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たった3ヶ月のプログラミング経験のみを引っ下げてセブ島オフショア開発拠点に乗り込んだ話(前編)

Last updated at Posted at 2021-06-02

この記事は、プログラミングほぼ未経験だった私が数年前にフィリピンのセブ島にあるオフショア開発現場にてブリッジSEとしてのキャリアをスタートした頃の経験についてです。前編ではブリッジSEとして入社するまでの経緯について、後編では入社前の手続き関係から入社後の経験について書いていきます。

ブリッジSEに挑戦したい方、海外就職に興味がある方に向けて、少しでも参考になれば幸いです。

#ブリッジSEになる前の話

私は元々、大学卒業後に新卒で家電量販店に入社して店頭での販売員をしていました。そして退職後にセブ島留学とカナダでのワーキングホリデーに行き、2017年8月からセブ島のプログラミングの学校に3ヶ月通っていました。内容は最初の1ヶ月でPhotoshopやIllustrator、HTML、CSS、Bootstrapなどを簡単に学び、残りの2ヶ月でPHPを使ってとても簡単なHPを作る、というコースでした。

もちろんPHPを2ヶ月触っただけでは実践的なスキルは身に付かず、更に元々全てにおいて感覚を頼りに生きてきた私はプログラミング的思考がどうも苦手で、その学校の卒業時も仕事で使えるレベルのプログラミングスキルは持ち合わせていませんでした。

むしろプログラマーになりたいという気持ちも卒業時には既に持っていませんでした。諦めです。笑

#ブリッジSEの求人との出会い

プログラミングの学校に入って2ヶ月目、PHPの勉強も本格的になってきてそろそろコーディングに限界を感じていた頃の話です。

またその頃はプログラミングの学校の卒業を1ヶ月半後に控え、卒業後の進路についても考え始めたある日の午後、その学校のスタッフさんが突然1枚のチラシを渡してくれました。

どうやらたまたまランチに行ったレストランにそのチラシが置いてあったみたいです。そのチラシは日本の某IT大手企業がセブ島にオフィスを出すに当たりその日と翌日の2日間の日程で採用イベントを開いているという案内でした。

就職について漠然としか考えていなかった当時の私。更にそのチラシはフィリピン人向けの案内で、唯一当てはまりそうな求人も「Nihongo-Skilled Project Coordinator」という、日本語が話せるフィリピン人向けのものでした。

当時、やっとプログラミングのコードが記号ではなく文字に見えるようになってきた段階の私、もちろんオフショア開発なんていう言葉も知らず、その会社がセブ島で何をするのか全く理解していませんでした。

更に英語の履歴書も持っていなかったですし、面接に行くならその翌日しかなかったので今日の明日で面接を受ける気はゼロだったのですが、そのスタッフさんの猛プッシュと、午後の担当のフィリピン人講師が授業そっちのけで英語の履歴書作りを手伝ってくれたこともあり、翌日の朝一で採用イベントに突撃してみることにしました。

#採用イベント当日

そんなこんなで準備不足のまま迎えた翌日、恐る恐る会場のあるマクドナルドの2階の飲食スペースに足を運んだ人見知りの私。

ビビりながら階段を登り、いきなり受付の人と目があって一気に緊張が走る中、私が発した第一声は「日本人なのですが求人に興味があります。問題ありませんか?」でした。

ですがそこは流石のフィリピンの国民性。満面の笑みで「来てくれてありがとう!中に入って!」と歓迎モードで一安心。更にマクドナルドのチキンとライスセット(デザート付き)を出してくれるという、フィリピンでの高待遇で迎えてくれました。

#マクドナルド2階での採用試験

案内の資料を読みながらチキンを食べ終えた私。その後まず筆記試験を受けました。

内容は大きく2種類に分かれており、どちらもプログラミングに関するものではなく一般的な能力テストと日本語能力のテストでした。

ポジション的にプログラミング能力は問われず、日本語能力が大事だったということですね。日本人として日本語テストに間違えるわけにはいかないので謎のプレッシャーがありました。笑

無事に筆記試験を終えた後、すぐ人事面接がありました。緊張もあり英語に詰まる場面はありましたがなんとかこなしました。唯一意識をしたことは「プログラミングを勉強中ということをドヤ顔でアピールすること」でした。入社後に気付いたのですが、私が勉強していたPHPはその会社では一切使っていなかったのでアピールに意味はありませんでした。。笑

ただ日本でも同じだとは思いますが、自信を持っているように見せたのは効果あったと思います。

#色々想定外だった英語でのマネージャー電話面接

人事面接の後はフィリピン人マネージャーによる日本語面接があるとの案内を受け、彼女が来るのをマクドナルドの2階で待っていました。

しばらくして人事担当者に声を掛けられ、マネージャーが来れなくなったから電話面接にすると言われ、いきなり電話を渡されました。

対面での面接に向けて心の準備をしていたので、いきなり電話を渡されドギマギしたのが正直なところ。更に、実際は日本語のスピーキング能力を図る兼最終面接だったので日本語での面接と聞いていたのですが、私は日本人でマネージャー(フィリピン人)よりももちろん日本語が話せるので電話面接開始10秒で英語に切り替わるという災難。

人見知りにはなんともハードルの高い面接が始まりました。

#採用結果とその後

そしてなんとかその面接も乗り切り、ホッとして同じマクドナルドの2階で待つこと数分、人事担当者が満面の笑みで「Congratulations!」と言って握手を求めてきました。一瞬なんのことか分からなかったのですが、採用が決まったことを改めて伝えられ、大きく安心したことを今でも覚えています。

ただ正直、周りに流されて準備をし、当日も準備不足のまま会場に行き言われるがまま面接を受けたので実感はあまりありませんでした。

そんなこんなで後日無事に給与の交渉も終え、私のブリッジSE人生がスタートする運びとなりました。

もちろん当時はブリッジSEという職種が具体的に何をするポジションなのか知らないまま、会社のネームバリューとセブ島オフィスに日本人がいないというチャレンジ感に惹かれて内定承諾をしました。笑

ここまで長くなってしまいましたが、入社決定までの経緯についてのお話でした。入社前後に関しては後編に続きます。

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