#サイバーボランティアアドベントカレンダー第一日目です。
##サイバーボランティアとは
最初は主催のhiro_matsuo2が書かせていただきます。
自分が語るのにおこがましいかもしれませんが語らせてください。
いろんな形で現在行われています。
いちばん有名なのはCodeDojo・Code For Japan・Code For Japanブリゲード・消防団・Hack For Japan・IT-DARTです。
主な活動としては地域の問題解決と災害時のボランティア活動です。
###有名な活動は
・OpenDataの普及
・OpenStreetMapのMappingパーティ
・Wikipediaパーティ
・小さな情報相談室
・もくもく会
・年1回のCode For Japanサミットとブリゲードミーティング
・シニアプログラミングネットワーク活動
・プログラミングの普及活動
・CivicTechを広げる活動
です。
###私のボランティア所属またはボランティアとして所属しいた組織は
元所属
・大垣ジュニアリーダーズクラブ
・大垣消防団北分団
現所属
・Hack For Japan
・Code For Japan
・Code For Nagoya
・Code For Kanazawa
・Code For saga
・Code For Aichi
・Code For Gifu
・Code For Mikawa
・CivicTech Japan
・IT-DART
・CodeDojo天白
です。
##サイバーじゃないボランティア経験は
ボランティアを始めたきっかけは実は13歳に兄貴に連れられて大垣ジュニアリーダーズクラブに行ったときに面白そうだったからだったんです。
実はそれまでは乗り気ではなかったんです。
俺がやっても何もできんのじゃないだろうかと思っていました。
実は連れられていってみると意外と面白いじゃんということでそこからサイバーじゃないボランティア生活をしています。
高校時代には実は多くの小中高生と付き合いがあり中高生は後輩として育てるということも行っていましたし運営も高校時代に携わっています。
それ以降は実は専門学校に進んだわけですが資格を取得するのが当たり前の時代です。
資格勉強に没頭していました。
21歳のときの経験が活動を始めたきっかけです。
実は阪神・淡路大震災は自分が21歳になりたてのときに発生しました。
しかも、成人式であって二日後に消息を絶ってしまった同窓生の多さにびっくりし消息確認のため自分の足で駆けずり回った経験があります。
その後は仕事に没頭していたわけですが。
こともあろうかプログラマーで行っていた会社に消防団の分団長さんがお見えになり消防団に所属することになりました。
先輩方も面白い人が多く楽しく過ごさせていただきました。
5年で仕事や体調の問題もあり退団しました。
##サイバーボランティアを始めたきっかけ
転職活動がうまく行かず新聞配達していた時期に起きたのが東日本大震災です。
現役の消防団員でびっくりどころではなくすぐTwitterに飛びついて津波に対する避難とスマホをつけろ・位置情報を流せと呼びかけていました。
当時はなにせ今では当たり前になった探すアプリがない時代です。
探し方は実は自分は知っていました。
それは携帯キャリアのネットワークエンジニアをしていた時代があったからです。
携帯キャリアは実は位置情報の特定依頼があればすぐにでも取り掛かれることを知っていました。
それをいち早く伝えたわけです。
測定方法は実はCSIやNCIS LAなどの海外ドラマではビジュアル的にしてるように流れていますが実際はコマンドを携帯番号で流し地道に三角測量をするってことです。
ネットワークエンジニア時代の知恵が役に立ったってわけです。
このあとは岐阜県スマホプログラミング育成生になりスマホプログラミングの勉強に没頭するわけですがそこでも出会いがあります。
俺はなにかしたいなぁと思ったときABC(Android Bazar Conference) Tohoku2012に行く期間を得て偶然にも自分は初東北上陸をしました。
ここで感じたことが自分をサイバーボランティアに駆り立てたわけです。
都市部は復興していても地方の復興はまだでした。
なにかできることがないかと思い入ったのがHack For Japanです。
東北での活動の最後の方に入ったので作業的には少ない状況でしたがサイバー空間でもボランティアができるということを教えていただきました。
実はCode For Japanが立ち上がったきっかけのNHK Superプレゼンテーション終了後のHangoutその場に見学参加していたのです。
これが立ち上がったら参加したい。
これが今のCode For Japanとサイバーボランティア活動を本格化するきっかけになりました。
2年間ガッチリとやっていましたが実はその時実は自分は重病の治療中でした。
それは慢性B型肝炎で拡散アナログ(バラクルード)治療をしていました。実はHBC-RNA Taqmanの数値が9台という重症患者でした。
実はこのことをCode For Japanの一部関係者にしか伝えていませんでした。
Code For入る以前にFBの友だちになっていた人には伝えてましたが心配させてはいけないのでCode Forの組織全体にはこの話は隠していました。
今はセロコンバージョン状態になり元気に活動できています。
たまに先週みたいにグロッキーになりますがねwww。
スマホプログラミング育成生の時代から治療を始め一番治療のきつい時期をガチでサイバーボランティアにつぎ込んでいました。
2014年2月の首都圏大雪のときはリポーターとしてクライシスマッピングに参加しています。
二年半で身体の限界が来てしまいました。
1年半ほど治療に専念するためサイバーボランティアをROMという形で続けさせていただいてました。
##サイバーボランティア再開したわけ
それは熊本地震が起きたからです。
その時からふと思うことはなにかサイバー空間・SNS上でなにかできないか考えていたということです。
消防団をもうすでにやめていてCode ForをROM状態になっていて一般職に逃げていた自分はやることを探していました。
ここでできることもやはりサイバーボランティアでした。
結局はサイバーボランティアとしての活動復帰となりました。
その後はCode ForはROM状態のままの活動復帰となりました。
現在はCode Forの活動を再開しIT-DARTとしても動いています。
実は黙っていられない状況だったんです。
それからは情報コーディネーターとして動くことになりました。
取捨選択や重要な情報の投稿が主な役割です。
今はFBで災害が起きるとすぐにボランティアグループが立ち上がりますがその時は自分からこれはやばいと思った時に投稿を行い立ち上げる状況でした。
いつも青山学院大学の古橋先生(ごめんなさい。年齢が近いため自分は古橋くんと読んでしまいます)と立正大学後藤教授とともに活動していました。
##なぜ今回クライシスマッピングを行ったのか
今年の台風15号のときですが情報が反乱していて非常にまずい状態になっていました。
まとめる方法はExcel形式やGoogleスプレットシートにまとめるなどされていればいいのですが文字が氾濫してしまっていました。
NHKの災害情報も地方自治体の情報も文字情報の氾濫状態です。
これが自分は許せませんでした。
これを解決するのにはやはりビジュアライズが必要になります。
古橋くんはDRONE BIRDを立ち上げてくれてました。
現地の被害情報はこれで手に入ります。
重要な情報が文字として氾濫してしまってる事に気が付きました。
これではだめだと思い今回自分はクライシスマッピングを主催しました。
ですが。なかなかうまく行きません。
ほぼ一人で活動していましたがそれなりに良いものができたと思います。
理由はいま時点では文字情報が溢れすぎてしまいその情報から拾い上げ位置情報もすべて手で登録しないといけない現状があり素早く動ける人が主体となってしまい自分が偶然にも空き時間がありそれをクライシスマッピングに当てました。
早くできたわけはただの偶然だということです。
##今後活動の上で必要なもの
活動のためにはやはりいろんな立場の人間が必要ですしフォーマットが必要になってくると思います。
正直今回困ったのは実は文字ベースでのクライシスマッピングを行うのは非常に非効率であることがわかりました。
機械化できるようにしていくことが今後の課題かなと思います。
自分はエンジニアでありCivic Hackerでもあります。
ツールを作ることでなにかできないか模索中でその第1段階のアイデアをアーバンデータチャレンジのアイデア部門にエントリーしました。
必要なものといえば災害情報の統一フォーマットです。
Webなどで出す文書を一定フォーマットに従って出してもらう必要性が発生しています。
これは自治体・報道機関・国政全てにおいて言えることです。
FBグループの情報氾濫を防ぐ意味も持っています。
できればFBボランティアグループでも使う統一フォーマットとして使うことも考えていきたいと思っています。
災害情報を文字情報でまとめても意味がありません。
その都度マップに落とす人間が検索するのでは限界だと自分は思います。
これが必要になります。
クライシスマップの一般化とクライシスマップ作成の自動化するために自治体と協力していくことが今後の自分ができることだと思います。
長文に付き合っていただきありがとうございました。