序文
私の専門は計算機科学でも哲学でも理学でもありません。
学術的な水準を満たしていない議論や、別の結論が出てる問題もあるかもしれません。
ですが、ある程度の長い期間を要した考察の結果であり、それなりに興味深いと考えます。
「宇宙はビッグバンで始まった」とする理論は小学生でも知っています。
「ではそれ以前は?」という疑問、それは現在の宇宙観確立の以前から問われ続けています。
物理学の見地でこの問いに答えるには極めて高度な知識を必要とし、実際にいくつかの仮説が存在します。
しかし少し視点を変えれば天才物理学者でなくとも思いを馳せることは決して難しくはありません。
ここで使う道具は最低限の計算機科学、大胆/粗雑な仮定、そして一つの問いです。
そしてその問いとは、
「最初の計算以前には何があったのか?」
私がこの話をするのは初めてではありませんが、その度に「ここで読むのを辞めて少し自分で考えてみては?」と助言をしています。
この問いを私が思いついたのは10年以上前で、おそらくは世界で初めてというわけではないでしょう。
しかしその時の私はこの問いに魅了されました。
あなたも同じ経験をしてみることをおすすめします。
この下に記すのはこの問いから辿り着きうるいくつもの結論の内の一つに過ぎません。
それは何時か?
最初の計算が行われたのはいつでしょう?
電子計算機によるそれなら20世紀中頃、手計算ならヒトあるいはその類縁の誰かの仕事。
しかし物理法則も一種の計算というならビッグバンは明らかに「その後」です。
ですから、「最初の計算以前」はビッグバンより前のいつかです。簡単ですね。
あなたがビッグバンが宇宙創造だと信じる唯物論者なら最初の計算はビッグバンの瞬間で話は終わりです。
実際そうなのかもしれませんがここではもう少し話を続けます。
計算とは?
「最初の計算」を語るには「計算とは何か」を語らねばなりません。
ここで「チューリングマシン(や他の計算機モデル)でモデル化可能なもの」とするのは不十分です。
「宇宙のあらゆる法則は極めて稀な例外を伴う確率的なもの」などというなら「真の計算」などかつて一度も存在したことがないのかもしれません。
ですから大雑把に偏りのある確率論的な振る舞いも計算に含めるとしましょう。
とはいえそれもテープの初期状態だとか信託テープだとかで概ねモデル化できますし、現実の計算機は稀に誤りがあるのにチューリングマシンとして扱っています。
とにかく今回はそれが問題となるような話はしないので気にする必要はありません。
確率的な振る舞いの問題を無視してもチューリングマシンを素朴な宇宙のモデルと考えるのは直感に反します。
テープやヘッドの位置という概念が元々存在したと考えるのは無理がありますし、停止状態という概念も疑わしい。
あくまで宇宙において「チューリングマシン(的なもの)で『モデル化可能』なもの」が「存在する」という話です。
その点は疑いの余地がありません。我々は計算ができています。稀に誤ることがあるかもしれませんが。
今回宇宙に関して考えるならより素朴に、「状態の遷移」で考えた方が直感的でしょう。
この状態はチューリングマシンで言えば大雑把に計算機全体のことを指すようなものです。
状態は宇宙の全体でも一部でもあり得ますし、遷移関数自体を定義するように振る舞う場合もあり得ます。
「状態」と呼べるものは物理量であれ座標であれ実在するでしょう。
絶対時間で素朴に「ある時点の宇宙全体」を「状態」を定義するのは物理的には不自然ですが、そう考えられないこともありません。
「宇宙は計算機だ」というような話は別の記事にする予定ですが、とりあえずはそういうことです。
「最初」「以前」は定義可能か?
「以前」という言葉は通常は時間の概念を前提とするものです。
幸運にもビッグバンまでは時間の概念が成立し、しかも場所も一点なので話は簡単です。
しかし「最初の計算」の時点で時間が存在する保証はありませんし、ましてや「それ以前」を定義できるかは怪しい話です。
まずこう考えます。
ビッグバンまでは通常の時間概念で遡ります。「最初の計算」というならそれはビッグバン以前のはずです。
いくつかの仮説に基づけばビッグバン以前にもごく当たり前に宇宙が存在したということですが、いずれにせよ開始時点をビッグバンと呼びます。
ビッグバンの時点では「状態」が存在します。
その時点で存在する諸状態へ(確率に基づくものを含め)遷移関数に基づく遷移元が存在すれば遡れば「最初の計算」へ行き着きます。
それは一つではないかもしれませんが、とにかく存在するはずです。
存在しないならば最初の計算が行われた時点はビッグバンの瞬間です。
これでも議論の余地は十分ありますが、概ねそういうイメージです。
何があったか?
最初の計算が行われた段階で、何かしらの「状態」があったはずです。
それは例えば物理量であったり、空集合のようなものであったりです。
では「それ以前は?」という問いの答えはいくつか候補があります。
- 何もなかった。
- 遷移関数を伴わない状態の遷移があった。
「何もなかった」は十分あり得る可能性ですが語るような面白いことことは多くありません。
大抵の物理学者はこう考えているのではないでしょうか。
一方の可能性は「遷移関数を伴わない状態の遷移」です。
およそ計算とは言えない状態の遷移は、全くランダムな状態の遷移です。
つまり偏りのない確率による遷移か、確率さえ定義できないような、とにかく入力によらない状態遷移です。
計算機科学でランダムと言えばコルモゴロフ複雑性あたりの話で出てくる圧縮不可能性ですが、ここでは「真の乱数」のような意味のランダムです。
そもそもランダムな状態遷移は状態遷移なのかという疑問は当然です。
少なくとも観測者から見れば二状態は個別と考えるのが自然です。この場合観測者は存在しませんが。
この考えは時間のアナロジーに過ぎないのかもしれません。
一方でわずかな確率の違いに隣接し、本当にランダムな状態遷移があり得ると考えるのもまた直感的です。
さて「次にランダムな状態遷移をする状態」というものがあり得るとします。
そして「次にランダムでない(何かしらの遷移関数に基づく)状態遷移をする状態」は実際に存在します。
長いので「ランダム遷移状態」と「関数遷移状態」と呼び分けましょう。
ならばランダム遷移状態の遷移先には当然、そうした関数遷移状態も含まれるでしょう。
そして関数遷移状態の遷移先にランダム遷移状態が含まれない理由はありません。
関数遷移状態で遷移している間、ランダム遷移状態は停止状態のようなものに該当します。
以上から私が考える世界の開始以降は以下のようなものです。
段階 | 状態 | 概要 |
---|---|---|
$A_0$ | ランダム遷移状態 | 世界の開始 |
$A_n$ | ランダム遷移状態 | |
$B_0$ | 関数遷移状態 | 世界で初めての計算 |
$B_n$ | 関数遷移状態 | 「次にランダム遷移状態になる状態」を踏む。停止状態に相当 |
$C_0$ | ランダム遷移状態 | |
$C_n$ | ランダム遷移状態 | |
$D_0$ | 関数遷移状態 | |
これを何度か繰り返して… | ||
$W_n$ | ランダム遷移状態 | |
$X_0$ | 関数遷移状態 | 以降遷移関数の遷移可能空間にランダム遷移状態を含まない |
$X_1$ | 関数遷移状態 | このままランダム遷移状態を経ず現在の宇宙へ |
$Y_0$ | 関数遷移状態 | 現在の物理法則の成立 |
$Y_n$ | 関数遷移状態 | ビッグバン |
「世界には最初から複数の状態が存在した」と仮定したとしても、$A_n$までは同じ振る舞いです。
「ランダム遷移状態」がいくつか集まっても、あるいはそれが非同期的だとしても、全体としては「ランダム遷移状態」と呼べる挙動です。
「関数遷移状態」が「他の状態を参照する」ような挙動があるかもしれませんが、大筋では上のような推移になります。
もちろんここまでの議論は仮定の山で築かれています。
明らかに我々が観測しようもない世界を相手にしてるのですから仕方ないですね。
世界の停止
我々の世界がチューリングマシンのように停止しないのは素晴らしいことです。
物理学的な宇宙の終焉はありますし、しばらく停止していないだけで今後停止するのかもしれませんが、少なくともかなり長い間ふっと終わったりはしていません。
上の説明は我々の世界が停止いない理由を与える…と言いたいところですが、「元々ランダム遷移状態などない」「最初から一貫した遷移関数/物理法則がある」「停止状態など存在しない」で説明ができますし、私の仮定でもランダム遷移状態の遷移先が「次に遷移しない状態」を踏まなかった理由は説明できていません。理由の一つとしては考えられるでしょうが。
「次に状態遷移をしない状態」が存在するかはともかく、「同じ状態に状態遷移する状態」や短いループ・我々のような知的存在が産まれえない退屈な振る舞いをする世界というのはあり得る話です。
我々の世界がそれなりに広くて長くてそこまで退屈ではなかったことは単に幸運なのでしょうか。
世界に最初から複数の状態が含まれていた、とするならそうした世界の一つに我々が観測者として産まれたといういつもの人間原理で説明できます。
物理法則自体が退屈でない理由も多少は説明できる点が物理定数のみを対象とするような人間原理よりは僅かに有利です。
しかし「最初から状態が複数存在する」というのがどういうことなのかは分かりません。
この場合、我々の見えないどこかで無限ループや無意味としか言えないような計算を、我々の世界と似たような莫大な計算リソースを消費して延々と繰り返している世界が存在するのかもしれません。
怖いと言えば怖い話ですね。
物理法則のエントロピー
大抵の物理学者は、この世界は最初から物理法則を備えて誕生したと信じているようです。
それは物理法則がたまたま産まれてもおかしくないと思える程単純(ランダム)だということです。
普段の生活でもゲームの世界のような描写の簡略化・人間的設計の兆しは観測される宇宙には見受けられず、物理法則は計算量的には余りに贅沢で単純で、外部からの介入のようなものは見受けられません。
しかし物理法則は、現在最新の説ではどのような数式を使っているのかは知りませんが、まぁ実数の加算と乗算くらいは使うでしょう。
計算機の感覚で考えれば、そもそも四則演算自体が複雑です。
加算器や乗算器は結構複雑な回路で、頭の良い人間の設計者なしで出来上がるようなものではありません。
世界がランダムなチューリングマシンのようなものとして産まれて、そこから独りでに物理法則が組みあがったという説は私には納得しがたいものです。
一方で現在の物理法則が二進数表現の諸計算を実装できるような設計者によるものというのも無理があります。
おそらくこの宇宙の物理量における数字は1の連続に類するもので、加算乗算は単純なループで表現されているのでしょう。
こうした繰り返しとして、かつ実数ではなく整数としてなら加算・乗算の実装は偶発的に発生し得ます。
仮にそういうとんでもない非効率が存在するとするならば少し恐ろしく感じます。
あるいは巨視的に見れば実数の物理量が存在するように見えるが最新の物理理学では実際は素粒子の個数だされている、とかなのかもしれませんが。
単純に「実数の四則演算は最初から存在してもおかしくないくらい自然なものだ」「宇宙とはそういうものだ」というのは少し無理があるように思えます。
仮に物理法則が複雑だというならば、それに至るの過程を想定しなければなりません。
上の表での$X_0$から$Y_0$までの間に、地球で言う進化のような計算が実行されたのかもしれません。
宇宙は人間的な知的存在による設計を介しているのだと信じる人も居ます。
研究として行うなら現在の物理学をシミュレーションできるようなプログラムを記述してみるのが良いでしょう。
そこから我々の世界を構成する真の遷移関数のようなものが発見できるかもしれません。
つまり遷移関数と物理法則を合わせてどちらも自然な(どちらもランダムな)組み合わせがおそらく正しいのでしょう。
そもそも遷移関数のようなものは存在しないと多くの人が考えるでしょうが。
個人的には「情報量の保存」というのも何らかの設計によるように見えますが、大した議論もできないので割愛します。
ゼロ初期化
「ランダムな状態遷移から我々の宇宙が産まれた」とするなら、様々な状態、部分状態がゼロ初期化されているのは不自然です。
最初からこの宇宙があったとしても初期状態は基本的にランダムなはずです。
しかしビッグバンは「何もない宇宙の一点から始まった」というような話ですから、いわばゼロ初期化されています。
もちろん初回にゼロを上書きしているのかもしれませんが、初回判定はどうしているのでしょう。
少し不思議です。
神の不在
神を人格神、少なくともそれなりの知的存在とするならば「最初の計算」の段階で存在するとは考え難いです。
計算なしで発生した知的存在ならそれは偶発的存在で、「偶発的に知的な存在」を神とは呼び難いでしょう。
計算を経て発生したならそれは「初めからある存在」とは言えません。
つまり「初めには神は居なかった」と言えます。
宇宙(現在の物理法則)の開始時点から神のようなものは存在するというのはシミュレーテッド・リアリティのような立場では実際にあり得ることで、それでも十二分に崇拝に値するとは思いますので大差はありません。
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