基本的な概念
命題とは
真偽が定まる数学的主張
命題の間の演算が定義でき,演算の結果も命題である.
「p⇒q」という形の命題のとき,pをこの命題の仮定,qを結論と言う.
記号論理学では真偽の定まった言明を命題と言う.
命題とは真か偽かの2つの値しか取らない変数だと考える.
このとき命題の事を命題変数ともいう.
誤解しやすい論理の基礎
pとqが命題であるとき,「pまたは (or,∨)q」には注意が必要
それは,pとqの少なくとも一方が真のときに真であり,
両方が偽であるときにのみ偽となる命題のこと.
日常語で,
「A君は社会または理科の試験が満点だった」
と言うと,両方の試験が満点の場合は除外されているように聞こえる.
しかし,数学の論理としては,両方とも満点の意味も含まれる.
たとえば,
「整数nは2の倍数であるか,または3の倍数である」
と言うときには,nが6の倍数であっても構わない.
「ならば」が私たちの常識とは少しズレている理由
個別の命題の真偽について私たちが持っている様々な情報が,複合命題としてのならばの意味の解釈を邪魔しているという側面があるから.
「ならば」の日常語と論理学との使い方の違い
pとqが命題であるとき,
「pならば(if p, then q,⇒)q」の否定文を「p⇒¬q」
と言う人がとても多いが,これは誤りで,
「p⇒q」が主張していることは,「pが真のときはqも真になる」ということだけであって,
pが偽の場合は,qについてはどちらでも構わない.
したがって,
「p⇒q」の否定文は「pかつ(and,∧)¬q」
- 日常的な例
「体温が38℃以上ならば病院に行く」
というと,
体温が37℃で病院に行く
のは除外されるように聞こえる.
しかし,数学の論理としては,37℃で病院に行っても構わない.
ある人が「この仕事が成功しなければ辞表を出す」と言ったとする.
命題 p =「この仕事が成功しない」
⇒ ならば
命題 q =「辞表を出す」
この言葉が偽となるのは
「仕事が成功しない」(pが真)にもかかわらず,「辞表を出さない」(qが偽)の場合のみ.
「仕事が成功しない」(Pが真)かつ「辞表を出す」(qが真)ならば,約束を守ったのであるし,
「仕事が成功」(Pが偽)かつ「辞表を出さない」(qが偽)ならば,やはりその人は嘘を言わなかったことになる.
「仕事が成功」(Pが偽)かつ「辞表を出す」(qが真)場合も,嘘を言ったとはみなされないであろう.
すなわち,先の言明では「仕事が成功」(Pが偽)の場合のことは何も言っていないのであるから,辞表を出しても出さなくても真である.
「この仕事が成功しなければ辞表を出す」は, 「仕事が成功 (Pが偽)と 辞表を出す (qが真) の少なくとも一方が正しい,の短い言い換えであり,
論理学における「p ならば q」は,「p でない,と q である,の少なくとも一方が正しい」の短い言い換えなのである.
数学用語としての,"ならば"は時間経過を含まない.
"ならば"という言葉は日常経験では因果関係を表す.
因果関係である原因と結果は,常識として,原因は結果の前にあり,時間経過も含んでいることに注意.
記号論理用語の"ならば"は数学として因果関係を表さなくてもよい.
"あるいは"は日本語としても時間経過を含んでいない.
必要条件,十分条件 の覚え方
それは最低限「必要」なこと
それだけやれば「十分」
必要も積もれば十分となる
トートロジー
トートロジーとは,内容を問わず形式的にいつでもただしくなるほかはない命題.
一般に,ある複合命題が,その中に含まれている命題変数の真偽のいかんに関わらず,いつでも正くなるとき,その複合命題をトートロジー(恒真式)という.
トートロジーを同義語反復ということがあるが,内容の如何に関わらずいつでも形式として正しいということになれば,トートロジーを「正しさ」の1つの判断基準として採用することができる.
すなわち,万人が認める正しさとはその命題がトートロジーになっていることだとする.
演繹とは
正しいと認めた事実(公理)から出発して論理を組みあげ,物事を理解する考え方のこと
ある一定の事柄を真であると認め,それだけを根拠にして様々なことを論理的に証明するという考え方.
演繹と言う思考法は,多様な個人の間で正しさを共有する可能性を探るためのもの.
三段論法とは
p が真 と, p⇒q が真 であることから, q が真 がわかる
p⇒q が真 だからといって, p が真 と q が真 は無関係.
冷静さを失うとこれらのことを混同しがちなので注意.
公理もしくは公準
推論の基礎となる規則のこと.
個人の間で共有できる最低限の正しいこと.
数学では1番初めに,いくつかの命題を証明なしに真であると認めて議論を展開していく,特別な命題のこと
定義とは
対話を誤解なく進めるための言葉の取り決め
定義や公理に含まれないことは,すべて論理的に証明されなければならない.
すべての命題を公理と認めてしまえば何も証明しなくて済むだろうと思われるかもしれない.
しかしそれは,何を正しいと思っているのかを私たちひとり一人が過不足なく完全に共有していると仮定するようなもの.
この仮定は,他者が独自の価値観や信念を持つことを認めない危険な考え方だと言える.
個人の間で共有できている(正しいこと)は少ないと仮定する方が現実的.
それはまた,他者の考え方を尊重するという事でもある.
したがって,公理と定義だけから出発して,論理的に議論を進めていけば,議論の参加者全員が納得できる結論を得られるだろう.
参考文献
1) 戸川, 中嶋, 杉原, 野寺:『インターネット時代の数学』共立出版, 1997.
2) 芳沢光雄:『算数・数学が得意になる本』講談社現代新書,2006.
3) 結城浩:『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』ソフトバンククリエイティブ,2009.
4) 竹山美宏:『日常に活かす数学的思考法』化学同人, 2011.
5) 瀬山 士郎:『なっとくする数学の証明』講談社, 2013.
6) 沢田 允茂:『現代論理学入門』岩波書店, 1962.