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なぜ国産OS「TRON」はWindowsよりも先に開発できなかったのか? ・・・ 慢心、環境の違い

Last updated at Posted at 2025-07-23

はじめに

TRON(トロン)とは、1980年代に、坂村健が発足したプロジェクトの名前です。

よし今から OS を作るぞーと考えただけで、発足時に動く OS はありません。

Windows 95 の発売の 10 年前に動く TRON など存在していませんでした。

ひーこら頑張って 1990 年代にようやく作れました。

しかし、そのころ Windows はすでに発売されていました。

頑張って作った TRON も普及することはありませんでした。

日本人に Windows を超える OS 開発なんてできませんでした。

どうしてこうなってしまったのでしょうか?

本当は BTRON を区別して書くべきですが、TRON(トロン)に統一しています。

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1. 慢心

一つ目の理由は慢心です。日本は米国よりも圧倒的にパソコンの OS の研究開発が遅れていましたが、1984 年、今から開始しても米国に追いつけると慢心していました。

OS はアメリカの発想で研究も開発も全てにおいて日本より 10 年以上先を行っていました。

日本が OS 開発で先行していたことなどありません。

米国で初の GUI システムが誕生したのは 1973 年の Xerox の Alto で、Macintosh や Windows の GUI システムのモデルです。TRON の GUI も Alto や Macintosh や Windows の真似です。

Apple が Lisa、Macintosh といった GUI を備えた一般ユーザーが使えるレベルの実用的なパソコンが登場する中、ようやく OS を作り始めようとしました。GUI ではない MS-DOS になら勝てると慢心していたのでしょう。

しかし TRON は MS-DOS と互換性がありませんでした。最初から MS-DOS 用アプリという膨大なソフトウェア資産を持っていた Windows にくらべて、TRON は使い物になりませんでした。MS-DOS の資産がなくても勝てると慢心していたのでしょう。

互換性を無視しゼロから始めようとした TRON は MS-DOS にすら負けました。

TRON は使いやすく抜群の安定性を誇るなどという主張がありますが、1980 年代に存在しない OS について、なぜそのようなことを言えるのでしょうか? 日本の OS が米国の OS を超えているなど、すべては想像の世界の話でした。

2. 環境の違い

二つ目の理由は環境の違いです。米国は昔から OS の開発を行っていました。最初はメインフレームで 1950 年代には簡易的な OS を作っていました。1960 年には 1バイト = 8 ビットを普及させた、OS/360 という OS が誕生しました。

1970 年代にはミニコンピュータ上で TOPS-10 などの OS が使われていました。1969 年には Unix も誕生し、1975 年には Unix は広く無償で提供されました。TRON はソースコードがなく、パソコンメーカーが自社開発しなければならないので、実質有料、高コストでした。

1974 年には、マイコン(今のパソコンに相当)用の 8 ビット OS として CP/M が誕生しました。1978年には Apple DOS が誕生し、1981 年には MS-DOS も誕生しました。

米国は昔から米国内で様々なメーカーが OS 開発競争でお互いに競っていました。そこに 1980 年代にようやく OS を作り始めても追いつけるはずがありません。

日本政府は、日本に米国のパソコンが参入できないように、教育現場に用いるパソコンに TRON 搭載パソコンだけを指定しました。まだ TRON 搭載パソコンなど存在しないというのにです。ガラケーならぬガラパソで独占しようとしていたのです。

この決定は、当時日本で 90% のシェアを持っていた NEC が反発しました。NEC は MS-DOS を採用しており、すでに多くの MS-DOS 資産を持っていたからです。しかし他のメーカーは NEC に対抗すべく TRON 搭載パソコンに賛同しました。

日本は米国が参入できない環境を作りましたが、それに怒った米国は TRON をスーパー301条の候補に指定しました。日本は教育用パソコンに TRON を指定することに断念し、その結果、TRON 陣営は崩壊しました。

でも米国に潰されたと考えないでください。それはトドメできっかけは日本政府の愚かな選択(教育用パソコンから TRON 以外の排除)です。そのせいでスーパー301条で潰されたということになっていますが、日本政府が愚かな選択をしなければ、単に自分で潰れていました。米国に潰されるか自滅するかの違いです。

まず 90% という大きなシェアを持っていた NEC が TRON 搭載機に反対していたという事実を認識することが重要です。NEC 製の PC-98 シリーズは「国民機」と呼ばれるまでに使われていました。当時を知っている多くの人が言ってるように、互換性がない TRON なんて誰も使うわけ無いだろという状況なので、米国がなにかをしなくても日本は勝手に潰れてました。その証拠に PC 互換機対応の TRON は Windows 95 の 1 年前に販売されたのに売れなかったんですよ。

競争によって OS の事実上の標準を作っていた環境と、政府の管理の元でみんなで仲良く TRON 搭載パソコンを作ろうとしていた環境とでは、競争力に大きな差が出てしまいした。政府が余計なこと(教育用パソコンから TRON 以外の排除)をしたせいで、日本はパソコンを作る技術力を失ってしまったのです。

さいごに

1980 年代に Windows より 10 年進んでいたと言われる OS を日本人が開発していたなんて、空想の物語でした。

TRON は完成しており現在も販売されていますが売れませんでした。OS を作る力のない国産 OS「TRON(トロン)」は今も 30 年前の姿のままです。


いろいろ省略しましたが、内容は大体あっていると思います。
もっと真面目な記事は後で書きます(笑)

いろんなものを参照して記事を書いていると、デタラメばっかり書いているのが目についてイライラするんですよね。さっさと結論を書きたくなったので、この記事は私のストレス発散です。

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