余白ある生活
日々に疲弊していると、良いものはできない。仕事や家庭やその他の細かいものたちに押しつぶされていると、余裕が生まれず、スムーズに生きることができなくなっている。そういった余裕を、わたしは余白と表現している。
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」
と、偉い人も書いていた。余白は大事だ。
そして、その余白は文章を読むことで生まれる。
本を読もう。
読書が余白をもたらす
いまの人生からまったくかけ離れた書物を読むことで、実世界から逃避を行うことができて、自然と虚無の空間ができあがる。どんな本を読めばいいのかというのは、人によってさまざまな答えが出るのでよくわからない。ただ、私は一時期相対性理論とか量子力学の本を読んで、日常から離れたりした。
そしてどういうわけか、絵が入らず、文章のみのほうが余白が生まれやすい。漫画は楽しいが、なんだか疲れる。
個人開発は長期戦
個人開発は納期がなく、いつまでも開発することができる。空いた時間で行うので、スピードは遅く長期戦が予想される。(もっとも、3日の短期間でつくりきってリリース! とやってしまう人もいる。すごい)
長期戦ならば、自分の体を労りながら付き合っていきたいものだ。肉体的なことは別の記事に書くが、精神的なケアをするなら読書は必要な気がする。
読書に何かを求めてはいけない
華氏451度という小説を昔読んだが、そこで私は「本は所詮は本でしかない」という印象を受けた。読書に対して何かを求めるのは間違っているのかもしれない。一冊の本により、人生が変わったとか、健康になったとかそんなことはない。
ただ、堆積したり積み上がってきたりするものはある。人生になにも寄与しない文章の一フレーズがいつまでも心のそこに残っていて、それが時折自分の中でうごめいたりする。
大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。(中略)
その問題以外のことを考えてはならない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのときに潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです
p323 フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
こんな文章とか。
次こそは技術的な記事を書きたい。コードを載せる。