrow x = 1 \right) \\
&= \frac{1}{2} \cdot \frac{1}{2} = \frac{1}{4}
\quad・・・\quad(42)
\end{split}
\end{equation}
と計算することができる。
以上から、最初は $x = 1$ の状態からスタートして、次に $\hat\sigma_z$ を測って $z = \pm$ のいずれかの結果を得てから、さらに $\hat\sigma_x$ を測って $x = -1$ という結果を得る確率は
\begin{equation}
\begin{split}
\mathbb{P} &\left( x = -1 \leftarrow z = \pm \leftarrow x = 1 \right) \\
&= \mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = 1 \leftarrow x = 1 \right)
+ \mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow z = -1 \leftarrow x = 1 \right) \\
&= \frac{1}{4} + \frac{1}{4} = \frac{1}{2}
\quad・・・\quad(43)
\end{split}
\end{equation}
となる。
ところが、同じく $x = 1$ の状態からスタートしても、あいだで $\hat\sigma_z$ を測ることなく、続けざま $\hat\sigma_x$ を測って $x = -1$ という結果を得る確率は
\mathbb{P} \left( x = -1 \leftarrow x = 1 \right)
= |\braket{x_-|x_+}|^{2} = 0
\quad・・・\quad(44)
である。
このように、測定という行為は、系の状態を測定結果に合った状態に変えてしまう。これを波束の収縮あるいは射影仮説という(参考文献[2] の P.93)。
ここで説明した例では、$x = 1$ の状態($\hat\sigma_x$ の固有状態の一つ)に対して $\hat\sigma_z$ を観測してしまったために、状態が$x = 1$ の固有状態 $\ket{x_+}$ から $\hat\sigma_z$ の固有状態($z = 1$ の固有状態または $z = -1$ の固有状態のどちらか一方)に変わってしまったのである。
観測をすると状態がその観測値に対する固有状態に遷移する。
ところで、この「波束の収縮」は今でも量子力学のいくつかある謎の一つのようだ。この現象はシュレディンガー方程式に従わない。ここでは参考文献[8](のP.100)でフォン・ノイマンが書いた量子力学の著書の内容を説明しているくだりを引用することでそのあたりの状況を紹介する。
それについてフォン・ノイマンは、波動関数は通常はシュレディンガー方程式に従うが、観測の際に収縮するのだと述べた。「したがって私たちには、ひとつの系のなかで起こり得る、ふたつの根本的に異なるタイプの介入がある」とフォン・ノイマンは記した。物体が乱されないままでいるときには、シュレディンガー方程式が「その系が時間の経過にしたがい、いかに連続的かつ因果的に変化するかを記述する」。しかし、観測が行なわれると、シュレディンガー方程式のなめらかな規則性は消え失せてしまう。「観測による不定の変化」は、「非連続的、非-因果的、そして瞬間的な作用である」と、フォン・ノイマンは述べた。
アインシュタインは量子力学が持つこの奇妙な性質が物理現象のもつ「局所性」を脅かすと危惧したそうだ。
4.4 計算が合わない!
前節の(43)式で求めた確率の別解を考えてみよう。
$x = 1$ だった系( $\hat\sigma_x$ を測って $x = 1$ だった状態 )に対して $\hat\sigma_z$ を測定した後に再び $\hat\sigma_x$ を測定した状態は
\ket{\psi} = \hat\sigma_x \cdot \hat\sigma_z \ket{x_+}
\quad・・・\quad(45)
と表される。
ここで、(34)式に左から $\hat\sigma_z$ を作用させると
\begin{equation}
\begin{split}
\hat\sigma_z \ket{x_+}
&= \hat\sigma_z \left [ \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \ket{z_+} + \ket{z_-} \right) \right ]\\
&= \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \hat\sigma_z \ket{z_+} + \hat\sigma_z \ket{z_-} \right) \\
&= \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \ket{z_+} - \ket{z_-} \right) = \ket{x_-}
\quad・・・\quad(46)
\end{split}
\end{equation}
を得る。ここで、(33)式と(35)式を用いた。
(46)式を(45)式に代入すると
\ket{\psi} = \hat\sigma_x \ket{x_-} = -\ket{x_-}
\quad・・・\quad(47)
となる。ここで、(31)式を用いた。
ボルンの確率公式により、状態 $\ket{\psi}$ で $x = −1$ を得る確率は
\mathbb{P}(x = -1 \leftarrow \psi)
= \left | \braket{x_-|\psi} \right |^2
= \left | \braket{x_-|-x_-} \right |^2
= \left | -\braket{x_-|x_-} \right |^2
= 1
\quad・・・\quad(48)
となる。ここで、(47)式の結果である $\ket{\psi} = - \ket{x_-}$ と(31)式の規格化条件 $\braket{x_-|x_-} = 1$ を用いた。
しかし、得られた(48)式の結果は前節で求めた(43)式と異なる。前節ではこの確率は $\frac{1}{2}$ であった。ところが、ここでは $1$ となった。どうしてこのように異なる結果が得られたのだろう。この計算のどこに間違いがあるのだろう。
4.5 原因はこれだ
前節で行った別解の結果が合わなかったのは「測定という行為は、系の状態を測定結果に合った状態に変えてしまう」という波束の収縮を計算の過程で考慮していなかったことにある。(46)式で $x = 1$ の状態(これは $\hat\sigma_x$ の固有状態の一つである)にある系に対して物理量 $\hat\sigma_z$ を測定した。この測定によって $\hat\sigma_z$ の値が確定し、これまで $\hat\sigma_x$ の固有状態だったものが、確定した $z$ の値($\pm 1$)に応じた固有状態($z = 1$ に確定したのであれば $\ket{z_+}$、$z = -1$ に確定したのであれば $\ket{z_-}$)へ波束が収縮する。
すなわち、(46)式は、$\hat\sigma_z$ の測定によって測定値が $z = 1$ に確定すれば
\hat\sigma_z \ket{x_+}
= \frac{1}{\sqrt{2}} \ket{z_+}
\quad・・・\quad(49)
に、測定値が $z = -1$ に確定すれば
\hat\sigma_z \ket{x_+}
= -\frac{1}{\sqrt{2}} \ket{z_-}
\quad・・・\quad(50)
に遷移する。(46)式のように $\hat\sigma_z$ の2つの固有状態 $\ket{z_+}$ と $\ket{z_-}$ が混ざり合う状態になることはない。ましてや $\ket{x_-}$ になることなどない。
こうして、$z = 1$ の場合は(49)式を(45)式に代入した
\begin{equation}
\begin{split}
\ket{\psi_{z = 1}} &= \frac{1}{\sqrt{2}} \hat\sigma_x \ket{z_+} \\
&= \frac{1}{\sqrt{2}} \hat\sigma_x \left[ \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \ket{x_+} + \ket{x_-} \right ) \right] \\
&= \frac{1}{\sqrt{2}} \left[ \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \hat\sigma_x \ket{x_+} + \hat\sigma_x \ket{x_-} \right ) \right] \\
&=\frac{1}{2} \left ( \ket{x_+} - \ket{x_-} \right )
\quad・・・\quad(51)
\end{split}
\end{equation}
という状態が得られ、$z = -1$ の場合は(50)式を(45)式に代入した
\begin{equation}
\begin{split}
\ket{\psi_{z = -1}} &= -\frac{1}{\sqrt{2}} \hat\sigma_x \ket{z_-} \\
&= -\frac{1}{\sqrt{2}} \hat\sigma_x \left[ \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \ket{x_+} - \ket{x_-} \right ) \right] \\
&= -\frac{1}{\sqrt{2}} \left[ \frac{1}{\sqrt{2}} \left ( \hat\sigma_x \ket{x_+} - \hat\sigma_x \ket{x_-} \right ) \right] \\
&= -\frac{1}{2} \left ( \ket{x_+} + \ket{x_-} \right )
\quad・・・\quad(52)
\end{split}
\end{equation}
という状態が得られる。
したがって、(48)式は
\begin{equation}
\begin{split}
\mathbb{P}&(x = -1 \leftarrow \psi_{z = 1}) + \mathbb{P}(x = -1 \leftarrow \psi_{z = -1}) \\
&= \left | \braket{x_-|\psi_{z = 1}} \right |^2
+ \left | \braket{x_-|\psi_{z = -1}} \right |^2 \\
&= \left | \frac{1}{2} \left( \braket{x_-|x_+} - \braket{x_-|x_-} \right) \right |^2
+ \left | -\frac{1}{2} \left( \braket{x_-|x_+} + \braket{x_-|x_-} \right) \right |^2 \\
&= \left| -\frac{1}{2} \right|^2 + \left| -\frac{1}{2} \right|^2
= \frac{1}{2}
\quad・・・\quad(53)
\end{split}
\end{equation}
と書き換わり、(43)式と一致する。なお、(53)式の式展開で2行目から3行目に移る際に(51),(52)式を、3行目から4行目に移る際に(31)式の規格化直交の式 $\braket{x_-|x_+} = 0, \braket{x_-|x_-} = 1$ を用いた。
5 量子力学のミラクルな世界
5.1 偏光板実験の不思議
量子力学の奇妙な世界を紹介する実例としてよく登場する実験に偏光板の実験がある。
光は、電場や磁場が進行方向に垂直な面内で振動しながら進む横波である。なかでも電場(および磁場)の振動方向が一定の光を直線偏光という。自然光はランダムな方向に振動しているが、ある方向の振動のみを透過する偏光板によって振動の方向を揃えることができる。
Fig.1 に示すように、縦方向の偏光を透過する偏光板 A を通過した光を横方向の偏光を透過する偏光板 B に入射すると光は完全に吸収され、透過光はなく真っ暗になる。
ところが、Fig.2 に示すように偏光板 A と B の間に斜めの偏光を透過する偏光板 C を挿入すると、不思議なことに偏光板 B から光が漏れ出てくる。
なぜ不思議かというと、偏光板 A を透過する光には横偏光の成分はないはず(これは Fig.1 の実験で証明されている)なのに、間に斜めの偏光板 C を介すと横成分が「復活」するからである。
筆者は、この状況は 4.3 節で述べた波束の収縮の状況に似ていると思う。Fig.1 の偏光板実験において、偏光板 A を通過した光が $x = 1$ の状態に対応し、その光を偏光板 B に入射することが $\hat\sigma_x$ を測定して $x = -1$ という結果を得ることに対応している。その結果、(44)式に示すように確率は 0 になるが、これは Fig.1 の実験で光がシャットアウトされることに対応している。
一方、Fig.2 の実験では間に偏光板 C を挿入するが、この偏光板 C は(4.3節の)$x = 1$ の状態からスタートして、あいだで $\hat\sigma_z$を測定することに対応している。この偏光板によって波束の収縮が起こり、$x = 1$ の状態が $z = 1$ あるいは $z = -1$ の状態に変わったように、Fig.2 の実験では吸収されたはずの横成分が復活する。そして、(43)式のように $\hat\sigma_x$ の測定に対して非ゼロの確率で $x = -1$ という結果を得たように、Fig.2 の実験では偏光板 B から光が漏れ出てくる。
もっとも、偏光板の実験では(あいだに偏光板 C を差し込んだだけで)明示的に「測定」を行ったわけではないので、4.3節の説明をそのままここに適用するわけにはいかないかもしれないが、量子力学の「異常性」を示す好例といえる。なお、ファインマンはこの偏光板の実験とほぼ等価な内容の思考実験(シュテルン-ゲルラッハの装置による原子の分離実験)を用いてこの奇妙な現象を一つの章すべてを費やして説明している(参考文献[3] の第5章)。そこでは波束の収縮というよりも確率振幅の干渉としてこの不思議な現象を説明している。
【2024.1.2追記】
マーミンはその著書「量子のミステリー」の中でこのあたりの詳細を独特の回りくどい表現で記述している[9]。フィルターというと何か光子の性質(ここでは偏光)を選別して、あるものは通し、あるものは遮るといった「受動的」なものをイメージするが、実際はそれを通過する光子の偏光を変えるという「能動的」な働きをする。まさに言葉どおりの「測定」をしているようなものなのかもしれない。
5.2 確率振幅と干渉効果
量子力学ではある状態 A からスタートして、ある状態 X に至る出来事について
\phi = \braket{X|A}
\quad・・・\quad(54)
という複素数を対応させている。これを確率振幅という(参考文献[2]のP.7-9「1-3 確率振幅」)。
確率振幅に対しては以下の3つの規則が課せられている。
規則1
確率振幅の絶対値を2乗すると確率になる。
\mathbb{P}(X \leftarrow A) = | \phi |^2 = | \braket{X|A} |^2
\quad・・・\quad(55)
規則2 重ね合わせの原理(干渉効果)
始状態 A から終状態 X に至る経路が、2通りある場合、経路1を通って A から X に至る確率振幅を $\phi_1 = \braket{X|A}_1$、経路2を通って A から X に至る確率振幅を $\phi_2 = \braket{X|A}_2$ としたとき、始状態と終状態を見る限りどちらの経路を通ったかわからない場合は
\mathbb{P}(X \leftarrow A) = | \phi_1 + \phi_2 |^2 = | \braket{X|A}_1 + \braket{X|A}_2 |^2
\quad・・・\quad(56)
となる。
たとえば $\phi_1 = a e^{i\alpha}, \phi_2 = b e^{i\beta}$ とすると
\mathbb{P}(X \leftarrow A)
= | \phi_1 + \phi_2 |^2
= | a e^{i\alpha} + b e^{i\beta} |^2
= a^2 + b^2 + 2ab \cos(\alpha - \beta)
\quad・・・\quad(57)
となる。この式の右辺の最後の項 $2ab \cos(\alpha - \beta)$ は干渉項で、$a = b, \alpha - \beta = \pi$ という特別な場合、(57)式はゼロになる。つまり、始状態と終状態だけが分かっており、途中にある複数の可能性のいずれが実現されたかわからない場合、極端な場合にはその実現確率がゼロになる。これは二重スリットの光や電子ビームの干渉実験で干渉縞が現れる仕組みを説明するものである(Fig.3)。
Fig.3 のスクリーン上で、水平方向に沿って(57)式の $\alpha - \beta$ が様々な値を取れば $\mathbb{P}(X \leftarrow A)$ はコサイン波状の模様を描くため、干渉縞が現れる。
規則3
規則2では始状態 A から終状態 X に至る経路が2通りあり、どちらの経路を通ったかわからない場合は干渉効果が現れることを述べたが、何らかの方法でどちらの経路を通ったか見分けのつく場合は
\mathbb{P}(X \leftarrow A) = | \phi_1 |^2 + | \phi_2 |^2 = | \braket{X|A}_1 |^2 + |\braket{X|A}_2 |^2
\quad・・・\quad(58)
となる。
$\phi_1 = a e^{i\alpha}, \phi_2 = b e^{i\beta}$ とすると
\mathbb{P}(X \leftarrow A)
= | \phi_1 |^2 + | \phi_2 |^2
= | a e^{i\alpha} |^2 + | b e^{i\beta} |^2
= a^2 + b^2
\quad・・・\quad(59)
となり、(57)式にあった干渉項がなくなる。すなわち、通った経路の見分けがつく場合は干渉効果が現れない。二重スリットの実験で、Fig.4 に示すように光粒子または電子が2つあるスリットのいずれのスリットを通過したかを監視すると、それまであった干渉縞が消失するという不思議な現象はこれで説明できる。
とはいえ、いかに規則3の適用によって、電子ビームは監視されると干渉縞が消えると言われても、その物理的なメカニズムが分からないと納得できない人もいるだろう。そのメカニズムをファインマンは不確定性原理を用いて「物理的に」解説している(参考文献[3] の P.17-18 「1-8 不確定性原理」)。
この奇妙な現象は確率振幅が複素数であることに起因する。(56)式や(58)式に登場する $\phi_1$ や $\phi_2$ が複素数なので、一般的には
| \phi_1 + \phi_2 |^2 \ne | \phi_1 |^2 + | \phi_2 |^2
\quad・・・\quad(60)
という関係が成立する(干渉効果)ために量子の世界では常識的には考えにくい現象が出現する。
参考文献
- 「量子力学10講」オンライン読書会. https://akbrobot.connpass.com/event/302549/ (2023.12.10 参照)
- 谷村省吾:量子力学10講. 名古屋大学出版会, 2021.
- ファインマン:ファインマン物理学 V 量子力学. 岩波書店, 1979.
- Wikipedia:波数. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E6%95%B0 (2023.12.10 参照)
- 村上洋一:量子の世界をみる方法-「スピン」とは何か-. 講談社ブルーバックス, 2022.
- Wikipedia:角運動量. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E9%81%8B%E5%8B%95%E9%87%8F(2023.12.10 参照)
- 松浦壮:量子とはなんだろう-宇宙を支配する究極のしくみ-. 講談社ブルーバックス, 2020.
- アダム・ベッカー:実在とは何か ――量子力学に残された究極の問い. 筑摩書房, 2021.
- N. D. マーミン:量子のミステリー. 丸善株式会社, 1994.