前書き・はじめに
以前から色々と考えていた心理的安全性について、昨今、個人的に考えさせられるニュースなどが多数あり、それをきっかけにしてまとめ的なものを社内で発表したのですが、それを Qiita 向けにも起こしてみました。
内容としては次のような感じです。
心理的安全性について…
- 再度、定義や背景をまとめなおしてみる
- 思想的・歴史的位置を再考してみて何が問題になっているのかを考えてみる(ホッブズ、ロック、マルクス、ゲーム理論と心理的安全性を絡めてみる)
- ↑ から出てくる私なりのまとめ
といったことを試みてみました。
これを期に、みなさんの「再考」のきっかけになればと考えています。
かなり大きく出ています🤣
勇み足なところもあるとは思いますが、その点はツッコミいただけたらw
あと、最初にお断りをしておくと…
- ある種、自分の趣味(哲学・思想)に寄せた内容です
- 紹介する考えは戯画化しているところもあります
ただ本質としてはズレないようにしているつもりではあります - また立場的には「労働者」側からの視点です
最近、考えさせられたこと……🤔💭
- Google や Amazon などの解雇や働き方を巡るニュース(例えばこれやこれ)
- イーロン・マスクと難病の社員の騒動
こういったことから、文化や価値の大切さ、そしてその壊れやすさを実感させられました(明日は我が身)。
もちろん、マクロな事象の影響によるもので避けようのないものはありますが、
回避できるものであればそうしたい、そのための大きな一つの要素として心理的安全性があるのではないかと私は考えています。
また、
の記事に触発された部分もあります。
本論
心理的安全性についての概論
定義と背景・再入門
定義
「心理的安全性」は、組織行動学を研究するエイミー・エドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語です。
エドモンドソンの著書『恐れのない組織』では何度か言葉を変えて「心理的安全性とは~」的な説明の文章があるのですが、その中から特に気に入っているものを引用します。
心理的安全性とは、大まかに言えば「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のこと
心理的安全性とは、素直に発言したり懸念や疑問やアイデアを話したりすることによる対人関係のリスクを、人々が安心して取れる環境のことである
前者はよく心理的安全性の説明ででてくるような内容ですね。
後者は「対人関係のリスク」という、エドモンドソンが心理的安全性を説明する際に特徴的に出てくる単語が含まれているのが良いです。
対人関係のリスクとは、『恐れのない組織』の原題で使われている単語 Fearless(不安・恐れがない)にも密接に絡むので、そこも意識してもらえたら。
ちなみに「心理的安全性」について興味があるならば、なによりも『恐れのない組織』や Google の記事を読んでみて欲しいです(私の記事よりもw)。
背景
IT界隈で大きく注目されるようになったのは、なんといってもGoogle による調査でしょう。
Google はこのように言っています。
心理的安全性の高いチームのメンバーは、離職率が低く、他のチームメンバーが発案した多様なアイディアをうまく利用でき、収益性が高く、マネジャーから評価される機会が2倍多い
これは Google の「プロジェクト・アリストテレス」と名付けられた「効果的なチームを可能とする条件は何か」を探るプロジェクトによる結果報告です。
プロジェクト名は、ギリシャの哲学者アリストテレスの「全体は部分の総和に勝る」という言葉にちなんでの命名です。
つまり、
- チーム > 個人+個人+… となる条件は何か?
を探ったわけで、そこの重要要素として心理的安全性が注目されたわけです。
ただし、アリストテレスは厳密にはこの文言通りには言ってない、らしいです…
https://se-scholar.com/se-blog/2017/6/23/who-said-the-whole-is-greater-than-the-sum-of-the-parts
多分、アリストテレス的には「形相」と「質料」の違いに由来している考えと言えそう
意識調査例
エドモンドソンが心理的安全性に関する意識調査をする際には、例えば次のような7つの質問をするそうです。
ここからも心理的安全性は何か、というものが浮かび上がってくると思います。
- このチームでミスをしたら、きまって咎められる。(R)
- このチームでは、メンバーが困難や難題を提起することができる。
- このチームの人々は、他と違っていることを認めない。(R)
- このチームでは、安心してリスクを取ることができる。
- このチームのメンバーには支援を求めにくい。(R)
- このチームには、私の努力を踏みにじるような行動を故意にする人はだれもいない。
- このチームのメンバーと仕事をするときには、私ならではのスキルと能力が高く評価され、活用されている。
(『恐れのない組織』から引用。(R) が付いているのは逆質問で、否定的な回答の方が心理的安全性が高いという判断になる質問)
有名な逸話
まず第一には Google での例。
これは成功例になりますが、
- 自己評価が低いチームで、リーダーが癌を告白 → メンバー間である種のカミングアウトが進み、事態が改善される方向に進んだ(背景のところで紹介した New York Times の記事の中で出てきます)
次はエドモンドソンの『恐れのない組織』で沢山出てくる失敗例。
- 心理的安全性が低い現場(医療や宇宙開発、あるいは日本の原発業界…etc)で、疑問やミスを隠ぺいする方向に働き、問題が発生 → 結果、短期的で小さな利益のために、長期的で大きな損失を被る
逸話からパターンを導くと次のようになるのではないかと思います(自作の図)。
目指したいゾーン
心理的安全性というと、その語感(特に安全性 safety)から何か心地よいものを連想しがちなところもあるのですが、エドモンドソンのまとめでいえば、必ずしもそうではありません。
図表で表すとこんな感じになります。
図表のマトリックス部分は https://gentosha-go.com/articles/-/47746 の「[図表]心理的安全性x目標に対する責任感」から引用させてもらいました。
もともとはエイミー・C・エドモンドソンの「The Competitive Imperative of Learning」に掲載されている図表の引用になり、笹野晋平氏が日本語訳したものになります。
エドモンドソンの言葉を引用するならば、次のようになります。
フィアレスな(不安も恐れもない)組織とは、知識集約的な世界にあって、対人関係の不安を最小限に抑え、チームや組織のパフォーマンスを最大にできる組織のことである
こういう組織の重要要素として心理的安全性が捉えられているわけです。
心理的安全性、その概念の原風景
ここまでで「心理的安全性とは何か?」についてまとめてきましたが、次にその思想的位置づけを試みてみたいと思います。
心理的安全性が問題となるような原風景を描けたら、という試みです。
次からは大分、私見が入りますw
原風景その1:ホッブズ vs ロック
倫理・社会などで取り上げられてご存じの方も多いと思いますが、近代思想史に名を残すホッブズとロック。
その二人の国家論を超短縮・戯画化して紹介し、心理的安全性が問題となるような原風景みたいなものを描けたらと思っています。
ホッブズとロックの(国家論的)世界観の比較
ホッブズ | ロック | |
---|---|---|
自然状態 | 万人の万人に対する闘争 | 万人が理性的に神の意志つまり自然法に耳を傾け、他人を害さず、自由と平等を維持して共同生活を送っている |
国家 | 自然状態を治めるものとしての強権的な怪物(リヴァイアサン)=暴力装置の独占的使用 | 自然権を強固に守るための互助会=民主的ツール=協働的な仕組み |
思想背景 | 革命的で不安定な激しく争っているような状況での思想 | アメリカ=新世界などをモデルとした開拓的・イノベーティブな思想 |
特徴的な画像 | 多数の人間から構成され身体を持つ巨大な支配者=リヴァイアサン 不明 - https://www.loc.gov/exhibits/world/world-object.htmlhttp://www.securityfocus.com/images/columnists/leviathan-large.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる |
アメリカの独立宣言 ジョン・トランブル; - US Capitol, パブリック・ドメイン, リンクによる |
エドモンドソンの『恐れのない組織』の中で、心理的安全性に欠けた文化の例の一つとして取り上げられたウーバー・テクノロジーズの話が出てきます。
その文化を語る言葉の中で「イギリスの思想家トマス・ホッブズが説いた『万人の万人に対する闘争』状態」という証言が出てくるのですが、これは中々に特徴的なことなのではないかと思っています
ロックについては、自然状態や自然法の根拠としてキリスト教的「神の意志」を出してくるところが今からみると批判されることも多いです。
但し、国家よりも自然法・自然権に立脚した個人が先立つという考え方は、現代においても引き継がれている思想だと思います。
ホッブズ的世界とロック的世界と心理的安全性
そんな世界観を心理的安全性に寄せて比較してみます。
ホッブズ | ロック | |
---|---|---|
主権 | 君主=国家 | 民主=個人 |
自然状態 | 闘争 | 協働 |
統治 | 管理・統轄 | 自主性・信託 |
財の扱い | 希少性=奪い合い、独占 | 過剰性=所有、信託 |
心理的安全性 | 低い世界 | 高い世界 |
すみません、絶対王政を合理化する理論的側面を強調して、ホッブズに旗色悪く書いています。
そうでない側面を強調する解釈もありますが、ここはご勘弁を💦
原風景その2:マルクス vs 資本主義
次にマルクスと資本主義の関係を取り上げてみます。
昨今、経済理論としてではなく資本主義批判が再注目されて取り上げられることも多いマルクス。
彼が資本主義の本質としていたのは「希少性」です。
万人の闘争状況の中で、市場で独占的な位置を資本家が占めるようになることを批判しています。
そこで描かれる世界像も心理的安全性を考えるきっかけにつながる、と私は考えています。
マルクス的資本主義下の労働者像
マルクス(がその思想を練り上げた時代背景的に)描く資本主義下の労働者像というのは
- 労働力しか持たない(≒資本や生産手段を持たない)ため、自分の労働力を売り賃労働を行うことで賃金を得て、それで生活をしていく
というものです。
そのため買い手市場な労働市場下では、生存ぎりぎりの最低限で賃金水準が決まる「生存費説」的状況に陥り勝ちです。
つい日本の非正規雇用の状況を重ねたくなってしまいます…
その下地には、
- 首になり路頭に迷う、という心理的不安を元にしたコントロール
というものがあります。
搾取・疎外、生存と文化
これまたマルクスの世界観や概念を、かなり戯画化して、心理的安全性に寄せて図示してみます(自作)。
生存という状況と資本の出会う場をあらためて「文化」と捉えて、
いわゆる「健康で文化的な生活」(最低限度ではない)を送れる場として捉えると、
そこは心理的安全性が担保された世界にも通じるのではないでしょうか?
もちろん、マルクスであればそこを「共産主義」という概念化をしたわけです…
ゲーム理論から語る心理的安全性
ここまでで心理的安全性の思想的原風景みたいなものを描いてみました。
次からは打って変わってゲーム理論の世界に場を移してみます。
次は心理的安全性の効果をゲーム理論的に描いてみる試みです。
ゲーム理論の囚人のジレンマ
有名なゲーム理論の「囚人のジレンマ」(1950年に数学者のアルバート・タッカーが考案)があります。
2人の囚人(プレーヤー)が別々の部屋(=互いに意思疎通できない状況)で尋問され、「自白する」か「黙秘する」かの2択について、次のような選択肢と条件を与えられます。
選択肢 | 条件 |
---|---|
お互いに「自白する」を選択した場合 | どちらも懲役5年 |
お互いに「黙秘する」を選択した場合 | どちらも懲役2年 |
片方が「自白する」を選択し、もう一方が「黙秘する」を選択した場合 | 自白した方は懲役なし=0年、黙秘した方は懲役10年 |
これを行動と懲役の関係を表にすると次のようになります(いわゆる利得表。主に Wikipedia を主としつつ、この記事やこの記事を参考に自作)。
ゲーム理論としてのキモは、
- 全体最適(パレート最適)からみた場合 → 両者が黙秘して、両者ともに懲役2年の解
となるのに、
- お互いに自分の利益を追求すると(相手の行動に依存しない最適解を求めると) → 両方自白して、両者とも懲役5年(ナッシュ均衡な解決)
になってしまうという点です(そこをもってジレンマとするわけです)。
このような厳密な定義としては、相手に対する猜疑心や不安(自白するのではないか…)に関係なく決まる点がゲーム「理論」たる所以ですが、実際の現実での誘因を考えると、猜疑心や不安は重要な要素になってくると私は考えます。
その心理的(安全性)なフレーバーをかけてみた結果を表化してみると、
陥りやすい方向 | 目指したい方向 |
---|---|
お互いに自分だけの最適解を取ろう、相手が裏切るかもしれない=自分だけが損をしそう、相手を出し抜こう、といったように考える | 互いに自分だけの利益を取らない、相手と協調できる=両者の得を取れる、相手と協働しよう、といったように考える |
利己的・不安・疑心暗鬼ベースの思考 | 利他的・安心・信頼ベースの思考 |
ある種の狡猾さ(ある意味で頭がいい) | ある種の素直さ(ある意味での愚直さ) |
ナッシュ均衡寄り | パレート最適寄り |
心理的安全性の低い環境で起こりやすいこと | 心理的安全性の高い環境で起こりやすいこと |
といった風になるのではないでしょうか?
スパイト(いじわる)行動とゲーム理論
このようなゲーム理論的考えを、公共財を巡る場面に応用・実験したものがあります。
これは経済学者の西條辰義氏が考案して実験したゲームなのですが、
- お互いに手持ちとして 10ドル持っている
- お互いに手持ちのお金から出し合う(0~10ドルの任意の額)
- 互いに出したお金の合計額×1.5 分のお金を互いに受け取れる
という図示化すると、
となるようなゲームを考案しました。
上記の説明と元としたのは https://note.com/keisemi/n/n73d26684f44a の記事になります。
図もこちらからの引用になります。
これは公共財を巡る行動を考察するたのモデルで、
皆で財を出し合って公共財を作り、結果、それが皆の財として返ってくるような場合にどういう行動をとるかを考察・実験するためのモデルです。
これを元に西條氏が実験を行ったところ、ゲーム理論的にみれば自分の持ち分を全て出すのが個人の観点からも最適なのに、一定数の「出さない」被検者がいたそうです。
出さない被験者の理屈は次の通り。相手が出し自分が出さねば、相手の取り分は15、自分は25となり、両方で出し合う場合の取り分の30よりも少なくなるものの、相手よりも取り分が多くなります。そのように考えるなら、出さなければ相手を出し抜くことができるのです。自己の取り分を減らしてまで相手の取り分をよけいに減らす行為を「スパイト(いじわる)」行動と名付けました。
西城氏の考察・実験の真骨頂は、さらにこのゲームを改良して実験を行い、スパイト(いじわる)行動に対する懲罰的なスパイト行動を起こせるようにしたゲームでの実験結果の話の部分です。
ここではスパイト行動の結果として、見た目上は親切心や利他的な行動と同じような結果になることがある、という考察に至っています。
しかもそれが、国際比較では日本人に顕著な傾向なのかもしれない、というのです…
これから語るように、私自身はスパイト行動によるスパイト行動の排除で全体最適を目指す方向は避けたい・不健康な方向だと考えますが、皆さんはどうでしょうか?
このようにゲーム的状況に心理的要素が絡んでくると、単に利得表では表しきれない行動傾向が出てきたりします。
シャデンフロイデとまでは言わないですが、人の行動には悪意・ずる賢さが含まれてくるのも世の常です。
ゲーム理論から考える目指したいもの
ゲーム理論ではある種の限定・制限された条件がつき、その中で利得表に表される最適解を考えます。
一方で、そこに心理的(安全性の)面を考慮すると、また出てくる解も変わってきます。
そう考えると、不安、疑心暗鬼、スパイト行動や不正、悪意、ずる賢さといったものが…
- 起こりにくい環境やインセンティブ
- 起こすと逆に損する環境やインセンティブ
- ゲームそのものを ↑ のような方向に設計する
を整え、これにより全体最適な(≒パレート最適な)行動を起こりやすくするということが思い浮かびます。
そのような状況というのは心理的安全性が高い状況と言えるのではないでしょうか?
まとめ
心理的安全性の定義を踏まえつつ、それを思想史的な流れやゲーム理論の流れに敷衍してみました。
そのうえで、私なりのまとめを記してみます。
ダメな状況の指標
これあくまで指標の一つですが、以前に触れた Google の調査が、
これは Google の「プロジェクト・アリストテレス」と名付けられた「効果的なチームを可能とする条件は何か」を探るプロジェクトによる結果報告です。
プロジェクト名は、ギリシャの哲学者アリストテレスの「全体は部分の総和に勝る」という言葉にちなんでの命名です
つまり
- チーム > 個人+個人+… となる条件は何か?
を探ったわけで、そこの重要要素として心理的安全性が注目されたわけです。
だったとすると、
- 全体が部分の総和に劣る状況 = チーム <個人+個人+個人…
砕けた言い方をすれば、
- 個人で話すといい人なのに、組織になるとダメ
といったような状況は、組織としての心理的安全性が低い状況の指標の一つとして考えることができます。
先のゲーム理論的文脈では、利己的行動、ずる賢さや悪意、スパイト行動が勝つ状況とも言えます。
あるいは思想史的考察を踏まえると、価値や文化の独占が起きて批判をしにくい状況とも言えます。
必要なこと・目指したい方向
心理的安全性から考えると、ここで必要なこと・目指したい方向というのは、
- 圧力や命令、不安によるコントロールではなく
- 合意や自発、心理的安全性ベースな文化による共存共栄
ではないでしょうか?
心理的安全性に必要な要素とは、
- 民主的(対話と合意)
- 公正さ、率直さ
- オープンマインド、否定しない、受容、信頼
- 性善説的な心理的推測
- 協働
- 失敗できる、失敗から学ぶ
といったものです。
(エドモンドソンの書籍に散りばめられている用語のピックアップや、今までの考察から浮かぶ要素)
その心理的安全性を高めて安定させる文化的なスタビライザー(安定装置)・仕組みは、
- 文化としての明言
- 積極的には、そういう行動が評価・賞賛される習慣やインセンティブ
- 消極的には、スパイト行動やずる賢さへを批判する習慣やディスインセンティブ
- 採用としての方向性
- 時には退場を迫ることも必要
といったものが考えられます。
例えばエドモンドも『恐れのない組織』の中で次のようなツールキットを提唱しています。
これにより猜疑心や悪意がコストとして嫌われる状況を作り、より目指したい方向に向かいやすくなると思います。
文化は、壊れやすく、壊れて初めて気づくことも多い存在です。
時には、悪意やずる賢さ、様々な不安によるコントロールにさえ晒されます。
壊れる・壊される前に心理的安全性のスタビライザーを組み込んで維持・発展させてみてはどうでしょうか!
弊社(Prop Tech plus)での取り組み例
最後に、私が所属している Prop Tech plus での、心理的安全性を高めそうな取り組みを取り上げてみます。
Slack での times 文化。esa での自己紹介
いわゆる
を弊社でもやっています。
仕事のことに限らず、フランクに色々と書き込みがあります。
そこから会話が広がったりというこも多々あります。
また、esa という情報共有情報共有ツールを使っているのですが、そこに自己紹介ページがあります(自主的な「部活動」ページなんかもあります)。
ここから話題につながることもあります。
バーチャルオフィス(oVice)の活用
リモートワーク同士の協働・コミュニケーションの場としてバーチャルオフィスの oVice を活用してます。
この場を活用して、ミーティングしたり、雑談したり、パーティーをしたりしています。
面白い試みとしては、ポモドーロパーティ!
皆で集まって一緒にポモドーロ・メソッドの時間割消化をやる感じのパーティー(?)です!
休憩時間には集まったメンバーでの雑談時間になってます。
なかなか仕事に新鮮に取り組みつつ、雑談もできますし、疑似オフィス感がより味わえます。
親睦会費を使ったコミュニケーションや各種イベント
毎月、複数人数での飲食(一人ではダメということ。二人以上であればオフライン・オンラインどちらも良い)で自由に使える親睦会費というのを、一人当たり 3,000円まで会社に経費申請ができます。
普段接触がない組み合わせでのコミュニケーションもあったりなど、なかなか貴重な場になっています。
定期的にイベントなども開催されています。
イベントとはちょっと趣きが違いますが、その時々の選抜メンバーによる斜里町でのテレワークを定期的に行っています(コロナ下では休止していましたが)。
Session/Gig での発信・議論
Session とか Gig とか名前がついているのですが、もちまわり(強制ではない。どちらかというと話題がある人が手を挙げる感じ)で登壇するプチ社内カンファレンスがあります。
これまた技術の話もあれば、最近自分が取り組んだこと発表、昨今流行りのデスクまわり公開会、会社の方向性に関する考えの話や趣味や自己紹介まで、話題は豊富です。
時間の許す限り質疑や議論もあるので、職場内の様々な考えを率直に交わせる場になっていると思います。
Slack の #ありがとうチャンネル
Slack に「#ありがとうチャンネル」というチャンネルがあります。
これと連携した Slack Bot を用意してあって、様々なチャンネルの投稿のショートカットからワンアクションで、感謝を示す一言コメントと+該当の投稿へのリンクを投稿できます。
もちろん投稿でのリアクションやスレッドでのコメントなどで直接に感謝やお礼を伝えることはありますし、そちらも良いのですが、感謝の言葉が一つのチャンネルに集まり、だれがだれにどういうことで感謝しているかが分かることで、コミュニケーション環境的に変わったり気づきがある部分も大きいです。
もちろんこの行動は強制ではありません。
(大っぴらにやる、というのを好まない人も当然いますし)
#team_コミュニケーション推進部
↑で書いたありがとうチャンネルの元となった活動がありまして、その専用チャンネルもあります。
それが「team_コミュニケーション推進部」。
どうしたら、特にリモートワークの環境下(弊社は現在、基本的にフルリモートでの勤務となっています)でのコミュニケーションが、無理強いなく促進できるかを議論したりしています。
(最近はあまり活動できていないのですが…)
個人的には+コストが見合えばですけど、Colla みたいなサービスを導入して効果をみたいと思ったりしてます。
参考情報
それぞれの参照元となるようなものは、都度リンクを掲載していますのでそちらを参照してみて下さい。
心理的安全性については、心理的安全性の定義と背景・再入門のところで触れたように
を読んで欲しいのですが、今すぐ参照できるものとしては
なども参照していただけたら。
大雑把に書いたところでいうと、ホッブス・ロック関係はあらためてという意味では、
で復習していました。
簡易的な分かりやすい解説としては
辺りや Wikipedia の
といった記事や、関連する記事を深堀りしてみる、とかが良いかと思います。
マルクス関係は、なんというか今までの色んなところからのインプットからの抽出という感じで、これだというのが私からは難しいので、これまたリベラルアーツガイドの記事でお茶を濁します…
以上、長い記事にお付き合いいただきありがとうございました!