エンジニアにとって、好きな技術やツールに出合えることはとても幸福なことだと思います。しかし、それらは色々なものを消費します。時間だったり、体力だったり、経済力だったりです。私たちは、これまでの人生でそれを繰り返してきたわけですが、あるとき、それ以上の摩耗に耐えられないときがきます。
なぜなら、「好きになること」は疲れるからです。なにかに期待して、なにかを好きになって、なにかを失うとき、人は大きなエネルギーを消費します。先ほど「摩耗」という表現をしましたが、結構いい的を射ていると思います、文字通り身を削るような負担だと言いたいわけです。
これからお話する内容は、「好きになるのが分かりきっていて、それを失うことが怖いから新しいものを受け入れられなくなってしまったエンジニアの話」です。
おもしろいもの見つけました
Power Apps というツールがあります。Power Apps はMicrosoft が提供するローコードの業務アプリ開発ツールです。PowerPoint のように画面上に部品を配置し、Excel の関数機能のように数式で表示内容を指定することで、システム開発ができます。
これが凄くおもしろいワケですね。
ほかのローコードの開発ツールに比べてカスタマイズ性があり、柔軟なアプリ開発ができます。例えば、ダイアログ画面を自分の好きなように作ったり、好きなアイコンや画像をボタンにできたりします。タイマーコントロールを使えば、ある程度動きのあるアプリや簡単なゲームを作成することも可能です。
これを見てください!検索アイコンが、クリックに合わせてジャンプします!別の方が作成されたものをコピペしただけなんですが、これ凄くないですか?データ検索時の Loading(読み込み) 画面にすると、「検索君」が頑張っているように見えます。
— カズマです@会社員ブロガー (@haihaibloooog) March 20, 2024
こういった、ちょっとした「遊び」を見るとワクワクします。
今は「PowerApps 完全に理解した」状態(チュートリアル終了)なのですが、結構おもしろいので今後も勉強しようと思っています。しかし、それと同時に「もうこれ以上、Power Apps を好きになりたくない」という思いを抱いてしまったんですね。
エンディング恐怖症について
ところで、みなさんはエンディング恐怖症という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
エンディング恐怖症は、簡単にいうと「エンディングを迎えたくない」という心理状態のことです。例えば、ゲームでいえばクライマックスに向かいラスボスを倒せばゲームが終わるという状態、アニメでいえば宿敵との一騎打ちになり、そろそろ最終話にも差し掛かかろうというタイミングで、「早くやりたい!」「早く観たい!」という気持ちと同時に「終わらないでほしい、もっと続いてほしい」と感じることです。
もしかしたら、経験したことがある方も多いかもしれませんね。
このエンディング恐怖症という言葉には、「恐怖症」という表現が使われていますが、別に悪いことだとは思いません。そう感じるほどに好きになれたということは素晴らしいことですし、そういうモヤモヤした気持ちが好きだという人もいらっしゃるでしょう。
しかし、「恐怖症」というからには、人を不安にさせるような(あるいは躊躇させるような)恐怖があります。それは「必ず別れがくる」ということです。
また、エンディングは時に、コンテンツにとって残酷な形で訪れることもあります。コンテンツが古くなった、もしくは新しいコンテンツが出てきてしまった場合もそうです。予告がある場合もありますが、多くの場合はその別れは突然訪れます。そして、そのほとんどの結末に対して我々ができることは何もありません。
ここで私が言いたいことは、この「『突然の別れ』がダメージになる」ということです。皆さんも、これまでの人生で何回も別れを経験し、そのたびに摩耗してきたことでしょう。そして、その結末が幸福ではなかった人もいるはずです。
新しいものはしんどい
話は PowerApps に戻ります。私が感じてしまった「もうこれ以上、Power Apps を好きになりたくない」という思い。それはエンディング恐怖症ではないかと思ったんです。
私は、きっと、そういうものに耐えられなくなってきたのです。「Power Apps を好きになってしまう」ことが分かっているから、これ以上摩耗したくなくて、自分を守ろうとしているのではないかということです。これ以上はきつい。そう思ってしまっているのではないのかと。
だからなのか、最近は C# とか Python とか、 長く使えそうなプログラミング言語を好んでいるような気がします。ゲームだって、ゼルダの伝説、ドラゴンクエストからは離れ、大乱闘スマッシュブラザーズとか、Splatoon(スプラトゥーン)とか、終わりのないゲームを好むのかもしれません。
だって、そういうものは自分が飽きたら終わりだからです。
自分のタイミングで「そろそろいいかな」と思えるものは、楽です。未練なくやめられますし、また、すぐに戻ってくることもできます。そう、そういうのがいいです。
エンジニアにその脅威が迫っている
エンジニアの世界では、以前よりも新しい技術の登場スピードが早くなってきた気がします。ChatGPT ですら「少し前のもの」と言われても、みなさんからはそんなに反論が出てこないのではないでしょうか。
ChatGPT は 2022年11月30日 に公開されたものです。これを聞いて「あぁ、結構前のモノなのね」と思った方もいるはずです。これ、かなり感覚がバグってきていると思いませんか?ちなみに涼宮ハルヒの憂鬱は第1巻が 2003年 に刊行されました。
私は、この状況について「エンディング恐怖症がエンジニアにも牙をむいてきた」という風に理解しています。今だって、ほぼ毎日のように新しい技術や情報(アップデート)が出ています。自分の選んだ技術が古くなったり、使えなくなったりすることだってあるでしょう。また、その技術をメインに活躍されている方もいると思います。
そうです。摩耗するスピードも速くなるのです。
もし、自分が得意としていたプロダクトが「明日から使えません!新しいものになったので勉強し直してください!」といわれて「やったー!あたらしい技術だー!」と心から思える人はどのくらいいるのでしょうか。私の予想では、とても少ないのではないかと思います。
そうなると、(少し話は変わりますが)「どんな技術を習得するのが一番効率的か」みたいな、打算的なことも考えなければならないかもしれません。これまで、とりあえず興味のあるものを触って、それを広げたり、掘り下げていくことで何とかなっていた方も、これからは『何を選ぶか』が大事になってくる気がします。
それこそ、自分が好きなもの、興味のあるものじゃないとしても、汎用性や寿命の長さで習得しておく技術を選ばなければいけないかもしれません。
これは、いままで好きなものだけを突き詰めてきた人にとっては、革命的な(そして致命的な)変化になることでしょう。今まで選択教科だったものが必須教科になるようなもので、極端かもしれませんが理系に古文をやらせるようなものです。
もちろん、古文をやるだけならいいのですが、そこに「興味を持てるか?」といわれたらどうでしょう。結構あやしいのではないでしょうか?いままで好きなことだったから続けてこられた、楽しくやってこれた、という人も多いでしょう。結構難しい問題になると思います。
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とはいえ、「突然の別れ」に躊躇して、新しい技術の習得や学習を疎かにしてもどんどん置いていかれるだけです。「これから習得する技術はすべて汎用性の高いものにしよう!」としたとしても、何となく状況が悪化するだけな気もします。そうなると未来は明るくないでしょう。
私も「まぁ、だからといって逃げるのは違うよなぁ」と思います。だって、私は、そして皆さんも、まだ "新しいもの" を好きになれるはずなんですから。
最近、妻に誘われて葬送のフリーレンをみています。面白いですよね、葬送のフリーレン。もちろんエンディング恐怖症はやってきます。早く続きがみたい!と思いつつ、1話ごとに終了に近づいていると思うと、見終わったあとにちょっぴり喪失感があります。
「大丈夫…私はまだ、大丈夫だ。きっと、なにも楽しめなくなったときがエンジニアの寿命なのだろう。」と、そう自分に言いきかせて、PowerApps と 苦手分野である 生成系AI とを連携したアプリの作り方を調べるのです。
訪れるエンディング恐怖症が「それを好きになれたんだと」思わせてくれることに感謝をしながら。
以上です。