「ミッシー」なんか、嫌いだ!
私たちの周りは、「ロジカル思考」や「システム思考」であふれてる。
”そんなことない!” という人もいるかもしれないが、少なくとも私の周りはそうだ。
たとえば、MECEがある。
MECEは”Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive”の略で、いわゆる「モレなく、ダブりなく」という「ミッシー」等と呼ばれているやつだ。呼び名はかわいいが、どうも機械的で、味気がない。
ただ、何かにつけ「ミッシー」は私たちに襲いかかる。
”このテーマは、要素をヌケなく、モレなく、ダブりなく取り上げた?”
不確実性回避の傾向が強いとされる日本人には、好む好まざるに関わらず、この闇に突入してしまいがちなのかもしれない。いずれにしても、私たちにとって“なじみ”あるものとして日常に君臨させてしまっている。
科学や合理主義、合理的な知や情報だけではどうにもならないことも多いのに、どうにもならないとわかっているのに、なぜかこれらに縛られてる。
「デザイン思考」って何?
こんな閉塞感から脱出したい・・・ 私たち(少なくとも私)は、羨望のまなざしを「デザイン思考」に向けているように思う。
たとえば、「デザイン思考」は、”共感する(EMPATHIZE)”からはじまる。
”共感かぁ”・・・ 共感という言葉だけで共感している自分に気づく。
「ミッシー」から解放させてくれるんじゃないかという期待も(勝手に)膨らんでくる。
####共感する:
ユーザーが何をし、何を言い、何を考え、何を感じているのかについての知識を深めるために、調査を行います。(中略)この段階では、実際のユーザーに話を聞きます。 ユーザーが何をしているのか、どう考えているのか、何を求めているのかを直接観察し、「何がユーザーのモチベーションを上げるのか、下げるのか」、「どこでフラストレーションを感じるのか」などを自問します。目標は、ユーザーとその視点に共感できるだけの観察結果を集めることです。
####定義する:
すべての調査を統合し、ユーザーの問題がどこに存在するかを観察します。ユーザーのニーズを正確に把握することで、イノベーションの機会を浮き彫りにすることができます。(中略)「定義」の段階では、「共感」の段階で収集したデータを使って洞察を深めます。観察結果をすべて整理し、ユーザーの現在の体験に類似性を見出します。様々なユーザーに共通するペインポイントはありますか?満たされていないユーザーニーズを特定します。
####アイデアを出す:
定義段階で特定した満たされていないユーザーニーズを解決するために、さまざまなクレイジーでクリエイティブなアイデアをブレインストーミングします。自分自身とチームに完全な自由を与えます。どんなアイデアも突飛すぎず、質より量です。この段階では、チームメンバーを集めて、さまざまなアイデアをスケッチします。そして、チームメンバー同士でアイデアを共有し、ミキシングやリミックスを行い、他の人のアイデアをベースにしていきます。
####プロトタイプ:
アイデアの一部を実際に触って表現してみます。この段階の目的は、アイデアのどの部分が機能し、どの部分が機能しないかを理解することです。この段階では、試作品へのフィードバックを通じて、アイデアのインパクトと実現可能性の比較検討を始めます。
####テスト:
ユーザーにフィードバックをもらいます。「このソリューションはユーザーのニーズを満たしているか」「ユーザーの感じ方、考え方、タスクのこなし方が改善されたか」を自問します。
プロトタイプを実際のお客様の前に出し、目標を達成しているかどうかを検証します。
####実行する:
ビジョンを実行に移します。あなたのソリューションが具体化され、エンドユーザーの生活に密着していることを確認します。これは、デザイン思考の最も重要な部分ですが、最も忘れられがちな部分でもあります。ドン・ノーマンが説くように"We need more design doing"。
デザイン思考は、実際にデザインを行うことからあなたを解放するものではありません。それは魔法ではありません。
ミルトン・グレイザーの言葉が響きます。
「創造的なタイプというものは存在しない。とても時間のかかる動詞であるかのような。**創造性とは、頭の中にあるアイデアを現実のものに変えることです。そして、それは長くてむつかしいプロセスなのです。**正しいやり方であれば、それは仕事のように感じられるはずです」
デザイン思考は組織に大きなインパクトを与えますが、真のイノベーションにつながるのは、ビジョンが実行されたときだけです。デザイン思考の成功は、エンドユーザーの生活の一面を変えることができるかどうかにかかっています。この6つ目のステップである「実行」が重要なのです。
「デザイン思考」は「ミッシー」からの解放の決め手になるか?
「デザイン思考」は、”機械的で”、”味気がない”「ミッシー」とは打って変わって、”やさしさ”や”柔軟性”を感じる。
ただ、共感しながら、満たされないニースを特定って具体的にはどうすればいいんだ?!
”「デザイン思考」は魔法ではありません”、”長くてむつかしいプロセスなのです” ともある。
なんというか、ありがたいお話を拝聴した後、なにかもの足りなさを覚えたときのような感もある。
”己の修行や鍛錬が足りない半人前のお前にはむつかしいかもな”といわれているような感もある。
こんな私の心理にも”共感”してほしいものだ。
デザイン思考のルーツはKJ法?!
こんな時に、以下の記事にめぐりあった。
**デザイン思考の起源は日本にあり!**KJ法だ!?
また、以下の記事には、
スタンフォード大学d-schoolの先生に**「日本人はデザイン思考を学ぶ必要はない、デザイン思考は我々(アメリカ人)が日本人から学んだグループ思考の方式だから」**と言われた?!
少し話がずれたが、
私は「デザイン思考」が、まだまだ腹の奥のほうには収まっていない。
カーナビに例えると、”目的地付近です。ルート案内を終了します” ・・・すまん、まだ目的地が把握できていないから、もうちょっとフォローしてくれぇ~ という感じである。
「デザイン思考のルーツはKJ法」であるならば、こんどこそ腹の奥のほうに収めることができるんじゃないか。
「デザイン思考」とKJ法はほんとに同じ?
KJ法は「言語情報をポストイットに書いてまとめるやつでしょ?」と認識されていることが多い。(私もその一人であったが)これは完全な誤りである。
以下の通り、一連のアプローチを伴ったやり方であり、考え方となっている。
「問題提起」~「観察」にあたる部分が、”共感”に相当するのではないか?。
ムリに一致させる必要はないが、
- あるサービスを利用するユーザーは、何をし、何を言い、何を考え、何を感じているかということから理解するなら「観察」~となろうし、
- あるサービスは利用するユーザーにとって何か?というところから理解するなら「問題提起」~となろう。
- その後、「発想」の過程を経て、”満たされないニーズの特定”=「仮説の採択」につながる。
・・・「デザイン思考」とたしかに同じだ。
KJ法は私たちの救いに
「デザイン思考」のなかで、もっとも大切で、もっともむつかしいのが、一番最初の「共感する(EMPATHIZE)」~「満たされないニーズを特定する」までの過程であると私は思います。
”「デザイン思考」は魔法ではありません”、”長くてむつかしいプロセスなのです”という内容は、
”「KJ法」は魔法ではありません”、”長くてむつかしいプロセスなのです” ともいいかえることができますが、KJ法にはこの過程を導く方法・考えがあります。多少の心得は必要ですが、目的地に近づける可能性を格段に上げることができます。
※新しいものを生み出し続けていたかつてのSONYは、当時会社をあげてKJ法が適用されていたそうです。
「システム思考」は肌に合わないではなく、これだけでは解けない
いかなる課題も《テーマ・命題》が決まれば、要素を明らかにすることで対処できます。
《テーマ・命題》が明確ならば、「要素を分解する・それらを料理する」という、上から目線の態度で向き合うことができますが、「そもそも対象や相手はどんな状態にあるか?」というのは、《渾沌》と向き合わなければなりません。
「どんな状態にあるか?」というのは、そもそも料理できるものではありませんので、まずは”共感しなさい”ということになのでしょう。
上図に示した通り、
“望まれるモノを、システム思考で、料理する”
ということと、
“データに語ってもらう姿勢で、渾沌と向き合い、対象や相手の状態を構造として把握する”
ということは、あたりまえかもしれませんが、まったく異なるものです。
《渾沌》を相手にする前に、「システム思考」で料理しようとするからうまくいかない ことが多いのだと思うのです。
《渾沌》を相手にするというのは、すべての課題やテーマに対していえることです。
それぞれに固有の《渾沌》があり、それぞれの《渾沌》が「どのような状態にあるか?」ということを構造として理解できる/できないが、結果を左右する といえます。
がんばらなくっちゃなぁ。