ルワンダでのオフショア開発とソフト開発企業の経営と育成のお話の第3回になります。
自分としては、ちゃんと宣言通り週次で追加できているのはかなり珍しい気がしますが、これも公開した記事に反応いただけることによるものだなと思ってますので、引き続きルワンダでソフト開発会社を立ち上げたストーリーをお伝えしていければと思います。
これまでの記事はこちらでご覧いただけます。
第1回
第2回
第3回の内容
前回の続きが中心になります。
開発輸入実証事業を通し、ルワンダのエンジニアとの作業や、様々なイベントのなかでの体験を書きつつ、ルワンダのソフト会社WiredIn社立ち上げに至るあたりの内容を想定しています。(いけるか・・?)
実証事業中のエピソード
一緒に残って仕事してくれるエンジニアたち
開発輸入実証事業は、今回のような新しい取り組みを支援してもらうことが出来ますが、そこにかかる人件費や事業者の資産になるようなものへの支出は出来ません。
すなわち、実証事業だけにフォーカスすることはできず、我々の会社としての通常の業務である受託開発を行いながら、ルワンダをオフショア先とするための取り組みをしていくことになりますので、やはり最初は大変なところはありました。
我々の事業規模的にも、実証事業のためのトライアルのプロジェクトというわけにいかず、実際の案件をの中から、ある程度影響をコントロールできるもの、言い換えると、仮にうまくいかなくても自分達でやり直してなんとかなる範囲の開発パートを切り出しながら徐々にルワンダオフショア化をすすめました。
事業の中で、ルワンダに出張する機会はトータルで4〜5回あったのですが、いずれも出張しつつも、進行中の開発案件を進めていく必要がありました。出張中は普段のようなリモートではなく、せっかく来ているのでプロジェクト関係者で1箇所にあつまって仕事しようということで、集まって仕事をしました。
この当時はまだ会社は立ち上がっていないので、現地パートナーであるAlainに頼んで、ルワンダの他のエンジニアで信頼できる人を連れてきてもらい、パートタイムの開発メンバーとして参加してもらっていました。また当然現地にオフィスもありませんので、現地にあるコワーキングスペース、kLab(ケーラボ、と呼んでいます。よく日本のKLabさんの関係?と言われますが、まったく関係ないです。)のマネージャーに相談したところ、コワーキングスペースのあるビル内にある彼のオフィスの1室を貸してくれるとのことで、そこで集まって作業しました。
余談ですが、この時場所を融通してくれたマネージャーとは、やはりなんだかんだとイベントがあるたびに顔を合わせることが続き、昨年また別の事業において、ビジネスパートナーとなりました。
出資を決断をしたミーティングの中で、「知り合って長いけど、ついに一緒に仕事する日がきたね」と、笑ったものです。やはり物事どう転ぶかわからないなと思います。
そして借りた場所で数日に渡って作業してたのですが、実はこのときかなり納期的には切羽詰まっていました。
私自身、エンジニアでもあり、その当時は今よりももっと実際のコード書いていましたが、納期が近いため、私は可能な限りその場所に残って作業を続けるつもりでした。
そして、夕方近くになったタイミングで、開発メンバーに
「もう夕方だし、適当なところで切り上げて帰ってくれていいよ」
と話をしました。彼らはわかった、というので、そのうち帰るだろうと思いながら自分の作業を進めていました。
で、しばらくたっても誰も帰ろうとしません。
おかしいなと思って、もう一度、「そろそろ帰ったら?」と話しました。でもやはりしばらく様子を見ても帰りません。
それで、聞いてみました。なんで帰らないの?と。
そうすると、
「納期が近いのはわかってるし、リーダーであるあなたが作業しているのに、自分らだけ帰れない」
というのです。
あ、そういう感じなんだ。と思いました。
そもそも納期が近い状況において、開発者が遅くまで作業を強いられる状況はマネジメント側の問題であり、全然美談でもなんでもないとは思っているのですが、とはいえ、現実問題、ソフト開発において厳しい時期というものはありますし、そう言った時に頼りになるのか、そう言ったお願いの仕方はできない前提でやらないといけないのかは、心理的には非常に違いがあります。
アフリカは歴史的経緯では、ヨーロッパ諸国の植民地時代が長くあり、仕事に対する関わり方はどちらかというと欧米型なんだろうなと漠然と思っていましたが、そうでもないんだなと思った瞬間でした。(ただし、アフリカの他の国が同じかはわかりません。)
あれは・・合コンなのか??
私がルワンダに行くときは、よくここ
https://www.chezlando.com/
に泊まっていました。
(今見たら1泊すごい高い・・以前は一泊7~8千だったのに・・・これが円安・・・)
このホテルには、レストランとバーが併設されており、特に予定がない夜はホテル内のレストランで食事(というか飲み)を取ることが多かったのです。我々外国人からすると、まぁ普通の値段のホテルかなと思いますが、地元民からするとちょっといいレストラン、という位置付けのようでした。
ある日、同じようにレストランで夕食をとっていると、15〜16人ぐらいのグループが、テーブルを繋げて大きな席を作って座っていました。最初は特に気にしてなかったのですが、よく見ると若者たちで、男女比半々ぐらいでした。
飲み会か何かかなぁ、騒がしくなるのかなぁと思いたまにチラチラと様子を見てたのですが、しばらくたっても静かです。
どんどん気になってきて、横目で注目していると、特に仕事がらみで真面目に会議してる感じでもなく、逆になんだかモジモジしながら男女で話をしているようにも見えます。
もしかしてあれは日本で言う合コン的なやつ・・???
何してるの?と割り込んで聞くこともできず様子を見ているだけでしたが、そのうち騒がしくなることなく、静かなまま解散していきました。
一緒に食事してた人たちと、あれはなんだったんだ・・・?となりました。
あれがいわゆる合コンであったと断言はできないですが、仮にそうだとして、ルワンダの人、結構シャイな人が多いです、実際。
体大きいのに話すと、恥ずかしそうにボソボソっと喋る人も割といる印象で、ここでもアフリカの人に対するステレオタイプなイメージが崩されるだけでなく、あぁ、こういうところも日本人っぽいと思えるポイントでした。
日本にルワンダ人エンジニアを招聘。展示会へ参加。初めて訪れる海で悪戯のつもりが大変なことに。
実証事業の中で、現地の関係者を日本に招聘することもでできるので、毎年幕張やビックサイトで開かれているIT系の展示会に出展することにし、現地からAlainと、もう1人エンジニアを招聘しました。
Alainについては、前回記事で書いた通り、アメリカで学業をした経験があることなどから、いろんな国にに行った経験はあるのですが、もう一人は、隣国に行ったことはあるが、アフリカ大陸は出たことはないという人でした。
そんな彼にとって初めてくる日本は、いろんな驚きがあったようです。
それで、オフの日に、どこか観光に連れて行こうということでどこに行きたいか聞くと、海に行きたいと。(ちなみにこれまで日本に招聘した人たちに、どこに行きたい?と聞いて、海を見に行きたいといったルワンダ人は彼だけではなかったです。)
それで、電車に乗って鎌倉〜江ノ島に連れていきました。
そこで一通り観光して、海岸で海を初めて見るよ〜みたいな話をしている流れで、軽い気持ちで
「ちょっと味見してみたら?」
と、言ってしまいました。ミスです。
私は、指にちょっと海水つけて舐めてみるぐらいのイメージで話しましたが、それは海のしょっぱさを知っているからの話であって、彼はそんなこと知りません。(知識としてはあったとは思いますが)
おもむろに両手で海水をすくって、口に入れようとしたのです。
あ、やばい!と思って Stop!と止めにかかりましたが、すでに口に含んでしまいました。
止めたのですが、それでも少し飲んでしまったようで、その場ですごい勢いでむせ返ってしまいました。
ペットボトルの水やお茶も手元になく、とにかく落ち着つかせ、それから水を買ってことなきを得ましたが、ほんとそのあとは彼には謝り倒しました。
あまりない状況だとは思いますが、自分の当たり前が当たり前ではないケースがあるということで、、、改めて勉強になりました。
Donatien・・・ごめんな・・
アフリカ開発会議(TICAD-5)での新たな出会い
今でもそうですが、アフリカでなんらかビジネスや取り組みをするというケースは、当時もやはりあまり事例はなくて、そのため、そのような取り組みをしている人たちの情報はすぐに入ってきます。業界が狭いと言いますか・・
TICAD(アフリカ開発会議)と呼ばれる国際イベントがあります。
当時は5年に1回、アフリカ諸国の首脳を日本に招いて、アフリカの開発課題に関してさまざまな議論を行う国際会議です。
今現在、2013年の第5回からは、3年毎に改められ、開催場所も日本だけでなく、日本とアフリカのどこかの国で交互に開催する形になっています。
2013年の第5回の際、アフリカで我々がおこなっている取り組みを聞いて、サイドイベントで登壇してもらえないかとご相談をいただきました。この話を持ちかけて下さったのが、神戸にある、神戸情報大学院大学(https://www.kic.ac.jp/) で、詳しくはまた別の回で紹介したいと思いますが、その後日本で一番ルワンダ留学生が在籍する大学院となり、我々の人材育成面で大きな連携をさせていただく所でした。
こういったことであったり、例えばちょっとTVで取り上げられたり、雑誌の記事にしてもらったり、TICAD-6で総理大臣ミッションに同行させてもらったりといったことが後に起こりますが、こういったことが起こるのも、一般的にメジャーではない国や地域で活動を行うときの特徴であり、面白い点だと思っています。すでにたくさんの日本人、日本企業が進出しているところに今から行っても、中小の場合は全く目立ちもしませんからね。。
引き出しに残ってた、「ありがとう」と日本語で書かれたメモ
これも、実証事業期間中にあった出来事ですが、日本に招聘したエンジニアも常にどこかに訪問したりというわけでもなく、イベントや企業訪問がない日は東京のオフィスで進行中のプロジェクトを一緒に進めていました。
1週間ほどの日本滞在が終わった後、ふと期間中メンバーの一人が使っていた机の引き出しをあけると、付箋が一枚残っていました。何か書いてあるなと思いみると、「ありがとうございました」とひらがなで書いてあったのです。その彼は、結構寡黙なタイプで、最初はあまり面白いと思っていないのかな?とか思っていましたが、そういったメッセージを残してくれる優しいタイプの人なんだなと、妙に感動した記憶が残ってます。ちなみにその彼は、帰国後、日本のアフリカ人留学生受け入れプログラムに応募、合格し、前述の神戸情報大学院大学に入学。
卒業後、長期インターンとして日本のオフィスに戻ってきてくれました。
インターン後はルワンダに戻り、現地のWiredIn社に就職、長くリードエンジニアとして活躍してくれました。その後につながる人材育成〜採用のモデルケースとなりました。
WiredIn社、始動!
やっとここまできました。WiredIn社、立ち上げです。
最初のきっかけとなるアプリ開発から実証事業を通して取り組みを行うこと約2年半。当初は、単に安いオフショア先が見つかったぐらいのノリから始まりましたが、いろんな人や組織・団体、機会に恵まれ、これは事業として十分にやれそうだという感触だけでなく、ルワンダを起点としアフリカ市場のポテンシャルに対して挑戦できる場だと思えるようになっていました。
取り組みの中で、様々な現地や地域の社会課題も見えました。
何かの社会課題の解決の力になろうと、それを目指してアフリカ・ルワンダにやってきたわけではありませんでした。
しかし、ルワンダ現地において、ソフトウェア開発会社を組織し、現地の人を雇用・育成し、日本だけでなく世界から仕事を獲得してく。また、そのようにして経験を積んだ地元の開発会社が、地元でのソフトウェア開発のニーズを満たしていく。これができるようになるだけでも、事業として十分成り立つだけでなく、1つの社会課題解決に対する貢献にもつながるという大きな意義も見出すことが出来ました。
カウンターパートであるAlainも、同じく事業に対してポテンシャルを感じていてくれたのだと思います。
新たなソフト開発会社を立ち上げ一緒にやっていこうという話、我々なりのアプローチで1つの社会課題に挑戦していくビジョンに対して、全く意見がぶつかることもなくあっさりと合意し、2014年1月、ルワンダの首都キガリ市に、会社を登記する運びとなりました。
ここに、WiredIn社が誕生しました。
次回
なんとかWiredIn社設立のところまで書き切れました。
この次は、具体的なシステム開発の話として、時差、距離、言葉の問題がある中で、我々がどのような体制を作って開発プロジェクトを進めているかなどを共有できればと思っています。
続き