データに関する記事を書こう!
テーマ2『データに関する記事を書こう!』参加記事です。
きみはポラリス。統計における分類。
で、きみはポラリス 新潮文庫, 三浦 しをん を紹介した。
https://www.amazon.co.jp/dp/4101167605/
https://bookmeter.com/books/2750307
https://booklog.jp/item/1/4101167605
不思議な日常生活の短編集11話。手紙ではじまり、手紙で終わる。怖い話あり、恐ろしい話あり、暗い話あり、黒い話あり。ポラリスはポールが極という意味で、北極星のことを指す。北極星は、北半球では夜空で動かない。これらの話では、誰が動かないのだろう。著者と助産師さんは動じない。登場人物を操っている。「私(助産師)がポラリス」が本当の題名かも。あるいは「きみは(産婦)がポラリス)」で合っているのかも。解説:中村うさぎ。p.389。「が、ひとつひとつがまったく違った味をもちながらも、じつは、そのほぼすべてに共通しているテーマがひとつあるように、私には思えたのです。いかがでしょう、シェフ? どの皿にも共通して使われている、ひとつの調味料。
それは、「秘密」ではありますまいか?」
他の人の感想を読んでいて、違和感があった。
自分には合わない
プロログラムでも「自分には合わない」と思うことがある。
使うとき、書き直すとき、評価するときに感じる。
文学で「自分には合わない」と書く人は、読者視点だけで、作者視点で書いていない可能性があるかもしれない。
読者であっても、感想を書くのであれば、書き手の視点があると嬉しい。
万葉集私注 土屋文明は、読み手の視点を解釈しようとしていて勉強になる。
読み手の視点は推測しきれるものではない。いくつかの候補をあげるだけにしておくのが好ましいと感じている。
読むだけ
読むだけで、自分には合わないと思うのは、文学の消費者ではありえる。
ソフトウェアでは読むだけは、使うだけに言い換えてみる。
ソフトウェアを使うだけの消費者は、自分には合わないと思うことはありえる。
自分には合わない
書き足す、書き直す
プログラムと文学で、同じ側面と違う側面があるだろう。
文学の評論で、一人称、二人称、三人称の3つの立場がありえる。
書きての視点で述べるか、読み手の視点で述べるか、出版社を含む読み手・書き手以外の立場で述べるか。
文学における第三者は、あまり意味がないかもしれない。
評価する
読むのでも、書くのでもない評価というのは難しい。
金になるかどうかというのは、市場を巨視的に分析するだけでなく、個々の消費者の行動を微視的に分析するだけでも不十分な可能性がある。
どちらの分類にも属さない分析ができると、何か突破口が見えるかもしれない。
人の利用だけでなく、ソフトウェアの動作結果は、他のソフトウェアが利用する場合があり、網で分析するとよい。
まとめに代えて
文学とプログラムは、相似な構造が、社会的にも、人間としても、文字としての記録としての3つの軸で比較可能なのだろう。
社会的な分析では、政策組織、流通組織、法制度などについて、検討するとよい事象がある。
人間としては、発話行為の果たす役割を定式化するとよいかもしれない。
文字としては、字形、文字符号、大きさ、密度などの表現形式と、単語の出現頻度、共出現をはじめ機械学習による処理の自動化の可能性について、考察できるかもしれない。
大量のプログラムと文学を同一の学習をしたものと、
別々の学習をしたものの3つを用意して、
なにがしかの自動生成で利用するとよいかもしれない。
文学とプログラムの違いは、当初はないという前提で来た。
違いも体系的に記述するとよいかもしれない。
プログラムは詩のように描こう
programming like making a poem.
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