はじめに
今回は以下の方を対象に記載しています。
SESにおいて常駐先で理不尽な目に遭ったり、レガシーなアプリ・システムの中で決まったオペレーション以外はNGとされる職場で成長も見込めず、給与も安く、早く今の職場から脱したいと考えてられる方や、IT業界に転職したいと思いながらもSESだけは嫌だと思われている方に向けて、私なりのSESを上手く活用してキャリアアップするために、少しでもお役立ち出来る情報をお伝え出来たらと思い今回私の恥ずかしい経験談を共有することにしました。
一応どんな経歴があったかを抽象化して記載します。
SESに関連する経歴
- SIer -> 上場企業のシステム部
- SIer -> 上場企業の工場系
- SIer -> 上場企業の営業支店
- SIer -> 上場企業の研究部門
- 直接契約 -> 上場企業の研究室
- SIer -> スクール会社
- SIer -> 上場企業の営業所
- 直接契約 -> 上場企業の研究部門
列挙したら意外とやってましたね。
前半は一メンバーとして入っていましたが、
中盤の経歴からは、チームリーダー、PMとして入り、
後半は、SESというよりはプリセールスのような立ち位置で活動していました。
結果SES時代に業務上で身に付けた技術は、盛ったとしても中の下ぐらい
大した事ないと思われる方、その通りです。
技術はお世辞にもあるわけでも無く、学もあるわけでもない私が、なぜSESをクビになったにも関わらずそれなり以上の収入を得ることが出来たのか?
いや、逆にSESを経験し、そしてクビになったからこそ普通のエンジニアでは気付く事が難しい視点を早めに気がつくことが出来た事が要因だと感じています。
ではSESをクビになったことで(私の場合は)早く気付く事が出来きた視点をアリストテレスの逸話(ねつ造?)を踏まえてお伝えしたいと思います
アリストテレスの問いかけ
ギリシアであるモノを建築している現場を通りかかったアリステレス。
彼はおもむろに作業中の男達に声を掛けてふとした疑念をぶつけました。
「君はここで何をしているんだね?」
男はこう答えました「俺はここでカネ稼いでいるんだ」
そうかと言い、次の男にも同じ質問を投げかけた。
「君はここで何をしているんだね?」
次の男はこう答えました
「俺はギリシア一の石工になるために、ここで腕を磨いているんだ」
そうかと言い、さらに3番目の男にも同じ質問を投げかけた。
「君はここで何をしているんだね?」
3番目の男はこう答えました
「俺はこのこの街で一番立派な神殿を作っているんだ」
そうかと言い、最後の男にも同じ質問を投げかけた。
「君はここで何をしているんだね?」
最後の男はこう答えました
「俺はこの街のココロの拠り所を作っているんだ」
職人(エンジニア)によって働く意義が違う事を示唆している
別に働く意義がいいか悪いかではない。大まかに今回のケースのように納品物が生み出す成果(目的)
に焦点が当てて働いているのか、納品物という目標
に焦点を当てて働いているのか、はたまた自分のスキル(技)
なのか、収入(お金)
なのか、どこに焦点を当てて仕事をしているかで仕事を通じた世界が変わって見える。その結果、自身の発言・行動・成果が変わってきます。
しかし見えている世界が一つだけしかないと、私のようにやらかす事が多くなります。
SESなりたての時は、給与と給与に直結する技術力にしか興味がなかった
当時の私はSES会社にお情けで入れて貰える程度でした(その会社の試験で過去最低点数)
面接を受けた殆どの会社からお断りを受け、入れる会社が全然無い中、手取りで月10万円程度の会社にお情けで入れてもらい、とりあえずギリギリ生活出来ているという状態でした。
技術力がまったくない私に回ってくる仕事と言えば、技術力を使う仕事なんてさせて貰えず、手順書の体裁を整えたり、チェックリストつくったり、テストのためにひたすらクリックしていくようなオペレーション作業ばかりの日々でした。
年収を上げるためには技術力を上げるしかない。しかし技術力を上げるための仕事は私には回ってこないし信用もされてない。現場には技術力上げるような仕事がそもそもない。どうしたら技術力を上げる事が出来るか?考えた末に行き着いたのが、自腹で技術書を購入し、自腹で資格試験を受けることでした。
当時は第二種情報処理資格を取得していましたが、IT業界では二種ぐらい持ってて当たり前な上に、仕事に直接役立つわけでもない資格なため、別に重宝もされませんでした。
そこでまずは現場で誰も持っていないけど役立ちそうな資格で、そして日本でもまだ多くの人が持っていないMicrosoftの認定SE資格を取得することにしました。
(当時派遣先のSIerさんでも取得していたのは千数百人SEが居る中で5名もいなかった)
そこから、技術書をなけなしの給与から毎月1万円分購入することに当て、そして毎月資格試験を取得するという目標を立てて、毎日勉強、土日も勉強を行いました。
その結果半年で認定SEが取れたことで、技術的な仕事も任せて貰えるようになり、1年後には給与を倍に増やすことが出来ました。
そこから技術力を上げさえすれば給与が上がる。技術至上主義に走りました。
そして2年間で15の資格を取得したことで天狗になっていた時期でもありました。
しかし、資格は取っても机上の空論でしか無く、実際の仕事ではミスが多発
結果どんどん信用を失っていきました。
そこからの教訓は
メッキ状態の私がある仕事を四苦八苦しながら、なんとか仕事をこなして納品した所、顧客から納品拒否をされる自体が発生した。
「こんなの頼んだ覚えはない。そもそもこれじゃ、頼んだ意味がない」
当時の私は徐々に実務でも技術的な仕事をするようになり、それなりに充実していた日々を過ごしていました。そして今までに無い大きな仕事を任せて貰う事になり、 私は指示されたタスクを指示通りに終え、納品したところ上記の「こんなの頼んだ覚えがない。そもそもこれじゃ、頼んだ意味がない」っとお叱りの言葉を延々と説教されました。しかし当時説教されても全然納いかず、言われたとおりに納品しているのになんでそんな言い方するんだろう。「その指示最初から言え、その指示をしなかったのはおまえじゃねか?」っと後出しジャンケンをされた事に逆切れ状態でした。
当時の上司がひたすら謝罪を行い、早急に増員して対策するという事でその場を納めてくれました。
そして納品後をなんとか終わってから上司に言われたのが次の事でした。
顧客はITのプロじゃないからこそ期待を込めて我々に頼んでくれている。
そしてプロじゃないからこそ、的確に指示は出来ない。
顧客の指示された事だけを鵜呑みにして、確認もせずそのまま納品したら顧客が望む納品とギャップが出る可能性が高い。勝手な思い込みで仕事をしてはいけない。
具体的な納品イメージ(終了状態)をPJ初期段階で顧客と共有する。
そして納品が遅延する事態になった場合は何を捨てるのか(部分納品)や、
PJ当初で未解決の課題も共有しPJの進行状態も顧客に包み隠さず共有することで、「顧客 vs 業者」ではなくワンチームとしての関係性を築く。
納品状態から逆算して業務をするようになってからは仕事でミスをすることが減り、課題があっても早急に他のメンバーの協力を得ながら解決に導く事が出来るようになりました。
この頃には、プロジェクトリーダーからプジェクトマネージャーとして階段を上り、20代中盤で億単位のプロジェクトを任せて頂けるようになっていました。
思いが強すぎてクビに。 そして独立
PMとして任されて貰えるようになると責任感をヒシヒシと感じ、重責を感じながらもやりがいも感じる日々でした。しかし一点だけ悩みの種がありました。
それは当時の顧客責任者が、仕事へのモチベーションがないのか、数社の業者が集まって進めるPJミーティングで会議の最初から最後まで寝てしまうことでした。結局顧客側のPMとして立っていた私に各会社のエンジニアさんや営業さんが確認や指示を求めてくるのですが、最終判断を私がすることが出来ないので、どんどん承認待ちタスクが積み上がる事態となりました。
あまりにも承認して貰えずPJが頓挫しかけたことで、私のイライラも頂点になり、顧客責任者(当時40代後半)に対して2時間会議室で20代の小僧がグチグチ説教するという行為をやってしまいました。
2時間一方的に私が話した後、最後に顧客責任者から言われたのが、
やってしまったと思っても「後の祭り」、私は私物を片付けてその現場から去ることになりました。
後から分かったことは
顧客責任者がなぜこのPJの責任者になったかと言えば、エンドユーザーとして使えないシステム(私の納品実績含)を押しつけられて現場のみんなが困っているからこそ、今回のシステムでは現場側がストレスなく使えて、そして会社の業績に貢献出来るようにしたいという思いだったから。しかし彼には持病があり、薬には眠気を誘う成分が配合されてた事で、どうしても意識を保つ事が出来ず本人も悩んでいた。
そして私にも申し訳ないという気持ちもあったが、「あそこまで言われるともう一緒に仕事が出来ないと」元同僚が後日教えてくれました。
本当に恥ずかしく独りよがりな事をやってしまったと後から反省しました。
後から反省しても手遅れですが。
この後、結局私はフリーランスとして独立しました。
やらかしてしまった私ですが、仕事に対する熱量と行動は元同僚や会議に参加していた別業者さん、そしてエンドユーザーの皆様からご評価頂き、私宛に直接仕事を依頼して頂けるようになれたのは、本当に運が良かったです。本当なら業界追放まで行かずとも、面倒くさいヤツと避けられてもおかしくなかった。
本当に周りに恵まれたお陰で今もこの業界に居ます。
そして1年後に年収2000万円を越え、数年後には東京ミッドタウンに住み、当時はマイナーながら芸能界に居る方ともお付き合いしていました。(その後こっぴどくフラられてますが)
まとめ 「SESの正しい歩き方」
かなりデフォルメしてお伝えしてますが、大筋私のキャリアから得た教訓です。
そこから言えるのは、顧客が何を目的に我々に発注しているのか、そして納品後にどのように利用し、どのように評価しているのかはSESで現場に居なければ知る事が出来ませんでした。そこが早く知れた事でここ最近のプリセールスとしての成果が一般的なエンジニアさんより秀でた結果を出せている要因と思っています。特にフリーランスでずっとやっていこうと考えて居る方にとっては、顧客満足度を高め再発注をしてもらうためにも顧客の目的を理解しカスタマーサクセスを実現するための顧客常駐は非常に有益な手段だと思います。
実力があれば業界未経験者でもSES以外の選択肢が持てます。SES会社でも実力があれば自分がやりたい仕事を振って貰えます。そのためには転職せず、まずは1分野の資格試験で最上位まで取得してください。例えばLINACレベル3やOracleプラチナ、AWS SAPなど。半年以内に最上位まで取得し、資格取得後半年間ぐらい時間を掛けて検証経験(もしくは実務)を蓄えたら、皆さんが望む職場への転職は比較的簡単です。
目安を半年にしているのは理由があります。資格試験を取得していても中々思った企業に採用されない方は大概資格試験勉強してから、一番下のランクの資格を取得するのに半年以上かけてたり、次の資格を半年経っても取れてないか1年後だったりする場合、採用担当から見ると学習意欲と能力に難があるかもと見えます。
また転職をしないでと言っている理由は新しい環境が本当に勉強に適した環境か分からないため、今の環境で勉強できる時間が確保出来るなら、現職中に資格取得をお勧めします。採用担当もそういう人は積極的に採用します。
なぜそれを私が言えるのかと言えば、私が転職サイトで過去数万人分の履歴書を拝読し、エンジニアの採用も担当しているからです。
そして私の失敗談を教訓に、技術だけに目の向けず、仕事に対する複数の視点(目的・目標・技術・お金)を併せ持ち、顧客からも仲間からも信頼されているエンジニアに成長する一助にこの記事が役立つことを願い、終わりにしたいと思います。
長文読んで頂いてありがとうございました。