This article is a Private article. Only a writer and users who know the URL can access it.
Please change open range to public in publish setting if you want to share this article with other users.

柳の下にどじょうは2匹いない

Last updated at Posted at 2024-07-03

はじめに

某メーカ系企業から昔アルバイトをしていた縁で当社に入社してからの昔話を箇条書きで

486EIは名器だった

AIR 486EIは長らくショップのキットを構成するマザーボードの1つ。多分94年ごろ。
EISAバスを持ち、ATI Mach32 EISAとの組み合わせでKing in the boxというキット名がついていた
なお、jack in the boxはMicrostar(MSI)のISA/VLバス対応のマザーで、ET4000のVLバス版との組み合わせで予想外に安定していたような気がする

バイヤーズガイド

BSDやLinuxで安定して動くという情報はあれど、それならどこで買うのよみたいなのは売る方でも感じていたので店にある商品使って動作確認したりして誤字脱字満載の記事にした。ちなみにこの企画は他の雑誌でもパクられたけど、そう何年も続ける気はなかったのでやるならどうぞどうぞな感じだったけど、某雑誌の人には「パクったね」って聞いたら知りませんと言われた

BSD/Linux向けNIC

当時NICといえばNE2000/NE2000互換、3Com 3C5x9から始まり、その後DECのDE21040系が良く使われた。21040系はDECの純正もACCTON製品も扱っていて、ACCTONは初期はPHY関係の呪文が必要だったので、そういった問題のない互換品を探していたらUSにCNETのバルク品があったのでしばらくこれを輸入して組み込んでいた

BSD/Linux向けグラフィックボードとAccelerated-X

Nvidiaの技術者がまだSGIにいて、コンシューマ向けはMatrox Milleniumあたりが注目されていたものの、Xでは対応していない時代。おそらくDQMLつながりでお店の常連でもあった某氏がAccelerated-Xの記事を書いたというので、それに乗っかってXi Graphicsがら製品を輸入した。価格が1万弱と手軽なのもあって(当時PC1台組む予算が40万位の時代)結構な本数販売した。おかげでデンバーにもよくいった。SJ経由で2泊4日みたいな。当時まだクラフトビールには関係してなかったのでGABFってデンバーだったと知って後に後悔する

ミニキーボード

MiniKeyboardシリーズ
沖電気とつながりのある営業が、ノート用に作ったポインタ付きキーボードパーツを持ってきたので、これで外付けのキーボード作ろうよとか安易に言ったのが始まり。97年くらい? 初期ロットがすぐ売れたものの、初期ロットはキーのシリンダー部分のコーティングに問題があって白い粉吹いてキーが戻らなくなるので、すぐに回収して良品と交換した記憶。その後、USにあったY connectorを輸入しつつ、この機能を組み込んでPS2キーボード/マウス+外部マウスという機能になったのが1998/04販売開始のMini KeyboardII。
当時別のキーボードでも採用し意匠もとっていたCTRL-Caps切換え機能がある。
FKBシリーズ
切替機で縁のあった富士通コンポーネントが試作したキーボードを当社ブランドで販売したのが始まり。Sun/Mac/PC対応で、HHKに矢印キーのついた製品だが、タッチはSun4のキーボード同様富士通コンポーネントのメンブレンなので個人的には好みだった。
HHK-Lite
の国内販売に繋がった話はHHKミーティングの初回に話したのでここではしないよ

PShareシリーズ

まだベアメタルなサーバが主流だったころ、KVM切替器はそれなりのマーケットがあった。
いろんな経緯があったようだが、当社に持ち込まれた富士通コンポーネントの切替器をWindows/BSD/Linuxでの動作を必須としてブラッシュアップを行った。当時ATEN製品とかCPもよかったしそれなりに安定していたし、なんなら台湾にいってBSD/Linuxへの対応を話したりしたものの、結局当社ブランドでも切替器をリリースすることに。
また、川崎製線製のKVMケーブルはVGAの特性と他社製品に比べて圧倒的に細く取り回しがよいのも特徴。

OpenBlockS シリーズ

PPCの基板をベースにIDE I/Fと付属のCF-IDE変換基板と、出荷時にDHCPやメールサーバが組み込まれて秋葉原の某社で作成したUIで設定できるというような、今時は当たり前でも当時はそんなになかった気がする。個人的には店でも扱っていたCISCOのルータとかが個人で買うには高価だったので2イーサのある小型汎用Linux箱が欲しかっただけ。2000年7月販売開始。

plathome-ml

当時お店の最新情報をメールで配送していたのは当社くらいだったと思う。いや同じように専用線つながってたところは誰かがやっていたと思うので思うだけ。
archive.orgの1997/6のアーカイブにはメーリングリスト運用中とあるので、多分それより前には運用をしていたんだろう。当時知人がqmailの運用テストを開始しており、qmail配送でそこからのuucp経由でもなければ情報はそれなりに早く届いた。内容も余計なノイズを減らして新製品、特価品に絞っていて、今時のDMからは考えられないシンプルさである

たん清とかウィルキンソンとか

お店終わって駅の向こうの大酋長にでも行くかと歩いていたら「たん清(せい)」と某ショップによく似た名前の焼き肉屋があるので、どんなもんかと立ち寄って以来しばらく通い続けて、なんとなく1997にはホームページも置いて、店に来る知り合いみんな誘って、結果自分の意志で行った日と連れていかれた日を合わせて週7になったのもいい思い出。
オープンソースまつりの打ち上げからか、別方面からかは覚えていないけど、焼き肉屋夜話の舞台でもある。
ちなみに店名は「たん清(きよ)」なのでお間違えのないように。
そして、ウィルキンソンは自分が飲みたかったから赤塚酒店に配達して貰って、銭箱に70円入れて冷蔵庫から勝手に飲んでよとやっていたら、良く聞くグリコ置き菓子と違ってプラスになってた。いいお客さん達である。
最近秋葉の某ショップで「xxあり〼」みたいなのを見つけて、いつの時代も同じことを考えるもんだと思った。

0

Register as a new user and use Qiita more conveniently

  1. You get articles that match your needs
  2. You can efficiently read back useful information
  3. You can use dark theme
What you can do with signing up