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社会にインパクトを与えたい!の思いで行動し続けた大学生活のすべて

Last updated at Posted at 2021-10-22

人生の岐路となるフィリピンでの国際協働

幸せを噛みしめる力が足りない

入学後、部活動やサークルに迷っていた僕は人の良さにつられて国際交流の団体に入り、フィリピンで国際支援をするプロジェクトに参加する。私が訪れた街は、水がなく、電気も通ってはいるが頻繁にとぎれてしまい中々つながらない環境だった。この劣悪な環境を可愛そうだと思っていた、僕は気づく。誰一人として、今を不幸せだと思っている人はいないのだ。みんな笑顔で、前を向いて生きている。この話をすると、外の世界を知らないからだという人もいるが、そうではない。彼らは同じ国に裕福な暮らしをしている人達がいることも、日本やアメリカに比べて貧しいことも知っている。ではなぜ幸せなのか?2週間を共に過ごして私は気がついた。彼らは小さいコト、例えば食事、家族との会話を幸せに思って暮らしている。僕たち日本人とは幸せを噛みしめる力が全然違う。モノがあるから、お金があるから幸せなんじゃない。日々の小さなことを感謝し、喜ぶ力があれば誰でも幸せになれるんだ。

学ぶ機会があるということは、恵まれているということ

私が2週間ホームステイさせてもらった家族は、長女のみ父親が今の育ての父親とは違うといった複雑な家庭だった。そこでは、戦前の日本のように父が絶対的な権限を持ち、彼女は他の兄弟にくらべて明らかに疎外されていた。そんな家庭環境で育った彼女だが、実に優しい心の持ち主であった。私が初めてホームステイをさせてもらった日、カルチャーショックなどで中々寝付けず椅子で座っていた。すると彼女は僕の横にちょこんと座り、色々な話を聞いてくれた。時刻は夜中の1時を回っており、10歳の少女にはおそすぎる時間で「なぜ寝ないのか?」と尋ねると「君が来てくれて嬉しいんだ!私は君が寝るまで起きているよ。」といった。なんて大人な少女なんだと感銘を受けた。その後も二人で毎晩毎晩話し合った。彼女はある夜に将来の話をしてくれた。「私は将来お医者になる!父親にお金を欠けてもらえなくても私は勉強を続けて医者になるんだ」と。彼女は10歳で、この窮屈な環境に負けないように頑張っている。実際に彼女の学校に行くと、彼女は猛勉強の成果で6年生のクラスに入って勉強していた。私はこのときに、お金も環境も整った国に生まれた自分はなんで勉強もがんばっていないんだろう。彼女が僕と替わって生まれていたら、どれだけのコトを成し遂げることができただろうか。僕は、今日から生まれ変わらないと。社会に良い影響をあたえられるような存在になりたい。ここから、僕は大学生活のほとんどを図書館に引きこもり読書や勉強をし始めることになる。

実行委員長としてより良い活動を目指す

私が参加した国際協働の団体は全国から学生が集まり、大学院生まで参加することができる。私は大学二年生という立場だが、誰よりもこの活動の魅力と可能性を感じ実行委員長に立候補した。私が参加者として感じていた大きな課題は主に3つだ。1つ目は、現地のニーズを把握しておらず、自分達のやりたいことを行う活動になっていること。2つ目は、参加者の思いや熱量にバラツキがあること。3つ目は行動指針がないために、判断基準があいまいになること。私はそれぞれを以下の施策で解決するように務めた。

​1つ目の問題(現地のニーズを把握しておらず、自分達のやりたいことを行う活動になっている)を解決するために、私はコアなメンバーをだけで現地に下見に行き、活動場所の住民にヒアリングや学校の先生にアンケートをとったりと、一次情報から重要度と緊急度の高い問題を解決できるように務めた。以前までの市場調査といったら、ネットに載っている二次三次情報ばかり頼りにして、ふんわりとしたニーズしか知ることができなかった。その結果、私達は食堂のスペースの拡張と、栽培の活動を取り入れ、現地の方々から非常に感謝され、今もなお使われるモノを提供できる活動を行う事ができた。2つの問題(参加者の思いや熱量にバラツキがある)を解決するために、私は参加者選考のボーダーラインを上げるために応募数を増やすことと、目的に共感し熱量の持った学生を集めるために、色々な大学に足を運び活動のプレゼンを行った。その結果もあり、前年度の2.5倍近い応募があり、目的に共感し成長意欲の高いメンバーを集めることに成功した。最後の問題の(行動指針がないために、判断基準があいまいになること)解決のために行ったことは、個人の目標の設定と団体で5つのルールを作成した。目的を失った状態では、目の前のタスクを作業のようにこなすだけで、打ち手も場当たり的になり狭い思考に陥ってしまう。一方で目的がはっきりしていると、行動指針が明確になり難しい判断もしやすくなり、また失敗しても次の課題をちゃんと把握することができる。この新しい取り組みにより、活動後のアンケートの項目「目的に沿った行動がとれ、自分の成長を感じた」で、90%以上の人がの5段階評価で5をつけてくれた。

課題の解決方法は一つじゃない

下見を通して、現地に学校からの配膳を食べるスペースが足りないため、順番待ちになり次の授業に遅れる生徒がいるといった問題があり、スペースを大きくしたいというニーズがあること知った。しかし、給食場の拡張にはセメントづくりやブロックを運んだりと力仕事が必要になり、人件費がかかるためにと反対の意見が多かった。しかし、この解決すべき問題を把握しておきながら別の活動を行うのは下見に来た意味がないと考え、僕は断固この食堂のスペース拡大をやることを押した。それから幾度と話し合った結果、日本人と一緒に活動をしたいという地域のボランティアを募り人手をあつめることで人件費を抑える案を生み出した。実際に、地域の子供から大人まで多くの方が参加してくださったおかげで人件費を抑えつつ、汗水を一緒に垂らす協働作業で現地の方と更に仲良くなれるといった一石二鳥の活動にすることにできた。

インターネットの持つ無限の可能性に惹かれていく

実際に活動が終わってみると、実行委員長になったときに想像していた成果とは大きなギャップを生むものであった。それは、「半径5メートルの人しか幸せにできなかった。」ということ。私は、この劣悪な環境を大きく変革したい!そんな思いを持って活動してきたが、実際はヒトがどれだけ頑張っても、できることには制限があり、数を増やすにしても人件費がかかり、大したたことができないことを知った。どうやったらこの影響範囲の輪を広げていくことができるのか?を模索していた。そんなときに目にしたのが、facebookのリブラであった。リブラとはデジタル通貨のことで、これは銀行口座を持たない人でも、金融サービスを利用できることを可能にしたり、グローバルかつオープンに、低コストで送金などの金融サービスを利用できることを目的につくられた。私はこのインターネットなどのテクノロジーが持つ拡張性や低コストの無限の可能性に惹かれ、プログラミングを勉強し始めた。 リブラを見つけた同時期に、 TwitterでDMMの社長の亀山さんが、パリ発の無料のプログラマの養成学校 42tokyo の生徒を募集するといったツイートを投稿した。私はこのめぐり合わせを神様が与えてくれたチャンスだと捉え、大学を退学し42tokyoに行くとツイートを見た瞬間に誓い、このツイートに、「名前+期待していてください!」とリプを送ったw。とはいえ、何ひとつ分からない僕はまずはプロから真似るのが一番だと思い、情報学部の研究室のドアを片っ端からノックし「プログラミングを教えて下さい!」と挨拶し回り、ある先生が僕を気に入ってくださり、その人の元でプログラングを学び始めることになる。

コロナ襲来、失った夢と手にした新たな出会い

2月下旬、3月の頭からの42tokyoのテストに受験するために赤坂の家まで予約し身支度をすませ、鼻息荒く試験開始を待望んでいた。しかし、コロナが襲来し、東京に向かう前日に試験がなくなる連絡をもらうことになる。42tokyoといった夢を失い落ち込みもしたが、テクノロジーの持つ可能性をもっと知りたいといった思いは途切れず、学べる環境を探し続けた。その結果、元Yahooエンジニアの方と出会い意気投合し、神戸プログラミングアカデミーを一緒につくることになる。この出会いは大学生活最も大きな出会いだった。次の日から私達は神戸に42tokyoをつくる!ことを目標に人を集めに奮闘した。ここで私は行った集客の仕方は3つ、国際交流の団体(全国500人の学生で構成されている)に広報、プログラマ交流会に参加し仲良くなり誘致、最後は tiwtterのフォロワーが1000人以上超えるプログラミング界隈のインフルエンサに直接会いにいき、メンターとしてスクールに参加してもらうようにお願いすることだ。結果として、一年を通して約70名以上の応募があり、離脱率も高かったが継続できた人達はみんな有名なIT企業に就職することに成功した。

ものづくりとマネジメントの楽しさを学ぶ

以前まで、とにかくC言語でアルゴリズムの問題解いていたのだが、元yahooエンジニアからモノづくりの楽しさを学ぶ。彼はよくこんな話をしていた。「レストランでどんな包丁で作られたか?を考えたことがあるか。料理が美味しいか美味しくないか、それだけが重要!」彼は、常にどうすれば最小工数でユーザーへの価値を最大化できるかを考えていた。彼の元で学んでいると自然に、勉強することが目的化していたプログラミングから、課題解決のために色々な手段を調べる過程の副産物として勉強(プログラミング)するようになった。初めて作ったのは、スクールの応募者のステータス(合格、不合格、面接)に合わせたメールを送信するプロダクトだ。初めて自分の作ったプロダクトが誰かの課題を解決し、プロダクトとして価値を生み出し、達成感と誇らしさを感じるのものになった。そこからとにかくにアウトプットを出すのが楽しくなって、オセロや、LINEに大手の新聞記事を送るアプリ、スクールのメンバーの管理サイト、オンライン付箋ツール、笑顔から時給を計算するアプリなどを作った。また、このものづくりを通じて多くの人と出会い、なぜ作るのか?どう作ると最速か?を議論するのが楽しく、借りていた施設に泊まりん混んで作業をしていた。知らぬ間に平日も土日も毎日通い、ここが僕の大学になっていた。

また、マネジメントにも力を入れた。僕と友達Mと、コミュニティーマネージャと元yahooエンジニアの4人で、個人と組織のアウトプットが最大化になるように、成果物の発表会やカリキュラムの作成、メンター制度などを取り入れた。また、3ヶ月の期限を定めたアルゴリズムのテストを作成し、やる気がなコミュニティーい方には退会してもらう制度も取り入れた。その甲斐もあって、みんなが自然と学んだことを自発的に教え合うモチベーションの足並みが揃った集団になっていた。

大学4年で正社員に

プログラミングスキルとビジネス思考も徐々に向上し、ハッカソンでの優勝も経験した。しかし、いつまで経っても学生の遊びの延長線であり、次はこの力を使って社会的な課題を解決したい!そんな思いから就職活動を始め、株式会社speeeでエンジニアとして就職することになった。内定承諾の次の日から研修に取りかかり、go言語でのインタプリタの作成や書籍5冊をまとめたり、また同時期に株式会社ノベルワークスのインターンの成果と前のめりな姿勢を気に入ってくださった役員の方から学生兼正社員として働くことを提案され、4月から上京し必死に働いた。下記には、私が株式会社speeeで何を学んだのかを記載しています。

現場で働いてい学んだ3つのこと

私がこの7ヶ月で、学んだことは大きく3つある。1つ目は、目的思考を常に持ち、課題の真因を見極める力が大切だということ。入社当初、自分のスキルが無いためにタスクの進捗が遅いと思っていた。しかしながら、一度技術的に経験したことのある作業でも作業の進捗が悪いことが多々あった。それは割り振られたタスクの目的を把握できていないまま進めてしまい手戻りが発生したり、判断基準が分からなくなり意思決定に時間がかかってしまったことに原因がある。これには、3つの問題がある。1つ目は、「前提条件を疑わなかったこと」。issueにかかれている完了条件を完璧だと思い込み作業を進めてしまった。完了条件はissueの目的達成に向けて実装がぶれない用にするための指針であり、必ずしも完璧ではない。2つ目は、目線がプロダクトに向いていないこと。開発チームで決まったことの合意を求めるようなコミュニケーションを開発外の方とってしまい、本来の目的を見失ったコミュニケーションをとってしまい話が噛み合わず、意思決定に時間がかかってしまった。3つ目は、説明力不足。ついつい自分の「考えた順番」で話しを進めてしまうが、大切なのは「相手が聞きたい順番」で話すこと。また、相手の理解度を意識できていなかったも問題であった。開発チーム以外の人とコミュニケーションをとるとときに、まずは前提条件を揃える必要がある。ただスキルだけを頑張って伸ばせば優秀なエンジニアになれると思っていたがそうではない。答えの決まっていないコトを解決していくためには、前提を疑う力、問題を見極める力、説明力がとても重要になる。
2つ目、成長を目的化してはいけないことだ。社会人一年目は知識不足だから期限に遅れたとしても勉強になり成長できるならと、成長を目的化してしまう時期があった。しかし、半年かけて気付いたのはあくまで向き合うべきは成果。高い成果を目指すからこそ制約条件と向き合うことになり、制約条件があるから人は頭を使うし工夫するようになる。そうして試行錯誤した軌跡が学びとなり成長につながる。「成長のための成長」は効率が悪く、徹底した目的思考こそが自己成長への最短経路であるのだ。
3つ目は、自分の弱みや苦手を知れたこと。私が今後のキャリアで、解決すべき課題として「ヒトとコトを分けて考えられない」がある。私は人と比較する癖があったり、レビューや注意を自分の人格の否定として捉えていしまいがちだった。そもそも情報学部出身の院生の方と自分では期待されるコトも違うのに、自分のモノサシで常に自分と相手を比較してしまってた。またレビューに関しても、他者のより良い考え方を学べたり、自分の間違いに気づけたり、成長できる絶好の機会であることに気づくべきだった。

私は10月一杯で会社をやめることになり、周りからは先走っただけだと思わるかもしれない。でも私は、同世代の中で一番はやく挑戦し、現場レベルでの新たな気付きと課題を得た。ここでの経験を糧に、次の会社では自分とチームの成果が最大限に発揮できるように務めたいと思う。

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