今回はずいぶんと哲学的なお話です。人工知能の分野は哲学と切っても切り離せない関係にあります。
この話をすべきかどうか正直迷いましたが、ここの考え方を導入した方が後々わかりやすい(ような気がした)のと、読み物としてはおもしろいと思いますので、あえてこの章を挟むことにしました。
#知能って何?
知能ってなんでしょう?
現代社会は情報社会と言われるほどに知識と情報があふれ、そこに生きる私たちは少なくとも自分の親よりは確実に広い知識を持っています。
では私たちは親より知能が高いのでしょうか?
目の前にあるコンピュータは、私たちよりもずっと早く計算をすることが出来ます。
ではコンピュータは私たちより知能が高いのでしょうか?
カルフォルニア大学の哲学者、ジョン・サール教授は、こんなことを言っています。
「正しくプログラムされたコンピュータには精神が宿る」
人工知能を哲学の観点から考える彼らは、知能は「心をもつこと」だとしています。
自己意識を持ち、その高い認知能力を複合的に利用して、真に推論と問題解決をすることが出来る能力、それが「知能」なのです。
#ヒトの心はどうやってできるの
さて、知能を示す水準となる、魂、精神、感情というものは、どうやって作り出されるのでしょうか。
脳によって作り出されているというのは誰もが知っているお話です。
では脳のどこで、どうやって。
私たちの脳はつまるところ、沢山の情報から結論を導き出すということをやっています。
沢山の情報→脳みそ→何かの結論
この「何かの結論」が感情だったり、行動だったりするわけです。
これを数学的に表してみましょう。
emotion = f_1(information) \\
solution = f_2(information) \\
motion = f_3(information)
逃げないで逃げないで。まだ全然平気だから。
fは関数です。ある情報を関数に放り込んだら感情や解決方法や行動が出力されるのです。
結局知能の探索というのは、この関数の中身を解明することに他なりません。y=2xとかだったら簡単なのにね。
これまで沢山の研究が行われ、例えば視覚は脳の後ろの方だとか、意思決定は脳の前の方らしいとか、脳の部分的な機能 (脳のどの部分がf1を持っていて、どの部分がf2、f3を持っているか)はだいぶ明らかになりました。
ところが結局、いくら脳をばらしても、その関数の中身はわからなかったわけです。
そこにあったのは脳には神経細胞があり、それらが繋がり合ってやりとりしているという事実だけです。神経細胞の中をどんな顕微鏡でのぞいても、数式は書いていなかったのです。
神様は、神経細胞のつながりという無機質なもので、どうやって関数を表現したのでしょうか・・・
関数の中身はわからないけれど、とりあえず神経細胞のつながりを再現することは出来ます。
それをうまく動かしているうちに、ひょっとしたら知能が再現できるかも。人工知能の研究は、そんな哲学的側面を持っています。
#つよいAIとよわいAI
人工知能の中で、ヒトの知能に近いような、意識があり真に問題を理解し解決する能力を持つものを狭義の「つよいAI」と呼び、この研究をAGI(Artificial General Intelligence)研究と呼びます。
(なんだか渋谷の若者のような表現ですが、これが専門用語なので仕方ありません。)
現在、この「つよいAI」は実現されていません。そして、実現するのも当分先の話になります。理由は簡単です。脳が優秀すぎるのです。
まず、言語の認識、画像の認識、分類問題、推論、感性、情報探索など、脳が解くことが出来る問題はとんでもない数で存在します。その一つ一つを再現するので精一杯です。
二つ目が、資源の問題です。わかりやすく言うと、電気代が高い。人間の脳はとても省エネで省スペースです。現在のコンピュータに適うレベルではありません。
人工知能の世界において今現在行われているの研究の大半は、専ら脳の能力の一部を達成しようとするものです。これは「よわいAI」と言います。みなさんがニュースで触れる「人工知能の研究」と聞いて思い浮かべるものの大半はこれにあたります。
「よわいAI」の研究は決して無駄ではありません。よわいAIだって立派な知能です。これらを組み合わせればいつかは「つよいAI」になれるかもしれません。
それに、よわいAIの研究が進んだからこそ、機械の知能がヒトの知能に近づくために超えねばならぬ、最も厳しく、最も単純な壁の存在が明らかになったのです。
意味を理解することーー
東大の入試問題をAIに解かせる研究を進めていた新井紀子教授も、この壁の厳しさを指摘していました。
「東大を(人間と同じように)目指そうとすると、全ての分野を強化しなくてはいけない。AIにとって難しい『意味を理解する』という分野を突き詰めようとすると、膨大な時間とコストがかかる」
(なおこの研究は、人と同じように問題を解かせるという意味で実は「つよいAI」の研究でしたが、この間報道があったように打ち切りになりました。ヒトに近づくことに資金をさくのではなく、コンピュータの強みを生かした「よわいAI」の研究をした方が今後有用性が高いと判断されたからです。そこで今度は、「よわいAI」として、機械ならではの問題解決の研究にシフトしていきます。)
#「中国語の部屋」に閉じ込められた英国人のお話
あるところに英語しかわからない英国人がおりました。
「Kanjiなんて見たことないよ!」
この英国人を、ある小部屋に閉じ込め、あるお願いをしました。
「その部屋にあるルールブックに従って、受け取った紙に対応する答えを書き写してくれ。」
部屋の外から、「你今天怎么样?」と書かれた紙を受け取った彼は、さっそくルールブックを開きました。
「你今天怎么样?と書かれていたら、我很好と書け」
そこで彼は、紙に「我很好」と書いて部屋の外に渡しました。
さて問題です。彼は中国語を理解したのでしょうか。
明らかにNOです。彼はただルールを書き写しただけです。
ところが、部屋の外の人から見たらどうでしょう?
「おげんきですか?」と書いて部屋に入れると、「元気です」と書かれた紙がでてきたので、
まるで部屋の中の人は中国語がわかっているかのように見えるのです。
これが人工知能における「意味が理解できない問題」です。
我々は膨大なルールをコンピュータに教え込み、表面上は理解しているような受け答えをすることが可能です。
けれど彼らは理解していないのです。
#「意味がわかる」ことのすばらしさ
「本当にわかってるかなんかどうでもよくて、とりあえず表面上ちゃんと動けばそれでいいんじゃないの?」
そうでもないのです。
ルールブックに書いてない場面での判断ができません。
後に書くように、AIは学習が可能ですから、過去の経験から推測して類似問題を解くことは可能です。
ただし全くの新しい場面では判断が出来ないのです。
ルールブックを作ること、ルールブックに載っていない場面で判断すること、ルールブックに言語で表現できないような感覚の部分。
それが人工知能の苦手とする部分であり、人の得意とする部分なのです。
「現在の小学生の65%は、今存在していない職業に就く」
2011年にデューク大学のキャシー・デビットソン博士がそう予言し、大きな波紋を呼びました。
もうすでに5年がたち、当時の小学生は中学生・高校生になっています。
自分の仕事にヒトである意味を見いだすために残された時間は、そう多くはありません。
実際のところ、AIの研究に関する予測というのはこれまでほとんど当たったことがないので、この予測もまあもう少し後のことになるとは思います。
AIの研究も正しくコントロールされ、AIはヒトの価値を奪う恐怖たる存在ではなく、ヒトを助け寄り添うためのパートナーとしての存在になってきています。
自分がヒトであるという意味を見いだすことも大切ですが、せっかくなら、今の自分の机にAIが来ればどんなことができるだろうか、どんな風に仕事を発展させられるだろうか、前向きな想像を働かせたいですね。
自由な世界を想像することこそ、人間にしかできないのですから。