科学や学問とは何であるのか?
我が父である故萩行正憲の蔵書に示唆深い書き込みがされていたので紹介したい。
肝心の蔵書のタイトルを記録し忘れたので、そこは後日補完したい。
その書き込みは統計力学の本に記載されており、本の出版年数的に父が学部時代に記述したものと思われる。
まずは該当部分の本の記述を紹介する。
現在のわれわれは、この中にただ哲学するためだけの思想が、いかに無為無益であるかを知るのみなのであるが、当時Ostwaldは力学的自然観に立つBoltzmannとの華々しい論争においても破れることはなかった。
背景としては、統計力学の歴史において、Ostwaldらがエネルゲティークという概念を提唱していたが、Boltzmannらとの論争の結果、現在においてはエネルギティークはほぼ否定されている、とうことがある。
この一文に対して、父の書き込みが2つされてる。
Mach、Ostwaldらにとっては決してそうではない。本来学問とは、何かを発展させることに源を発するのではなくて、その人自身の世界観、たとえそれが、無為無益に見えようとも、をつくりだすためのものなのである。アインシュタインの晩年の仕事も、彼の世界観の統一として彼には必要だったのだ!
このイミではOstwald自身の世界観は完全にイジされたのでアル。たとえ 現在 Bolztman流の考えが風ビしておろうとも、エネルゲティークが復活する日がくるかもしれぬということは頭の中にいれておくべきだ。
科学がいかにたくみに自然を表現しようとも、人の心の中までは潤すわけにはゆかない。いろいろ考えること自体が科学であるという立場を僕はとりたい。
科学や学問とはどうあるべきなのか?人によって考えはあると思うが、私自身はこの父の考えを大切にしたい。
最後に父の座右の銘を紹介しておきたい
世の中は皆さんが思っているより深くて不思議で面白い