「最悪の事態」に想定せよ?
何か大きな事件や事故、災害が発生するたびに「なぜ最悪の事態を想定して準備しないのか」という批判が目に付く。「怠慢だ」「無責任だ」「責任をとれ」と厳しい言葉が続くことも珍しくはない。
確かにこれは一理ある。どんなプロジェクトマネジメントやリスクマネジメントの教科書を開いて見ても、起こり得る最悪の事態を想定すべきと書いてあるだろう。でも実際、最悪の事態に備えられる組織は少ないと思う。今日はちょっとそのことについて個人的な考えを飲みながら書いてみようとおもう。
リスクの評価
プロジェクトマネジメントの教科書には、あらゆるリスクについて予め洗い出し、事前にリスクの回避/軽減/転嫁/受容などの対応の策を決めるべきだと書いてあるだろう。
多くの(?)健全なプロジェクトでは、プロジェクトの立ち上げ時や、フェーズの切れ目など適当なタイミングでリスクについてブレストし、その対応策を考えているとおもわれる。
本当にあらゆるリスクを考え始めるときりがない。
リリース直前に使ってるOSSに脆弱性がみつかったらどうする?とか、インフルエンザやコロナが流行って誰も開発できなかったらどうしよう?とか、なんだかあり得そうなものもあれば
使ってる製品やサービスが突然なくなったら?とか、会社の経営がマズくなったら?とか、地球に隕石が降ってくるかも?とかまず有り得ないと思われるようなものまでリスクは考え始めればきりがない。
なので、多くの場合はリスクについてブレストし、洗い出されたものを評価して、取り扱う価値がないと思われるものは積極的にリスクを受容するということが多いようにおもわれる。
リスクの評価はわかりやすくいうと期待値的な計算がされることが多く、リスクが顕在化する確率と、リスクが顕在化した際の影響度合い(多くの場合金額に換算する)の掛け合わせで計算する。
そうして現実的に向き合わなければいけないリスクに立ち向かうわけだ。
しかし、これが曲者である。
誰だって地震の起こる確率などわからないし、開発メンバー全員がインフルエンザに倒れる可能性の度合いなど見積もることはできない。
だから、取り敢えず極小の発生確率として見積もってしまう。数学の極限と同じで、n→∞になると1/nは0に近似するのだ。極小の発生確率にしてしまうと、その事象は起きない前提で話をせざるを得なくなってしまう。
このやり方じゃあ最悪の事態に前もって備えるのは無理がある。
それでも最悪の事態は起きるのだ
で、最悪の事態が発生しなければいいし、多くの場合は現実的に発生しないのだ。プロジェクトマネージャーも、開発メンバーも、あらゆる人が「最悪の事態にはならなかった」という成功体験を積み上げてきている。
そんな人たちが集まったところで、油断と慢心を天高く積み上げたとき、最悪の事態は発生する。
それは震災であったり、情報流出事故だったり、コロナの流行だったり、色々な形で突然発生する。
そして後悔する。何故前もって備えておかなかったのか、何故こんなことになってしまったのか、と。
でもそれも喉元を過ぎれば忘れてしまう。社会に大変なことが起きたとき「あれは仕方なかった」、「事前に予見するのは難しかったよ」と自分で自分を慰める。きっと心の防衛反応みたいなものが働いているのだ。
そして次のプロジェクトでも「これは考えても仕方のないリスクだから、一旦外そう。」と平気な顔をして言うのだ。
だって仕方がない。あらゆるプロジェクトや組織のリソースには限りがあるし、超低確率な事態に対して金をつかっていたら予算なんてものは簡単に吹き飛んでしまうもの。
そうしてまた油断と慢心の積み上げを始める。たくさん積み上がったときにまた起こる事態を想定できずに。
そんなことないだろう?バカだなーとおもう人は自分の家を見てほしい。どれだけの人が災害や疫病、戦争などに備えてしっかりと準備できているのか。あらゆる自治体から準備をしろといわれても、できていない人が如何に多いか。
緊急時の避難先や経路、連絡手段。貯蓄などの備え。勤めている会社がなくなった際の転職ルート、自己研鑽。自身が急に倒れた際の遺書、遺産の相続…
完璧に準備できている人など、かなりの少数派のはずだ。
じゃあどうすればいいのって話
現実的に、また短期間で見た経済合理性から考えて、こうした異常事態とも言える「最悪の事態」に備えるのは難しいことを認めよう。仮にこれを読んだ人が明日職場で「最悪の事態に備えなければいけない!」と唱えたところで付いてきてくれる人もいない。大人しく「最悪の事態に備えるのは難しい」という現実を受け止めるべきだ。(と、私は考える。)
むしろ、そのようなリスクは積極的に受容して、コストを削減し、挑戦するほうがビジネス的には成功だろう。世の中いつもリスクなしに成功は有り得ないのだ。リスクを嫌っていては挑戦などできようがない。
一番最悪なのはリスクばかりに目を向け、新しいことが何もできなくなることだ。誰もが階段を1つ2つ飛ばしで登れるわけではない。いや、多くの人は一段ずつしか登れない。
そんな中で新しくことから逃げ続けていては、いつの日か一歩も動けない化石と化してしまうのだ。目先のリスクにばかり目を向け、いつまでたっても新しい技術を導入せず、古いまま固まってしまったあなたや、あなたのプロジェクトのことだ。
だから、組織やチームとしては多少のリスクを受容するのはしかたないと割り切ろう。「最悪の事態」を想定し、準備するのは国家や自治体、会社といった大きなバジェットを持つ人達と、あなた個人や家族という小さなコミュニティに留めるのがいい。そういった単位であれば論理よりも感情が優先できる。経済合理性を度外視してでも投資すべき大事なものが考えられる単位で、考えるべきだ。
あなたがもし経済合理性を無視できるだいじなもの、たとえば家族や恋人、何にも代え難いものを持つのであれば今すぐにでもあらゆる投資をしよう。そこには損得などは存在しない。で、あれば期待値じゃなくて起きうる最悪の事態を考えるだけで、できるだけの投資ができるでしょう?