胡椒とプログラム
というお題をもらったら、なんの話をするだろう。
「胡椒 プログラム」で検索して話をするのでは面白くない。
ありきたりの、ネットの偏りの上にあぐらを組んでいるような話になるかもしれない。
自分が胡椒と聞いて、すぐに思い浮かべるのは「アジア」という単語。
人によっては、「インド」かもしれない。
あるいは「金」かもしれない。
胡椒
胡椒の量り売りを買ったことはない。
胡椒を測るには、1gから1tくらいを図れればいいだろう。
計りのソフトウェアは書いたことがない。
計量器ソフトウェアクラブ
計りのソフトウェアを検査する人たち向けに、ソフトウェアの検証方法の勉強会を開催したことはある。
法定計量および計量標準におけるソフトウェア認証
特定計量器のソフトウェア認証の国際的動向について
「胡椒 アジア」検索
胡椒が歴史を動かした
香辛料
アジアの辛味・胡椒
胡椒と佛郞機 --ポルトガル私貿易商人の東アジア進出--
16世紀初頭までの南アジア・東南アジアにおける胡 椒の生産
参考文献
(1)高橋保「15世紀のモルッカ・バンダにおけるイスラム化と丁香・肉董薙貿易」Bulletin of the Sohei Naleayama IUJ Asia DeveloPment Research Programme, Vol.1. March 1989. pp.41-67.
(2)胡椒の植物学的性質や香辛料としての特徴については、下記文献を参照した。山田憲太郎『東亜香薬譜一スパイスルートの研究一』東京、法政大学出版局、1982年、254-255ページ。
(3)山田、前掲書、257ページ。
(4)Lucien Guyot, Les Epices. Deuxieme 6dition, Paris, Presses
Universitaires de France.1972.池崎、平山、八木共訳『香辛料の世
界史』東京、白水社、1987年、9ページ。
(5)中野定雄、中野里美、中野美代共訳『プリニウスの博物誌』東京、雄山
閣、1986年、第II巻、540ページ。
(7)ローマとインドの貿易については下記文献参照。EH. Warmington, The
Commerce between the Roman Empire and India, Second edition,
London, Cruzon Press,1974. H.G. Rawlinson, In te rcourse between
Indin and the VVestern MZorld, Cambridge,1926.
(8)G.R. Tibbetts, A Study of the Arabic Texts Containing Maten’al on South-East Asiz, Leiden, Brill,1979, pp.40,75.
(9)Buzurk. b. Shahriyar ed.,1(伽∂‘Ajo-’ib al-Hind.藤本勝次、福原
信義訳注『インドの不思議』大阪、関西大学出版・広報部。1978年、66、
154ページ。
(1の 『諸蕃志』に関する研究として、以下のような諸文献がある。F. Hirth&
W.W. Rockhi11, Chau Ju-leua, His恥娩on the Chinese and A rab
trade in the twelfth and thirteen th Centun’es, entitled Chuプan-chi,
St. Petersburg.1911.凋承鈎『諸蕃志校注』台北、台湾商務印書館、
中華民国56年。
㈹ 著者注大淵と『島夷志略』の成立過程については下記文献参照。杉本直
治郎「『忘れられたる帝国』その他に拾う一注大淵に関することども一」
『東南アジア史研究1』東京、日本学術振興会、1956年、579-602ペー
ジ。
また『島夷志略』の研究書として、以下のものが挙げられる。藤田豊八
『島夷志略校注』国学文庫本、1935年。蘇継底『島夷誌略校釈』北京、
中華書局、1981年。
⑲ Aldo Ricci, The Travels of Marco 1〕ヒ)lo, translated into English from the Text of L.F. Benedetto, London,1931.マルコ・ポーロ
著、愛宕松男訳注『東方見聞録2』東京、平凡社、1971年、215ページ。
⑳ H.A. Gibb, Ibn Battuta’Travels in Asia andノ吻αL 1325-1354.
Reprint edition, Karachi, Indus Publications,1986, pp.234-240.
㈱ 本書の研究文献として、以下のものがある。
凋承釣『濠涯勝覧校注』北京、中華書局、1955。小川博訳注『馬歓、瀬
涯勝覧一鄭和西征見聞録一』東京、吉川弘文館、1969年。
㈱ J.Frampton ed., The Most 1>bble and Famozts Travels of〃伽ω
Polo Together with the Travels of .〈licolo de’ Conti, Second
edition, London, A&C Black,1937, p.129.
⑫の Armand Cortesao, The Suma O万6%如10f 7b甥6 Pires and the
βoo々of Francisco Ro伽gπθs,2Vols., London,1944. Works
issued for the Hakluyt Society, II, No.89,90.生田、池上、加藤、
長岡訳注『トメ・ピレス東方諸国記』大航海時代叢書V、東京、岩波書
店、1966年。
㈲ Canes de AfonSO de A lbuquerque, seguidas de DocumentOS queαS
elucidam. Lisboa,1884-1935,7Vols., Vo1. III. pp.5-12.邦訳は生
田・池上訳注『ジョアン・デ・バロス アジア史II』大航海時代叢書、
第II期第3巻、岩波書店、1981年、補注436ページ。高橋保、前掲論文、
56ページ。
㈹J.C. van Leur, lndonesinn Trade and Society:Essay in Asinn
Socinl and Economic 1癬oη, The Hague, W. van Hoeve, pp.130,374より推定。
㈲ いまD.F. Lach, Asia in the Making of Europe. VoL I. The Discovery, Book I p.140にみえる統計表によって計算すると、1497-1579年での平均リスボンの年間帰還船隻は約4隻となるが、これはリスボンに到着した船隻であり、途中での沈没船の存在や、後年1580年代には年間5隻と規定していたこと、などを考慮して、ここでは年間5隻とした。
㈲ Jan Huygen van Linschoten, Itinenan’o, voy㎎ge of法e schipvaert naer Dost ofle PortzrgaelS Indien, Amsterdam,1596.岩生、渋沢、 中村訳注『リンスホーテン、東方案内記』大航海時代叢書皿、東京、岩波書店、1968年、762ページ補注12より推定。
ω F.C. Lane,“The Mediterranean Spice Trade”, A men’can 1跳ホo万o〃1Review, Vol.45,1940, p.587.
働 前掲『リンスホーテン 東方案内記』624、627-628、631ページ。
㈹ 浅田実『商業革命と束インド貿易』京都、法律文化社、1984年、35ページ。
㈲ 山田、前掲書、306ページでは、マラバルおよびスマトラ北西部で各々4,000 トン、としており、したがって南アジア・東南アジア合計では9,000トン近くの生産額を推定しているようである。
㈲ C.R. Boxer,‘‘A Note on Portuguese Reactions to the Revival of the Red Sea Spice Trade and the Rise of Atjeh,1540-1600”, in Po rtnguese Conquest and Commerce in Southem Asia,1500 1750.,London, Variorum Reprints,1985, pp.415-428.
参考資料
香料の道―鼻と舌 西東 山田憲太郎 (中公新書), 1977
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4121004833/
香辛料の世界史, リュシアン ギュイヨ, 文庫クセジュ.1987
スパイスが変えた世界史―コショウ・アジア・海をめぐる物語 エディット ユイグ, フランソワ‐ベルナール ユイグ, 1998
胡椒 暴虐の世界史 マージョリー・シェファー , 白水社, 2014