TL;DR(今北産業)
- 大学卒業以後3回転職して4職目(?)でフリーランサーしてるけど割とどうにかなってる
- 転職のタイミングでリフレッシュするのは人生の夏休み的で強く思い出として残る
- 雇用保険制度の基本手当(=失業手当/失業保険)はしっかり申請した方がいいと思う
- 住民税や健康保険、国民年金の滞納には注意
- 突然くる恐怖感に襲われた時は友人や昔の同僚とメシにでも行ったらいい
前書き
最近「キャリアブレイク」という単語をxでみかけました。
うまいこと言うもんだなと感心した一方で、別に数ヶ月(〜たぶん数年でも)程度働くことをしなかったところで人生どうにかなったりはしないものだと思うので「ブレイク」っていうのもなんだかな、とも感じました。
昭和後期〜平成初期の頃は「ひかれたレールの上を走るだけの人生なんて」みたいなロック(?)な生き方がはやった一方で、他の人と違うことをすることに対する恐怖というか「こういうことをしたらどうなるのか?」みたいなものに対する恐怖みたいなものをSNSなどから感じることがあります。
そこで、今回はもうすぐ40歳になろうとしている私の過去のキャリアブレイクというか
転職するタイミングでの休暇についてのお話を書いてみたいと思います。
休暇の長さはそれぞれ割と違うのですが、
私は「退職して土日挟んで翌週から別の仕事」みたいなことは1度もしたことがないです。
転職遍歴
それぞれの転職するタイミングでの休暇について書く前に、
私の転職遍歴について書き出してみます。
2008-2012:新卒でキャロットソフトウェア株式会社に入社、退職
〜ここで転職1回目〜
2013-2018:株式会社gloopsに転職、退職
〜ここで転職2回目〜(このタイミングでは基本手当をもらってない)
2018-2019:株式会社クリーク・アンド・リバー社に転職、退職
〜ここで転職3回目〜(このタイミングでは基本手当をもらってない)
2019-2020:株式会社マツリカに転職、退職
〜ここで転職?4回目〜
2020〜:フリーランス開業
こんな感じですね。ではそれぞれの状況をみていきましょう。
なお、別にめちゃくちゃ記憶力がいいわけではなく、
iPhoneに残ってる写真を見返しながら書いています。
2012年:転職1回目
新卒で働いていたキャロットソフトウェア株式会社を2012年に退職します。
これはただの思い出話ですが、働いていた当時社屋移転がおりまして、
新宿三丁目から西新宿に移転しました。
その時に当時の部長が「私は丸の内オフィスがいい!」と言ってた(叫んでた)のを
とてもよく覚えているんですが、今日検索したら今は丸の内に移転されてますね。
あれから10年以上経って、言ってたことを現実にしていてすごいな(小学生並みの感想)と思います。
もしキャロットソフトウェアで働いている方がこの記事を見ていらっしゃいましたらコメント欄やxで連絡ください笑
話がそれましたが、このタイミングが一番長く休んでいる一方で
一番のんびりしていない時期でした。
なんでかというと、とにかくお金がなかったからです。
雇用保険制度の基本手当(=失業手当/失業保険)についての理解も浅く、
退職後のろのろした上で申請に行ったらそこから3ヶ月の待機期間が発生するとのことで
本当に貯金が底をついたし、何なら借金もこさえました(今は完済済み)
あとは住民税などの滞納でえらいことになったのもこの時期だったはずです。
自身の状況を説明すると様々な制度を教えてくれたりするので、まずは役所に行きましょう。
黙って無視みたいなのが一番最悪な状況を招きますので……。
なぜお金がなかったかというと一番の理由は
当時モバゲーやらグリーのいわゆるソシャゲが爆売れしてまして
「よっしゃ俺もプログラマの端くれなんだから一発あてたるか」つって
お金をアレコレ使って知識も経験も(Unityも)ない中色々やってたら一気にお金がなくなりました。
また、人生で最初のキャリアブレイクだったので
平日の昼間にふと「自分はこんな状態で大丈夫なのか?」などと恐怖感に襲われたりと
気持ち的にもあまり落ち着いてなかったように思います。
当時、不安に駆られた私と二郎食べたりしながら話をきいてくれた友人たちには感謝しきりです。
結局、当時は一発あてることができなかったものの
幸運にもモバゲーやらグリーでソシャゲを提供していた会社に転職できたことで休暇は終わりとなりました。
2018年:転職2回目
gloopsである程度のキャリアを築いたのですが、
主に当時の代表とソリが合わず退職することにしました。
この時のキャリアブレイクはかなりゆっくりした記憶があります。
ある程度のキャリアを築けたことで転職活動にもかなり自信をもって臨めていましたし、
何よりお金に困ってなかったからですね。
退職する少し前に都内から埼玉に引っ越した関係で運転免許が欲しくなったので
合宿免許をとりに行ったり、サバイバルゲームに参加させてもらったりしていたようです。
この時に合宿免許をとりに行った先が気に入り、数年後Iターンで転居することにしました。
とにかく色々と余裕のあるキャリアブレイクでいろんな思い出をつくれたなと思います。
雇用保険制度の基本手当(=失業手当/失業保険)は一度取得すると
その後何年かあけないと次もらえないという条件があったため
このタイミングでは申請しないことにしたことからも、当時の私の余裕が垣間見えます。
2019年:転職3回目
株式会社クリーク・アンド・リバー社を退職し、株式会社マツリカへ転職するタイミングです。
株式会社マツリカさんからはありがたいことに退職の何ヶ月も前からオファーをいただいたので、このタイミングも割と気持ちに余裕があったことを覚えています。
ただ、そもそもあまり長い期間をあけたわけではなかったので
長めの旅行に行ったりして過ごしていました。
別にキャリアブレイクのタイミングでなくとも長めの旅行には行けばいいんですが、
私の性分でどうしても日常生活の中でも仕事のことを考えてしまいがちなので
私としては特定の職についているわけではないタイミングの方が心身ともにリラックスして旅行ができるなという感覚があります。
この辺りは本当に人それぞれでしょうね。
ところで何がキャリアブレイクなんじゃいといった感じですが
gloopsではスペシャリストとしてのキャリアを築いていた私ですが
転職後は一転、管理職のようなことをやっている時間が長かったのでまさにキャリアブレイクなのではないでしょうか?知らんけど……
2020年:転職4回目?フリーランス開業まで
株式会社マツリカを退職後、結局フリーランスとして開業届を提出しました。
ただ、退職時にはフリーランスになろうと思って退職したわけではなかったため
結果として……といった感じではあります。
この時、申請せずに溜めておいた(?)雇用保険制度の基本手当(=失業手当/失業保険)をついに申請したのですが
例の感染症禍だったために特例で待機期間が短くなっており助かった記憶があります。
おいおい、就職しないのに雇用保険制度の基本手当貰ったんかい!みたいなツッコミが入りそうですが「自身で開業することにした」というのも立派に自分という自営業に就職みたいなものであり
そういう時はどうなるか(もっと言えば給付期間中に開業するとどうなるか)は正式に制度としてのフォローがありますので詳しく確認したい方はお近くのハローワークへお問い合わせください。
また、この時期はサイクリングにハマっていたのもあり
めちゃくちゃ自転車に乗って日焼けして真っ黒になった写真が残っていました。
小中高とデブで過ごした自分がきいたら驚くだろうなと思うのですが
身体を動かすと気持ちがすごくスッキリしますね。
体力が落ちてきたと感じる年齢の皆さん、スポーツ、おすすめです。
おわりに
技術記事じゃないとスクリーンショットみたいなものは貼れませんし、
自分のブログじゃないと個人的な写真を貼るのも違うなという感じなので
文字ばかりの簡素な記事になってしまったことをお詫び申し上げます。
アドベントカレンダーの時期のポエムとしてお許し願えると助かります。
ここまでのような感じで、お金が底をつき借金をこさえてまで
会社員生活と会社員生活の間に期間を作って生きてきた私ですが、
今もニコニコ幸せに暮らしています。
人生どうにでもなるので、学生を卒業後毎日何かに追われたように過ごしている方がこの記事を読んでいたなら、
まあどうにでもなるから大丈夫だよ、と何かの気休めにでもなれば嬉しいです。
プロニートで有名なphaさんも
(人生は)「もうだめだ」と「もうちょっとだけ頑張ろう」の繰り返し
という記事を昔書いていますし、私もそうだなと思うことが数年ごとにある感覚です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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