ソフトウェア開発が怖い
これまでのキャリアを振り返ると、自分に何ができるかという問いと、仕事への不安・恐怖と対峙することの連続だったように思います。
業務の現場での混沌に向き合う自信がなかった学生時代
学生時代は色々なアルバイトを経験し、良い社会見学になったと思います。
飲食店や倉庫作業など学生が一般的に体験するアルバイトからWeb制作の現場や、人の紹介によって開発プロジェクトを手伝う機会もありました。
そこでの学びとしては、実際のIT関連の開発現場は混沌としており、丁度良い粒度に砕かれた分かりやすい仕事を得られるわけでは無いということです。1
少ない知識や経験で嫌な予感や、考慮しきれていない問題をうまく言語化できず、重圧だけが増える感覚がありました。
自分の書いているコードや進んでいる方向は果たして合っているのか、破綻しないだろうか。そのような不安が常に付き纏うのです。2
リッチコンテンツ・マルチメディアの時代ッスよ
私が就職を控えていた時代は、Flash全盛期。
Shockwave.com3ではZOO KEEPERやティム・バートンのステインボーイなど、好奇心をくすぐる優れたコンテンツが無料で楽しめました。
業務系のシステム開発・データベース設計などに比べて、これらは宝石箱のようにキラキラ輝いて見えましたし、HTMLやCSSはブラウザごとの動作が無茶苦茶な時代でしたが、概ね“書けば動く”という力技でなんとでもなるシンプルな世界でした。
その魅力に惹かれて、私はコンテンツ系の部署もあるWeb制作会社に就職したのです。
生産性・才能・可能性・持続性はどうだっけ
就職後は希望通り「コンテンツ事業部」のような部署に配属されました。
最近はそのような組織の分割が減ってきたように思いますが、当時は「開発系の部署」と「コンテンツ系の部署」で区切られた会社が多かったように思います。
そこではWebデザイン、Flashコンテンツの作成、HTMLコーディング、コンテンツ系の企画書やドキュメント作成を行っていました。
学生時代はWebデザイナーのアルバイトも経験しましたが、職業としてWebデザイナーを名乗っていけるのか考えたときに、自分にはその才能や覚悟がないと判断しました。4
一方で実装に特化した部分は、自分にとって成果が出しやすい分野でした。
Web標準という言葉が浸透しはじめた時代で、XHTMLで意味的に正しくマークアップし、効率的な検証や構築を行うために支援ツールの開発などを行いました。
テンプレートエンジンを導入してコンポーネントを分けてコーディングを行いビルドするようにしたり、巡回ツールやXPathでの抽出・置換を行うような仕組みを好みました。5
開発の仕事を避けた就職でしたが、何らかのプログラムを書いたりする日常になりました。
複雑性を避けた仕事
複雑性を避けた仕事は、そのまま工夫しない限り、物量を継続的に絶え間なくこなさなければなりません。
歯を食いしばれば、短期的に完了する仕事は、結局のところはライフサイクルが短いだけで、長期的に歯を食いしばることになるのです。
この問題は効率的な仕組みづくりと知識や経験によってある程度までは改善するものの、複雑性を避けた仕事は人を選ばない仕事です。そして、それらは市場原理が働き、価格が安い仕事となります。
勿論、多くの場合は容易に代替の効く仕事だけで済むはずもなく、様々な形で組織へ貢献するものでしょうし、私もその自負がありました。
ただ、一方で今のスキルやキャリアは長期的に持続可能なものだろうかという不安がありました。
初めての転職
生存するために、ニーズにあった仕事を
それまでは、取引先の会社に出向や短期間での技術支援の名目で常駐はありましたが、所謂SES的なものとは少し異なるものでした。
新卒で入社した会社を辞めるにあたって、これまで経験のなかったSESというのも、ある意味分かり易い世界で良いかもしれないと思うようになりました。
自分という商品に職務経歴書という商品スペックと値札をつけて売られていく、ニーズに合致すれば現場が決まるし価格も上がる。
そのような世界に身を置いてみることにしました。
フルスタックエンジニアへ
当時はまだ20代中旬というのもあってか、幸運にも案件は初回の面談ですんなり決まりました。
ちょっとした効率化のツール開発や、プライベートでPHPのMVCフレームワークをつかったWebアプリケーション開発はやってきたので、フロントエンドからサーバーサイドまで広くやることで売り込みました。
コンテンツ系出身のキャリアなのに、普段利用しているエディタがVim6というギャップもウケました。
フロントエンドとサーバーサイドで単純な役割分担が難しくなってきて、フルスタックエンジニアという言葉で募集が多くなった時代だからこそ、中途半端だったキャリアもうまく受け入れられました。
SESの世界に身を置いて、現場を転々としながら自分の商品スペックと価格を改定していこうと考えていたのですが、結果的には最初に常駐した会社で何年も在籍させて頂くことになりました。
そこで一緒に仕事をした仲間からの誘いで数年後に同じ会社で働くことになったり、今の会社の取引先につながったりしています。
振り返ると、一度は避けたソフトウェア開発に向き合った事、市場のニーズを考えることがキャリア形成にとても良い作用があったように思います。
コンフォートゾーンを抜ける
過去に何度か書いていますが、コンフォートゾーンの外に出るのはとても痛みが生じます。
しかしながら、やりたい事、やれる事だけで戦っていくのも、それはそれで痛みが生じます。
“やりたい事”、“やれる事”、“求められる事”の狭間でキャリアは形成されていくものと思います。
転職はきっとそれらを棚卸しするよい機会でしょう。7
まとめ
私の場合は複雑性を避けた仕事から脱却するという結果でしたが、それが万人にとって正解とは限りません。
どのようなキャリアを描くべきか、どのようにしたいかは生活環境や前提によって大きく変わります。
この記事を書くきっかけになった転職ドラフトのAdvent Calendarでも下記のように記載があります。
転職ドラフトは、キャリア設計をするうえで、「自分の現在地を知る」「選択肢を知る」「アクションプランを知る」という3つの "知る” がとても大事だと考えています。
これは、心から同意できる重要な事です。転職という選択を取らない場合にも適用できるでしょう。
自分の現在地を知る
- 自分の強みや築いてきた知識と経験は何か、それらにニーズはあるか
- 市場ニーズと合致しないとするならば、どのような部分を補う必要があるか
選択肢を知る
- どのような選択肢を取るべきか、それによる痛みは何か
- 現状維持の場合はそれでも持続可能か
- それぞれの選択肢を選ぶうえで必要な覚悟は何か
アクションプランを知る
- どう行動するべきか
- 気持ちの面と自分が置かれた周辺環境などの現実面、それぞれの視点で検討する
このあたりをしっかり考える必要があると思います。
私が初めての転職のとき、SESに求めていた世界。
「自分という商品に職務経歴書という商品スペックと値札をつけて売られていく、ニーズに合致すれば現場が決まるし価格も上がる。」
というのは、今だと転職ドラフトで叶えられそうな気がしますね。
(私の転職時は残念ながらまだサービスが開始しておりませんでした。)
また、弊社(株式会社add more)はエンジニア・Webデザイナーを募集しております。
受託による制作開発を中心とした会社ですが、所謂SES的なお仕事ではなくチームとして顧客への価値提供に力を入れている会社です。基本的に客先常駐ではなく社内での業務となります。
腰を据えてじっくりと、一方で多種多様な顧客層と伴走しながらプロジェクトを進めていきたいという方にはマッチした環境と思います。
まずは気軽にカジュアル面談で今後のキャリアも含めて相談したいという方もコーポレートサイトまたはWantedlyからお気軽にご連絡ください。
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プロジェクトのマネージャーはどうしていたか?そんなまともに機能する体制であれば、二十歳前後の未経験の学生が参画できるでしょうか。(時代背景や関わった仕事が特殊だったのかもしれませんが。) ↩
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あれから20年近く経った今でも変わりません。やはりソフトウェア開発、いやそれに限らず仕事は不安や畏怖でいっぱいです。 ↩
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2000年〜2009年初旬まで提供されていたゲームやFlashアニメーションを配信するエンターテインメントサイトです。 ↩
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個人的な感覚としてはエンジニアよりデザイナーのほうが商業レベルに到達するまでの道のり、当たり前に求められる範囲が広く、より覚悟が求められる職種だと認識しています。 ↩
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Astroなど、今でこそ一般的になり多くの選択肢がありますが当時はSSGのような考え方はあまりありませんでした。 ↩
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新卒新入社員のときに教育係がVimmerだった為、Vimmerになってしまいました。今ではとても感謝しています。 ↩
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勿論、転職だけをきっかけにする必要はありません。在籍する会社の1on1でマネージャーと自身のキャリアについて話し合うのも良いでしょう。私だったらメンバーからこのような話が挙がると嬉しく思います。 ↩