前書き1
論文は1ミリも読んでないです。
前書き2(重要!って書いても忘れられるだろうな…)
この記事にダニング=クルーガー効果を否定する科学的根拠は何一つありません。
じゃあ何の記事だよって話ですが、
我々が日常で観測する「ダニング=クルーガー効果」はただの錯覚なのでないだろうか?という問題提起みたいなもんです。
きっかけ
私はダニング=クルーガー効果という言葉が嫌いだ。
何故なら、この言葉はイキった奴を安全に殴るための大義名分であり、
また、ダニング=クルーガー効果を自覚している俺マジ謙虚。かっけぇ…。それに比べてダニング=クルーガー効果を自覚していないこいつらはマジで馬鹿だな(笑)。と痛い自己陶酔を引き起こしてしまうからだ。
そもそも本当にダニング=クルーガー効果は存在するのだろうか?
少なくとも我々が実感するダニング=クルーガー効果は、「あるように見える」だけ、要するに錯覚なのではないだろうか?
本文
とりま、ここで語るダニング=クルーガー効果は
「能力が低い者は自分の能力を過大評価する傾向があること」
という定義にする。
さらに分かりやすくするために
能力が低い者 → 初心者
能力が高い者 → 上級者
自分を過大評価する → イキる
批判・指摘をする → 殴る
と呼ぶことにする。
1: 目にする頻度の違い
さて、初心者と上級者はどちらが多いだろうか?
大抵の場合は、初心者のほうが上級者よりも多いだろう。
ということはつまり
「初心者のイキった言動」は「上級者のイキった言動」よりも目にする機会が多いはずだ。
元の母数が多いのだから、当たり前だろう。
仮に「初心者のイキった言動」と「上級者のイキった言動」の割合が同じだったとしても、
「初心者のイキった言動」のほうが観測数が多いため、
「ダニング=クルーガー効果が存在する」という認識が補強されるのではないだろうか?
2: 殴りやすさの違い
次にイキリ野郎の殴りやすさを考える。
「初心者のイキリ野郎」と「上級者のイキリ野郎」はどちらが殴りやすいだろうか?
それは言うまでもなく「初心者のイキリ野郎」のほうだろう。
「上級者のイキリ野郎」に殴りかかるのは、逆に自分が殴られてしまうというリスクがあるため合理的ではない。
これが何を意味するのかというと、「上級者のイキリ野郎」は見過ごされやすい。ということだ。
これが「ダニング=クルーガー効果が存在する」という確証バイアスになっている可能性がある。
2.5: 上級者のイキリがイキリだと分からない
上級者が自分のことを過大評価したとして、第三者目線で本当に過大評価しているのか、していないのか判断できるのだろうか?
これはかなり難しいと思われる。
後の文章は「2: 殴りやすさの違い」と同じなので省略。
3: ダニング=クルーガー効果を認識することによる優越感
これは「きっかけ」にも書いたが、
仮にダニング=クルーガー効果が存在しないとしても
存在したほうが都合がいいため、存在するというバイアスが掛かっている可能性がある。
つまり、「ダニング=クルーガー効果を自覚していないあいつ」よりも「ダニング=クルーガー効果を自覚している自分」のほうが優れている。と思いたい願望によって、その存在の認識が補強されているかもしれないということだ。
まとめ
長々と書いた文章をまとめる。
まず、初心者の方が上級者よりも多いため、たとえ両者が同じ割合でイキっていたとしても、初心者のイキリ行動は圧倒的に目につきやすい。
これによって「ダニング=クルーガー効果が存在する」と感じやすくなっている。
次に、殴りやすさの違いだ。
初心者のイキリ野郎は殴りやすいが、上級者のイキリ野郎は反撃されるリスクが高い。
ゆえに上級者のイキリ行動は見逃されやすく、それがさらに「ダニング=クルーガー効果がある」という認識を強めてしまう。(例外が除外されるため。)
そして最後に、ダニング=クルーガー効果を認識すること自体が、優越感をもたらす考えだということだ。
つまり、効果を知っている自分は謙虚で賢いと感じたいという願望が、無意識に「ダニング=クルーガー効果が存在する」という信念を強化しているのかもしれない。
よーするに、ダニング=クルーガー効果は実在するように思えるが、それは確証バイアスや錯覚かもしれないよ。ということだ。
自分の考え
勘違いされそうなんで書いときますが、
私は初心者だろうが、上級者だろうが、
同じ割合でイキリ野郎が誕生すると思ってます。
関連
読んでないけど、なんか面白そう