はじめに (本和訳に関する著作権と免責)
これは、KCS Principles and Core Concepts を自分の勉強のために和訳したものです。元サイトはCreative CommonsでCC BY-NC-ND 4.0 で公開されています。
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2022年5月時点のリンク先サイトを参照し、和訳しています。公開後に、原著が更新されている可能性があります。また、この記事には誤訳が含まれる可能性も多分にあります(それに、訳がそこかしこで稚拙です)。参考にしていただければ嬉しいですが、かならず原著にあたっていただけるようお願いします。
また、誤りや改善点に気づかれましたら、ぜひコメントをいただければ幸いです。ナレッジの再利用と改善が重要とのことですので。
KCSの原理と基本概念
KCSは証明された方法論として、ナレッジの利用・検証・改善・想像を業務フローに組み込むことができます。方法論の根底にあるものは、業務を行っている人たちの経験とナレッジの再利用から生まれるパターンに基づいた、継続的な改善です。少数精鋭がナレッジを作成して大多数が利用するという発想の伝統的なナレッジエンジニアリングのやりかたとは、KCSはかなり異なっています。KCSは「多対多」です。ダブルループ学習という学術的概念にもとづいた「需要手動型」で「自己修正型」であることが、KCSのシンプルさのもとになっています。
情報やナレッジが集中するビジネスにおいてKCSは大きな価値を生み出します。この資料ではKCSについて、根本原理を4つ、基本概念10個、説明していきます。KCS Practices のほうはかなり規範的な書き方をしていますが、そちらで挙げられているテクニックはあくまで事例であって、いくつかの組織ではそのテクニックでKCSの方法論の採用がうまく行ったということです。たまに、このテクニックがKCSにおける唯一の正しいやり方だという誤解があるようですが、原理と基本概念、プラクティスの業務への実装方法はいくらでもあるのです。実務上KCSがどう運用されているかという例でしかなくて、「成功するにはこれしかない」というつもりは全くありません。
得られる便益を最大化したいのであれば、根本原理と基本概念は不変のものです。組織がKCSを取り入れていけば色々と課題が発生し都度判断が求められるはずですし、その中には各組織特有の課題もあるはずです。根本原理と基本概念に照らして、様々なプラクティスやテクニックがKCSの理念にふさわしいものかどうか、判断していってください。
KCSの根本原理
出典: KCS Principles
- 訳注: 以下の通りの和訳にしました。
- Abundance: 夥多性
- Create Value: 価値創造
- Demand Driven: 需要主導型
- Trust: 信頼
「夥多性」
出典: Abundance
共有するほど、学びが得られる。
「もし君がりんごを一つ持っていて、僕もりんごを一つ持っていて、互いのりんごを交換したら、ふたりとも持っているりんごは相変わらず一つだ。だが、もし君がアイデアを一つ持っていて、僕もアイデアを一つ持っていて、互いのアイデアを交換したなら、ふたりとも二つずつアイデアを持っていることになる。」1
― ジョージ・バーナード・ショー
この百年間、ビジネスモデルは製造業を前提に発展してきた。製造業の製品は有形物、つまり物理的な実体で、触れたり感じたりすることができる。そして有形物であるということは、有限であるということだ。有限であるので、希少なものとして取り扱われるのが基本であった。例えば、私がりんごを一つ持っていてあなたは持っていないとする。りんごをあなたに渡すことができるが、そうすると私はりんごを持っておらず、あなたは持っているということになる。あるいは、りんごを分かち合うということも可能だが、りんごを半分あなたに分け与えると、ふたりとも持っているりんごは一つ未満だ。
他方、知識は無形物なので、希少性に縛られることがない。あなたにアイデアを共有したとしても、私の持っていたアイデアが減るわけではない。実際のところ、アイデアを共有すると、あなたからも別のアイデアなり視点なりが出てきてアイデアが更に膨らみ、共有する前よりもより豊富なアイデアをふたりとも持っている、ということもある。愛も「夥多性」2の原理に当てはまる無形物の例だ。あるカップルに、一人の子どもがいたとする。ふたりとも、その子に強い心のつながりを感じている。さて、二人目、三人目の子どもがさらに生まれたとして、二人目・三人目の子どもを愛するために一人目への愛を減らす必要があるだろうか?
ナレッジも、夥多性の原理にあてはまる。共有するほど、学びが増えるのだ。ナレッジは意思疎通や経験の副産物だが、意思疎通の前後でナレッジが減ったという人はいない。夥多性はビジネスにおいて強力で破壊的な原理である。オープンソースソフトウェアの大きな成功がビジネスにもたらした影響はその良い例だ。希少性の原理が働くのはどういうときで、夥多性の原理が働くのはどういうときなのか、注意深く峻別してビジネスモデルを考え直す必要がある。夥多性の世界は、「君か僕か」ではなく、「君も僕も」なのだ。
KCSでは、ナレッジを作り、直していくのに適任なのは、日々ナレッジを利用している知識労働者(ナレッジワーカー)だと考えている。KCSに取り組んでくれる知識労働者が多ければ多いほど、ナレッジベースはより充実していくし、利用されるナレッジはより高い品質になっていく。
夥多性の原理はKCSのプラクティスのいたるところに出てくるが、特に重要なのは「承認」においてである。順調にナレッジを運用するには様々な技術が必要だとすれば、様々な技術に対する個々人の技量を確認していく必要がある。夥多製の原理の上に設計された認定プログラムでは、個々人の強みや才能を、貢献度によって認定していく。他の同僚との比較による評価ではなく、価値を創り出すために何ができるかによる評価である。大抵の場合、評価はなんとなく希少性の原理の上で行われてしまっている。目立つ例としては、スタックランキング、リーダーボードや、総スコアを計算するなどして競争的な環境を作り出しているのがそれだ。KCSがうまくいくには、協力的な環境であることが必要である。人それぞれの得意分野を認め合うことで、強みを更に伸ばさせていくのだ。
「価値創造」
出典: Create Value
タスクをこなしつつも、視野は広く。
知識労働者は、業界や機能や種類によらず、共通点がある。それは、知識が「プロダクト(成果/製品)」であるということだ。問題を解決する顧客サポートの専門家であろうと、要求を実現するプロダクトマネージャーであろうと、福利厚生の選び方の相談に乗る人事担当者であろうと、あるいは法務として法規制に関するアドバイスをしていようと、何かを達成するために情報を渡しているという点では同じだ。言い換えれば、ナレッジの提供がかれらの業務内容である。
知識労働者は大変だ。要望に応え、質問に回答し、各種の成果物を(大抵の場合様々なチャネルで)作成する。これだけタスクが絶えず流れ込んできていれば、学んだことを組織全体のために形式知化するという重要な業務は、すぐ後回しになってしまう。KCSはナレッジベースの利用を知識労働者の業務フローに組み込んでいる。ナレッジベースの記事を再利用し、改善し、あるいは新規に作成することが知識労働者の習慣になれば、KCSはうまくいく。こうしたKCS活動が習慣化すると手戻りは減り、再利用されたナレッジの記事の品質は上がっていく。KCSのプラクティスが正しく業務に組み込まれていれば、タスクの処理時間が増えることはない。これは、この方法論の旨いところである。
組織のリーダーと知識労働者は、タスクや対応だけに集中するという誘惑と戦わなければならないというのが、KCSが警告するところである。タスクとそこに関連するやり取りは重要だ。だが、大きな成果は広い視野でタスクをこなしたときにこそ生まれる。個々の対応から得られる学びや、対応の集積から浮かび上がるパターンは将来的に価値を生むかも知れない。戦略的に物事を進めることによって、目先のタスクの重要性と将来得られるかもしれない価値のバランスを取ることができる。我々の経験をとりまとめてナレッジベースを作成・維持すれば、我々全体のタスク実行力が改善できるし、大抵の場合はたびたび繰り返すようなタスクの多くも省いていくことができる。「ナレッジが成果だ」と認識することで、チームの業務はもっと洗練され、楽にできる。
ナレッジは様々な形で、様々な場所で生まれる。それはどれも、組織にとって大切なものだ。KCSはどんな形のナレッジにも有用である。KCSのテクニックはすでに知っていることを再利用・改善し、知らなかったことを記録することに重きをおいている。これを、業務の流れの中で行うのだ。技術文書、設計書、人事規定、規制当局への報告書、その他各種資料について、KCSができるのは置換ではなく、補完である。高リスクな手続き、社内規定、法規制といった、遵守する必要があるナレッジと、単純に経験から得られたナレッジを組織において区別するのにKCSは役立つ。すべてのナレッジがその重要性や影響度において等しいわけではない。組織がKCSを導入することで、各種のナレッジをそれぞれに適切なやり方でコントロールすることができるようになる。
ナレッジは意思疎通や経験の副産物であるから、ナレッジを使う瞬間が一番それを記録するのに適したタイミングだ。これが、ナレッジを作り、直していくのに適任なのは、日々ナレッジを利用している人たちだと我々が考えている理由だ。「その場で記録」という方針のもう一つ利点は、我々の知識の殆どが暗黙知だということによる。誰かが知ってはいるのだが、誰に聞いたらいいかはわからないのが暗黙知の状態だ。一方、必要に駆られたり特段の文脈がなくとも、形式知になっていれば我々はナレッジを示すことができる。
ナレッジについては、KCSプラクティスガイドのナレッジの性質も参照されたい。
「需要主導型」
出典: Demand Driven
ナレッジは対応の副産物。
ナレッジ管理の話になると、いくつかの疑問が出てくるものだ。
- どのナレッジを記録すればよいか
- どのナレッジが重要で、価値が高いのか
- ナレッジの正確性をどう担保するか
KCSの方法論がお勧めするのは、「こういう疑問は需要に答えさせる」である。我々がやりたいのは、業務の遂行にあたって発生した問題に対する回答である。なので、知っていることは再利用したいし、初見の問題は記録しておきたい。起こってもいない問題を想像したり、想定したり、捏造したりしたいわけではないのだ。自律システムやシステム思考といった分野の学術研究でも、この発想が支持されている。この分野では、システム内の出来事と参加者にシステム自体が影響を受け、結果として自己最適化されるシステムを研究対象にしている。
人は前もって準備しておきたがるものだが、過去同じような経験をしていなければ、未来を予想することは大体不得手である。過去の経験があったとしても、予想が当たる確率はかなり低い。未来の出来事が予測できないのだと認められるのであれば、採りうる次善の策としては、気づいて対処する腕を磨くしかない。「需要主導型」の原理とは、我々の相手のニーズ(需要)に従うべきだということである。どのナレッジを記録し、どのナレッジに価値があるのかは需要を見ていれば分かるし、(需要に従って)ナレッジの再利用をすればナレッジが正しいかは確かめられる。これが「解決ループ (Solve Loop)」である。ナレッジの再利用のパターンは今後起こることを先読みする力を養う助けになる。先読み力が高まれば組織の効率性も高まる。これが「発展ループ (Evolve Loop)」である。それだけでなく、知識労働者の経験の集合であるナレッジの再利用パターンからは、事業の機能、プロセス、規約の大きな改善点が見つかることもあり、それによってビジネスが大きく成長することだってある。
こうした組織とプロセスに関する考え方は、従来とはかなり異なる。すでに少し触れた通り、この百年のあいだ我々の商習慣は製造・生産ラインの管理を通して形成されてきた。歴史的には、製造・生産ラインは決定的なシステムであった。製造業モデルにおいては、望みのアウトカム(すなわち製品)と、そのアウトカムを生み出すために必要な原材料と技術を把握できていた。製造工程と原材料は事前に決められていて、ムラを最小化し生産量を最大化すべく指揮統制を行うモデルだ。しかし、問題解決は非決定的なプロセスである。その本質からして、新たな問題を解決すると何が得られるのかは不明で、その解決の手順も解決のために必要なリソースもわからない。非決定的モデルで必要とされる手順とリソースは、状況と文脈で突発的に決まるものなのだ。進め方も、必要なリソースも、状況がわかってくるにつれ変化する。
KCSの基本は、just-in-time(必要なその瞬間に)の行動である。Just-in-case (念のために) ではない。ある対応が未来にどれだけ価値を生むのか予想するのは甚だ困難だ。だから、経験(すなわちナレッジ)を記録するだけしておき、価値の高いナレッジに注意を向けるのは需要次第というのが我々の目指すところなのだ。これは、KCSモデルの手際のよさ、効率性の現れの一つである。我々はナレッジの記事を再利用し、改善し、もしなければ作成することで、眼前の問題を解決したいのであって、誰も再利用しないナレッジを見直して手直しすることに時間を使いたくはない。ナレッジは需要に基づき再利用されることで検証される。つまり、再利用はレビューなのだ。ナレッジを検証するのに最も適任なのは、日々それを利用する人たちなのである。
「信頼」
出典: Trust
愛着を持つ3。権限を与える。動機づける。
信頼は強力だ。積極的で3素晴らしい知識労働を行うには欠かせない。信頼があれば、よりよい仕事も生まれるし、それ以上のなにかも起こる。信頼の欠如は大きな機能不全の源だ。
信頼とは、人が適切な決定と判断を行うことができると信じる度合いである。つまり、正しい情報を持ち、組織の目的4・ブランドプロミスを理解しているのであれば、状況に応じて正しい対応を行えると信じることだ。
「信頼」はいろいろな形で現れる。
- 我々のリーダーは信頼できるか?
- 我々の従業員は信頼できるか?
- 我々の同僚は信頼できるか?
- 我々のナレッジプロセスは信頼できるか?
- 我々は公平に査定され、貢献に適切に報いられると信頼できるか?
ナレッジを重視する健全な職場であれば、答えは「はい」であるはずだ。
悲しいことに、Gallupによれば米国の労働力の70%は仕事に対するエンゲージメントが低い状態だという。Gallupは「仕事に打ち込んでいて、意気込んでいて、熱心である人」をエンゲージメントの高い従業員と定義している。同様に、2014 Edelman Trust Barometer5 ではビジネスにおいても政治においても信頼のギャップが過去最大となった。会社の経営層が真実を語り、倫理的で道徳的な判断をしていると信じている人は五人に一人しかいなかったのだ!
信頼は相互的なものだ。つまり、信頼は信頼を生む。私があなたへの信頼を表したほうが、あなたは私を信頼してくれやすいだろう。ほとんどの組織のプロセスは、チームで一番の無能を想定して設計されている。不信が前提の設計ということだ。無能な従業員のもたらす損害を最小化する役には立つかもしれないが、同時に有能な従業員たちのやる気を削ぐものでもある。最も有能な人が独創的なやり方で貢献できないようにしてしまっている。KCSの「免許モデル (licensing model)」は、常に適切な判断を行え、コンテンツの記載ルールと業務フローを正しく理解していると認められる人には、大きな権限を与えようというものだ。そういう人は正しいことができるという信頼を反映している。
信頼はまた、プロセスを信じているかどうかにも関わる。我々の経験の集合をうまく活用してくれる適切な仕組みが整えられていて、見つけうる最適な情報を適時に提供してくれるという信頼である。知識労働者はナレッジベースへの貢献を評価されると信じているべきだ。付け加えると、知識労働者のエンゲージメントを保つには、彼らの貢献がどれくらい役立っているかを継続的に可視化する仕組みも用意しておく必要がある。
信頼は得るのには数週間も数ヶ月もかかり、失うのは一瞬という類のものだ。信頼は組織のトップからはじめる必要があり、信頼を基盤とした組織文化を作り出すのは経営層の責任だ。組織の目的・ビジョン・価値・ブランドプロミスを経営層が定義し明確化すれば、その言わんとするところは時が経ってもぶれずに伝わるはずだ。さらに重要なのは、組織の目的・ビジョン・価値・ブランドプロミスを経営層自身が行動や決定を通して示し続けることである。調査によれば、リーダーシップの誠実さは低いという。従業員側の過去の経験から、リーダーは不利な状況におかれているのだ。組織の目的・ビジョン・価値・ブランドプロミスに知識労働者を惹きつける説得性を持たせるのはただでさえ難しいのだが、こうした状況がそれに輪をかけている。
KCSを成功裏に採用し、その効果を最大化し持続させられる組織になるためには、組織文化としての信頼が欠かせない。従業員の無関心やエンゲージメントの低さは、ナレッジ管理の取り組みにおいて死を意味する。
有能な人を伸ばす組織設計を。
KCSの基本概念
1) 変化と継続的改善
出典: 1) Transformation and Continuous Improvement
ダブルループプロセス
KCSはダブルループ学習という強力な概念を活用してKCSのプラクティスを構成している。ダブルループ学習は、クリス・アージリスのある学術研究がはじまりで、以来ダブルループプロセスはシステム思考のコミュニティに受け入れられてきた。ダブルループプロセスはよく、「AループとBループからなる」と説明される。Aループは作業を完了させるための活動で、受動的であることが多い。何らかの出来事ややり取りから引き起こされる活動であるからだ。BループはAループの手順と基準の定義を行う。Bループは内省的なものでもあり、Aループそのものとその成果の継続的な改善を行うプロセスである。BループではAループで繰り返される活動に見られる傾向とパターンを分析することでシステム全体の健全性を診断し、改善の機会を発見する。
KCSではAループを「解決ループ(Solve Loop)」と呼ぶ。すなわち知識労働者が作業完了のために行っている活動のことだ。Bループは「発展ループ(Evolve Loop)」と呼ばれる。組織内でのたくさんのAループでの出来事を広い視野で観察することであり、マネジメントの関心事項である。
解決ループでも発展ループでも判断が必要になることがある。ダブルループプロセスでは、目先の活動の文脈だけでなく、いま行い、学習していることのより大きな意味も考慮すべきとされている。解決ループとは「正しく行う」、つまり適切な方法で、発展ループでの継続的改善への自らの行動の影響を理解した上で、業務内の活動やタスクを取り扱うことである。発展ループは「正しいことをする」、つまり解決ループでの幾度もの活動の結果を分析し、活動の改善点を見出し、目標やアウトカムを見直すきっかけを作ることだ。
ダブルループプロセスが強力なのは、自己修正機能を持つからだ。持続的学習と継続的改善はダブルループシステムの本質である。学習は二つのレベルで行われる。出来事のレベル(=解決ループ)と組織のレベル(=発展ループ)である。対応の副産物としてナレッジが作り出されるのは、解決ループにおける学習だ。解決ループの活動内容からパターンや傾向を分析し、組織の集合的な経験に基づいた改善点を発見することができる。様々なところに改善の機会は見いだせる。例えば以下のようなものだ。
- 顧客への製品やサービスの提案
- CX/エンゲージメントプロセス
- 規約
- 社内の、あるいは社外向けの業務プロセス
発展ループでの学習はプロセスや規約、アウトカムの改善につながる。それらの改善点も、組織の集合的な経験に基づいたものだ。
2) 全階層の同意
参加を促し、エンゲージメントへの選択肢を提示する。
上からの変化の強制は常に抵抗に合う。考えても見てほしい。やりたくてやっていることとやらされていること、どちらに熱中するだろうか。ナレッジ中心的な環境において動機づけをうまく行うコツは、「任されている」という感覚だ。選択の余地なく言った通りに人に何かをやらせるというのは、「自律」という動機づけで最も大切な観点を捨てることである。
知識労働者というのは、皆ボランティアのようなものだ。
――ピーター・ドラッカー
肉体労働6と知的労働7の違いについての、1950年代初期のピーター・ドラッカーの鋭い観察がある。製造ラインでのものづくり(手を動かす人がビジネスの価値を生み出している)は、知的労働(ナレッジに基づく判断と決定、つまりアタマでビジネスの価値を生み出している)は大きく異る。ドラッカーは「知識労働者」という言葉を造語し、「知的労働者というのは皆ボランティアのようなものだ」と看破した。何年も後、デイヴィッド・スノーデンは「ナレッジは召集できない」と強調した。言わんとする所は、人の知るところを強制的に引き渡させるのは無理だ、ということだ。ナレッジの共有は常にボランティア精神による行動である。企業は肉体労働の成果の所有権を強制的に召し上げることはできるが、ナレッジに対してはそのやり方はできないのだ。研究によれば、「アメとムチ」は肉体労働における行動と結果に対する効果的な手段である(人道的ではないかもしれないが)。だが、本質的に知的な労働においては、効果的でないどころか逆効果である。動機づけに関する数多くの研究を調査したダニエル・ピンクは、彼の名著『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか8』で動機づけで重要な観点を以下のように整理した。
- 熟達(専門家となる機会)
- 自律(決定権を持っているという感覚)
- 目的(理由の理解)
もし「君の担当業務ではKCSを行う必要がある」と強制に逃げてしまいたくなったら、それはつまりリーダーとして失格だということだ。ナレッジ業務が業務的に必須なことはあるとしても、リーダー層の役割は人々がナレッジへの貢献に望んで、喜んで参加する環境を創ることである。そうした環境では、目的は明確で、メンバーもその目的に入れ込んでいる。それは、組織の目的と価値を理解し信じていて、リーダー層や同僚を信頼していれば、いつナレッジ記事の再利用や改善、作成をすべきか正しい判断ができるはずだからだ。自律的な環境と熟達への関心を保つためにはやる気のある人が必要だ。知的労働者はボランティアのようなものだし、それに、ボランティア活動というのはやる気のあることにしか向かないのだ。
KCSのプラクティスへの参加の頻度と質が、KCSの効果を引き出す。KCSがうまく受容され、最大限の効果を発揮するには、組織が人々に魅力的な目的を提示して惹き込み、招き入れる必要がある。利害関係者全員の利益を最大化しようという気になるのは、みんなが自ら理解し、信じ、貢献したいと思っているからだ。やらされているからではない。ほとんどの経営層や組織にとって、この変革は些細なことではない。知的労働ではなく肉体労働を前提として作り上げられてきた伝統的ビジネスモデルの依って立つところ全てを見直す必要がある。なにか凄いことが起こるのは、自らの判断によって決定を下し、自分の望む目的に資する知的スキルの熟達の機会があるときなのだ。
3) リーダーシップが必要
組織の変革とエンゲージメントの維持を推進せよ。
ほとんどの組織にとって、KCSを採用するということは組織の価値と文化の大きな変革の現れである。この種の変革は難しく、強いリーダーシップが必要だ。ADKARやKotterといった本式のチェンジマネジメントの方法論を採用している組織のほうがKCSの採用がうまく言っていることも、驚きではない。
KCSを採用し継続するためにリーダーが考えなければいけないのは、以下の様なことだ。
- 以下を含むビジョンの作成
- 説得力のある目的 - わかりやすい価値提案9
- ミッション・ステートメント - 目的を達成するためのアプローチ
- 明示的な価値 - 目的達成にあたって行うべき行動
- ブランド・プロミス - 我々と顧客との関係性の特質
- 人々が前向きに捉えられるビジョンと、主要なステークホルダーにとってのKCSの重要性に関する人々へのコミュニケーション
- 知的労働者は組織の目的・価値・ブランドプロミスを踏まえた適切な判断が下せるという信頼
- 従業員の評価基準の変更。旧来は「現時点での知識」「命令遂行能力」だったが、今後は以下に変更。
- 適切な判断能力
- 学習能力
- 協力する姿勢
- ナレッジの利用・改善・作成の頻度と品質
- 活動量・対応量を測るのではなく、カスタマーサクセスと価値を測るように切り替え、そこにどれだけ知的労働者として貢献できたかが可視化されるようにする。
- 知的労働の助けとなるIT技術の性能・機能・レベルの継続的改善。知的労働者が「正しく行う」ことを容易に。
今日の組織において、コミュニケーションを行うことは大変なことだ。KCSだけが変革の推進役だというような状況は、まずない。いつでも色々な物事に注意が分散してしまっている。効果的なコミュニケーションに必要なのは、組織内の主要な関係者全員に対してのメッセージ発信、組織の全階層への理解促進、KCSの価値の重要性への賛同を、リーダー層が率先して進める姿勢だ。見事に組織変革を遂げた企業の役員は、その重要な目標や利点を伝えるのに組織のヒエラルキーに頼ってはいなかった。組織の全階層に対して、個人的なコミュニケーションを行っていくと約束したのだ。
KCSの採用からその利点の最大化と維持に組織の段階が進んでくると、関係者が自身の貢献度を適時に明確に確認できるようにする必要が出てくる。特に知的労働者に対しては重要で、これも組織のリーダーの仕事だ。だがこれはなかなか大変なことである。というのも、KCSの最大の効果は「多くの人々が長期間、正しく行った結果」だからだ。なので、知的労働者に対して自身の貢献度を可視化するには、リーダー層のかなりの努力が必要となる。だが、もしナレッジを利用し改善することの貢献度が可視化できないとなれば、KCSに対する興味は失われてしまう。KCSを長期間継続するためにリーダー層に必要なのは、知的労働者に対してKCSの効果を可視化し、個々人とチームの貢献度を評価することなのだ。
4) 経験の集積
我々の経験を集積して、ナレッジベースを構築する。
物理的な実体と異なり、ナレッジは夥多性の原理に従う。すなわち、共有するほど学びが増えるということだ。ここは、KCSとナレッジエンジニアリングのアプローチの違いの重要な部分だ。KCSが「多対多」のアプローチを採るのに対し、ナレッジエンジニアリングは「少数対多数」、つまり対象の問題に対する少数の専門家が大多数に対してナレッジを提供するアプローチだ。だが、KCSの考え方では、知的労働をする人、ナレッジに触れる人であれば何かしら貢献できることがあると考える。
ナレッジを作り、直していくのに適任なのは、日々ナレッジを利用している知識労働者(ナレッジワーカー)である。
理想的には、ナレッジを利用する人が利用経験にもとづいて改善を行うべきだ。解決ループにおいてナレッジ記事を利用したと示すだけのことでも、KCSでは重要な要素になる。発展ループでは記事の再利用パターンの分析を行うことで、業務フロー、コンテンツの記載ルール、製品やサービス、規約の改善点を見出す機会が得られる。
知的労働者が最初に見るのがナレッジベースになれば、業務を行いながらナレッジの再利用・改善・作成を行うようになる。そうすればナレッジは利用シーンに即して記述されることになり、ナレッジの検索性が向上する。
ナレッジ利用者の経験の集積を記録することには大きな意味がある。何人かの間の会話でアイデアや経験を共有すると、誰もが会話の前より情報・ナレッジを多く知っていることになる。減ることはない。アイデアの共有は、譲渡ではないのだ。他人にアイデアを説明すると、自身の理解が深まることがよくある。他人の視点や経験を得ることで、アイデアを広げたり強化できることもある。ということは、経験を共有する人が多ければ多いほど、ナレッジベースは正確で完全なものに近づくということになる。
知的労働者のコミュニティの経験の集積を補足したナレッジベースは、個人で作るよりも確実により正確で完全なものになる。その個人がたとえ専門家だとしてもだ。KCSでは経験の集積をうまく活用することで、ナレッジを活用するすべての人がナレッジベースに貢献可能だと考えている。思考と経験の集積の威力は、以下の書籍に収録された各種の研究により支持されている。
- 『「みんなの意見」は案外正しい』
- 『凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア』
- 『アイデアは交差点から生まれる イノベーションを量産する「メディチ・エフェクト」の起こし方』
我々の経験の集積を記録することは、解決した問題、仕掛中の問題を記録することである。相手にしている問題について知り得たことを記録し共有すれば、同じ(あるいは類似の)問題に他の人が出くわしたとき他の人もその問題の対応中だと知ることができる。また、問題を共有することによって誰かが解決を手伝ってくれる可能性もあるのだ。
事例
インターネットによって、驚くほど大量の情報にいつでも触れられるようになった。そしてわかったのは、全部が正確ではないということだ。だが、多くの人は自分の目的に適う適切な情報の見つけ方をすでに理解している。鍵は、「判断と三角測量」である。つまり、多くの異なる情報源の異なる答えを参照し、何が正しいのかを決定するのだ。インターネットの不正確であっても広大な情報の海を捨てて、信用に足るけれどはるかに小さな、単一の情報源に頼ることにするという人はいないであろう。
「経験の集積」の威力のいい例が、マイクロソフトの電子百科事典であったエンカルタ(廃止済み)とウィキペディアの比較である。エンカルタは伝統的なナレッジエニアリングのやり方を採った。少人数のナレッジを多人数に提供するモデルだ。一方ウィキペディアは多対多のモデルであり、多くの人々の利用のために多くの人々がナレッジに貢献している。このモデルは時にクラウドソーシングとも呼ばれる。ウィキペディアの、多くの人々が多くの言語で貢献したナレッジの量はすさまじいものだ。だが、ウィキペディアの正確性はどうだろう? 信用に足るものか? 過去数年の多くの研究によれば、ウィキペディアの間違いの多さも偏向度合いも、エンサイクロペディア・ブリタニカに比肩するのだという。百科事典も結構間違っているのだ。違うのは、修正までにかかる時間だ。専門家が執筆する百科事典はクラウドソーシングによるウィキペディアよりも遥かに長い時間を修正に要する。ウィキペディアのやり方なら、ナレッジを使った人が気になれば、その場ですぐに修正してしまえばよいのだから。
5) 共同所有
今のところ知っていることを活用する。
四つのKCSの根本原理と、「ナレッジを作り、直していくのに適任なのは、日々のナレッジ利用者だ」という見解のすべてに関わるのが共同所有の概念だ。共同所有は「誰も当事者意識を持たない」状態につながるのではないかという人もいる。伝統的な、直線的で単純化された視点であれば、たしかにそうかもしれない。だが、ダブルループプロセスの威力は、状況を考慮にいれて自己修正する点だ。
- 解決ループはナレッジ利用の瞬間である。その瞬間では、ナレッジを利用する知的労働がナレッジの質と正確性の責任を負う。状況によってはそのナレッジが適切かもしれないが、解決ループにおいてその判断の責任は知的労働者にあるのだ。
- 発展ループではより広い視点から見る。発展ループは多くの解決ループでの出来事を集積し可視化することに組織的価値を認め、その健全性を確認し改善しようとする。
解決ループは目先のタスクで、発展ループはそれらのタスクすべてを通した経験の集積だ。
KCSはナレッジに関わる全ての人の共同所有物である。
共同所有はKCSのプロセスの効率性を高める重要な要素であり、ナレッジの質と新鮮さに貢献する。知的労働者が自身の関わるナレッジの質と正確性に責任を持てば、利用されたナレッジはどんどん更新されていくのだ。
共同所有の概念はナレッジの利用者全員に適用される。パートナー企業や顧客など、ナレッジの想定読者に組織外の人が含まれることもある。そのような場合、組織外の人も共同所有モデルの一員となる。彼らの経験に基づいてナレッジの改善をしてもらう、少なくともコメントを貰えるようにするのは重要である。
ナレッジセンタードサービス(KCS)で肝心なのは、ナレッジを通した価値創造である。何かをするためにナレッジを利用し、その価値を感じるのは、問い合わせ者(あるいは顧客)だけなのだから、その人が行動を起こす必要がある。価値共創の発想は、R.F.ラッシュとS.L.バーゴによるとある学術研究が出典だ。この研究は『サービス・ドミナント・ロジックの発想と応用』に収録されている。バーゴとラッシュによれば、製品事業とサービス事業では価値実現に大きな違いがあるという。サービス事業では、顧客が価値実現で大きな役割を担う。KCSであれば、問い合わせ者がナレッジの価値の実現において大きな役割を担うことになる。だから、彼らも共同所有の仲間に入れる必要があるのだ。
6) 解決の前に理解を
出典: 6) Seek to Understand Before Seeking to Solve
集合知をうまく活用しよう。
KCSの文脈で「解決しようとする前に理解しようとせよ」と言うと、二つの含意がある。
- 問い合わせ者(あるいは顧客)の問題の理解
- この問題についての我々の集合知の理解
前者は文字通りの意味だ。状況をできる限り理解するために、問い合わせ者の話を聞き、質問をして状況を明確化する。後者は、我々がこの問題についてどれだけのナレッジを持っているのかを確認するということだ。そのために早い段階で(そしてしばしば事後的にも)ナレッジベースを検索する。検索の効率性は状況を隅々まで理解できているかにかかっている。
解決しようとする前に前に理解しようとすることは状況の完全な理解につながり、それによって、目下の(あるいは類似の)状況についての我々の集合知の及ぶところを確認できるようになる。「まずはしっかり理解しようとする」というのは問題解決を遅らせるように感じられるかもしれない。だが、研究によれば現実はその逆だ。状況をしっかり理解せずに問題解決に着手すると余計に時間がかかるし、手戻りにもつながるのだ。
「解決しようとする前に理解しようとせよ」は価値のあるプラクティスとして広く認められている。スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』のうちの一つであるし、問題解決の手法であるケプナー・トリゴー法の大前提でもある。1950年代、チャールズ・ケプナー博士とベンジャミン・トリゴ―博士が進めた研究は、なぜ一部の人達が他よりも問題解決に優れているのかを探った。わかったことは、根っから問題解決が得意な人は、自らの意思決定の仕方に非常に自覚的で、理解と解決の違いを意識していることだった。問題解決が得意な人は分析・診断能力を活用する前に、客観的に話を聞き、事実を集めて明確化し、情報の間のつながりを整理する能力を持っていた。ちょっとした構造化はその後のプロセスでとても役に立つし、適切に構造化されたナレッジの作成を促進する。
適切に構造化されたナレッジがあれば、我々はより上手く問題解決を行える。解決しようとする前に理解しようとすることで(ついでに、記録し、構造化し、検索することで)、問題解決をスッキリと、集中して行える。付け加えると、検索により他の人がどのように類似の問題にアプローチし解決したのかの見識も手に入れることができる。
問い合わせ者の経験をしっかりと記録しちょっとした構造化を行えれば、その件の全体像と問い合わせ者の状況を完璧に記述することが出来る。この文脈を利用すれば、検索結果を改善することも可能だ。10 同じくらい重要なのは、検索することは創ることだという発想だ。問い合わせ者がどのような単語・表現でその件を説明したのかは、既存の記事に追加すべき内容だし、それによって記事はよりよくなる。あるいは、まだナレッジ記事がないのであれば、検索に使った単語や表現が記事作成の第一歩になる。つまり、検索することは創ることなのだ。
ナレッジの再利用はナレッジ管理の大事な利点だ。組織の手腕は新たな問題の解決に振るうべきで、解決済みの問題の解放の再発明に費やすべきではない。解決は一度にして、あとは再利用しよう。
7) 解決できればいい
シンプルで、想定読者に適切な内容に留める。
解決できればいいのだ。価値があるために完璧である必要はない。
ナレッジ記事に関して言えば、解決できればいいという発想は二つの観察に基づいている。
- 対応から学んだことの将来的な価値を予言するのは甚だ困難であること
- 記録したことの八割は二度と再利用されないこと
想定読者が探し、使える十分な形で学びを記録するのが我々のゴールである。これを回答する側にも問い合わせる側にも効率的な形で行いたい。単純な構造化を行うか、ちょっとした雛形を用いて記録するのがよいだろう。考えたこと、思いついたことを手短に、箇条書きにして問題点を記述する。文や文章までは必要ない。箇条書きのほうが書き手にとって書きやすく、読み手にも読みやすい。
なるべく手間を掛けずに経験を記録し、あとはそのナレッジへの需要次第で勝手に改善や追記されるのを期待しよう。そうすれば、二度と再利用されない記事の編集に時間を費やさなくて済む。再利用される記事は改めて目が向けられることになる。KCSでは再利用とはレビューでもあるからだ。
解決ループにおいては、解決できればいいという概念、あるいは「必要最低限」の概念はナレッジ記事の構造や文体に適用される。
一方発展ループにおいては、この概念はコンテンツの記載ルールやプロセスをどこまで詳細に決定するかということに関わる。しばしば組織は記載ルールや業務フローについて、やり過ぎに陥る。必要なことだけ決めるのではなく、出来る限りのルール・フローを決めきろうとする嫌いがあるのだ。必要とされているのは、なるべく単純で、さしあたって十分な記載ルール、業務フローである。記載ルールや業務フローはダブルループプロセスにより、実際の経験にもとづいて継続的に改善されていき、そのうち、必要な内容を備えるようになる。
「単純にしておけ」はKCS委員会11がKCSの採用にあたっての基本的な要素を定義するときの常に念頭に置くべきことであるし、組織がKCSを推進していく過程でも確認点として残しておくべきことである。それが、組織がKCSを採用し維持していくことにつながる。
8) ナレッジの統合
ナレッジ管理活動を組み込んで業務を変革しよう。
知的労働者として我々がナレッジベースの利用を業務フローにどこまで組み込めるかが、我々がどれだけKCSの効果を感じることが出来るかを決定している。ナレッジの健全性と価値は、ナレッジがどれくらい使われるかに関わる。殆どの組織では、知的労働者は様々な場所で情報を探している。例えば、同僚に訊く、資料に目を通す、過去のメールを検索するなどして、そして大抵の場合最後の手段としてナレッジベースを検索し閲覧するのだ。KCSの環境においては、できれば最後ではなく、まず最初にナレッジベースを見てほしい。
「ナレッジを作り、直していくのに適任なのは、日々ナレッジを利用している人たちである」の実現は、ナレッジ統合の概念の大事な点だ。まずナレッジベースを見るのが習慣になると、色々といいことがある。
- 既存のナレッジ記事を通して他人の経験を確認し、活用することができる。
- 記事の再利用時にそれが再利用だと判別できれば、発展ループでそのパターンを利用しビジネスの改善につなげる機会が得られる。
- 分かりづらかったり間違っていそうな記事を見つけたら、それを直すなりフラグを立てておくなりすればよい。記事を直す権限や自信がないときはフラグを立てるのだ。フラグを立てられた記事はその件の専門家のレビューに回される。もし修正の権限もあり、自信もあれば、修正すれば良い。直すかフラグを立てておくという考え方により、使われる記事は改善されていくことになる。
- 記事を再利用し、経験に基づいた修正を行っていれば、有用な記事が継続的に改善されているということになる。その記事の検索時に利用された単語、フレーズも検索性のために記事に追加していく必要があるだろう。
- ナレッジベースを検索しても使える情報がなさそうであれば、新しい記事を作成する機会である。ここでも、検索に利用した単語やフレーズは新しい記事に活用できる。検索することは創ることなのだ。
KCSの効果が発揮できるかは、解決ループの活動をどれだけの頻度と質で業務フローに組み込めるかにかかっている。だが、誰もが何でもさせてもらえるわけではない。解決ループでの活動を自身の業務に組み込む権限は、知的労働者は獲得するものだ。KCSの免許モデルでは、適切な判断が行え、コンテンツの記載ルールと業務フローを理解していると認められる人に、自らコンテンツを即時に修正する権限が与えられる。権限が与えられていない人は、確認が必要な記事にフラグを立てることになる。解決ループを働き方に組み込む権限を完全に与えられている人が増えれば増えるほど、組織は効率的にナレッジの再利用、改善、作成を行えるようになる。
もう一つ、ナレッジベースを業務フローに統合することを可能にするために必要なものがある。テクノロジーだ。利用するシステムが使いやすく、レスポンスよく、機能が充実しているのであればそれは大切にすべきだし、またそうすることは責務でもある。テクノロジーが解決ループの活動をサポートし、ナレッジベースを業務の一部として活用しやすくしてくれる。解決ループのサポートのため、テクノロジーは話すのと同じスピードで機能する必要がある。
9) うまくいくためのコーチング
ピアメンタリングを通して行動を変える
行動と習慣を変えるのは大変なことだ。理解や賛同はコミュニケーションと研修を通して得られうるが、行動を変えるのには時間も必要だし、大抵の場合、外部からの影響力が必要だ。つまり、コーチである。業界での研究によれば、研修とコーチングを組み合わせて提供すると、個々人の生産性が平均で 86% も上昇したという。研修だけの場合の上昇度は 22% である。組織がどれだけ速やかにKCSの効果を直接的に感じられるかは、知識労働者の解決ループでの行動がどれだけ速やかに習慣化するかにかかっている。そのスピードを高め、効果を最大化するためには、コーチングが必要だ。
強力なコーチングプログラムを行うにあたって、経営層には四つの重要な役割がある。
- コーチの選定をサポートすること。コーチ候補はチームに信頼された人でなければならない。
- 対人スキルとコーチングプロセスを醸成するコーチング研修を提供すること。
- コーチングに使う時間を確保すること。
- 知的労働者側にKCSを学びたいと思わせること。彼らがKCSを学びたいと思っていなければコーチには為す術がない。
適任の人材をコーチに指名するのが一番重要だ。コーチ候補は、チームで最も信頼されている人だ。そういう人は人間関係や対人スキルに長けているだろうし、他者を成功に導くことに興味があるはずだ。コーチは各案件の専門家である必要はないが、KCSに賛同していて、かつコーチをやりたい人である必要はある。組織ネットワーク分析 (ONA=Organisational Network Analysis。あるいは社会ネットワーク分析 SNA=Social Network Analysisとも)を用いると、組織内での信頼関係を理解し、コーチ候補を探しやすいだろう。
コーチングは、投資である。KCSの効果はすべて知的労働者の行動を通して実現される。組織がどれだけ行動変容を促すためのコーチングに投資するかは、KCSの効果がどれほど感じられるかに直結する。コーチングが半端であれば、KCSの効果も半端になるだろう。強力なコーチングプログラムには、対人スキルの育成とコーチングプロセスの理解が含まれる。
コーチングプログラムを実施するにあたって最も大変なのは、組織内でコーチングの時間を確保することである。コーチングをするための追加のリソースが用意できるわけではない。業務を行いながら、コーチングする時間をどうにかして確保しなければならないのだ。組織が成熟していけば、コーチングの必要性はなくなりはしないが減少する。チームが一番コーチングを必要とするのは、KCSに取り組み始めた最初の何ヶ月かである。それもあって、「KCS v6 採用の手引」12 ではいくつかのグループに分け、段階的に採用していくことを推奨している。そうすることによってコーチングの需要が時間的に分散してくれるからだ。
知的労働者に対するコーチングは彼らがKCSを学びたいと思っていなければ意味がない。KCSを学びたいと思わせるのは経営層の役割である。コーチの役割は、学びたいという要求に応えることだ。
コーチングは良い投資だ。コーチングの技術は組織にとってKCSにとどまらない長期的な効果がある。マンチェスター社が100人のエグゼクティヴを対象に行った最近の調査では、コーチングのROIは平均してコーチングのコストの6倍に及ぶことがわかった。
研究の結果を背景に、現在の社会ではコーチングが一層推されている。組織がコーチを雇うのは役員のコーチングのためだけに留まらず、スーパーバイザーやマネージャー層にコーチングのスキルを身に着けさせるための投資ともなっている。それによって以下のような効果を実現したいのだ。
- チームの生産性とモチベーションの向上
- どのチームでも得られる成果の底上げ
- 柔軟で、イノベーションとロイヤルティに溢れた職場環境の実現
10) 価値を確認する
出典: 10) Access Value
適切な測定方法で、適切な測定対象を。
適切な測定モデルは様々な目的で活用できるはずだ。ナレッジ中心的な環境で確認できる必要があるのは、ナレッジベースとナレッジを作成し管理していくプロセスの健全性と価値である。測定することで個々人の学びやコーチングの機会を発見できるし、個人・チームそれぞれが出している価値を確認できるようになる。測定は継続的改善のプロセスには不可欠なものなのだ。最終的には、我々が生み出すビジネス価値を確認するための測定方法が必要になる。
KCSの採用を成功させるためには、そしてそれ以上に重要かもしれないがKCSのプラクティスを長期間継続していくため、組織は測定モデルを拡張していかなければならない。対応や活動を単に戦術的に計測する段階から、戦術と戦略のバランスが取れた測定モデルへの進化が必要だ。13 戦略的測定が焦点をあてるのは価値創造だ。戦略的測定で戦術的測定を置換するわけではなく、むしろ戦術的測定に戦略的測定を追加し、混ぜ込むのだ。ダブルループプロセスでは、広い視野を持ち、目先の活動から長期的に得られるかもしれない価値を認識することが重要だと考えている。必要とされる測定モデルはAループとBループの両方の役に立つものである必要があるし、したがってより複雑なものとなる。
ビジネスにおけるマネジメントのプラクティス、すなわち生産ラインや製造業モデルは、過去百年間のものづくりを基礎として出来上がったものだ。製造業では、我々は有形の製品、例えばトースターや、テレビや、車を作る。生産ラインでの個々人の活動は、生産の成果に直結している。例えば、私が(そして同僚が)トースターにいくつの取手を取り付けたかが、生産ラインからいくつのトースターが出ていくかに直結している。私の活動、労働時間、生産性は、どれだけの価値を創造したか(つまり、生産されたトースターの数)と直結しているのだ。
だが、ナレッジ中心的な世界では、我々が作り出しているのはナレッジであり、関係性であり、体験であり、ロイヤルティであったりする。これらは無形の成果だ。分けて数えたりできるものでもない。成果が無形である環境では、活動、業務時間、生産性と生み出した価値とは、かすかな関係しか持たない。我々のビジネスは、手を動かして有形物を作る工場労働から、頭を使って無形物を創る知的労働へと進化したのだが、我々の測定方法はまだ進化できていない。
幾年もの経験からわかっているのは、活動自体をゴールとして設定してしまうと、確実にナレッジベースが崩壊するということだ。KCSが発展段階だったころ、多くの組織で記事の作成率、更新率、リンク率といった活動指標にゴールを置いてしまっていた。こうした活動は集計はしやすいが、価値創造との相関性がない。また、こうした数値は意図的に操作するのも簡単だ。皮肉なのは、測定が容易な場合、価値を生み出さずに達成することも簡単なのだ。こうした先行指標になるような活動が測定対象として有用なのは、そこにゴールが置かれていないときだけである。ゴールが置かれていなければ、こうした指標から知的労働者の行動に対する知見を得たり、学習、成長、改善を促すためのコーチングの機会を見出すのに有用でありうる。ゴールを置くべき測定対象は、成果そのものか、あるいは遅行指標であるべきだ。成果は測定が難しいが、意図的な操作は更に難しい。測定したくなる対象は多くあるが、どこにゴールを置くべきかは慎重に検討しなければいけない。
特定の測定方法一つで価値創造を測れるわけではない。価値創造の測定は三角測量の発想で行こう。「三角測量」と言うと必要な視点は3つのように思われるが、我々の経験上5~7つの切り口を用意すると、より精確に価値を測定できる。価値の実現度合いを評価するためには、指標を組み合わせて見る必要がある。質的な(主観的な)指標と量的な(客観的な)指標、明示的な指標(調査結果)と暗黙的な指標(人々の行動から読み取れること)だ。
KCSのための測定モデルは、組織のより広範な測定の枠組みに組み込まれて、ビジネス目標をサポートするものであるべきだ。発展ループのプラクティスとして、KCSにおける健全性と価値の測定方法 がまとめられている。具体的な指標は、組織へのKCSの実装が成熟するに連れて発展していくはずだ。
KCSとは、旅だ。発展ループのプラクティスそれぞれにおける測定は、チームが成熟するにつれて発展していく。測定方法がどうあるべきかは、チーム、知的労働者たちが旅路のどこにいるか次第である。測定の枠組みに関してより詳しくは、論文Measurement Mattersを参照されたい。
参考文献ほか
Right to use with attribution
用語集
出典: Definitions
ナレッジの性質
ナレッジとは、人が決定や行動に利用できる情報である。誰かにとってのナレッジは他の人にとってはナレッジではない場合もある。なぜなら、人それぞれに異なった能力と責任を持っているからだ。例えば、医学雑誌の記事は医師には役立つだろうが、患者にとっては混乱や誤解のもとになりうる。ナレッジが得られる一番の機会は、人とのやり取りと経験を通してである。より多くの経験を積むことによって、我々はナレッジを高め、精錬し、正していく。したがって、我々のナレッジは継続的に発展するものであるが、完璧に完成することはありえないものでもある。個々人のナレッジが強力であることは誰もが知っている。だが、集団内で共有されたナレッジはより強力だ。この部屋の中で一番頭がいいのは誰かといえば、全員が束になってかかった状態だ。14 ナレッジについてより詳しくは、KCSプラクティスガイドを参照。
サービス
ここでは「サービス」という用語をもっとも広義で汎用的な意味で使っている。サービスは、他社をその努力により成功させ生産的にさせるための手助けをするビジネスのことである。タスクを完了させるためのプロセスの中では、やりとりのネットワークが存在する。問い合わせ者と回答者とか、顧客とサプライヤーといった関係だ。こうしたやり取りはすべてのビジネスの機能の内部、機能間で行われる。会社の壁や個々人の役割の壁もない。情報が重要な産業や機関であれば、企業、顧客、パートナーすべての間でやりとりは行われるのだ。
原理と基本概念
原理とは、深くて根本的な信念のことで、以下の様なものだ。
- 根本的な真実や命題。信念や行動や議論の道筋の体系の根本を成す。
- 倫理的なルールや信念。善悪の判断、行動に影響を与える。
KCSの原理は複数のプラクティスに適用され、その基礎となっていたり、そのプラクティス自体が原理を証明するようなものになっている。「どうやるか」は原理からは分からないが、「なぜやるか」は原理から知り得るものである。
基本概念は一つ以上の原理に基づいたより具体的なもので、原理よりも多いものになる。
プラクティス
(翻訳中)
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(訳注)CHECK YOUR FACT によれば、本当にこれがジョージ・バーナード・ショーの発言かは怪しい。 ↩
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(訳注)希少性の反対。有り余ること。おびただしいほど存在すること。 ↩
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(訳注) 最近はカタカナで「パーパス」とも書かれ、企業の存在意義といったニュアンスを持つ。 ↩
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(訳注) 原文は physical work。典型的な肉体労働だけでなく「物理的実体を作る」こと全般を指しているように読める。 ↩
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(訳注) 原文では、"intellectual work", "knowledge work", "knowledge worker" の三種類の表現が出てくるが、調べた範囲では英語においても厳密に使い分けられていない様子だったので、全て「知的労働(者)」と訳す。 ↩
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(訳注) 原題は "Drive: The Surprising Truth About What Motivates Us"。翻訳元は米国アマゾンへのリンクだったが、日本語版へのリンクに直した。以降他の書籍へのリンクも同様。 ↩
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(訳注) バリュープロポジション ↩
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(訳注) この部分、しっかりと理解できていないため直訳気味になっています。どなたか集合知で助けてください。 ↩
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(訳注) 本記事では初出の用語。The KCS Counsil 参照。KCSコーチ、ナレッジ領域の専門家、マネジメントの代表者からなる委員会。(まだちゃんと読んでいないのです) ↩
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(訳注) KCS v6 Adoption Guide ↩
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(訳注) "If you are the smartest person in the room, you are in the wrong room." はカナダのTV・映画プロデューサー ローン・マイケルズがマリッサ・メイヤーに言った言葉らしい。 ↩