数学における直観主義的な考え方は、ブラウワー(L.E.J.Brouwer)による1907年論文「数学の基礎について」"On the foundations of mathematics"においてはじめて明らかにされたと言われる。その主張としては、金子洋之(2006)『ダメットにたどりつくまで』のp.41に要約があるので以下引用する。
ブラウワー(L.E.J.Brouwer)は、1907年の博士論文「数学の基礎について」の中で初めて直観主義的な考え方を明らかにした。そこで述べられているのはおおよそ次のようなことである。数学は、数学者が行う心的な構成活動であり、したがって、その活動によって構成される数や関数や集合は、心的構成(mental construction)にほかならない。数学は本来そのような心的構成を扱うべきであるのに、論理学者(デデーキントやラッセルのような論理的傾向をもつ人々)やヒルベルトのような形式主義者たちは、そうした心的構成を記述するための不完全な道具でしかない言語を、まるでそれ自体が数学の対象であるかのように考え、数学のうちに取り込んでしまっている。つまり、彼らの数学は、本来数学が関わるべき心的構成ではなく、誤ってその言語対応物をその対象としてしまっている。そればかりか、彼らは、そのような言語的な対応物にしか成り立たない原理ー論理学の原理ーを、あたかも数学の原理であるかのように使用して、彼らの理論を作り上げている。このようなものは、数学として認められない。このように彼は主張する。もちろん、彼の論文がこのような主張のみから成り立っているわけではないが、中心となる考え方は以上のようにまとめられるであろう。
ブラウワーの直観主義は、この心的構成(mental construction)の概念が中心的役割を果たす。直観主義数学においては、なんと論理主義者と形式主義者の主たる道具である形式言語が重要視されない(数学と言語とは無関係であると主張される)など、言語を重視する数学とは一線を画すものである。
ところで、このブラウワーの心的構成という概念は一体なんなのであろうか?直観主義数学の最初の難関かつ最大の難関はこの”心的構成”と呼ばれるものが、一体なんのことを指しているのか理解することである、と言って過言ではない。