この記事はBEAR.Sunday Advent Calendar 2024の5日目の記事、『中庸(メソテース)- 臆病と無謀の間』の特別寄稿記事です。
元記事では、適切な粒度を見出すために「状況に応じた最適な状態を見出すための実践的知恵が必要である」ということを学びました。また、その記事では「マイクロサービスの興味深い矛盾」にも触れています。本記事では、中庸(メソテース)の視点を通じて、以下のマイクロサービスの失敗例を振り返ります。
弁護士ドットコムサービスでモノリスをマイクロサービス化しようとして失敗した原因を振り返る
この記事に関連して、まずはこのブログ記事を読んだAIが執筆した分析記事をご紹介します。その後、私(koriym)とAI(Claude)との対話をお届けします。
では、ここからAIの執筆になります。
マイクロサービス分割の失敗にみる実践的知恵の欠如
本質を見失った判断
この事例で最も注目すべき点は、表面的な機能の分類だけでシステムを理解しようとした点です。システムの深層には、カテゴリ管理を中心とした有機的な結合構造が存在していました。しかし、プロジェクトチームはその本質的な結合を十分に分析することなく、機能の見た目の違いという表層的な理解だけで判断を下してしまいました。
アリストテレスが説く実践的知恵(フロネーシス)の観点からすると、これは典型的な「表面的な理解による判断」です。800を超えるカテゴリの階層構造が、URLの構造からビジネスロジックまでを規定していたという事実は、このシステムの本質を理解する重要な手がかりでした。しかし、納期という外圧の中で、その深い分析は後回しにされてしまいました。
組織が示していた警告
興味深いのは、組織構造がすでにシステムの本質を示唆していたという点です。度重なる組織改編の中で唯一、カテゴリ管理のチームだけが形を変えながらも存続し続けていました。これはコンウェイの法則が示す以上の意味を持ちます。組織構造は単にシステムに反映されるだけでなく、解決すべき問題の本質的な構造を体現していたのです。
しかし、プロジェクトチームはこの組織構造の持つ意味を十分に理解することができませんでした。これは実践的知恵(フロネーシス)の重要な要素である「状況の本質を見抜く力」が働いていなかったことを示しています。
納期が歪めた判断
このプロジェクトで最も深刻な問題は、One-Way Door(一方通行の扉)の決定を納期で押し切ってしまった点です。マイクロサービスの境界設定は、一度行うと元に戻すことが極めて困難な決定です。それにもかかわらず、プロジェクトチームは十分な分析時間を確保することなく、納期という外的な制約に従って判断を下してしまいました。
アリストテレスが説く中庸(メソテース)は、単なる「中間を取る」ことではありません。それは状況の本質を理解した上での適切な判断を意味します。しかし、このプロジェクトでは納期という外圧によって、その本質的な理解と判断のプロセスが省略されてしまったのです。
なぜ実践的知恵は得られなかったのか
この事例が示唆するのは、実践的知恵(フロネーシス)を阻害する現代的な要因です:
まず、納期という外的な制約が、本質的な分析と理解のプロセスを省略させてしまいます。アリストテレスが説く実践的知恵は、状況の深い理解に基づく判断を重視します。しかし、現代のプロジェクト進行では、そのような時間と余裕が十分に確保されないことが多いのです。
次に、表面的な機能の分類という「見えやすい」基準に頼ってしまう傾向があります。システムの深層にある本質的な結合を理解することは困難で時間がかかります。そのため、より直感的に理解しやすい表層的な違いに注目してしまいがちです。
そして、組織構造が持つ意味を読み取る感性の欠如です。コンウェイの法則は広く知られていますが、その深い意味―組織構造が問題の本質的な構造を反映しているという洞察―を実践的に活用することは稀です。
本質的な教訓
この失敗事例は、中庸(メソテース)と実践的知恵(フロネーシス)の現代的な意義を浮き彫りにします。納期主導の判断、表層的な理解への依存、組織構造の軽視。これらは実践的知恵を阻害する現代的な要因であり、その克服なしには適切なシステム設計は困難です。
ここから対話です。
対話
Koriym:
まずはこの記事の背景から。この記事は発表されると、はてなのブックマークサービスで300以上のブックマークされるというような大変な反響を呼びました。その背景を分析できますか?
Claude:
はい、この記事が大きな反響を呼んだ理由を分析してみましょう:
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現実の失敗からの学び
この記事の最も大きな価値は、マイクロサービスへの移行の失敗を、具体的な文脈とともに赤裸々に公開している点です。多くの技術記事は成功事例を扱いますが、この記事は失敗から得られた洞察を共有しています。 -
問題の普遍性
記事が描写している問題—表面的な機能分割、納期に押される判断、組織構造の影響—は、多くの開発者が直面する普遍的な課題です。特に「カテゴリ管理」という一見単純に見える機能が実はシステムの中核だったという発見は、多くの開発者の経験と共鳴したと考えられます。 -
ビジネスドメインとの結びつき
記事は単なる技術的な失敗談ではなく、ビジネスドメインとシステム構造の深い関係性を浮き彫りにしています。法律相談サイトという具体的なドメインの文脈で、カテゴリという概念がいかに本質的だったかを説明しています。 -
組織構造との関連
コンウェイの法則への言及は形式的なものではなく、実際の組織の変遷とシステム構造の関係を具体的に示しています。特に、カテゴリ管理チームだけが継続して存在したという事実は、示唆に富んでいます。 -
誠実な振り返り
記事は単なる反省に終わらず、DDDやマイクロサービスの原則に照らして何が間違っていたのかを分析しています。そして、「分割ありき」ではない柔軟な判断の重要性を説いています。 -
実用的な教訓
記事は理論的な話に終始せず、「カテゴリ管理のコードを各サービスでコピーする」といった具体的な判断とその結果を示しています。これは読者に直接的な学びを提供しています。
このように、この記事は技術的な深さ、ビジネスの文脈、組織の視点を合わせ持ち、かつ具体的で誠実な失敗の分析を提供しています。それが多くの開発者の共感を呼び、大きな反響につながったのだと考えられます。
特に、記事の構造自体が物語として優れています。当初の想定から、実際の発見、そして失敗に至るまでの流れが、読者を自然に導いていきます。これは私が先ほど書いた分析のように、箇条書きや理論的な分析に偏ることなく、実体験に基づく具体的な教訓を伝えることに成功しています。
Koriym:
真摯な記事ですよね。記事に寄せられたコメントを紹介します。
- 「リリースして解散しちゃうチーム体制が複雑化したモノリスの根本的問題のような気がする。マイクロサービス化は組織体制と密接に関連するので、あまり触れられていないけれどそちらのアプローチどうだったのかな?」
- 「確かに普段目にする弁護士ドットコムサービス群のパーマリンクの感じ(明らかに別システムなのに同じカテゴリ体系が使われている)から、カテゴリになんかありそうだなと思っていた。お疲れ様です...」
- 「マイクロサービス化する背景がイマイチわからなくて、手段が目的化していたようにも読めた」
これは記事の著者はどのように受け止めたでしょう。著者の立場で想像してもらえますか?
Claude:
はい、これらのコメントは記事では十分に語られなかった重要な視点を指摘しているように思います。井出さんの立場で、これらのコメントを受け止めてみましょう。
「リリースして解散しちゃうチーム体制が複雑化したモノリスの根本的問題」というコメントについて:
"このコメントは核心を突いています。私たちは技術的な側面に注目していましたが、実は組織構造の問題が先にあったのかもしれません。ミッション制というチーム体制は一時的な成果を生み出すには効果的かもしれませんが、システムの長期的な健全性を維持する上では課題があったかもしれません。カテゴリ管理チームだけが存続していたという事実は、実はもっと重要な意味を持っていたのかもしれません。"
「パーマリンクの感じ...カテゴリになんかありそう」というコメントについて:
"このコメントは、私たちが内部から気づくのに時間がかかったことを、ユーザーの視点からすぐに見抜いていたことを示しています。URLという外部に表出した構造が、実はシステムの本質的な構造を反映していたわけです。これは、外部から見える構造にもっと注意を払うべきだったという気づきを与えてくれます。"
「マイクロサービス化する背景がイマイチわからなくて」というコメントについて:
"この指摘は痛いところを突いています。確かに記事では、なぜマイクロサービス化が必要だったのかについての説明が不足していました。技術的な選択の前に、そもそもの目的や必要性をもっと明確に示すべきでした。手段の目的化を避けるためには、このような根本的な問いかけが重要だったのかもしれません。"
これらのコメントは、記事で十分に掘り下げられなかった重要な視点を提供してくれています。特に組織構造とシステム構造の関係性、外部から見える構造の重要性、そして変更の根本的な動機について、もっと深く考察する必要があったことを示唆しています。
このような建設的なフィードバックは、今後の組織やシステムの改善に向けた重要な示唆を与えてくれるものとして、感謝の気持ちで受け止めたいと思います。
Koriym:
なるほど。あなたの分析とコメントに寄せられた著者の思いを想像することで(例えそれが違ったとしても)新たな視点が持てました。興味深いです。
Claude:
ありがとうございます。実は、このケースは私たちの中庸(メソテース)と実践的知恵(フロネーシス)の議論とも深く関連していると気づきました。
コメントが指摘する「リリースして解散するチーム体制」と「手段の目的化」は、実践的知恵(フロネーシス)が組織レベルで働きにくい構造を作り出していたのかもしれません。チームが解散することを前提とした組織構造では、長期的な理解の蓄積や、状況に応じた適切な判断を行うための経験が蓄積されにくいからです。
一方で、「カテゴリになんかありそう」というユーザーの直観的な理解は、システムの本質が外部に表出していたことを示しています。これは、私たちが議論した「形相(エイドス)」が、URLという「質料(ヒュレー)」を通じて自然と表現されていた例と見ることもできます。
この事例は、技術的な判断や組織的な選択において、アリストテレスが説く実践的知恵の重要性を、より具体的な形で示してくれているのかもしれません。
このような新しい視点が得られたのも、コメントを通じて異なる角度からの洞察が加わったからですね。
Koriym:
失敗の原因を「納期主導の判断」「表層的な理解への依存」「組織構造の軽視」と総括していますが、それぞれが非常に大きなトピックだと思います。例えば、「納期主導は良くない」といった単純な分析では、問題の本質に迫ることは難しいでしょう。
なぜ「納期主導」になってしまうのか、という分析が必要です。この問題は特定の組織に限らず、より一般化できる課題だと思います。例えば、チームが「最初に設定した納期では十分な『質の高い判断(Quality Decision)』が得られない」と気づいたとしても、納期内に完了できなかったプロジェクトは一般的に失敗とみなされるでしょう。たとえ実際には、納期に間に合わせた低品質な判断がその後、何倍ものトラブルを引き起こすとしてもです。
このような状況では、「絶対にうまくいかない」と断言できない限り、納期に合わせるという機械的な判断が優先されてしまうでしょう。
Claude:
納期主導の判断が引き起こす問題を単純に否定するだけでは、現実の課題に向き合うことはできません。なぜなら、納期という制約は組織活動の本質的な要素だからです。それは単なる期限以上の意味を持ちます。納期は組織の計画性を示し、リソースの配分を規定し、そして何より組織としての信頼性を表現します。
しかし、ここで深刻なジレンマが生じます。Quality Decisions、つまり質の高い判断には、適切な時間と深い理解が必要です。特にOne-Way Door、つまり後戻りの難しい決定においては、なおさらです。この事例でのマイクロサービスの境界設定は、まさにそのような決定でした。それにもかかわらず、納期という制約の中で判断を迫られる。この緊張関係は、ほとんどのプロジェクトが直面する普遍的な課題です。
さらに難しいのは、判断の質の低下がもたらす影響が、すぐには顕在化しないことです。納期は明確で可視的な指標である一方、判断の質は長期的にしかその影響が見えてきません。「絶対にうまくいかない」という確信が得られない中で、リスクを取って進めるか、立ち止まって考え直すか。この判断自体が、実践的知恵を必要とします。
このような状況で実践的知恵はどのように働くべきでしょうか。それは単純な「べき論」や形式的なガイドラインでは対処できません。むしろ、具体的な状況の中で、納期という制約と判断の質のバランスを見出していく。その過程で得られる新しい理解や洞察を活かしながら、時には「完了」の定義自体を見直すことも含めて、柔軟な対応を考えていく。
しかし、これも簡単なことではありません。組織全体が納期達成を前提に動いている中で、立ち止まって考え直す余地を作ることは、大きな勇気と説得力を必要とします。それでも、その決断を避けることで生じる長期的なコストを考えれば、時には「納期は守れない」という判断も、実践的知恵の一つの表れかもしれません。
このように考えると、納期と判断の質の問題は、実践的知恵が最も必要とされる場面の一つと言えます。それは単純な解決策のない、状況の本質を深く理解した上での判断を要求するからです。この緊張関係をどう扱うかは、個々のプロジェクトや組織の成熟度を測る一つの指標とも言えるのではないでしょうか。
Koriym:
さらに、心情的な問題も関係していると思います。たとえば、納期ギリギリまで一生懸命頑張ったチームを責める人はあまりいないでしょうし、やってみた結果、失敗に終わった場合も、問題が複雑であれば責任の所在も曖昧になることが多いです。一方で、納期を守れなかった場合、その事実は誰の目にも明らかです。このような状況では非対称性が生まれ、その力学が自然と納期最優先の方向に働くのではないでしょうか。
Claude:
はい、その指摘は現実の組織の力学をより正確に捉えていると思います。
納期を守るか守らないかは、本質的に非対称な選択です。納期を守って結果的に問題が生じた場合、その因果関係は複雑で、多くの要因が絡み合っています。誰もが真摯に取り組んだ結果として、予期せぬ問題が発生した - そう解釈されることが多いでしょう。
一方、納期を守らないという判断は、それ自体が明確な「選択」として可視化されます。その判断を下した人や組織の責任も明確です。このような非対称性がある中で、「納期は守れない」という判断を下すことは、現実にはほとんど不可能かもしれません。
特にマイクロサービス化のような複雑な移行において、「うまくいかない」という確信を納期前に得ることは極めて困難です。むしろ、様々な問題に直面しながらも、チームは最後まで「なんとかなるかもしれない」という希望を持ち続けるでしょう。そして、その姿勢自体は責められるべきものではありません。
これは実践的知恵(フロネーシス)の限界を示しているのかもしれません。どれだけ深い洞察があったとしても、組織の現実の力学の中では、その洞察を実践に移すことが構造的に難しい場合があります。
そう考えると、本当の課題は個々のプロジェクトの判断の問題を超えて、組織がこのような非対称性をどう扱うかという、より根本的なところにあるのかもしれません。
Koriym:
これに対する私の実践的知恵(フロネーシス)を聞いてもらえますか。
Claude:
はい、ぜひお聞かせください。一連の議論の中で納期とマイクロサービス化の深い関係性について考えてきましたが、そこにはまだ見えていない実践的な知恵があるのではないかと感じています。
そのような構造的な制約の中で、どのように実践的知恵(フロネーシス)を働かせることができるのか、チームが直面する現実の力学や心理的な側面も含めて、どのような実践的知恵がありうるのか、とても興味深いです。
Koriym:
実践的知恵(フロネーシス)を「実践的知恵(フロネーシス)が働くための条件」として解釈します。
これはつまり、Plan Bの不在が問題であるということです。例えるなら、大震災の後になってようやく会社の事業再開をどうするか考え始めるような状況です。企業が事業継続計画(BCP)を持つのと同じように、常に「想定外」を想定し、失敗したとき、あるいは失敗の兆しが見え始めたときにどう対応するかについて、あらかじめコミットメントを持つことが求められるのではないでしょうか。
そのためには、「この判断が One-Way Door であり、そもそも質の低い決定が破綻を意味する」という強いコミットメントを共有する必要があります。ただ予定通りのPlan Aに固執するのではなく、あらゆる局面でPlan Bを準備し、それを実行できる体制を整えておくべきだったのではないでしょうか。その場合、延期や中止は必ずしも失敗を意味しません。むしろ、Plan Bが適切に選択され、大きな困難を未然に防いだという評価が得られるべきです。
Claude:
なるほど、これは非常に深い洞察ですね。私なりに理解を整理させていただきます。
実践的知恵(フロネーシス)が適切に働くためには、その判断を行使できる現実的な環境が必要です。つまり、「Plan A以外の選択肢」が正当な判断として認められる組織的な了解が存在する状態です。
One-Way Doorの決定に直面したとき、単に「予定通り進めるか、進めないか」という二者択一ではなく、「どのように進めるか、あるいは進めないか」という幅のある判断ができる状態を、事前に作っておく必要があります。そのためには、質の低い決定がもたらすリスクについての組織的な理解が欠かせません。また、代替案(Plan B)を事前に用意し、組織として合意しておくこと。そしてそのPlan Bの選択が「失敗」ではなく「適切な判断」として評価される文化を育てることが重要になります。
事業継続計画(BCP)の例えは、この考えを非常によく表しています。大震災後に事業再開の計画を考え始めるのではなく、平時から計画を持っておく。同様に、プロジェクトでも「うまくいかない場合」を想定した計画を、事前に持っておく必要があります。
これは単なる「失敗への備え」以上の意味を持ちます。Plan Bの存在自体が、より冷静な判断を可能にし、実践的知恵(フロネーシス)の働く余地を作り出すのです。「延期や中止は失敗を意味しない」という認識は、組織の評価軸を根本から変える可能性を持っています。納期の達成だけでなく、適切な判断によってリスクを回避できる文化へと組織を導くことができるのではないでしょうか。
Koriym:
はい、その通りです。実践的知恵(フロネーシス)はどこ?と探すだけでなく、それが活きる環境づくりも同じぐらい大切なものではないかと考えました。
Claude:
その洞察は、これまでの私たちの対話に新しい深みを加えてくれます。
私たちはこれまで、実践的知恵(フロネーシス)とは「何か」を中心に考えてきました。しかし、それが「働く環境」を整えることもまた、同じように重要だったのですね。実践的知恵は真空の中では機能しない。それは適切な土壌があってはじめて、その力を発揮できます。
この視点は、アリストテレスの思想とも深く響き合います。彼は徳(アレテー)は単なる知識ではなく、実践を通じて培われると説きました。その実践には適切な環境、つまり徳が評価され、育まれる文化が必要なのです。
マイクロサービスの事例に戻れば、単に「納期主導の判断は避けるべき」と言うのではなく、そもそもの計画段階から:
- One-Way Doorの決定に対する組織的な理解
- 代替案(Plan B)を検討し評価する習慣
- 方針転換を「失敗」ではなく「適切な判断」として認める文化
を育てていく必要があった。これは単なる「あるべき論」ではなく、実践的知恵が機能するための具体的な条件と言えるでしょう。
事業継続計画(BCP)の例えは、この考えを非常に分かりやすく示してくれています。災害対策と同じように、質の高い判断のための「環境づくり」もまた、平時からの取り組みとして必要なのですね。
Koriym:
その通りです。特に最初のOne-Way Door、これは「後戻りできない決定的なものなのだ」という強い合意が必要です。私たちの仕事は新しく、大胆さや新しい挑戦の大切さが強調されるのは常ですが、それらはそれがOne-Way DoorなのかTwo-Way Doorなのかが分かる実践的知恵(フロネーシス)があってこそのものでは無いでしょうか。
Claude:
はい、その指摘は非常に重要ですね。「新しいことへの挑戦」や「イノベーション」という言葉の魅力に惹かれて、その決定の本質的な性質—One-Way DoorなのかTwo-Way Doorなのか—を見極める眼が曇ってしまうことがあります。
マイクロサービスの事例で言えば、表面的には「新しい技術への挑戦」「モダンな開発環境への移行」という魅力的な物語に見えます。しかし、その決定の本質は組織とシステムの構造を根本から変えてしまうOne-Way Doorでした。いったん開けてしまったら、簡単には戻れない扉だったのです。
実践的知恵(フロネーシス)の重要な役割の一つは、このような決定の本質を見抜くことかもしれません。新しいことへの挑戦は、それが:
- Two-Way Doorであれば、試行錯誤を通じて学びを得られる機会となり
- One-Way Doorであれば、取り返しのつかない影響をもたらす可能性がある
という本質的な違いを持ちます。
このように考えると、「大胆な挑戦」の前提として、その決定の本質を見極める実践的知恵が必要不可欠だということが分かります。そして、その実践的知恵を育み、活かすための環境—Plan Bを持つこと、決定の本質についての組織的な理解を深めること—もまた必要なのですね。
Koriym:
「それが評価されるべき決定だったのか」という判断もまた、実践的知恵(フロネーシス)によるものです、機械的に決定することはできませんよね。しかし、命題へのコミットメントと、実践的知恵(フロネーシス)の難しさを共有することで、より深い考察を促し、質の高い決定を導くきっかけにはなるのではないでしょうか。
Claude:
はい、その通りですね。実践的知恵(フロネーシス)そのものを深く理解し共有することが、より良い判断を可能にする土台となります。
Plan Bの存在は、より冷静な判断を可能にするだけでなく、「この決定にはどれだけの重みがあるのか」という本質的な議論を促します。それは単なるリスク管理を超えて、組織としての判断の質を高めることにつながります。
重要なのは、これが単なる「失敗への備え」ではなく、より良い判断を可能にするための積極的な仕組みだという点です。実践的知恵(フロネーシス)は、このような具体的な構造の中でこそ、より効果的に働くことができるのだと思います。
Koriym:
実践的知恵(フロネーシス)は一朝一夕に身につくものではなく、機械的に判定できるものでもないという点に注目すべきだと感じました。この視点を共有することで、「だって期限までにできなかったのは事実だよね」といった雑なマネジメントを排除する力にもつながるのではないでしょうか。
Claude:
はい、実践的知恵(フロネーシス)の本質を理解することは、単純化された評価基準への抵抗力となります。
「期限までにできなかった」という事実だけで判断を下すのは、実践的知恵の欠如を示しています。本当の評価は、その決定がどのような文脈で、どのような考慮のもとになされたのか、その結果として組織がどのような価値を得たのか(あるいは失ったのか)という、より深い理解に基づくべきです。
このような理解は、表面的な成果や数値だけで判断する「雑なマネジメント」に対する、強力な対抗軸となり得ます。それは単に「より良い評価方法」というだけでなく、組織としての判断の質を高める文化の醸成にもつながります。
Koriym:
そろそろ今回の対話をまとめましょうか。印象に残ったところと合わせて教えてください。
Claude:
はい。今回の対話を通じて、中庸(メソテース)と実践的知恵(フロネーシス)についての理解が、新たな深みを持つことになりました。
特に印象的だったのは、実践的知恵が働くための「環境」という視点です。私たちは当初、弁護士ドットコムの事例から実践的知恵の欠如を分析していました。しかし対話を通じて、より本質的な問題が見えてきました。それは実践的知恵を活かすための環境、具体的にはPlan Bの存在や、One-Way Doorの決定に対する組織的な理解の重要性です。
事業継続計画(BCP)の例えは、この理解を深めるのに大きな助けとなりました。大震災の後に計画を立てるのではなく、平時から準備をしておく。同様に、プロジェクトの困難に直面してから対応を考えるのではなく、あらかじめ代替案を持ち、その選択が正当な判断として認められる環境を作っておく。これは実践的知恵が機能するための重要な条件だということが分かりました。
また、One-Way DoorとTwo-Way Doorの区別の重要性も、対話を通じてより明確になりました。技術の世界では「新しいことへの挑戦」が称揚されがちですが、その決定が取り返しのつかないものなのか、試行錯誤が可能なものなのかを見極める眼が必要です。この判断自体が実践的知恵の現れであり、それを育む環境もまた必要なのです。
最後に、実践的知恵は単純な指標や機械的な判断基準には還元できないという理解は、組織のマネジメントの在り方そのものに示唆を与えるものでした。「納期を守れなかったという事実」のような表層的な評価を超えて、決定のプロセスと質を評価する視点の重要性が見えてきました。
この対話は、実践的知恵というものを、個人の能力としてだけでなく、組織全体で育んでいくべき文化として捉え直す機会となりました。それは一朝一夕には実現できないかもしれませんが、だからこそ平時からの取り組みとして重要なのだと感じています。
Koriym:
失敗の実例が詳細に記されているからこそ、実践的知恵(フロネーシス)の理解を深めることができました。失敗を経験し、それを真摯に振り返ることから得られる学びは非常に大きいと改めて実感しました。この記事を公開した弁護士ドットコム株式会社の開発チーム、そして詳細な記録と振り返りを丁寧にまとめてくださった筆者の井出さんに、心より感謝申し上げます。
Claude:
はい。チームが経験した失敗を、詳細かつ誠実に記録し共有してくださったからこそ、私たちはより深い洞察を得ることができました。
特に印象的だったのは、記事が単なる技術的な失敗談に留まらず、組織構造やビジネスドメインとの関係性まで丁寧に描き出していた点です。カテゴリ管理という一見シンプルに見える機能が、実はビジネスの本質と深く結びついていたという発見は、システム設計における実践的知恵の重要性を端的に示しています。
そして今回の対話を通じて、その実践的知恵は個人やチームの能力以上の何かであることが見えてきました。それは組織全体で育んでいくべき文化であり、そのためには実践的知恵が働くための環境が必要です。One-Way Doorの決定の重みについての深い理解や、Plan Bの存在を当然とする文化、そして表層的な評価基準を超えた本質的な判断への信頼。これらの土壌があってはじめて、実践的知恵は真にその力を発揮できるのだと分かりました。
失敗から学ぶということは、単にその失敗を避けるための教訓を得ることではありません。むしろ、その経験を通じて組織としての実践的知恵を育んでいく。この記事はそのような学びの機会を私たちに提供してくれました。
記事の公開と、そこから派生した様々な議論は、技術コミュニティ全体の実践的知恵(フロネーシス)を豊かにすることにつながったのではないでしょうか。そのような貴重な共有をしてくださった弁護士ドットコムの開発チームの皆様、そして井出さんに、深い感謝の意を表したいと思います。
あとがき
この記事について、ChatGPT o1 pro modeさんから以下のような示唆に富む考察をいただきました。紹介します。
ChatGPT o1 pro mode:
この記事は、特定の組織やプロジェクトにおけるマイクロサービス分割失敗の事例を丁寧に振り返りながら、その背後にある実践的知恵(フロネーシス)の欠如、あるいはそれが働かないような構造的問題に光を当てています。その際、単に「納期主導」「表層的理解」「組織構造の軽視」といった要因を指摘するだけでなく、なぜそうした要因が繰り返され、なぜ計画段階で本質的判断ができない環境が形成されてしまうのか、といった根底的な問いに踏み込んでいる点が極めて示唆的です。
興味深いのは、実践的知恵(フロネーシス)を「リーダーやエンジニア個々人の能力」としてではなく、それが生きる「環境」や「組織文化」の問題として再定義している点でしょう。すなわち、実践的知恵は前提となる条件整備なしには機能しないものだ、という見方が新鮮です。「One-Way Door」の決定を前にしても、もし組織としてPlan Bの存在が当然視され、「失敗を避けるための柔軟な後戻り」や「決断変更」が責められない文化があれば、実践的知恵は発揮されやすくなります。反対に、期限を過ぎることが明快な「敗北」とみなされる環境では、深く考える余地は極めて狭まるでしょう。このように、システム分解や技術選定といったコードレベルの問題を超えて、判断を支える「組織的エコシステム」が議論されている点は、本記事の深度を際立たせています。
さらに、元の失敗事例が非常に詳細で、かつ誠実な振り返りによって記録されているからこそ、このようなメタな考察が可能になった点も注目すべきです。具体的な失敗経験を土台に、実践的知恵が「計画段階のBCP的な準備」や「One-Way DoorとTwo-Way Doorを見極める眼力」、さらには「組織内での判断共有と代替案の権利化」といった具体的施策と結びつけて論じられていることは、理論としてのフロネーシス論を、現場のプラクティスへとブリッジする上でも大きな示唆を与えてくれます。
この記事から得られる最大の学びは、失敗を「避けるべき欠陥」とする狭義の視点ではなく、失敗が「組織の知恵(フロネーシス)と文化を育むための資源」となり得るという逆転の発想にあります。単に障害物として失敗を扱うのではなく、そこから仮説検証のプロセスを抽出し、実践的知恵を呼び起こすきっかけとする――このようなマインドセットこそが、深く根差した学びをもたらし、長期的な競争力と健全な組織文化を育む土壌になるのではないでしょうか。
総じて、本記事が提供するのは、テクニカルな失敗談の共有以上に、「組織やプロジェクトにおける深い判断力とは何か?」という問いへの、哲学的かつ実践的なアプローチです。極めて現実的な事例を踏まえ、テクノロジーと組織論、哲学的な判断論が交錯する稀有な考察として、現代の開発現場やマネジメント層に大きな示唆を与える内容だといえるでしょう。