過去70年間にどのようにアメリカがすべての友人を失ったか
このポストはKan Nishida氏による、How America has lost all her friends over the last 7 decadesの日本語訳です。
先日、Jeremyのウィークリーニュースメールで紹介されていた、1946年から2015年12月にかけての国連のすべての加盟国のすべての投票記録を持つこのデータに触れる機会がありました。元のデータは次のとおりです。
「ccode」は国コード、「rcid」は国連総会決議のID、「vote」は各国の決議投票結果を示しています。たとえば、値「1」は「はい」を意味し、3は「いいえ」などを意味します。
適切な国名と年の情報をマッピングした後、解決IDを列にピボットしてみました。すると投票結果はこのように見えます。
アメリカ、イスラエル、中国、ロシアを2013年の記録から選んでみると、米国とイスラエルは投票結果がほぼ同じです。中国とロシアはわずかに違いがあり、米国とイスラエルほど投票結果は一致しません。
このことから、米国とイスラエルは互いに緊密で、ロシアと中国はお互いに近いが、米国とイスラエルからは遠く離れていると直感的に言えます。この考え方をすべての国、年、決議に拡大し、それぞれの国がどれほど近いか遠いかを見ることができます。上記の例で、米国とイスラエルのように同じ投票パターンを共有している国が2つある場合、その両国は親しい「友人」であると言えます。もしそうでなければ、彼らは「友人」ではないと言うことができます。
そこでデータをExploratory Desktopにインポートし、Rの ’dist’関数の’Euclidean distance’アルゴリズムを使って国間の距離を計算し、 ’cmdscale’関数を使って ’多次元スケーリング’アルゴリズムを適用してみました。これによって、次のような2次元空間内で各国間の類似点や相違点を容易に視覚化できます。
円の大きさを使って国連安全保障理事会の常任理事国と日本を、他の国と区別していることに注意してください。
ここでわかるように、米国は他のすべての国から遠い位置にいます。しかし、これは1946年から2014年までのすべての年のデータに基づいており、これでは各時代ごとの詳細はわかりません。そして、ご想像通り、国際的な関係は時代とともに劇的に変化してきました。特に冷戦時代にヨーロッパが東と西に分かれていた時からは、大きな変化があります。
つまり、もっと短い期間でそれぞれの期間についての関係を見た方が、より興味深いことがわかりそうです。では、どの期間を選ぶかといえば、各米国大統領の任期よりも良い期間はないでしょう。米国大統領の任期は通常4年から8年です。たとえば、2009年1月20日から2015年12月23日までのオバマ政権時代のデータのみをフィルタリングし、距離を再計算した場合、以下のようになります。
元のデータには2015年までしか含まれていないので、これはオバマ政権時代の完全な描写ではないかもしれないことに注意してください。
米国には親しい友人が少なく、他のほとんどの国々から遠く離れていることがわかります。そして例外的に、比較的近い距離にあるミクロネシアのような太平洋島嶼国と一緒に、イスラエルと親しくしているのがわかります。
英国とフランスが集団から少し離れていることを除けば、ヨーロッパ諸国のすべてがお互いに非常に近いことも分かります。欧州諸国の中心はどこでしょうか?それはドイツです。そしておそらく、これが英国がEUから脱出したかった本当の理由なのかもしれません。そして、赤いヨーロッパ諸国の周りの青い円は、基本的に日本、韓国、トルコのような「欧米化された」アジア諸国であり、ヨーロッパ諸国とどれほど近いかを見ることができます。
しかし、最も印象的なことは、中国に多くの友人がいるだけでなく、その重力が、中南米、アジア、アフリカの非西欧諸国のほとんどを強く引き込んでいるということです。中国はこのクラスターの中心に位置しており、国際関係に大きな一極を作り出しています。
私は、国連の国が、ヨーロッパの極、中国の極、超孤独な米国の極の3つの極に分かれているとは思いませんでした。これはいつの時代でも、このようになっていたのでしょうか?ブッシュ政権下で、フランスやドイツなどの国を含む国連を無視して、米国がイラクと戦争を起こしたため、米国は自ら他の国から離れていったのでしょうか?中国はいつも最も人気のある国だったのでしょうか?歴史的背景を考慮すると、中国よりも友人が多そうなロシアには何が起こったのでしょうか?
これらの質問に答えるために、トルーマン政権からオバマ政権に至るまでの米国の各政権の任期の期間を見て、何年にもわたって国際関係がどのように変化してきたかを見てみましょう。
ではトルーマン政権から始めましょう。
トルーマン政権 (1945年から1952年)
この時代ロシアはソ連であったこと、そして1971年まではまだ国連のメンバーではなかったことに留意してください。
これは国連の歴史の始まりであり、米国は実際に自分の周りに多くの友人を持つことができました。ここで見ることができるのは、図の右側に東ヨーロッパのクラスターがあり、図の左側に西ヨーロッパのクラスターがあり、そしてどちらのクラスターに属さない国が下の方にいるという点です。ちなみに、日本はまだ国連に復帰が認められていませんでした。まだ国連のメンバーは少ないので、次はアイゼンハワー政権の時代に移りましょう。
アイゼンハワー政権 (1953年から1960年)
この時代、ラテンアメリカには多くの友人がいます(紫)。ヨーロッパの国々(赤)は今日のようにお互いに接近していません。アフリカ諸国(オレンジ)、アジア諸国(青)、ラテンアメリカ諸国(紫)は、別々のクラスターを形成しています。日本はイスラエルに近い位置にあることがわかります。
ケネディとジョンソン政権 (1961年から1968年)
ケネディ政権はわずか2年しか続かなかったので、これら2つの政権を一緒の期間にしています。 この間、米国は依然として西欧諸国のすべてに近いようです。ラテンアメリカ、アフリカ、アジアの国々が互いに近づき、「非同盟」または「第三世界」として知られるようになり、西ヨーロッパと東欧の国々から分離してクラスターを形成しています。図の右側では、西側諸国がお互いに近づいているのを見ることができます。図の左側では、共産主義諸国が互いに密接に接近しており、西側諸国よりもはるかに緊密であることがわかります。日本は真ん中からやや右に方で、中南米やヨーロッパのクラスタの間に位置しています。
では、ニクソン政権時代に移りましょう。
ニクソン政権 (1969年から1973年)
全体的に、以前の期間とのあまり明らかな違いはありませんが、注意すべき点がいくつかあります。 「第三世界」諸国はさらに近づいています。欧米諸国は、ドイツ、フランス、イギリス、ポルトガルのクラスターと、カナダ、イタリア、オランダ、ベルギーのクラスターに分かれています。そして、米国は他の西側諸国から少し離れているように見えますが、まだそこまで離れていません。もう一点は、中国(中華人民共和国)は、1971年に国連に加わったので、共産主義のクラスターに比較的近いものの、他のクラスタの間の中間的な位置にあるということです。日本とオーストラリアの距離が前の政権の時よりも近くになっています。
フォード政権 (1974年から1976年)
米国は、他のすべての国からさらに孤立し始めました。そして、これは、イスラエルが注目に値するほど米国に近づき始めた時です。アフリカ、アジア、中南米諸国は、お互いにもっと近づいています。ここで興味深いのは、共産主義のクラスターは、前の時期とほぼ同じように見えるということです。この時代も日本はオーストラリアに近い位置にいます。
カーター政権 (1977年から1980年)
米国はいくつかの西ヨーロッパ諸国に少し近づいています。非同盟諸国が近づく傾向もこの期間も続きましたが、中国が共産主義のクラスターに近づくのではなく、この非同盟諸国の極に吸い込まれるようになってきています。前の政権の時と比べて、日本とオーストラリアから若干離れ、フランスや英国以外のヨーロッパ諸国と近い位置にいます。
レーガン政権 (1981年から1988年)
米国は自らを他の国々から引き離し続けました。ここで興味深いのは、とても孤独に見える国が他にもあるということです。その国は南アフリカです。南アフリカはアパルトヘイト政策のために自らを隔離していましたが、これは国際的に大多数に反対され、1994年にネルソン・マンデラが大統領に選出されるまで続きました。非同盟諸国が近づいているというもうひとつの傾向は、この時代も続き、中国はこの極にさらに引き込まれています。この当時、中曽根首相とレーガン大統領の「ロン・ヤス」関係という強いトップ同士の信頼関係がありましたが、日本と米国との距離は特に縮まっておらず、むしろイタリア等のヨーロッパの国と距離が近くなっています。
H.W. ブッシュ政権 (1989年から1992年)
ソビエト連邦やその他の東欧諸国が崩壊し、共産主義のクラスターが見つからなくなった時です。そして、これは、中国が「第三世界」クラスターのほぼ中心になったときです。その間、米国は自らをさらに引き離し続け、イスラエルは他の西側諸国と行動を共にするのではなく、米国と行動を共にすることを決めたようです。日本は他のアジア諸国のクラスタからは遠く離れ、ヨーロッパ諸国のクラスタに近いところに位置しています。
クリントン政権 (1993年から2000年)
これは今日の位置関係にかなり近いです。 3つの明確に区別できる極、第3世界、ヨーロッパ諸国、米国があります。米国とイスラエルは、他の国々から自分たちをさらに切り離そうと決心したようです。ロシアはヨーロッパクラスターと第3世界クラスターの間にいます。これは、西側にとって、最も親しみやすいロシア大統領だったエリツィンが1999年まで大統領の座にいて、ロシアと西側諸国との関係が今日からは想像もできないほど良好だったからです。日本は再びオーストラリアに近づき、共にヨーロッパ諸国のクラスタの周辺に位置しています。
W. ブッシュ政権 (2001年から2008年)
この期間では、2001年9月11日に米国がテロ攻撃を受け、米国はプーチン大統領のロシアを含む多くの国が支援したアフガニスタンを攻撃することに決めました。またフランスとドイツのような西側同盟国を含む多くの国々が反対するなかイラクも攻撃することにしました。 アメリカとイスラエルは、この期間蜜月状態を続け、太平洋諸島のいくつかの国を仲間に招き入れました。ロシアは中国が中心である第三世界のクラスターに吸い込まれています。第三世界とヨーロッパのクラスターの重力は非常に強く、その間に国はほとんどありません。日本は韓国と共に、ヨーロッパ諸国のクラスタの周りに位置しています。
オバマ政権 (2009年から2014年)
この期間は、前の期間とほとんど同じですが、いくつか興味深いことが起こっています。アメリカとイスラエルはいくつかの太平洋諸島諸国と親しい友人として密接な関係にありますが、カナダとオーストラリアは以前の時代と比較して、このクラスターに近づいています。ここで興味深いのは、イギリスとフランスは、ドイツがクラスターの中心に座っている間、他のヨーロッパ諸国と一定の距離を保ち続けていることです。ちょっと現実的ではないかもしれませんが、次にEUを去るのはフランスかもしれません。(注意:これは2016年7月時点での分析でした。その後フランスのEU離脱は極右政党の台頭によって現実となりかけましたが、中道派のマクロン政権の成立により、現在は遠のいているように見えます。)最後に、第三世界のクラスターは中国のクラスターになっているのがわかります。その重力は非常に強く、これらの国々はより緊密になっています。日本は前の政権の時と同様にヨーロッパクラスの周辺に韓国と共にいます。
これまで見てきたように、米国は必ずしも一人ではありませんでした。特にアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン時代には多くの友人たちがいました。米国は以前は自由と民主主義の世界のリーダーでした。多くの国が米国のリーダーシップに従いました。しかし、フォード政権のあたりから、米国は、自分と一緒に歩いていくのを辞めた他の国々から離れ始めました。その傾向は、その後の期間も続き、さらに悪化しました。
しかし、ここで最も重要なことは、米国はイスラエルといくつかの太平洋諸島の国しか友人がいない一方、中国は非西洋世界の中心になって多くの友人がいるということです。トランプの米国大統領選挙運動に代表される、米国のポピュリズムが、米国を他国から隔離していることについて私たちはよく話題にします。しかし、長い間米国が国連でどのように投票してきたかという視点では、すでに世界から孤立しているのです。アメリカがかつて偉大だったという主張について、トランプは正しいと言えるでしょう。あるいは少なくとも他の国々はそのように考え、国連で米国と一緒に歩んだのです。しかし、すべての国が、既に米国抜きで中国とドイツのいずれかの側にいて、それで何も問題がない現状を考えると、アメリカを再び偉大にする方法は、自分の議題だけを主張することによって、さらに他の国々から遠ざかることではないのかもしれません。
中国のような国が、世界全体に賛成し難い政治的議題を押し付けてきたらどうなるのでしょうか?自由と民主主義を守るために米国だけが戦うつもりなのでしょうか?本当にアメリカ最優先だけで十分なのでしょうか?あるいは、最優先であるべきなのは、国の始まり以来、米国がそのために戦ってきた自由と民主主義なのかもしれません。 最後に、私は政治学や国際関係の専門家ではありませんが、これらの科目について学ぶのが大好きです。これまで述べてきた項目で、いくつかの重要な点や文脈を見逃していることもあるでしょうし、また私の所見のいくつかは鋭さにかける点があるのも事実です。しかし、私にとって、最も興味深いのは、国連総会の投票記録に基づいて、各国の関係をすばやく視覚化することができたことであり、視覚化から私が観察したことが、論文や記事、特に地政学の専門家によって書かれたものから大きく外れたものではないという点です。これは、データ、統計、ビジュアライゼーションを合わせることのパワーを示しています。
次のポストで、私がどのようにデータを準備し、段階的に分析したかについてお話します。しかし、それをすばやく見たいのであれば、チャートをここで共有しておきます。
データソース:
Voeten, Erik; Strezhnev, Anton; Bailey, Michael, 2009, “United Nations General Assembly Voting Data” — リンク
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