はじめに
本記事は オルトプラス Advent Calendar 2023 の12/5の記事です。
エンジニアの皆様にとって一考に値する一風変わった本の紹介記事を書いてみました。
概要
本記事は元グーグルフェローのチャンディーメン・メン・タン氏の著書「サーチ・インサイド・ユアセルフ」の内容を元に、瞑想の入り口にいる筆者が、すぐにでも実践できる瞑想の入門を紹介するものです。
想定する読者
- 瞑想やEQを魔法のようなもの、謎めいたものだと考えている方
- 業務効率や人生の質を上げたい方
- 自己肯定感の低い方
瞑想の目的は?
瞑想は様々な側面に影響を及ぼすため、考えられる実現可能な目的は多岐にわたります。
- 優れた職務遂行能力
- 抜群のリーダーシップ
- 幸せのおぜん立て
ここで大事なことは、瞑想をする際に目的がはっきりとしていることはむしろ推奨されていて、昇進したいから取り組んでみる、といった一見瞑想とは遠いように見える動機でも全く問題ないということです。
瞑想の効果は?
瞑想をすることで得られる効果は明快で、以下につきます。
EQを向上させること
EQは書籍内で以下のように定義が紹介されています。
自身と他人の気持ちや情動をモニターし、見分け、その情報を使って自分の思考や行動を導く能力
この能力を利用することで、例えば優れたITエンジニアが持つ特性について行われ判明した特徴のうち、下記4つについてはEQで培うことが出来るとされています。
- 強い達成意欲と高い達成基準
- 影響を与える能力
- 課題を引き受けるイニシアティブ
- 自信
EQというものが如何に我々の生活を良くするかということについて、培えるものがあまりにも魅力的なため、やはり懐疑的なエンジニア諸兄のために、EQが生活を向上させる仕組みについて付け加えておきます。
EQは自身の最適化を助けます。
情動に関する能力を高めることで、普段行っていることを
最適化し、今以上の水準で行えるようにします。
2分で始めるやさしい瞑想入門
ここからが実践入門です!(前置きが長くなってしまいました)
3つのステップと1つの例外処理を使って2分を目標に瞑想を始めてみましょう。
step1. 姿勢
リラックスしていて、隙のない状態であればどんな姿勢でも構いません。
皆さんが想像する上記の画像のポーズは実は意外と大変なので、
私は布団だったり椅子だったりで背もたれを使って自由に行っています。
step2. 目指す意図
ストレスを減らしたい、健やかさを増したい、幸せになりたい。
意図は情動に関わることや上述したことなら何でもいいです。
はっきりと意図を意識することは、一連の流れの中でとても重要なことです。
step3. 呼吸のプロセスに集中する
呼吸を監視する門番になってください。
呼吸をするプロセスと付随する空気の流れに意識を集中させてください。
呼吸をしている事実をただありのまま観察し、受け入れてください。
- 気が散ってしまったら?
<<今日の晩御飯は何だっけ?>>
<<なんか腕がかゆくなってきたな...>>
<<部屋寒っ>>
<<本当に瞑想って効果あるのかな>>
執筆時点の11月、流石に夏の風物詩はとうに聞こえなくなっていますが、
我々は五感から様々な情報を常に受け取り判断しています。
そのため慣れない間はそれこそ数秒で気が散ってしまうと思います。
ここでしっかりと注意の集中を回復させることがとても大事になります。
- 自分の注意がそれたことで自分を責めない
- 注意がそれた際の自分自身に対する態度を自覚する
- 老婆心のように、欠点をありのまま受け入れての無条件の愛を自身に向ける
- 改めて注意を呼吸に向ける(step.3)
瞑想は非科学的?
効果は?
目を閉じていればいい?
どれくらいの時間すればいい?
そもそも何のためにするの??
"瞑想"と言われても何もわからないし、僧がやっていたりしそう。或いは創作の作品で瞑想をしているキャラを目にしたことがある程度の認識かと思います。
結論、誤解を恐れずに言うのであれば、瞑想は注意力の筋トレだと説明できます。(筋肉同様に瞑想は繰り返し行うことで様々な効能をもたらしてくれます)
では瞑想はどのように科学的に恩恵をもたらしてくれるのでしょうか。
それは端的にいえば神経可塑性であり、言い換えれば「脳みそはトレーニング次第で特定領域を活性化させうる」ということです。書籍では、一般人より難解な道路網を覚えることで海馬が活性化したタクシードライバーであったり、ネガティブな音声に対して情動を司る偏桃体の活性度が低い結果を出した研究論文が根拠として取り上げられています(ただし対象は瞑想1万時間越えの僧)。
まとめ
命がかかっているかのように呼吸をする
著者は、上記の瞑想でついてこのようにまとめています。
そしてその先に世界平和があると信じて(冗談ではなく)
SIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)をプログラムとして完成させました。
私は注意力を鍛えることで、自分を責めがちな自分を発見しました。
このように、注意とメタ注意を鍛えることは、あくまで瞑想の入り口に過ぎません。自身や他人の情動に対する注意力を鍛えた先で皆さんが何に気づきどうしていくのか。拙い記事ではありますが、一人でも多くの人に機会を与えられることを願っています。
本記事で紹介した事例の根拠は主題とずれるため、参考程度の例としてのみ触れました。書籍ではしっかりとエビデンスが記載されているため、気になる方は是非。
【余談】私も瞑想をしてこんなに変わりました!!みたいな宣伝ってよくありますよね
ここでは、余談として実際何で瞑想を始めたの?効果あった?みたいな体験談を少し書かせていただきます。
信じてほしいのですが、私は非科学的なものには懐疑的な立場をとっています。昔から瞑想が気になっていたり、或いは漠然とした悟りへの渇望があったり...したわけではありませんでした。つい最近も瞑想で高みを目指す訝しげな集団が敵に出てくる話を読んで、そんなもんだよなと思ってましたし、この記事を公開して社内でどう見られるか若干の緊張を覚えている、そんな人間です。
私が瞑想に出会ったのは自己肯定感、あるいは自己受容感を引き上げるためでした。私は、自分のことがあまり好きではないタイプの人間でいます(現在進行形)。
自身のことを受け入れることができない(例えば、普通の人は...とか〇〇君は出来てるのに私は...とか否定してしまう)と、自信なんか持てるはずもなく、苦手な分野は更に遠ざけようとし、直面せざるを得ない場面では失敗し結局自分のことを責めて、自分の認識が間違ってなかったことに安心する。
そんなことをしていたということに気づくのにも時間がかかり、気づいたとて途方に暮れました。そして、皆さんが想像しうる様々な手段を調査し、試したうえで、偶々私にとって合致していたのが慈悲の瞑想だったという話です。「自分・不特定多数・嫌いな人の幸せを願う」という一風変わった瞑想なので、興味を持たれた方は調べてみてください。口先で願うだけなのに、人によっては結構難しかったりします。
私もまだ自身と向き合っている道中にいます。自信というのは周りに威張り散らかすとかそういうことではなく、そこに自分があってもいい、やってもいいと自然に思えることだと私は解釈しています。そのようなものを目指す皆さんが自身と向き合う一つの手段として一考に値すれば幸いです。