無気力人間
私は昔からどちらかというと無気力な人間でした。
努力や我慢は嫌いで「若い頃の苦労は買ってでもしたほうがいい」と言われると「苦労を知らず死んでいきたいのです」と返答していました。
その気持ちは今も大して変わっていません。
それでも社会人として生活を成り立たせるためにやってきた考え方やテクニックを共有します。
仕事の自分は仕事の自分として割り切る
やりたい事とやるべき事が一致しない場合や、自分の預かり知らないところで起きたことの後処理などはプライベートの時間でなくて、この時間にお金を貰っているからと割り切ると少し楽になります。
「まぁ趣味の時間じゃないしなぁ」と。
逆にこの考え方をしないと、「なんでこんな事をやらないといけないんだ」とか「やりたくない」とかに気持ちが振られると少ししんどい状態になります。
業務時間をプライベートの自由時間の気持ちの土台で迎えると本来は負う必要のないストレスを負うことになります。
お金をもらい、業務として取り組む限りは自由時間とは違うという気持ちの切り替えが大切です。
プライベートでも自己研磨が求められるじゃないのよ
だらだらと過ごしたい。寝ていたい。
とは思いながら、世間では日々の生活の中で何らかの成長が求められることが多いです。
特にソフトウェアエンジニアにおいては当たり前のように要求されます。
なので、プライベートの時間を使ってある程度は本を読んだりプログラムを書いたり調べ物をしたりします。
これは、下記のような動機づけから行動します。
- 現実を受け入れる(危機感)
- 人のために(社会性)
- 面白いと考える(興味関心)
現実を受け入れる(危機感)
実際問題、生きていくのはなかなか大変なことです。
普通に生きるというのは、ハードルが高いように思います。
何も変わらず、昨日と同じ自分、先月と同じ自分、去年と同じ自分だったとき社会は受け入れてくれるだろうか。
今の仕事がなくなった場合、違う仕事を選ぶことを余儀なくされた場合、どのような仕事ができるだろうか。
周りを見渡す中で、自分にこの仕事ができるだろうか、とよく想像します。
気が弱く、貧弱で記憶力も衰えている自分にとっては他業種のすべての人がパワフルで、到底自分にはできないのではないかと考えてしまいます。
危機感を持ち、少しでも自分の価値を強化しなければ、すぐ先には強烈な苦痛や苦労がまっているのではないか。
それを回避するために今少しくらいは動こう、そう考えることができます。
「苦痛」を液体にしたモノ
味はまずい 最高にまずい
一気に飲むと死亡する可能性もあるので少量に分けて飲むことをオススメする
「幸せ」を液体にしたモノ
これはうまい これは最高にうまい
一気に飲むのも良し 少しずつ味わうのも良し
この二本を各自が毎月必ず飲み干さなければならない
もちろん その量は人によって異なる古谷実「サルチネス(3)」より
強烈な苦痛を避けるため、日頃から少量の苦水を摂取しようと考えています。
人のために(社会性)
何かを行う動機が、会社のため、仲間のため、顧客のためというのが疲れた場合、自分の利益や未来のためにとか考えると良いと思います。
しかし、意外と人は自分のためだけには頑張れないような気がするので、そういうときは、社会のため、周りの人たちのために動機づけすれば良いと思います。
人生は人のためと自分のためをいったりきたりしながら生きていくものかもしれません。
面白いと考える(興味関心)
新しい取り組みや知識は、これまでの景色を少し変化させたり、より深い洞察に繋がります。ゲームやエンターテイメントのコンテンツと同様にそれを楽しいことと捉えることもできるでしょう。
学習曲線は正比例にはなりません。
基本的には退屈で苦痛の連続で、ダニングクルーガー効果の絶望の谷に嵌ることもあるでしょう。
しかし、振り返ると日々重ねてきたことが価値や面白さに繋がっていたことはよくあることです。
興味、関心を刺激し面白さを見出すことにより生まれるエネルギーがあります。
結局のところ
結局のところ、面倒なこと、気が乗らないやるべきことをやっていくのは割り切りと考え方を少し補正するしか方法はないと思います。
具体的な補正方法は人それぞれですが、私の場合の具体例でした。
…人類最大にして最強の敵
“めんどくさい” に打ち勝ち…
立派な大人になりたいなぁ〜古谷実「グリーンヒル(3)」より