AI記事に辟易した貴様ら、喜べ!この記事はすべて手書きし、ネタ出しアイデア出し推敲含め一切AIの力を借りずに書いた。
みんなで大きなお皿から一つの料理を食べようとしている。
このとき、みんなの箸でそのまんま食べようとすると、口がついた箸が料理に触れて汚れる。
じゃあ、共有の箸と個別の皿を使って、「共有の箸で個別の皿に移して、個別の箸に持ち替えて食べる」というルールを徹底すればこれは解決する。
自分はこういう幼稚極まりないことの中に技術・あるいは工学というものの本質がすべて詰まっていると思う。
「もしかして俺等ってなんか間違えてることしてる?」
「別に今のままでも食べられないみたいな大問題はないけど、実はもっとうまい方法がある?」
と 気付く こと。
そして、その解決策として、
新しいモノとルールを上手く導入して 、
「少し面倒な代わりに問題をきれいに消し飛ばす」 という結果につなげること。
要は、
- 「現状に対する疑問・不満を抱く」
- 「既存の手札を超えた何かを使ってなにかが出来ないかを考える」
- 「結果として当初あった問題を解決する」
-
「代償としてものが増えたり面倒くさくなったりする」
みたいな感じ。
この例では出てこないが「物が増える・面倒くさくなる」という代償に当たる部分を裏方で勝手に解決する手段として優れているのが様々なソフトウェアであり、更にはコンピュータ・ネットワークなどの根幹技術だと思う。
これがソフトウェアの世界の 「抽象化」 という概念だが、日常用語の抽象とは少し意味が違う気がする。
少し脱線するが、すべての抽象化は漏れのある抽象化「Leaky Abstraction」なので、解決してもらった裏側の知識を知らなくて済むなんてことはない。
そしてAIは究極のLeaky Abstractionなので知識を手にして使わないと痛い目を見る、という本質的な指摘がある。
Leaky Abstractionとは?という話はこちらが詳しく書いてある
研究テーマ: Leaky Abstraction に関する ケーススタディ
https://euske.github.io/slides/sem20170627/
AIとLeaky Abstractionの話はこちら(英語記事。自動翻訳で問題なく読めるはず)
AI is the ultimate leaky abstraction 🪣
https://henko.net/blog/ai-is-the-ultimate-leaky-abstraction/
ただ、大前提として今の例では「衛生観念的にありえない」という 合意 が 暗黙に共有されていた からこそそのルールの導入が自然に合意されたが、
前提となる目的がその技術に関わる人々の中にきちんと共有されていないのに、ある特定の人たちだけの利益の為に導入される技術は果たして本当に必要なのか?と思うこともある
「もっと便利に」はどこまで追求する必要があるだろうか。
俺は例えば遅い遅いと言われるahamoを使っていて実際地下鉄でとても遅いが、特にこれで不便を感じてない。
「世界はそういうものである」と認識していて「もっと速くある必要がある」というふうには全く考えてないから。
これはエンジニアとして恥ずべき態度だと思う向きもあるかもしれないが、俺はそこに懐疑的な立場を一度取ってみたい。
「多少待てば済むならそれで良い」
「多少手間ならそれでいい」
この感覚をもし全人類が共有できていたら実はこの技術、いらなかったんじゃない?と思うものが世の中にあったりする。
果たしてその技術の動機は真実か?と問う姿勢が大事みたいなことを思う。
自分の技術哲学みたいなものはこんな感じ。
我らがバイブル、データ指向アプリケーションデザインの冒頭を最後に引用。
技術は私たちの社会における強い力です。データ、ソフトウェア、コミュニケーションは悪用し、不公平な権力構造を固定化したり、人権を蝕んだり、既得権益を保護するために利用することもできます。しかしそれらは、善いことのために利用し、少数の人々の声を聞いたり、万人のために機会を生み出したり、災害を防いだりすることもできます。本書は、善に向かって働くすべての人々に捧げます。
データ指向アプリケーションデザイン ―信頼性、拡張性、保守性の高い分散システム設計の原理
自分は「文明の功罪」というトピックについては哲学的なテーマを扱った映画の影響などにより到底短く語りきれないほどの様々な思いを持っているが、エンジニアとして最先端に立つ者がこのような意見を持っている事が大きな心の支え。
久々に再読したときに前は読み飛ばした上記のまえがきを見て自分の「文明の功罪」に関連した様々な失望が一気に晴れてとても前向きな気持になることができ、それがこの記事を書こうと思った非常に大きな動機。
ちなみに色々調べた限り原著が2017年出版のデータ指向アプリケーションデザインはまだほとんど古くなってないらしいのでみんな読みましょう。最高に楽しい本です。一応2026年に第二版が英語で出る予定だそうです。