この記事で言いたいことは次のことです。
- 今の若者には、給料は増やしたいが残業をしたくない人が多いです。
- 「管理職になれなきゃ負け組」という考え方は令和では通用しません。
- ぼくらは「あの日あこがれたエンジニア」にはなれない。
この記事は、社会経験の浅い一般職が執筆しています。予防線となり恐縮ですが、この記事はある種逆張りの内容であり、スタンダードではありません。いまの若手の1つの意見として、読んでいただければ幸いです。
若手の転職意識について
表ではほとんど話題にならないけど、裏ではみんなが話していること、それが『転職』です。特に、お酒の席では必ずといっていいほど、転職に関する話がでてきます。私は新入社員として入社した会社で、はじめての飲み会で教育係の上司からこんな言葉をかけられました。「こんな時代だから、もし君が将来転職を考えるならば、止めはしないよ。むしろ全力で応援するよ。」と。
若手の多くも、「もう転職って普通のことだよね」と気がついています。実際、「転職すれば給料が上がる」というのも事実であり、それだけでも転職の理由には十分なのです。また、エンジニアという仕事は不思議なもので、自分がやりたい仕事でなくとも「全力でやれば何でも面白い」という特徴があります。そのため、「どうしてもこの会社で、この仕事をやりたいんだ!」という人をあまり見かけません。
なので、「お給料を上げるために、転職はした方がいい。」というのは、その通りだと思うわけです。
ちなみに、やりがい世代の今の管理職が「なぜか若手が辞めていく…」と悩んでいるのは、「給料が増えるから転職する」という、あたりまえのことに気がつけていないからです。いくら職場の環境を整えたとしても、給料を上げない限りは改善することはありません。
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私は、転職と聞くといつも「ジョブ型雇用」について考えます。ジョブ型雇用を一言でいえば、職務内容を明確に定義して、その業務を遂行できるスキルや実務経験を持つ人を採用する手法です。つまり、中途採用で実力のある人のみを採用しよう!ってことです。対となるものに、人を育てることを意識した、メンバーシップ型雇用があります。
現在はこのジョブ型雇用が一般的であり、そのため転職する場合は自分がそれ相当のスキルをもっていて、それを評価してくれる会社を選ぶ必要があります。逆を言えば、我々は身に着けたスキルを高く売る努力をしなければなりませんし、それだけのこだわりを持っている必要があります。
採用面接からすでに給料交渉がはじまり、良い待遇を用意できない企業には行く必要がありません。企業側が「なぜ弊社を志望するのでしょうか。」と聞くのではなく、求職者が「私はこれだけのことができますが、御社はどのような条件を提示いただけるのでしょうか?」と聞く時代です。優秀な人材は文字通り争奪戦になります。
と、ここまで考えて、私はいつも「ああ、ジョブ型雇用って今の若者と致命的に相性が悪いんじゃないのかなー」と思うわけです。なぜなら、私のような『給料は高い方がいいけど、役職が上がることは望んでいない意識の低い人たち』が一定多数存在しているからです。
「給料が高い」は正義か
話は変わりますが、昨年、私の妻がベンチャー系IT企業から、上場IT企業に転職しました。転職の理由は、何となく別のことをしたかったということと、給料が増えるからだと聞いています。キャリアアップを狙ったわけではありません。
で、現在の状況ですが、ちょっとだけいいキャリアを与えられ、週1回は2時間ほどの残業をするようになりました。すべての会社がそうだとは思いませんが、やはり「役職があがる」=「残業が増える」というのはまだまだ成立しそうな気がしてきます。以前は、二人とも7時前には帰宅し、ゆっくりご飯を作ったり、ゲームを楽しんだりしていましたが、その時間が少し減ってしまいました。
転職前に、妻はブログを立ち上げましたが、今はまったく触ることがなくなってしまいました。転職だけがブログをやめてしまった理由ではないとは思いますが、いまは仕事に注力しているというのは感じます。
また、読む本の内容も少しだけ変わりました。今までは簿記やインスタアフィリエイトの方法などの本を読んでいましたが、最近は一貫して「マネジメント系」の本を読んでいます。内容は「部下とのコミュニケーション」「アンガーマネジメント」「心理的安全性の作り方」「鬱病・精神疾患」「ストレスとの付き合い方」「メンバーの教育」などなど、なんとも疲弊しそうなものばかりです。
確かに、妻の給料は私よりも高くなりましたが、特別生活が楽になるかと言われるとそうでもありません。また、そんな生活も少しすれば慣れてしまいます。時々、「前の会社でのんびり過ごしながら、自分の好きなことをして生きていたほうが良かったのでは?」と思ってしまいます。ストレスを抱えながら生活するよりは、気軽な立場で働き、副業で好きなことをして承認欲求も満たす方が100倍も幸せなんじゃないか、と思ってしまうわけです。
まぁ、それは私の意欲が低いだけで、妻は自分のやりたい仕事ができて嬉しそうです。「やらなければいけないことがある」という環境に上手く適応していますので、私の余計なお世話ではあるのですがね。
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ただし、この話は、「私のやる気がないだけ」という意味ではありません。現在の若手の考え方は、私のように「昇格して残業が増えるのなら、昇給しないほうがマシ」という人が多いように感じます。給料に大きな差がないこともその要因だと思いますが、「出世」や「キャリアアップ」が自分の時間を奪うような感じがして、それを避けたいと思っているのです。
今の若者とジョブ型雇用の相性は悪い
話はジョブ型雇用に戻ります。つまり、次の2つの課題があるため、みんながみんな「転職してキャリアを上げよう!」とならないのです。
- 転職後の給料が上がるかは自分のアピール次第。
- キャリアアップの代償として残業が増えるかもしれない。
例えば、「なぜ弊社を志望するのでしょうか。」とトンチンカンなことを聞いてくる会社(すいません、心の中では普通の質問だと思っています。)に転職してしまった場合に、悲惨なことになる可能性があります。この類の会社は「ジョブ型にすれば、どこからか優秀な人材が集まってきて、今と同じ賃金で高いパフォーマンスを上げてくれると思っている」ことが多いためです。能力だけを安く叩き買われ、中途半端な役職で残業を強いられることが容易に想像できます。
また、会社側にもデメリットがあります。
「何となく給料が上がればいいなぁ、でも残業はしたくないし、管理職にもなりたくないなぁ」と思っている人が多い会社はマネジメント職が不足していきます。「私はこの技術が強みです」という人が入ってきたところで、その人がその分野のマネジメントに向いているかは別の話で、いい選手がいい監督になるわけではないのと同じだからです。
私は、実際にそんな企業を知っています。マネジメント職が足りず、それをみんなが理解しつつも、どうしようもない状況が続いている…そんな会社です。でも個人の技術力が高いから何とかなっている、まさに「攻撃力で殴るとはこのことか…」と思ったものです。
「やりたいこと」できてますか?
じゃあ若者は、残業もせずに、その自由な時間を何に使っているのでしょうか。
それは、趣味の時間であったり、家族との時間であったり、今を楽しむ時間です。多くの若者がオンラインゲームに夢中になっており、そのオンライン上のつながりは時に会社でのつながり以上に強い場合があります。また、男性も子育てに参加する意欲が高まっています。少なくとも10年間は自分の生きがいとして子供を愛したいと思うようで、これは自然な願望です。実際に、「パパは構ってくれなかった」と言われるような人生を誰が送りたいのでしょうか。
ほかには、多くの人が自分のやりたいことに挑戦しています。人生を会社のために頑張るのも素敵なことだと思いますが、40代後半になって、「あのとき、やりたいことにチャレンジしておけばよかったなぁ、でも時間なかったなぁ」と思うのはゴメンだということです。まずは自分のために頑張りたいのが今の若者です。
ちなみに、私も最近クラウドワークスに登録しました。学生の頃から気になっていたWebライターの仕事を副業としてやっています。まだ初心者なので、ほとんど収入はありませんが、これが非常に面白く、仕事というよりは趣味として楽しめています。「好きなことで生きていく」までは考えていませんが、自分の好きなことに挑戦して「もしかしたらそっちの道で成功して独立!」なんて可能性もあるわけです。重要なのは、この「可能性がある」ということです。
誰もが一度は「唯一無二の何者か」になりたいと願ったことがあるはずです。そして、今は誰でも何にでもなれる時代です。たった1日あれば、動画配信者やブロガーになれるし、フリーランスとして働くこともできます。自分自身のコンテンツを作ることは容易であり、すぐに仲間を見つけることもできます。つまり、「時間がある」ということは、これらのことを成功させる「可能性がある」ということです。
また、忙しそうに働いている人よりも、好きなことをして生きている人の方が魅力的に映ります。SNSでは、「ノマドデビュー!オシャレなカフェでMacBookを開いてお仕事です!」や「昨日も深夜までゲーム、今日は午後だけのんびり仕事しますかー」といった投稿が目につくでしょう。極端なものでは、「起業仲間とバリ島へ!海上ミーティング!」や「毎週100万越えの不労所得で人生勝ち組」といったものもあります。
彼らは「会社の駒」だの「今は個人で稼ぐ時代だの」煽り文句をつけては我々を刺激してきます。それに影響されて、「よし!私もやろう!」とチャレンジする人々が現れるわけです。繰り返しで申し訳ございませんが、成功率は関係なく、成功する「可能性がある」というのが大事なんです。
一見、このチャレンジはバカが騙されているだけにも見えますが、そうではありません。それは大いに意味のあるチャレンジです。失敗しても、「あぁ、私は彼らとは違うんだ」と納得できれば、将来「あのときチャレンジしておけば…」と後悔することもありませんし、そういう世界に少しでも足を踏み入れられたのなら、それは一生ものの経験になるでしょう。やってみることが大事なのです。未来に後悔を残さないためにも、彼らは時間を使うのです。
ぼくらは「あの日あこがれたエンジニア」にはなれない
とはいえ、私自身、なにかに憧れてエンジニアになったのも事実です。副業を始めたのも、あくまで今の社会情勢的に「やっておかないとヤバそうなもの」であって、もともとやりたかった(なりたかった)ものではありません。
私が憧れていたもの、それは「スタープログラマー」というものです。私の知らない時代の言葉なので、意味がズレているかもしれませんが「その人が本気を出せば炎上している、プロジェクトも簡単に成功する」レベルのスーパーエンジニアのことらしいです。
イメージとしては、どこでも仕事ができる自由さと、アイディアを形にできる技術力を持っています。電車の中でも頭で設計やプログラム書いて、リモートワークで音楽を聞きながらサクッと形にする。そんな「自由な創造」こそが、私の思い描いていたっょっょエンジニアなのです。
そして、今となってそれはとても難しいことだと分かりました。まず、そんなに努力ができないこと、そして、今の家族、趣味、幸せを犠牲にしてまでそこにたどり着こうとは思わなくなってしまったことです。「なれたらいいなぁ」「経験を積んでいけばいつかなれるだろう」と漠然と考えているだけでは駄目なのです。
先ほどの副業にチャレンジする人の話も同じです。よほどの努力ができない場合、会社に行きながら副業で大成することなんてできません、毎日定時に帰って7時からフルで作業しても5時間が精々でしょう。そもそもの作業時間だけを見ても、丸1日使えるフリーランスに勝てるはずがないのです。
そう、我々の多くは、努力を嫌う半端者なのです。
さいごに
ここまでさんざん「好きなことだけをして生きていたい」と言ったものの、最後に「まぁでも、エンジニアはマネジメント スキルを高める努力をサボるとタヒぬよね」ということを説明して、締めようと思います。
すでに皆さんお気づきかと思うのですが、マネジメント職にならない───つまり、技術者としてまっとうする───ということは、一生勉強ということになります。ですので、「エンジニアの定年は35歳」みたいな定説もある中、ある意味では棘の道なのかもしれません。要するにここまでの話はエンタメであり、好きなことで生きていこうというのは現実的な話ではないということです。ほとんどの人は理想通りにはならず、歳を重ねてもマネジメントスキルがゼロのままでは、若手に仕事を取られて社内ニートになってしまう未来が見えます。
結論、我々が特別な何者かになることは難しいのです。エンジニアの人は、ある程度の技術力を身に着けたら、無難にマネジメント能力を磨いていく必要があるのです。もう、レールは敷かれてしまっているのです。そこから外れてしまったとき、チャレンジャーとして死ぬほど努力をしなければいけないのです。
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とはいえ、コレが本当に正解なのか、まだ私にも分かっていません。
ただ、本イベントエンジニアキャリアについてあなたの考えをシェアしよう!
をきっかけに、「自分がエンジニアとして幸せに暮らす方法はどれだろう」と、30歳手前になってようやく考えはじめたところです。いや、どちらかと言えば、エンジニアとしてどうなりたいかというよりは、『人生をどうしたいか』で考えていましたかね。
歳をとってから「こんなはずじゃなかった、実はあんな挑戦をしたかったと後悔したくない!」という思いが強い我々は、今後も「好きに生きていく」を掲げながらも、努力ができないために大成とは程遠い人生を歩む可能性が高いです。そんなエンジニアは、せめてレールからは外れないように、無難に生きていくべきなのでしょうね。
以上、『想い』でした。