はじめに
2012年、日本語ワープロを真に発明した人は天野真家氏(単独発明)であると裁判で認められました。従来(そして今も)発明者であると言われていた森健一氏は「発明への貢献は一切なかった」 ことが一連の裁判の中で明らかになっています。これは技術者の名誉を守る戦いです。

「日本語ワープロの発明者は天野真家である」とは上記リンク先に記された言葉です
「はじめに」より引用
特に、日本的年功序列感覚の中での、森、河田、天野の3人の役割については正確ではなく、予断によって書かれている印象が拭えない。実はワープロの技術の詳細に言及すると、私しか説明することができないため、最年少の私が主役であると悟った筆者らは、かといって年長者をどう扱っていいか分からず、戸惑っている印象があった。事実、東芝内では意図的に私を単なる最年少のサポータ的に扱って、人事的にもそのようにファイルされていたらしい。しかし、特許、論文、社内研究報告などを見ればワープロを誰が発明したかは明らかなのだが、そのような面倒なことは人事はしないのである。一度、理解ある上司に恵まれ、彼の指示で私が真の発明者であることを示す資料を作ったことがあるが最終的にはもっと上の思惑で無視されてしまった。成果主義という事が一時言われたが、成果さえ他に付け替える事が行われる程に企業の人事というものは、恣意的なものなのである。
この記事は私が日本語文字コードについてまとめている最中に気づいて作成した副産物です。当時はあまり興味を持っていなかったのか、私はこの話を知りませんでした。調べている中で、この話があまり知られていない(または正しく知られていない)と感じ、そして古い記事も修正されずに残り続けていることに気づいたため、一連の話を簡単にまとめてみました。この記事は一連の話の簡単な紹介に過ぎません。私も詳しく読み込んでいるわけではないので詳細やより正確な話はリンク先を参照してください。特に「事件の詳細を時系列で書き綴った逢沢 明氏のホームページ」などです。
世界初の日本語ワープロ JW-10 について
世界で始めて実用化し販売された日本語ワープロ専用機が JW-10 であることはよく知られていると思います。当時のワープロは現在のようにパソコン上で動かすソフトウェアではなく専用の機械でした。1978年に発表され、1979年に発売されたその価格は630万円、重さは220kgもありました。
画像提供: Dddeco, CC BY-SA 2.5 および GFDL, 出典: Wikimedia Commons
JW-10 が登場する以前、日本語文字に対応するキーがそのまま配置された特殊な日本語タイプライターが使われていました。使い方は難しく使いこなせる人は一部の人に限られていました。しかし JW-10 にはそれを簡単にする当時実用不可能と言われていた「仮名漢字変換」が搭載されていました。今でこそ当たり前の仮名漢字変換は当時「できる道理がない」と断言されるようなものでした。
「時代背景の中の技術」より引用
しかし,仮名漢字変換は当時,実現するのは不可能であると論じられていた。仮名漢字変換の研究が大学,公的研究所,民間企業の研究所の各所で行われていた真っ只中である1976年に東京大学の渡辺茂氏の著書「漢字と図形」[2]がNHKブックスから出版され,「漢字の欠点と思われるものに,タイプライターのないことがある。もちろん職業用のものはある。しかし,文字盤を見ないで指先だけで打てるものがない。つまり英文タイプに匹敵する和文タイプがない。ないというより,できる道理がないのである。」と断言された。仮名漢字変換は一顧だにされていないのである。
この仮名漢字変換に必須の技術を発明したのが天野真家氏です。JW-10 が発売された以降もしばらくは他社の日本語ワープロ専用機には仮名漢字変換は搭載されていませんでした(JIS コードなどで入力する「単漢字入力」が使われていたはず)。初期のワープロの使い方は今のように文章を考えながら入力するものではなく、紙に書いた文章の清書用の道具として使われていたわけです。
時系列と簡単なまとめ
メディア・マスコミの中途半端な発表のためか、発明に対する正当な対価として 3億2600万円(当初2億6000千万円に後から追加)の要求に対し、わずか 643 万円の支払いを命じただけで終わったかのような勘違いが見られますが、それは第一審での結果にすぎません。最終的な和解の具体的な内容は公表されていませんが、天野真家氏が「200% の満足」と言っているように、相応の額で和解することになったのでしょう。ただしもっと勘違いしてはいけないのは、これは補償金の問題ではなく技術者の名誉の問題だということです。
時系列: 以下《》は天野真家氏の考えを表しています。
和暦 | 西暦 | 内容 |
---|---|---|
平成19年 | 2007年12月7日 | 東芝を提訴 |
平成23年 | 2011年4月8日 | └ 第一審判決 約643万円の支払いを命じる |
平成23年 | 2011年4月21日 | 知財高裁に控訴 |
平成23年 | 2012年4月5日 | ├ 知財高裁から和解勧告 |
平成24年 | 2012年4月25日 | └ 和解 内容は公表されず《200%の満足》 |
訴訟で争われたこと
- 日本語ワードプロセッサの基本技術を発明したのは誰か?
- 職務発明の相当な対価の額
第一審
- 原告の元上司であった森健一氏の貢献はゼロであると完全に排除
- 「同音語選択装置(発明1)」と「カナ漢字変換装置(発明2)」は誰の発明か?
- 発明1: 元東芝従業員の河田勉氏と武田公人氏の共同開発と認める《納得せず》
- 発明2: 「カナ漢字変換装置」に関しては天野真家氏の単独発明であると認める
- 補償金の額は 643 万円《低い評価》
- 結果に満足せず、知財高裁に控訴
第二審
- 控訴理由: 第一審の「発明1は河田勉氏と武田公人氏の共同開発」は誤りである
- 和解 《知財高裁の和解勧告の内容は、私の意が達せられたと理解できる》
最終的な裁判結果は、和解で内容が公表されていないのでわかりません。ですが天野真家氏は「控訴理由とした地裁の誤り-- 細部とは言え--は知財高裁により正され、私の主張が全て完全に認められた」と書いていることから、発明1、発明2 ともに天野真家氏の単独発明であると認められたと考えて良いと思われます。補償金の額はよくわかりませんが。
森健一氏は発明には一切関わっていないにもかかわらず「国民の血税で年 350 万円もの終身年金が支給されている」ことを天野真家氏は批判しています。天野真家氏は文部科学省に対し、森健一氏を文化功労者として顕彰した事由や選定根拠等を、平成23年4月19日、平成24年3月27日の2度にわたって質問しているにもかかわらず(少なくとも2012年5月時点で)何の回答も得られていないとのことです。天野真家氏は裁判の結果を元に、文部科学省によって再評価されるべきものであり、文部科学省の見解を要求しています。(以下のプレスリリースより)
「東芝ワープロ発明訴訟事件」ブログ
天野真家氏による「東芝ワープロ発明訴訟事件」の詳細を語った「技術者の技術者による技術者のためのブログ」です。日本のワープロ技術史としても非常に読み応えがあります。
2025年11月18日に goo blog がサービスを終了するようなので簡易的な保全も兼ねてページタイトルとリンクを残しておきます(一部のページをアーカイブしていない Internet Archive がクロールしやすいように)。
- 2007年12月10日 - 東芝ワープロ発明訴訟事件 1: 日本を「おしん」の時代に戻さないために
- 2007年12月12日 - 東芝ワープロ特許訴訟事件 2:決意と訴訟費用など
- 2007年12月14日 - 東芝ワープロ訴訟事件 3: 和解交渉
- 2007年12月15日 - 東芝ワープロ特許訴訟事件 4: 発明は会議室で起きているんじゃない。
- 2007年12月16日 - 東芝ワープロ訴訟事件 5: 発明の使われ方と,実績に対する支払い例
- 2007年12月19日 - 東芝ワープロ発明訴訟事件 6: 技術者の名誉にかけて (その2)
- 2007年12月19日 - 東芝ワープロ特許訴訟事件 6(続き): 技術者の名誉にかけて (その2)
- 2007年12月22日 - 東芝ワープロ特許訴訟事件 7: 技術者の名誉にかけて (その3)
- 2007年12月23日 - 東芝ワープロ発明訴訟事件 8: 誰がアクロイドを殺そうと
- 2007年12月24日 - 東芝ワープロ発明訴訟事件 9: ワープロのbefore and after
- 2007年12月24日 - 1960-1970年代の京都大学の先端的人工知能の研究
- 2007年12月27日 - 東芝 ワープロ訴訟事件 10: 私に送られてきた河田さんの文書
- 2007年12月28日 - 東芝ワープロ訴訟 11:企業の発明者はなぜ社会に知られないのか,あるいは間違って知られるのか
- 2007年12月29日 - 東芝ワープロ特許訴訟事件 12: 技術者の名誉にかけて:1980年代前半のワープロ技術
- 2007年12月30日 - 東芝ワープロ特許訴訟事件 13: 技術者の名誉にかけて:携帯でメールできるわけ
- 2007年12月31日 - 東芝ワープロ発明訴訟事件 14: 技術者の名誉にかけてJW-10はユーザ本位の設計に徹しました
- 2008年01月17日 - 東芝ワープロ発明訴訟事件 15:第一回裁判
いろいろブログサービスを試していたのか、途中までは以下のブログにも記載されています。(予備として)
別件: NHK「ノーナレ 変かんふうふ」のデマ
こちらは完全に別件です。しかしこういった混乱を招く情報が、日本語ワープロ史全体の事実をあやふやにしてしまうことがあります。残念ながら私は動画を見れていないのですが、2022年1月15日に NHKの「ノートレ」という番組で 「仮名漢字変換はジャストシステムが発明したと捉えられるような内容」が放送されたようです。ジャストシステムとはもちろんワープロソフト「一太郎」や日本語入力システム「ATOK」で有名なあの会社です。
「変かんふうふ▽コンピューター史に残る伝説の夫婦の物語」
初回放送日:2022年1月15日
https://www.nhk.jp/p/ts/268WGKYP84/episode/te/JZ3XWNRNZW/
この内容について、天野真家氏は「あの番組には誤りが各所にあります。指摘するので、NHKはそれを公表してほしい。そして番組の配信をやめて、お蔵入りにしてほしい」と語っています。
「ワープロの歴史をミスリード、番組配信やめて」元東芝技術者、天野真家さん
https://www.sankei.com/article/20230628-Q6PEHE3T6BPG5FP54RPAAJQCCA/
どうやら当時は NHK オンデマンド で配信されていた(?)ようですが、現時点では配信されていないようです。理解を示して配信をやめたんでしょうかね? もし新たに配信されることがあれば、その内容は嘘にまみれておりミスリードを誘うものであると警告しておきます。ワープロ専用機はワープロソフトよりも先に誕生しており、仮名漢字変換が 1979 年に発売された JW-10 に搭載されていることはこの記事で述べたとおりです。番組中では ATOK がスペースキーを変換キーとして使ったことを画期的であるとしていたようですが、天野真家氏によると JW-10 でも変換キーはスペースキーだったようです。
最初(かどうかを私は検証していませんが)のパソコン用(?)の日本語処理システムが完成したのはいつであるかは、当のジャストシステムのウェブサイトに記載されています。
82年、最初のパソコン用日本語処理システムが完成した。8ビットマイコンで標準のOS、CP/M用のシステムだった。これはKTIS(ケイティス)と名づけられた。この年の10月、東京で開催されたデータショーに発表すると、すごい評判だった。
中略
当時、日本語ワープロという言葉はワープロ専用機を意味していた。パソコン用の日本語処理システムには、これといったものがなかった。「まだみんな、パソコンで専用機と同じようなことができるとは思っていなかったんでしょうね」専用機が先行した理由を、初子はこう語るが、それがいよいよ具現化しようとしていた。
8ビットマイコンをパソコンと分類するならば 1982年に KTIS が誕生していたと言えますが、プロトタイプ止まりですし、そもそも日本語処理システムの「発明」ではありません。1978 年に天野真家氏が発明し、1979 年発売のワープロ専用機 JW-10 に実装されていた仮名漢字変換と同様に日本語処理システムをパソコン上に実装したというのが事実で、新しいものを作ったわけではありません。「できる道理がない」とまで言われていた時代に新しく作ることと、できるとわかった後に真似て作るのとでは雲泥の差があります。
ウェブサイトによると 1983年5月にワープロソフトの試作品「光」ができ、ジャストシステム初のワープロソフト「JS-WORD」は1983年10月発売の NEC PC-100 にバンドルされたようです。ちなみに初期の JS-WORD は IBM 対応版だったようで、当時の日本で主流だった PC9801 対応版の「jX-WORD太郎」の発売日は遅れて 1985年2月です。ATOK という名前もこの頃に付けられたものです。
一方その頃、管理工学研究所の日本語ワードプロセッサ「松」が PC9801 用にすでに発売されていました。発売されたのは1983年7月、ジャストシステム初のワープロソフト「JS-WORD」が PC-100用に発売される3か月前で、PC9801 の世界に限ればおよそ1年半「松」が先行しています。仮名漢字変換に限ればどちらが先行していたのかは不明ですが、以下のページでは「松」を事実上最初のパソコン用日本語ワープロソフトとして扱っており、12万8000円もする「松」は1983年に発売されてから半年後には PC-9801 の出荷台数の 25% ほどにインストールされていましたが、1985 年に5万8000円で「一太郎」が発売されたことでユーザーが大きく流れてしまったようです。
さいごに
この話は、もしかしたら天野真家氏の主張を鵜呑みにした一方的な解釈かもしれません。森健一氏は上司としてマネージャーとしてプロジェクトを回していたのは事実でしょうし言いたいこともあると思います。ただし技術的な発明に関して言えば、裁判で争ってでた答えが真実なのでしょう。この記事はより多くの人に天野真家氏の功績を知って欲しいと思い書きました。
その他の参考リンク
注意 必ずしも裁判結果が反映されたものとは限りません。