火の粉は、たいてい煙が消えた頃に落ちてくる。
大炎上していた前のプロジェクトがようやく一段落した矢先、俺は「運用だけで済むだろう」と思っていたプロジェクトから、まったく新しいプロジェクトへのアサインを言い渡された。
しかも掛け持ちで。
新しいプロジェクトは、グループ企業が出資しているスタートアップのシステム開発。準委任契約でアジャイル。
それまでのチーム構成はオフショア5名。しかし俺が入った瞬間、そのメンバー全員がいなくなった。すっきりと――いや、禍々しいほどに一掃されていた。
その代わりに提示されたのは、俺と社内随一のスーパーエンジニア2名という構成。
一応、俺は「暦が浅い」からと1名のスーパーエンジニアが補助につく形になっていた。
……だが、問題はそこじゃなかった。
「請求は今まで通り5人月で出すから、よろしく」
部長はそう言って、ニコリと笑った。
俺は冗談かと思って聞き返した。
「つまり、実質2人で5人月分やれってことですか?」
「そういうことではない。関係性があってだな……」
俺は思った。
(ああ、算数ができないタイプか……)
でもクライアントと話すと、普通に「5人でやってると思ってます」と言われた。
関係性って何だ。誰と誰の間の話だ。
とはいえ、プロジェクトは動き出す。いや、動かすしかなかった。
スーパーエンジニアの力は本物だった。矛盾のない要件さえ渡せば、設計から実装まで数日で仕上げてくれる。
一人で三人分。文句なしに“スーパー”。
けれど、その「矛盾のない要件」を作るのは、俺の仕事だった。
最初の頃は、クライアントの言うことをそのまま流して伝えていた。
要件が破綻していようが、矛盾していようが、そこに口を出す力もなかった。
その結果、何度も怒られた。
「どうやって作るの?」「この要件じゃサービス価値が落ちるよ?」
顔を合わせるたび、スーパーエンジニアに言われた。
そのたびに自分の無力さを思い知った。
ある日、悔しさにまみれて帰宅途中の電車で、クライアントが言っていた要望をノートに書き殴ってみた。
すると、おかしな点がいくつも見えてきた。
意図が矛盾してる、言ってることとやりたいことがズレてる――
翌朝、俺は初めてクライアントに聞いた。
「この仕様、Aって言ってますけど、Bとも読み取れるんです。どちらを優先しますか?」
その瞬間、クライアントの反応が変わった。
「……おっしゃる通りですね。そこ、まだ固めきれてませんでした」
俺は変わり始めた。
仕様を疑うようになった。矛盾に気づくようになった。
スーパーエンジニアの視点を真似するようにした。
そうすると、面白いくらい仕事がスムーズに回る。
気づけば1ヶ月後には、矛盾をクライアントより先に指摘できる人間になっていた。
だが――このプロジェクトに“余裕”という言葉は存在しなかった。
スーパーエンジニアとはいえ自身で実装した結合テストを客観的に評価はできない。
テストの原則にも反するし、時間的にも彼は同時に運用SEとして障害対応もしており、テストまでは手が回らなかった。
そして、残るのは俺だった。
掛け持ちプロジェクトのマネジメントと要件定義をしながら、
新規PJの結合テストをすべて――俺がやった。
平日の残業時間はあっという間に36協定の上限を超えた。
だが、納期は延びない。
「仕方ないな」と、自分に言い訳して、休日に“趣味”としてテストをやった。
労務ではない、趣味だ。誰にも怒られない、誰も見ていない。

これはもう意地だった。
スーパーエンジニアがせっかく仕上げた高品質なコード。
鮮度が落ちる前に動かして見せなきゃ、意味がない。
振り返れば――俺はこのプロジェクトでエンジニアリングマネージャーになった。
それまでの自分はただの“管理者”だった。
でも今は違う。要件も、開発の手配も、実行フェーズのリスクも全部見えている。

よく「エンジニア歴3年、マネージャー歴3年で一人前」なんて言うけど、
この密度で働いた1年弱は、その6年分に匹敵していると、俺は本気で思っている。
ただ一つ、怖いと思うのは――
歴浅の同じ条件で同じことを10回やったら、そのうち7回は立ってられなかっただろうなと確信していることである
クライアントが優しかったり、相方のエンジニアが凄く良い人だったり運よく私がモチベーションを維持するものが揃っていたためやり切れたが
途中で倒れたら廃人になっていた可能性も大いにあると感じている
それが、何よりのホラーかもしれない。
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次回、「全てをやり切るために離職した日」