日本大手IT企業のジョブ型雇用と採用改革の矛盾 - スタートアップで働くエンジニアの視点から
3年前に某F社を退職し、現在はスタートアップでITエンジニアとして働いていおります。先日(2025年3月6日)、某F社が2026年度以降の新卒一括採用を終了し通年採用に切り替えるという最新ニュースを目にしました。これはジョブ型雇用制度への移行の一環であり、同社は2020年4月から幹部社員(管理職)を対象にジョブ型雇用を開始し、2022年4月には全社員に拡大して完全移行を完了していました。この一連の動きについて、元社員としての率直な思いを綴りたいと思います。
新卒採用廃止とジョブ型移行の矛盾
某F社が2025年3月6日に発表した2026年度以降の新卒一括採用終了のプレスリリースを見て、正直なところ「当然の帰結」という気持ちがあります。同社は2020年4月から管理職を対象にジョブ型雇用を開始し、2022年4月には全社員に拡大して完全移行を完了しています。しかし、「まずは管理職から」というアプローチ自体に矛盾を感じていました。ジョブ型雇用の本質は職務の明確化と専門性の評価にあります。しかし、管理職とはそもそも組織をまとめる役割であり、技術的専門性を評価する側に立つ存在です。本来であれば、専門性を持つ現場のエンジニアこそがジョブ型雇用の恩恵を受けるべきではないでしょうか。
自分は、ITエンジニアとしてポータビリティのあるスキルや知識を身に付けることを入社1年目から意識し、日々自己研鑽を心がけていましたが、他の社員はそうでない方が大多数でした。ジョブ型に移行すること自体は正しい選択ですが、20年以上F社で働いていた人にとっては大きな変化といえます。確かに移行期間は設けられていましたが、長年メンバーシップ型の雇用形態で働いてきた社員にとって、「あなたの職務と専門性はを明確にしてジョブレベルに見合った働きをしてください」と言われても、対応できる準備がない人が多いのが現実です。後出しじゃんけん感が半端ないです!
移行期間を設ければOKという発想自体が、本当にジョブ型への理解があるのか疑問に思います。真のジョブ型とは、職務と必要スキルが明確に定義され、それに基づいた評価がなされるべきものです。単に「いつまでに対応してください」という猶予期間を設けるだけでは、本質的な変革にはならないのではないでしょうか。
専門性とその評価の本質
このジョブ型雇用の問題を考えるとき、根底にあるのは「専門性」の定義とその評価の難しさです。読者の皆さんにも問いかけたいと思います。「あなたは自分の専門性が正当に評価されていると感じますか?」「あなたの組織では、技術的専門性と人間関係のどちらが評価に影響していますか?」
そもそも「専門性」とは何でしょうか。IT業界における専門性は、単なる技術知識だけではありません。それは:
- 特定の分野における深い知識、経験、スキルの集合体
- 他者が容易に習得できない、差別化された能力
- 問題解決のための体系的なアプローチと方法論
- 継続的な学習と実践によって磨かれる専門的な判断力
IT業界では特に、技術的専門性とビジネス/ドメイン専門性の両面が重要です。ただコードが書けるだけでなく、その技術をビジネス価値につなげられることが真の専門性と言えるかもしれません。
では、こうした専門性を公平に評価する方法はあるのでしょうか?いくつかの注目すべきアプローチがあります:
- 客観的な成果物の評価: コード品質、設計文書、問題解決の実績など
- ピアレビュー: 同じ専門性を持つ同僚からの評価
- スキルマトリックス: 技術スタックや能力を体系的に可視化するフレームワーク
- 360度評価: 上司、同僚、部下、クライアントなど多角的な視点からの評価
- 技術コミュニティへの貢献: オープンソース活動、技術記事執筆、カンファレンス登壇など
しかし、これらの評価方法にも課題があります。最も大きな問題は、評価者自身が評価対象の専門性を十分に理解・認識していない場合があることです。開発力が低い管理職が技術者を評価する際の困難さは、多くのエンジニアが実感していることでしょう。また、目に見える成果と実際の専門性の乖離、短期的成果と長期的な専門性構築のバランス、組織特有の「政治力」による評価の歪みなども課題として挙げられます。
一般社員時代に技術力が高かったとしも、管理職になれば忙しい業務に忙殺され、技術力や最新のトレンドに追随できなくなります。まあ、それを自身が認識できていれば救いはあるのですが、自分は凄いんだ!、って勘違いしている人が多いと思います。
ジョブ型雇用を本当に機能させるためには、こうした専門性の定義と評価の課題を正面から捉え、透明性の高い評価システムを構築する必要があるのではないでしょうか。
成果評価の失敗の歴史
某F社と言えば、日本で最初期に導入した成果評価制度が失敗に終わったことで有名です。私が在籍していた頃も、表向きは「成果に基づく評価」と言いながら、実際は上司へのアピール力が評価を左右することが多々ありました。技術力よりも、いかに「見える成果」を出せるかが重視される環境では、真の技術革新は生まれにくいものです。
スタートアップに移ってから特に感じるのは、大企業における「評価」の難しさです。スタートアップでは、個人の貢献が直接的に事業成果に結びつき、評価も比較的シンプルです。しかし、何万人もの従業員を抱える某F社のような組織では、一人ひとりの専門性や貢献度を正確に評価し相対評価することは容易ではありません。相対評価なので、自分は押したんだけど他部署に負けてこの評価になったのでゴメン! みたいなこと言われても、ああ、この会社はやっぱりダメだ!、と確信するしかないです。
ダース・ベーダー的なギーク人材の行き場
某F社のような日本の大手IT企業では、長らく「ダース・ベーダー的なギーク人材」—つまり、表に出ることなく黙々と技術を追求するエンジニア—が正当に評価されない時代が続いていました。彼らは組織の技術基盤を支える重要な人材であるにもかかわらず、声が大きく、プレゼンテーション能力に長けた人材の陰に隠れがちでした。
注: 「ダース・ベーダー」とはソフトウェア開発の古典的名著『ピープルウエア』に登場する隠語で、目立たないが卓越した技術力を持ち、組織の技術的核心を支える人材のことを指します。『ピープルウエア』(トム・デマルコ、ティモシー・リスター著)
専門性の評価は可能なのか?
最も疑問に思うのは、既存社員の評価すら十分にできていない状況で、新たに雇用しようとしている採用候補者の専門性を正確に評価できるのかということです。ジョブ型雇用を成功させるには、まず「何が価値ある専門性か」を定義し、それを公平に評価するシステムが必要です。しかし、技術の進化が早いIT業界において、それは並大抵のことではありません。
私がスタートアップに移った理由の一つは、自分の技術力を正当に評価してもらえる環境を求めたからです。大企業では複雑な組織構造や政治的要素が絡み合い、純粋な技術評価が難しいケースが少なくありません。
本当の変革に必要なこと
某F社のジョブ型雇用への完全移行と新卒一括採用の廃止は、日本のIT業界における大きな変化の兆しです。特に新卒一括採用という日本の伝統的な雇用慣行からの脱却は評価できる側面もあります。しかし、単に制度を変えるだけでは不十分です。必要なのは以下のような本質的な変革ではないでしょうか:
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評価基準の透明化: 何をもって「優れた仕事」とするのか、明確かつ透明な基準が必要です。例えば、GitLabのような企業では「貢献度ダッシュボード」を導入し、コード貢献、ドキュメント作成、メンタリングなど、多角的な視点から各エンジニアの貢献を可視化しています。某F社でも、技術的指標と事業貢献度を組み合わせた透明性の高い評価システムを構築できれば、エンジニアのモチベーション向上につながるでしょう。
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技術的専門性の尊重: 声の大きさではなく、技術力そのものが評価される文化の醸成が必要です。GoogleやNetflixのような企業では「テクニカルトラック」と「マネジメントトラック」を明確に分け、エンジニアがマネジャーにならなくても昇進・昇給できる仕組みを確立しています。某F社でも「スペシャリスト職」という制度がありますが、実質的な権限や処遇面でまだ改善の余地があります。
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縦割り組織の解体: 部署間の壁を越えて、柔軟にプロジェクトチームを組める環境が重要です。Spotifyのように「ギルド」と「スクワッド」というマトリックス型の組織構造を取り入れ、専門性とプロジェクト両方の視点から人材を活用する企業もあります。この縦割り組織を打開して問題を打破しようという動きは、内部にいた自分自身も感じていましたが、OpenWorksなどの口コミサイトの最近の評価を見る限り、まだうまくいっているようには見えません。形式的な組織改革だけでなく、部署間の実質的な協力体制の構築が求められています。
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失敗を許容する文化: イノベーションには試行錯誤が不可欠です。失敗を恐れずチャレンジできる文化が必要です。GitHubでは「Friday Fails」と呼ばれるセッションで、各自が犯したミスや失敗から学んだことを共有し、組織全体の知識向上につなげています。私の現在のスタートアップでも「ポストモーテム」の文化があり、障害やプロジェクトの失敗を非難せず、改善点を議論する場として機能しています。
最後に
某F社のジョブ型雇用への完全移行と新卒一括採用の廃止は、日本企業の変革への大きな一歩として評価できる面もあります。特に、「新卒」という区分ではなく、職務内容と必要な能力・スキルを明確にした上での採用への切り替えは、時代に即した変化といえるでしょう。
しかし、この動きを深く考えると、結局は超大企業でさえ自社で優秀なエンジニアを育てられないという現実を認めたことになるのではないでしょうか。新卒一括採用をやめて即戦力を外部から調達する方針に舵を切るのは正しい判断だと思いますが、既存社員をジョブ型雇用に移行させたことには、大きな矛盾を感じます。育成できないと判断した組織が、既存の社員に対して突然「ジョブ型だから専門性を持て」と言っても、それは本末転倒です。一貫性のある人材戦略とはいえないでしょう。
表面的な制度変更に終わらせず、働く人々の専門性や創造性が真に尊重される組織文化の構築こそが重要です。そのためには、既存社員の成長支援と新たな採用戦略の両方を、整合性を持って設計する必要があるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、20年以上メンバーシップ型雇用だと信じ切った人に突然ジョブ型ってのは無理しかないです。
スタートアップで働く今、私は日々の業務で自分の技術力を発揮(本当にできているかは・・・)し、真のエンジニアとして働いているとの実感を得ています。大企業もスタートアップも、それぞれに良さがあります。どちらが優れているというわけではなく、自分の価値観や働き方に合った環境を選ぶことが大切なのでしょう。
某F社の新たな取り組みが実を結び、日本のIT業界全体の発展につながることを、元社員として願っています。しかし同時に、形だけの改革に終わらないよう、本質的な組織文化の変革にも目を向けてほしいと思います。そして日本のIT業界全体としても、メンバーシップ型からジョブ型への移行を単なる流行として捉えるのではなく、真の技術力評価と人材育成を伴った変革として推進していくことが、グローバル競争力強化につながるのではないでしょうか。
本記事は個人的な見解であり、現在および過去の所属組織の公式見解を代表するものではありません。