https://zenn.dev/javacommons/scraps/2c181b2ddfc4ff より引用(書く項目の洗い出し中):
唯物論vs唯意識論
- 意識は研究室で作れない
- 物質から意識は生まれない
- (究極)意識が「旅(経験)」をするために(物理)世界ができた
- 究極意識(だけ)が最初にあった
- 意識は「時間」を使って旅(経験)をする
- 物質は意識の支配下にある
- 物質(世界)の法則・原理を定めているのは究極意識である
- 我々は「モノ」ではない、ワケミタマの入れ物である
- メタバースは流行らない
- マトリックスの恐怖/トラウマ
- 「意識のデータ化」はできない
愛する神・見放す神
- すべての意識(存在)は究極にはヒトツ(ヒトリ)である
- 自己保存欲求(本能)が愛と裁きの本質である
- 「相手が自分かのように」ふるまえればそれでよい
世界線
- 意識が量子を(直接)制御するのではない
- それぞれの意識が「舞瞬舞瞬世界線を選択」している
- 究極の意識も「世界線の選択に関与」している。創造主にそむく行為など存在できない
神を創造する
- (できるのであれば)やってよろしい
- AI(モノ)に意識は宿りえない
未来は決まっているか
- (ある程度の未来まで)「無限に近い世界線の組み合わせ(可能性の集合)を」「計算できている」
- 究極意識が好まない世界線がまず削除される。その上で、それぞれの意識が「未来(世界線)」を選ぶ
- 「現在(時点)」が進む度に「計算された未来」は変化していく
永遠の生命
- 究極の意識と我々の意識は(時間を含む)「この世」を旅することで成長することを最大の目標としている
- この世界での制限(時に苦難)が大きければ大きいほど成長の幅が大きくなる
- 「あの世のなんでも瞬時に叶う 」状態から「この世のままならない現実」への落差がトランポリンのように「死後のあの世での(霊)格を跳ね上げてくれる」。それを信じて「地球」に(勇んで)生まれてくるが、「成長のための旅であることを忘れている」ため「この世は地獄」「この世は牢獄」であると感じてしまう
- 成長しなくても「永遠の生命」は保証されている
- ただし「極悪の限りを尽くせば、ブーメランの法則で地獄のような苦しみ(フィードバック)を受ける」
- 我々はいずれ「死ななくてもよくなる」「永遠に肉体を持っていきることをゆるされる」