2000年に発表された「21世紀の基本測量 ~電子国土の実現に向けて~」(平成12年12月 国土地理院政策懇談会)の13ページ以降に電子国土構想のことが書いてある。私が重要と思う表現を抜き出してみると、次のとおり(太線はこのエントリの執筆者による)。
21世紀には地理情報へのニーズが拡大し、その内容も多様化する。特定の機関がすべての情報を整備し供給する手法では、多様な情報ニーズを満たすことは難しい。多くの地理情報の作成者がその情報を公開し、利用者が自ら必要な情報を探して自らの責任で目的に応じて加工し利用することで対応しなければならない。
「電子国土」は、...分散システムである。
当面の目標は、国の行政における地理情報の共有と統合利用であり、それを踏まえ、地方公共団体も含めた国土管理行政での活用を図る必要がある。
「電子国土」を構成する地理情報は、それぞれの情報の生成者の下に分散して管理されるため、情報の更新が迅速に行えるとともに、最も信頼性の高い情報となる。利用者は、これらの多様な情報を自由に統合して活用することにより、それぞれの立場で適切な国土管理を効果的に行うことができる。
特に、災害対応等の危機管理にあたっては、リアルタイムな災害情報を提供することにより、国や地方公共団体等災害対応にあたる機関や研究者が適時的確に状況を把握し、迅速に対応することが可能となる。
政策の選択や施行に関する情報を、国民、NPO、企業、行政等が共有することにより、共同して国土管理を推進する社会の形成が促進される。
「電子国土」が活用されるためには、...情報を利用者が自由かつ容易に「自分の好きな態様で」加工・表現するためのコンピュータシステムが求められる。
多様な地理情報を利用者に負担をかけずに統合して表示する仕組みと手法が用意されなければならない。
上記は、情報技術者の観点からみた電子国土構想の要点であろう。また、DFFTやベース・レジストリの萌芽もすでにここに見えているとも言える。平成12年は2000年なので、かなり高い先見性がここにあるとも言えるし、物事の本質は20年程度では変わらないとも言える。
この構想が発表された後で実装された電子国土ウェブシステムは、当初よりベクトルタイルを使用するなど意欲的な設計であったが、当時のウェブブラウザの制約、つまり ActiveX Component を提供しなければ実用にならないといった制約、やその他の当時の慣行によって、データの仕様の公開やソースコードの公開にまでは至らず、停滞する。また、地理空間情報の標準化や SDI 構想の停滞の影響を受けて、低調な時代を迎える。
最も問題であったのは、国土地理院以外の者が地理空間情報を公開し、利用者が自ら必要な情報を探して自らの責任で目的に応じて加工し利用する部分の推進が進まなかったことである。
その後、オープンソース方式の導入や、オープンなベクトルタイル仕様の採択の機会を得て、電子国土構想は実現に向かいつつある。
地理空間情報をどれだけ与えることができるかということが、地理空間情報における豊かさの定義であるという認識が必要である。もっと言えば、地理空間情報は、情報である以上、与えることでしか価値を生まない。情報管理(Information Management)こそが価値の源泉であり、それ以外の方法で情報が価値を生み出すことを想像することは困難だ。
国土地理院職員による国連事務局での能力構築という機会を経て、地理空間情報を日々とに与える技術を共用できることを可能にすることを目指す「国連ベクトルタイルツールキット」は、電子国土構想の直系のプロジェクトであると言えるし、同キットのサブプロジェクトである「里親ジオデータ」プロジェクトは、多くの地理情報の作成者がその情報を公開し、利用者が自ら必要な情報を探して自らの責任で目的に応じて加工し利用することを広めるための実践である。
感想
- 2000年時点において、国土地理院は相当先進的な構想を持っていたように見える。しかし、先進的であったがゆえに、その後オブジェクト指向、UML、XMLの弊害を大きく被って辛い時期を迎えることになる。しかし、その辺りの弊害を真正面から受けたからこそ、その後のオープンソース、REST、ベクトルタイルといった長期的な潮流を読み誤らず、しかも周到で大胆なトランジッションに成功したようにも思える。