※この記事は個人ブログの記事を加筆して掲載したものです
日本人の「人間味」を大事にする習性
日本人には「人間味」というものを異常に信用しているところがあって、数行のコードを書けば数分で終わるような作業でも、なぜか何人月もかけて手作業で実施させた方が安心だと言ったりします
これは考えてみると不思議なことです。確かにコードによる自動化は、誤ったコードを実行するリスクはあるものの、一回うまく動いてしまえば後は絶対に間違いは起きません。一方、人の手で作業をするかぎり、ヒューマンエラーのリスクは恒久的に残りつづけます。でも日本のITの現場では、手作業の方が安心・安全だと信じて疑わない人がいます(私も実はその1人だったりします)
政治の世界でも似たようなことが起こります。法律を作って禁止すればいいものを、「お願い」とか「要請」という言葉を使って、あくまで最終的に従うかどうかの判断は、人に委ねるのです。にもかかわらず、要請に従わない人を犯罪者のように扱ったりもしますが
欧米圏でも「人間らしさ」を大事にする動きはある
欧米圏でも、産業革命初期の工場労働者の過酷な労働条件や、生産効率を重視するあまり粗悪品が大量に出回ったことに対して、「人間らしさ」を取り戻そうとする運動が起こりました(アーツアンドクラフツ運動など)。しかし現代日本のIT企業の場合は、むしろ非人間的で意義を見出せないような、それこそ機械にやらせればいいような単純作業に「人間らしさ」を投入して、満足している経営者がいます。公的機関の紙文化やハンコ文化なども、その一例です
日本人とITは相性が悪い?
日本人は「人間味」に取り憑かれた、いわば人間信者なのです(参考文献に、このことが詳しく書かれています)。この絶対的人間信者の世界に、欧米圏で発展してきた非人間的で機械的なITの仕組みを、そのまま導入しようとしても、必ずこの「人間信仰」に阻まれて失敗します
この人間信仰とITの折り合いをつけて、新たな道を切り開かなければ、日本のIT業界に未来はないのかもしれません。では現時点で希望が全くないかというと、そんなことはないです。日本人が「人間味」に取り憑かれているなら、ITの世界でも徹底的にこの人間について突き詰めればよいのです
ITの世界で活きる「人間味」
絵文字という機能は、日本から生まれました。当時テキストか軽めの画像くらいしか転送できなかったe-mailで、とても人間らしい感情を伝える一つの発明でした。残念ながら、これを規格化して標準化したのはGoogleやFacebookでしたが、この絵文字というのは日本人的「人間らしさ」がITの世界で大成功した一例だと思います
動画の画面上にコメントを流せるようにしたのも日本人だし、151匹ものキャラクターを1つのゲームに同時に登場させたのも日本人くらいなものでしょう。日本人は、人の感情の細やかな表現とか、キャラクターの描き分けとか、そういったものをITの世界でも突き詰めて行けばよいのです
参考文献
- イザヤ・ベンダサン (1971) 「日本人とユダヤ人」 角川ソフィア文庫