最近は少し活動頻度も落ち気味ですが、自分は日本語版ウィキペディアで、管理者1やビューロクラットと言った特殊権限持ちとして活動しています。
Wikipediaを「閲覧する側」でいるだけでもそれなりには役に立つかもしれませんが、ページの「編集」ボタンを押すことから広がる世界は、本業のプログラマーをする上でも、その他のネット活動においても、かなり役に立っています。
著作権への意識、コピーレフト
ウィキペディアでは、サイト全体にCC-BY-SAというコピーレフトなライセンスがかけてあります。そして、「ウィキペディアのサイト上で編集を行う」ことはすなわち「全世界にCC-BY-SAでドキュメントを公開する」ということになるわけです。
オープンソースのソフトウェアを改造して公開することと比べれば、ウィキペディア上で既存の文章を加筆修正するほうがずっとハードルが低いこともあって、こちらでコピーレフトの世界に馴染んでいきました。
また、CC-BY-SAをかける以上、それとライセンス上両立しない2著作物については、削除していくしかありません。そのような削除依頼に携わるうちに、日本だけでなく(ウィキペディアのサーバがある)アメリカの著作権法についても、一定の知識を得るに至りました。
ソースの重要性
「誰ともわからない人間」の共同作業で「質・量ともに史上最大の百科事典」を作り上げる、という壮大な目的の中で「質」の部分を担保するために、ウィキペディアに書かれることは外部の出典に基づいたものでなければならないということになっています3。あとから記事を見たウィキペディアンでも、明記された出典をたどることで、情報元となった箇所まで到達できますし、スポーツ紙に書かれたゴシップなど信頼できない情報については、より確実なものに差し替える、消去するなど、対応も行えます。
ちょうどWELQの炎上以来、キュレーションメディア界が大騒ぎとなっていますが、著作権・ソース両面ともにウィキペディアよりもあやふやな状態でよくビジネス化していたものだな、という感想です。
バージョン管理
CC-BYやGFDLで「著作者の記載」が求められていることもあって、ウィキペディアのシステムであるMediaWikiには、過去の版をすべて記録する履歴機能がついています。そして、編集時にも「編集の要約」といって履歴に残す文言を書けるようになっています。さらに、複数人が同時編集を行っていた場合に、3-way mergeや手作業での競合解決といった機能も盛り込まれています。
後に職場でGitを使いだしたときに、「コミットメッセージ」や「コンフリクト」というのが、これらとほとんど同じものだったこともあって、すんなり受け入れられました(実際、ウィキペディア上で使うJavaScriptの開発を、MediaWikiの履歴管理システムそのままで行っている例もありました)。
「作りたいものを作る」場として
ウィキペディアでは、利用者自身がJavaScriptで自分のWikipedia環境の動きを変えることができます。
特に管理者ともなると、依頼の処理などで定型文を書く場面も増えるので、そういったものからJavaScript化して、負荷軽減となっています。当時はJavaScriptの「プロトタイプって?」というような状況だったのですが、「自分が使いたい」というモチベーションでなんとかものにしてしまいました。さらにはドキュメントを付けておいたところ、「便利そうだ」と他の人も使ってくれた事例もあります。
API、Botとエラー処理
WikipediaのシステムであるMediaWikiには、APIが用意されています。自分が(プログラムを書いて)使ったWeb APIは、これがはじめてでした。先程のような「自分で使う便利ツール」にも、APIを使った情報取得などを取り入れています。
さらには、編集などウィキペディアで行えるすべての操作がAPIを通じても行えるので、自動的に編集を行うBotも作成できます。ただ、でたらめな編集を続けて暴走してしまっては目も当てられないので、エラー処理は入念に行う必要があって、本体処理以上の手間がかかった記憶があります。
コミュニティとの対話術
ウィキペディア上では、大小様々な議論が巻き起こります。その中で掴んだポイントのようなものが、いくつかありました。
- 出典を元にした議論…上で述べたように、ウィキペディアは出典がなければ何も書けないサイトですが、ときおり出典なしの水掛け論のようなものも勃発してしまいます。
- 議論の食い違い点を探る…議論が噛み合わないときには、そもそもよって立つ前提自体が違っているのかもしれません。落ち着いて見返してみるとその違いが見えてくることがあるので、適度な冷却は必須でしょう。
- 「自分」を主語にする…よくネット上で「主語が大きい」という批判がありますが、議論の場で「少なくとも自分からはこう見えます」と、意識的に自分を主語とすることで、「こういう見方がある」という以外の不要な意味を排除できるので、余計な軋轢を減らすことができます。
- 原点に立ち戻る…ウィキペディアにあるルールは、突き詰めれば「信頼されるフリーなオンライン百科事典、それも質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」ためのものです。困ったときはそこまで立ち戻ることで、どうすべきか見えてくることもあります。他の場所でも、よって立つべき「根幹の軸」があれば、いざというときはそれを基準に判断できます。
- あくまで「意見」に対する議論…ネット上のコミュニティへの参加者は老若男女、どんな人がいるのかわかりませんし、(実際に会う用事があるようなものでなければ)分かる必要もありません。意見は意見として、論理的に対応すべきものです。