はじめに
皆さんは、キャリアの中で「もっと早くこれをやっていれば...」と思った経験はありませんか?私は約 13 年間のアメリカ生活を経てソフトウェア技術者となり、日本に帰国した現在も、技術と文化の架け橋として活動しています。その過程で、キャリアを形作るうえで重要だったのは「コミュニティとの関わり」でした。
この記事では、私がキャリア形成において実践してきたこと、コミュニティとの関わりがどのように私の成長や転職に役立ったか、そしてこれから目指す未来について共有します。
私のキャリアとコミュニティの関わり
学生時代: 異文化交流への興味
私が大学時代に最も情熱を注いだのは、留学生との交流でした。英文学を専攻していたこともあり、異文化に触れることへの興味が自然と広がっていきました。
学内での催しや国際交流の場では、積極的に留学生と話す機会を探しました。英語で会話を楽しむことで、語学力を高めるだけでなく、彼らの文化や価値観を知ることができました。
特に印象に残っているのは、友人たちと一緒に留学生と出かけた日々です。地元の観光地を案内したり、異文化についてお互いに学び合ったりする中で、私たちは国境を越えた友情を築きました。これらの経験は、単なる学びにとどまらず、私の視野を広げ、多様な価値観を尊重する姿勢を育んでくれました。
また、異文化に触れる中で、「違い」を楽しむことの大切さを学びました。初めて食べる異国の料理や聞き慣れない表現に驚きつつ、それらを受け入れることで自分の世界がどんどん広がっていく感覚を味わいました。この「違いを楽しむ心」は、その後のキャリアにおいても大きな財産となりました。
こうした経験は、単に異文化を理解するだけでなく、相手の立場に立ったコミュニケーションを意識するきっかけにもなりました。この姿勢は、技術や国際的なプロジェクトでの協業において、非常に役立つスキルとなっています。
社会人経験: 技術への第一歩
大学卒業後、私は地元の企業に就職しましたが、もっと良い条件の仕事を探して 1 年ほどで辞めました。その後、自動車工場で働き始め、より高い給料を得ることで、海外留学の資金を貯めることを決意しました。この時期は、とにかく一生懸命働き、目標を達成するための努力を惜しまない姿勢を養う貴重な経験となりました。
2002 年から 2005 年にかけては、ニュージーランドでカウンセリングのディプロマ(Diploma in Counselling)を取得するために留学しました。ここでは、学問的な学びだけでなく、国際的な学生たちとの友情を育みました。また、マオリ文化に触れることで、多文化理解の重要性を実感しました。
2006 年には日本に戻り、工業機械メーカーで技術営業職に就きました。この仕事では、営業活動に加えて、技術の現場に直接関わる機会が多くありました。たとえば、顧客と要件定義を行い、社内の技術者と協力して課題を解決するプロセスは、非常にやりがいがありました。また、現場での設置作業をリードすることもあり、プロジェクト管理や問題解決力を学ぶ機会となりました。
特に印象に残っているのは、現場で予期せぬトラブルが発生した際、技術者たちと即席で解決策を考え抜き、顧客の期待を超える成果を提供できた瞬間です。この経験を通じて、技術の世界の魅力を強く感じました。
また、この仕事では顧客対応スキルを磨くこともできました。技術的な内容をわかりやすく説明し、顧客と信頼関係を築くプロセスは簡単ではありませんでしたが、それを乗り越えることで長期的な関係性を築く力を得ました。
こうした経験は、私が後に技術のキャリアを進めるうえで、技術と顧客対応の両面において重要な基盤となりました。特に「問題解決力」や「顧客視点」は、私が現在でも大切にしているスキルです。
渡米後の転機: コーディングへの挑戦
2011 年、家庭の事情でアメリカに移住した私は、現地の日系輸出入企業でカスタマーサービスコーディネーターとして働き始めました。この仕事では、引っ越しの梱包や配送、倉庫管理など、主に肉体労働が求められる業務を担当しました。仕事を得られたこと自体は幸運でしたが、将来を見据えたときに続けられる仕事ではないと感じ、キャリアを模索していました。
そんな中、趣味として始めたボルダリングが私の人生を大きく変えました。ある日、ジムで出会った Nathan というプログラマーが、「プログラミングを学んでみたら?」と提案してくれたのです。その一言は、私にとって未知の扉を開くものでした。同時に、「自分にできるのだろうか」という不安もありました。それでも彼が勧めてくれた無料オンラインコース――特にハーバードや MIT の教材――に触れるうちに、「挑戦してみよう」という気持ちが強まりました。
その後、私は毎日の限られた時間を活用して学びを進め、タブレット端末を使って基礎を固めました。さらに、地元の大学でコンピュータサイエンスのコースを履修し、プログラミングスクールにも通いました。途中でメンターから「もう十分準備ができている。次のステップに進むべきだ」と励まされたことが、大きな後押しとなりました。この言葉に勇気を得て、就職活動を開始しました。
転職活動を進める中で、地元の技術コミュニティが新しい世界との接点となりました。Node DC の催しでは、セッションの冒頭に全員が円になり、一人ずつ自己紹介をする習慣がありました。私は「現在、プログラミングスクールに通っており、仕事を探している」と話しました。その自己紹介をきっかけに、同じスクールを卒業したばかりの Andy という技術者と出会い、私のキャリアが新たな局面を迎えることとなったのです。
初めての技術者職: コミュニティの力
Andy との出会いは、私が技術者としてのキャリアをスタートする重要なきっかけとなりました。彼は後日、私を自分の職場に案内してくれました。残念ながらその時点で彼の職場では求人はありませんでしたが、彼のネットワークを通じて Rails 技術者を探している友人を紹介してくれました。こうして、私はアメリカの大手新聞社であるワシントン・ポストでの初めての技術者職に就くことができました。
初めての職場では、新しい技術を学ぶだけでなく、現場で働く中で「エンジニアリングは一人ではできない」ということを実感しました。チームとの協働、課題に対する多角的なアプローチ、そして互いの知識を共有する文化は、私の考え方を根本から変えるものでした。
この経験を通じて、コミュニティがキャリア形成に与える影響の大きさを痛感しました。特に、Node DC でのつながりがなければ、このような機会を得ることは難しかったでしょう。技術を学ぶことだけでなく、コミュニティに積極的に参加し、自分を知ってもらうことで、新しいチャンスが生まれることを身をもって体験しました。
私にとって、Node DC や他の技術コミュニティでの活動は、単なる学びの場を超え、キャリアの扉を開く場となりました。技術を共有し合い、互いに支え合うコミュニティの文化は、私がその後も技術者として成長し続ける原動力となっています。この経験を通じて、私は「学び続けること」と「つながりを大切にすること」がキャリア形成において不可欠であると強く感じるようになりました。
キャリアの成長: Custom Ink と成長の場
ワシントン・ポストで技術者としてのキャリアをスタートさせた後、私は 2019 年に Custom Ink という会社に転職しました。この転職のきっかけは、Arlington Ruby というローカルの Ruby ミートアップでした。このコミュニティで、Custom Ink の技術者チームがライトニングトークを行い、技術的な知見を共有するとともに、採用についても話をしていました。彼らのプレゼンテーションに魅了された私は、その場で応募することを決めました。このようにして、コミュニティとの関わりが再び私のキャリアを前進させる大きな機会となりました。
Custom Ink は、顧客がオリジナルのグッズを簡単に作成・販売できる EC プラットフォームを提供しており、その規模やシステムの複雑さは前職以上でした。ここでは、受注処理やカスタマーサポートのための社内ツール、注文フルフィルメントシステムの開発・保守を担当しました。これらのシステムには複数の独立した Rails プロジェクトや Ruby Gem が含まれており、それらを連携させながら効率化や安定性向上に取り組みました。
この職場では、ジュニア技術者のメンターとしての役割も担いました。オンボーディングを支援し、新しい環境に適応できるよう具体的な事例を共有することで、彼らの成長を支えました。社内でのライトニングトークを通じて、コードの最適化方法や新しいツールの使用法を共有し、チーム全体のスキル向上にも貢献しました。日々のコードレビューでも具体的な改善点を示しながらレビューを行い、コード品質の向上と技術者としての成長をサポートしました。
Custom Ink での経験は、テクニカルスキルの向上だけでなく、ソフトスキルの重要性を再認識する機会でもありました。チームメンバーや他部門との円滑なコミュニケーションがプロジェクトの成功に不可欠であることを学びました。また、技術的なベストプラクティスを追求するだけでなく、ビジネスニーズにも柔軟に対応する姿勢を身につけることができました。
Arlington Ruby での出会いをきっかけにスタートした Custom Ink での仕事は、私に技術者としての専門性をさらに高めるとともに、チームを支えるリーダーとしての役割を果たす機会を提供してくれました。この経験は、私のキャリアにおいてかけがえのない財産となっています。
パンデミックを契機に見つけた日本のコミュニティ
2020 年ごろ世界的なパンデミックの影響で、対面での技術コミュニティの催しが次々と中止され、日常生活も大きく変化しました。それまで活発に参加していた地元のミートアップがオンライン化する中、「リモートであれば他の地域のコミュニティにも参加できるのではないか?」と考えた私は、日本の技術者コミュニティに目を向けることにしました。
その中で特に興味を引かれたのが、福岡を拠点とする Elixir のコミュニティ「Fukuoka.ex」でした。Zoom を使ったオンライン催しに参加してみることにしました。最初は緊張しましたが、徐々に楽しくなってきました。
この経験を通じて、日本の技術コミュニティとのつながりが広がり、autoracex や NervesJP といったグループにも参加するようになりました。特に autoracex では、@torifukukaiou 氏との交流を通じて、アントニオ猪木さんの哲学に触れる機会を得ました。「闘魂とは己に打ち克つこと、そして闘いを通じて己の魂を磨いていくことだ」という言葉に強く影響を受け、挑戦し続けることの重要性を改めて認識しました。また、「人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに、年老いていくのだ」という猪木さんの言葉は、私が技術や学びへの挑戦を続ける原動力となっています。
NervesJP では、Raspberry Pi を用いたハードウェアプロジェクトに挑戦し、初めて LED を点灯させたときの感動は忘れられません。それまでソフトウェア開発が中心だった私にとって、ハードウェアとソフトウェアが連携する瞬間を体験するのは新鮮であり、大きな刺激となりました。この経験をきっかけに、私は Nerves に関連する複数の Elixir パッケージを開発し、Nerves プロジェクトのコアチームに参加するまでになりました。
また、パンデミックをきっかけに日本のコミュニティで活動を始めたことで、自分のルーツや文化について改めて考える機会を得ました。長年アメリカで生活していた私は、海外の文化や技術に強い関心を持ちながらも、日本の文化や哲学を深く理解する機会が少なかったと感じていました。猪木さんの「元氣が一番、元氣があれば何でもできる!」というシンプルながら力強い言葉は、私に新たな視点を与えてくれました。
オンラインで始めた日本のコミュニティ活動は、私の技術の視野を広げただけでなく、日本への帰国を決意する重要なきっかけとなりました。猪木さんの言葉や日本の仲間たちから受け取った「元氣」が、私のキャリアやライフスタイルに新しい道を示してくれたのです。
日本への帰国と現在
パンデミックを通じて日本の技術者コミュニティと深くつながったことで、私は自分のルーツや文化について改めて考えるようになりました。それまではアメリカでの生活を通じて海外の文化や技術に触れることに重点を置いてきましたが、日本の文化や哲学が持つ豊かさを見直すきっかけを得ました。「和魂洋才」の精神に基づき、日本独自の価値観とグローバルな技術を融合させながら、自分のキャリアを見つめ直したいという思いが強まっていきました。
このような中で、日本への帰国を考えるようになり、その一歩を後押ししてくれたのが、日本の Elixir コミュニティで出会った @torifukukaiou 氏でした。彼との交流を通じて、日本の文化や哲学、そしてコミュニティの力を再認識しました。そして彼の紹介と歓迎を受け、Haw International (ハウインターナショナル)という会社で働く機会を得ました。このプロセスで、私は e-ZUKA Tech Night という催しでライトニングトークを行い、「技術者コミュニティと私」というこの記事のテーマにも関連する発表を行いました。この経験を通じて、日本の技術者コミュニティの熱意やエネルギーを強く感じることができました。
現在、私は Haw Internationalという会社でソフトウェア技術者として働いています。この会社は、エンジニアリングだけでなく、社員一人ひとりが成長し、新たな挑戦に取り組める環境を大切にしています。そのおかげで、私も日々やりがいを持って仕事に取り組むことができています。
Haw International の魅力の一つは、技術者のためのサポートが充実していることです。例えば、「AI 補助制度」として、ChatGPT Plus の利用費用を会社が負担してくれる仕組みがあります。この制度のおかげで、私は日々の業務や新しいプロジェクトにおいて AI の力を存分に活用し、効率を高めることができています。
さらに、Haw International では毎月「ハウッカソン」と呼ばれる社内ハッカソンが開催されています。このイベントでは、社員が集まり、自由なアイデアを形にする時間を共有します。ハッカソンの昼食には、地元の人気店「レイダック」のハンバーガーが振る舞われることもあり、この昼食代も会社が負担してくれるため、参加する楽しみが一層高まります。
こうした環境の中で、私はエンタープライズ向けアプリケーションの開発や、チーム全体の成長に貢献するための取り組みに携わっています。Haw International は単なる職場ではなく、学びと挑戦の場であり、技術を通じて仲間と共に成長できる素晴らしい職場です。
帰国後も、私は引き続き Nerves や Elixir のコミュニティでの活動を続けています。特に、初心者が理解しやすいドキュメント作成やチュートリアルの改善を通じて、これから技術の世界に足を踏み入れようとしている人たちを支援することに力を注いでいます。また、Nerves プロジェクトのコアチームの一員として、IoT 分野での開発を推進し、ハードウェアとソフトウェアの融合が生み出す可能性を探求しています。
日本に戻ってから改めて感じたのは、自分が歩んできたキャリアの中で「コミュニティ」と「挑戦」がどれほど重要だったかということです。異なる文化圏での経験が私を強くし、そして日本の技術者たちとの交流が、私に新しい視点と可能性を与えてくれました。これからも、技術の力を通じて、グローバルな技術と日本の文化の橋渡しを続けていきたいと思っています。
やってよかったこと
これまでのキャリアを振り返る中で、「やってよかった」と思うことを 3 つ挙げるとすれば、以下の通りです。
コミュニティへの参加
技術コミュニティへの参加は、新しいスキルを学ぶだけでなく、キャリアの転機をもたらす出会いを生み出しました。Node DC での自己紹介が最初の技術者職につながり、日本の Fukuoka.ex や autoracex では、新しい視点や挑戦を得ることができました。
学び続けたこと
技術の進化に合わせて学び続ける姿勢が、新しいキャリアを切り開く原動力になりました。オンラインリソースやプログラミングスクールを活用し、独学から転職までの道のりを支えてくれました。
異文化交流を楽しんだこと
アメリカでの生活やボルダリングを通じた出会いから、多様な価値観を学びました。これらの経験は、技術課題へのアプローチやチームでのコミュニケーションに良い影響を与えています。
これからやりたいこと
これからのキャリアでは、以下を目指しています。
初心者が学びやすい環境作り
Nerves や Elixir の活動を通じて、初心者向けのわかりやすいドキュメントやチュートリアルを作り、多くの人が技術を学ぶ手助けをしたいです。
社会課題への技術活用
技術を活かして社会課題を解決するプロジェクトに関わりたいと考えています。IoT やエッジコンピューティングを通じて、新しいサービスの可能性を探求したいです。
グローバルと日本文化の融合
海外経験と日本の文化を融合させ、グローバルな技術と日本の価値観を結びつけるプロジェクトに挑戦したいです。
おわりに
キャリアの成長にはコミュニティとの関わりが欠かせません。この記事が、皆さんが新しい挑戦を始める一助となれば幸いです。
最後に、私を支えてくれたコミュニティやメンターの皆さんに感謝の意を表します。