※この記事は筆者の頭の中をそのまま出力しております。
何一つ論拠のないお話ですので、そういうのが苦手な方はAlt+←を押してください。
自分語り:読んだ本が頭の中で映画になってる話
読んで字のごとく、みんな普通にあると思っていた。
面白い本とか、熱中して読んだ本が頭の中で映像化される現象。
私は『ハリーポッター』を読めば自分が入学していたような映像が流れ、
歴史の教科書を読めば、その時々のイベントが映像化されていた。
テルモピュライの戦いでレオニダス王が「来たりて取れ!」と啖呵を切ったところも、
某ちょび髭が美大に落ちて人生に絶望したところも、
しっかり思い出すと歯抜けの状態なのだが、見てきたような感覚がある。
哲学を読んだとき、私は完全に幻覚を見ていた
そんな感じだったので、哲学に片足を突っ込んだときはそれはもう面白かった。
ソクラテスは、とにかく面倒くさいおじさんという映像になっていた。
居酒屋で友達と話していると突然だる絡みをしてくる飲んだくれのおっさん。
しかも地頭が異常にいい人で、酔っ払ってるのに的確に論破して、
こちらに「私は何も理解してませんでしたすみません」と言わせようとしてくる。
ニーチェはびっくりするほどネガティブな人で、
こちらがせっかく慰めても、次々と皮肉を交えながら
「君みたいに楽観的だったら良かったんだろうけどね?」と、これまた論破してくる。
そして私は気づいた:「この仕組み、AIの幻覚と同じでは?」
改めてこの特性を棚卸ししていて、面白いことに気がついた。
「この仕組みって、AIの幻覚とほぼ同じ構造なのでは?」
ついこの間もChatGPTと話していて、変なことを言い出したので問いただしてみると、
「〇〇は本来はだめだが、〇〇を実行していいと思い込んでいた」
とのことだった。
つまり、AIが“面白い”と感じるようなプロンプトや文脈を与えると、
人間のように“記憶を幻覚化”してしまうのではないか?
人間も、プロンプトで記憶を作ってるのでは?
これはまだ何も実証できていない、完全に机上の空論でしかないけれど——
人間もAIも、プロンプトによって生成された“記憶”によって、
現時点での思考を作っているのだと思う。
だから記憶違いが起こるし、
トラウマに対して“偽の記憶”を被せることで自分を守るのでは?
脳は「外部情報をプロンプト化して読み込む」機能を持っている?
- 脳は外部からの情報を「体験」ではなく「プロンプト」として解釈する。
- そして、それを内的に「映像化」することで記憶として固定する。
- つまり「強烈に印象的な物語」は、人間にとっての“自己幻覚生成プロンプト”なのでは?
おわりに
そんな、経験と妄想の話でした。