はじめに
タイトル通りですが、昨年いっぱいで10年以上勤めた某通信事業者を退職して、2018年1月からセキュリティ要素技術を研究開発するスタートアップ企業で勤務しています。このエントリでは、転職を考え始めたきっかけなどを、初心を忘れないためにもつらつらとまとめています。それを全世界公開するのはどうかはさておき。
元所属組織をdisるエントリには一応なっていないはずですので、罵詈雑言を期待されている場合は是非とも2ch/5chの社員スレに行くといいです。1
というわけで某通信事業者ことKDDIでの、私のバックグラウンドというか思い出話をまとめていきます。世間を舐めきった中年男性のポエムということでお願いします。あくまで個人のポエムであり、元所属組織・現所属組織の意見は何も入ってません。
KDDIでの経歴
入社〜新人時代
大学の学部では無線信号処理、修士課程では数学を主軸とした通信理論の研究をしていました。学部、修士課程共々、先生方の指導に報いることなく国内発表のみで留まるのみとなっていました。今ならもっと強い原稿書けるな……と思い返すことしきりです。2
そして某大学の修士課程を出た後、2006年にKDDIへ新卒入社しました。就職活動中にお会いして、今でも仲良くしていただいているKDDIの先輩かつ出身大学のOB・OGの皆さんとお話ししたことで、入社を決めたことを思い出します。是非この方々と一緒に仕事に仕事をできたらなと思っての決断でした。他にも幾つか通信キャリア・メーカ・SIerなんかを並行して受けていました。3
さて、そんな学生時代をひとまず終え、ああようやくお金が稼げると喜び勇んでKDDIへ入社したわけです。計3ヶ月の集合研修とネットワーク運用部門での研修を経て、KDDIの研究部門へ配属ということになりました。配属先は、目下規模拡大中のセキュリティ技術を研究する部署でした。4
ネットワークか無線の技術開発を志望していたことと、全く未知かつそれまで興味を持っていなかった領域だったことで、配属先を聞いたときに愕然としていたのを覚えています。とは言え、気持ちを新たに研究者としてのキャリアを進み始めたわけでした。
新人セキュリティ研究者時代
さて、セキュリティの研究者としての第一歩を踏み出したわけです。暗号だのセキュリティだのなんだのまっっっっっったくわからないのでどうすんべという状態から、メインで始めたのは割ととっつきやすかった秘密分散法と呼ばれる技術の研究でした。具体的な研究内容はGoogle Scholarなどで検索いただければ幸いです。3年ほどかけてシコシコと数学を学び直しながら研究し、中堅研究者(自称)へのステップアップのベースを築くことになったかなと思ってます。当時の部署の同僚には、良いテーマを見つけるきっかけをもらったことを感謝しています。
さて、他にもひとりで幾つか研究テーマやKDDI本社の実用化案件など並行で抱えるのが、KDDI研究所の(当時の)スタイルでした。当然私も幾つか抱えていて、例えばワンセグ関連の仕事なんかもやってました。結構色んな所で実証実験とかしていましたが、今は昔、モバイル向けの放送ってなんじゃそれって感じですね。
中堅(?)研究者・社会人博士学生時代
さて、3,4年経って多少なり研究者としてのキャリアを積み、研究するにあたって「ああすべきこうすべき」などというエゴが出てきた時、完全に一人で研究開発をしなければならないことが多くなりました。5 このことが、研究者として独り立ちし、他(他の部署や外部の研究者)との連携を深めるきっかけとなりました。
さて、そんなとき只ひたすら論文を読み漁り頭を抱えて不安いっぱい始めた研究が、もう一度代数学の世界とセキュリティの世界の関係を見つめ直そうというものです。特に、秘密分散法とネットワーク符号と呼ばれる技術を対象として研究し始めました。とても面白く学術的貢献度も高いテーマだったと今でも自負していますが、儲かる気配がまるでせず企業の研究者としてはアウトな気がします。そうでありつつも、この内容を認めていただいた当時の上司には心から感謝しています。
そしてさらにこの研究内容を抱えつつ、某大学博士課程のパートタイムの学生になりました。毎週、時間休を取ってゼミへ通学していました。本当にギリギリのラインでなんとかサラリーマン研究者としての面目を保っていた感があります。結果、先生方に非常に厳しい指導を頂きながら、3年かかって無事「博士(工学)」を頂くことができました。ここで非常に苦しんだ分、研究者の能力が大きくステップアップした気がします。先生方には本当に頭が上がりません。
博士課程へ進学したのは、この頃から漠然とながらも社外に出て技術者として活動することを考えて始めていて、その素地を作るには何はともあれ博士号だなあと考えていたからです。この後に渡米する機会などがあったのですが、その経験からしても、博士号をこの時取得していて良かったと思っています。博士号を取るなら早い方がいい!それは間違いないです。修士課程の学生さんは、修士卒で企業で研究職を求めるより、余裕さえあれば博士課程に進んでもいいと思います。博士課程、得るものも大きく、楽しかったです。
シリコンバレー留学〜帰国
さて、博士も頂いたし次の研究テーマは……などと考えていた2012年の冬、1年外国行って研究してみたらどうだというお声が上司からかかりました。社内制度的には「留学」と呼ばれるもので、日本企業の研究所などだと割とメジャーな制度だと思います。欧米の大学に行ってVisiting Scholarをするのが普通だと思いますが、博士課程修了直後ということもあり、大学ではなく多文化の企業で、学ぶよりは働きたいと思っていました。
上記を踏まえて、当時興味のあった新しいネットワークアーキテクチャと、そのセキュリティ技術の研究をしたいんだけど、ということでシリコンバレーにある某社研究所へ打診しました。そして、Skype面接なんかを経て、Visiting Researcherへとして2013年秋から1年間滞在させてもらうことにしました。
シリコンバレーでの1年は非常に刺激的でした。コミュ障を全力で発揮したせいもあってあんまり友達は増えなかったのですが、企業間や技術者間の交流や、研究・技術開発のスピード感、日本とは別種の産学連携の密さに感銘を覚えると同時に、日本の企業や大学の良い点を再認識することになりました。また、異文化での技術者のあり方を目の当たりにし、自分のキャリアプランを深く考え直すことになりました。この辺、大学ではなく欧米企業に身を置かせてもらえて本当に良かったでです。
その後、2014年秋に帰国して2年間は、シリコンバレーとのつながりを生かしながら活動を続けました。この時痛感したのは、ネットワーク・通信理論・数学・セキュリティ、それぞれである程度以上のバックグラウンドを持っていることにより、複合分野では自分の価値が一気に跳ね上がることです。またそういった複合分野は新たな専門分野を生み出すことがままあります。研究者を志す皆さんには、専門を2つ以上持つことを強く勧めたいです。
本社への異動
と、研究者として脂が乗ってきて、技術開発プロパガンダ部隊の一翼を担える自信が出てきた2016年秋に、本社の技術企画部門へ異動となりました。社内制度により、昇進するには他部署の勤務経験が2年以上必要だそうで、これ以上研究所にいては社内でのポジションに先がないとのことでした。シリコンバレーからの帰国以降、全くKDDIの社内を見ずに社外との連携に勤しんでいたので、正直頭を抱えました。最低でも2年間技術開発の最前線から離れることで研究者としてのパスが途絶える……という不安と、社内で積むことのできるキャリアへの疑問が、このとき一気に膨らみ始めました。
とは言うもののそういう不安とは全く関係なく、KDDIの技術企画部門は非常にやりがいのある部署でした。そこでは、新しいサービスの開始に当たり、開発初期から社内各部署と協力会社を一気に巻き込むような調整業務を主に担当していました。動かすお金も非常に巨大なものであり、この仕事をすることで役に立てることが明確にわかっている事もあってやりがいを感じることができました。
転職を決めたきっかけ
よく言われるのが、KDDI本社への異動が転職のきっかけだろうということです。それはキャリアを考え直すきっかけにはなったものの、転職を決めるきっかけとしては正しくありません。たぶん、技術企画部門はKDDIの中でも有数の精鋭たちと働けるエッジーな部署であり、ここで得る組織調整や技術ロードマップの策定能力などは代えがたいものでしょう。
転職を決めたきっかけは、私のキャリア志向と会社が目指し始めた方向とのアンマッチです。
もともと私は、どこに所属するかというのにさほど興味がなく、その代わりに、自分自身が(対外的に)最前線の技術者として死ぬまで働き続けたいという願望が強くありました。そのために居るべき場所はどこか、という思考パターンでキャリアやポジションを考えてきていました。こういったキャリア志向は、シリコンバレーで得た経験が反映されたものかも知れず、また共に仕事をしてきた各国研究者・技術者に対する憧れかもしれません。組織マネジメント志向がないかと言われるとそういうわけではないのですが、まずは自身が新しい技術を作り出す主体でいたいという思いが強かったです。
さて、そういう思いを実現することを念頭に、変わりゆく社内制度と会社の目指す方向を、そしてまた30代という年齢も加味して社内を見回してみました。結果、私にとって今積むべきと思える社内でのキャリアに限界を感じました。端的にいうと、「一線級の技術者を続けるために自分が積んできたキャリアパスで、これより先を目指すならばこの会社ではない場所にいかなければないだろう」って感じです。言い方を変えれば、あの会社が求める人間には私が望むようなキャリアパスの人間は入っていなかったわけです。
また、2017年以降、休日を使っての学会活動や論文執筆(共著)は続けていたものの、表立った対外活動が全くなくなったことにより、自分自身の技術者としての対外価値が落ち続けていく不安感が拭えませんでした。
…などという「居続けることによる不安感」が高まりきってしまったことからの転職です。他の某大手研究所とかからもオファーをもらってたのですが、敢えての研究開発スタートアップへの転職です。気が狂ったのかなどということをよく言われるのですが、スタートアップでは何やっても自分の成果になるということもあり、今は毎日コード書いたり数式いじったり特許書いたりするのが全部対外活動になっていてありがたい限りです。論文もまだ書きますし、学会活動(国際会議の運営委員とか)も個人名でガンガンやっています。
KDDIについて
いい会社だと思います。給与面、福利厚生面は相当に恵まれています。加えて、同僚たちも大体は頭の回転の速く、人間としても間違いなくいい人が多いです。そしてお金があることで、社会に影響をあたえるような大きな仕事がし易いです。組織を活かして規模の大きな仕事を先導することが好きな人は非常に楽しいと思います。
ただ、全てが組織単位であることは日本の大企業の良いところであり、また悪いところでもあると思います。私のように自己顕示欲が強く、自分自身の能力を思うように武器として活かしていきたいような人はどうやっても個人としてのキャリアの積み方に限界を感じることになるでしょう。
なんであれ、楽しく仕事できる場所で、楽しくキャリアを積めるならそれに越したことはないです。私のキャリアや元所属・現所属に興味があったり相談したいことがあれば気軽に声を掛けてください。
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とは言え、昔は
面白ひどかったけど今はどうなってるか知らんです。 ↩ -
ところで、国際会議や論文誌への採録が割とイージーモードな分野もあるし、そうでないところもあってその辺が大学内や企業研究所内での評価を難しくしている一因なのは間違いないかと思います。 ↩
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当時ならではですね。今新卒で選ぶならこれらの業種は選ばない気がします。 ↩
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今でもそうなんですが、KDDIは配属先を選ぶことが全くできませんでした。学生時代にどれほど優秀な研究成果を修めていたとしても、博士課程の学生であろうとも、入社後の配属先やその先のキャリアを選ぶことはできません。それが吉と出るか凶と出るかは個人の志向次第ですね。私個人の感想では、吉と出たと今現在では思えています。 ↩
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当時組んでた目上の同僚に仕事関係の情報のインプットを意図的に突然絶たれることで、幾つかのテーマが致命的に路頭に迷いました。 ↩