はじめに
豊田工業高等専門学校 情報工学科 3年の加藤愛斗です。私は今まで技術記事をあまり書いてこなかったのですが、最近その考えを改めたので、その理由をざっくりとまとめておきます。
私が技術記事を書く理由
将来の自分のため
卑しい心の時代の私
私 「あーーエラー解決できん。まじわからん。」
数時間後...
私 「これで直ってくれ頼む!!」
私 「よっしゃーーー!!いけたーー!!!天才じゃん俺!これ解決できるの俺だけでしょ。自分だけの知識にして、みんなには内緒にして成長しちゃおっと。」
数カ月後...
私 「うわーこのエラーわからん」
私 「待てよ、どっかで見たことあるな??」
私 「あ、数ヶ月前に解決したやつだ。どうやってやるんだっけ...???」
この教訓から
エラー対処法を発信するのは、同じ問題で詰まっている誰かを助けるという目的もありますが、「情けは人の為ならず」という言葉が示すように、将来の自分を助けることにも繋がります!そのため、将来の自分に向けてラフに書けばいいと私は考えています。詳細な調査や、校閲などは必要ありません。(もちろん行うに越したことありません。他人のためにも将来の自分のためにもなります。) その簡単な知識共有が誰かの手助けとなるのです。
個人利益の追求に関しての私の考え
「個人が自分の利益を追求する行動が、自分たちがまったく意図しないうちに、他の人にも利益をもたらすことがある」というアダム・スミスの考え方がありますが、これはエンジニアとして生きていく上での話にもいえるのではないかと考えています。卑しい時代の私の「エラー対処法は自分だけの知識にしておこう」という考えは、小話にあったように最終的に自己利益につながっていません。そして、将来の自分のために記事としてまとめておこうという自己利益の追求をした結果として、同じ問題に詰まっている他の人にも利益をもたらす可能性につながっています。「世のため人のため」が出来ている人が美とされ、自己利益を求めている人は対照的に評価されますが、私は自己利益を求めてるだけでも十分素晴らしいことだと思います。(私も自分のことで精一杯で人のための行動までは手が回りません笑)
文章構成能力
エンジニアとして働いていく上で、物事をわかりやすく伝える能力は必要不可欠です。(Issueを立てるとき, PRを書くとき, etc) しかし現代は便利なチャットツールが生活に根付き、まとまった文章を書く機会というものは減っています。だからこそ、記事を書いたりして、まとまった文章を書く能力を身につけることが必要だと考えています。
エンジニアの世界にいるからには
我々の世界には、数多くの「人のために行動できる人」がいます。OSS開発者だったり、技術質問サイトで積極的に回答をしてくださる方や、自分の知見を技術記事にまとめてくれる方です。彼らを尊敬するのはもちろんですが、自分も彼らのようになれるように、エラー対処法や勉強して得た学びを技術サイトに投稿してみてください。
(初歩的なミスで詰まっていたのを共有するのは恥ずかしいという気持ちがあると思いますが、誰かが共有しないと永遠にその問題で時間を浪費する誰かが生まれてしまいます。また、自分の考えが正しいのかわからないどの不安もあると思いますが、投稿することによって誰かに指摘をされて誤りに気がつくことが出来たり、考えを深めることが出来たりすると私は考えます。← 「間違っててもいいから投稿して!」とは言っていません。間違えを恐れていたら何も始まらないということが言いたいです。誤った情報の発信の危険性は当然考慮すべきです。)
記事を書く時間
記事を書くのにはそれなりに時間を要します。私は効率主義で時間を無駄にしたくないため、記事なんて書いていられるかと思っていました。しかし、上記の前者2つのようなメリットを考えれば、記事を書く時間が無駄というような発想が間違っているということに気が付きました。
最後に
雑ではありましたが、今私が考えていることはこのような感じです。是非、みなさんも技術記事をたくさん書いて、エンジニアの世界をより良くしていただければと思います!!