この記事は、株式会社カオナビ Advent Calendar 2021の20日目です。
例えば、IT企業のとあるエンジニアの会議で、行われるこんな会話。
「今度のアプリだけど、IDaaS
にはAuth0を使おう、インフラはEKS
ね。初期はFargate
でも良いかなって思ったんだけど、結局マイクロサービスにしていきたいから最初からK8S
でいいよね?」
分かっていれば効率的なコミュニケーションになるのかもしれませんが、会議に参加している人の中には、こんな風に思う人もいるでしょう。
「IDaaSってなに?K8S?Fargate?呪文?」
こんな時、本当はわからないけど、さも分かっていますという微妙な微笑みを浮かべたり、「良いと思います。無難ですね。」みたいにしてその場をやり過ごしたことはありませんか?
それは、せっかくのラッキーチャンスを見逃しています。
私がオススメする回答は、**「すいません、XXXX
が分からないです。教えてもらっても良いですか?」**です。
会話の流れをせきとめて、自分の無知をさらけ出すのは勇気のいる行動です。しかし、自分も成長し、かつチームメンバー全員に利益をもたらす行動です。
後で調べるのは駄目なのか?
分からない時は、会議終了後に高速で調べて学習すればいい。そんな風に思ったかもしれません。しかし、それは自分個人のみを考えた場合の話です。仕事はチームで進めます、そのためチームにとって最大限の効果を発揮するにはどうしたらよいか?そんな風に考える必要があります。
他にも分かってない人がいる
チームを目線にいれて考えると、新しい視点が見えてきます。それは**「あなた以外にも、分かってない人がいる可能性がある」**ということです。IT系企業などは、特に高度に知的な共同作業を行う場です、会議に出ている人はみんな頭がよく見えますし、実際に頭が良い人が多いかもしれません。しかし、全ての人が、すべてのことに精通するのは不可能です。きっと、あなた以外にも分かってない人がいます。
会議が進行していく最中に「分からない」を伝えることで、そのような分からない仲間を助けることにもなります。
分かっていると思っている人も、分かっていない場合がある
無知の科学という書籍に「説明深度の錯覚」という概念が出てきます。これは、本人は分かっているつもりだけど、説明することが出来ないような状態を表します。今回の例でいうと「IDaaS」という言葉を「SaaS」で同じ程度の認識しか持っていない可能性もありますし、認証という言葉が持つ重要な意味合いを話し手が理解できていない可能性もあります。
自分の脳が分かっていると錯覚してしまう
もう一つ、押さえておきたい考え方として、**"自分の脳が分かっていると錯覚してしまうのを防ぐ"**です。人間というのは不思議な生物なので、自分の周りに知識を持った人がいると、自分も同じように知識を持っていると錯覚してしまうそうです。会議の場で、なんとなく分かった雰囲気を出してしまうと、自分もなんとなく理解した気になってしまいます。すると、会議に参加しているメンバーは、分かった雰囲気を出す人ばかりになってしまいます。
分からないを伝えるとどうなるか?
実際に、分からないを伝えると以下のような行動が生まれます。
- その場にいる詳しい人から、分かりやすい解説をしてもらえる。解説者も理解を深めることが出来ます。
- その場で解決できない場合、理解を行うためのタスク、時間を仕事時間内に取る理解が得られやすくなります。
- チーム内にいた実は分かっていなかった人も、知らぬ間に助けられて分かっている人になります
ちょっと勇気を出すだけで、チーム全体の知識向上になってしまいました。グループの無知が最も効率的に処理されますし、自分の無知も解決されます。
中には心理的安全性が低いチームがあり、無知を表明することがとても怖く思える場合もあるかも知れません。しかし、そういった状況は逆転の発送で捉えましょう。**"自分が無知をさらけ出すことで、このチームの心理的安全性を高めてやろう!"**という意識が大切です。
まとめ
小学校時代など、「わからないことは恥ずかしい」という全体的な雰囲気の中で育ってきました。「わからない」とみんなの前で言い出すのが少し怖いと感じてしまうほどです。私は幸運にも、留学時代の恩師に言われた次の言葉で、この恐怖を払拭することが出来ました。
少しでもわからないことがあったら、すぐに授業を止めて質問してください。あなたが分からないなら、きっと他の誰かも分からないから
日本で育った自分は、雷で打たれたような衝撃をその時に受けました。その時は、この先生はなんて素敵なことを言うんだと感じました。しかし、最近になって、これは無知を放置しないという単純な戒めではなくて、グループ全体として成長するための、もっとも効率が良い手段なのだなと感じるようになりました。
もう40歳を超えまして、人にとやかく言わても、それほどショックを受けない年頃になりましたので、これからも積極的に**「え?何言ってるの?全然分かんない?」**と伝えて行こうと思います。