こちらは『LITALICO Advent Calendar 2022』5日目の記事です
概要
まだ男性の育児休暇が普及していない14年前、勇気をもって4カ月間育児休暇(以後、育休と略します)を取得した話をしようと思います。
これからお子さんが産まれる予定のある男性の方の参考になればと思います。
(ほぼ個人的な振り返り記事でしかないですが。。。)
おことわりしておきたいこと
- エンジニア特有の話題はほとんどありません。
- 育児休業や給付金等の制度については一切出てきません。
- LITALICOには今年入社したため、本記事は全て前職での話になります。
14年前ってどんな頃?
2008年、北京五輪で北島康介が2連覇し、オバマ氏が大統領に当選。
翌2009年は、イチローや松井秀喜がメジャーで大活躍し、マイケル・ジャクソンが亡くなった、そんな頃です。
私は、2009年1月~4月の丸4か月間育休を取得しました。
今や死語となった「イクメン」が流行語大賞にノミネートされたのが2010年ですから、その前の年ですね。
妻の育休明けと入れ替わりだったため日中は完全に一人の4か月です。(当時「ワンオペ育児」なんて言葉はありませんでした)
ではここから、育休をとることになったきっかけから、現在の心境に至るまでお話ししていきましょう。
育休をとると決めるまで
長女が産まれて
第一子となる長女が産まれたのは2005年の夏でした。
近所の保育園は人気で実質4月しか入園することができず、翌年4月に0歳8か月で入園しました。
自治体によっても異なりますが、だいたい入園後1か月までは慣らし保育期間ということで育児休暇が認められており、5月から職場復帰される方が多いのです。
ただ我が家の場合、妻の職場は4月復帰でないと配属先の融通が利かないということで、妻の職場復帰と入園が同時でした。
そうだ、育休とろう
ここからが大変でした。
娘はなかなか保育園に慣れない、妻も久しぶりの職場復帰で慣れない、私は客先常駐でシステム運用をしていました。
乳児ですからたびたび熱を出すことがあり、保育園から電話がかかってくるわけです。そうすると、妻と私どっちが駆けつけるかを頭を抱えながらメールでやり取りしていました。
まだ世間的にも男性の育児参加はごくわずかという風潮もあり当時の上司は全く理解がなく、私は早退するたびに白い目で見られているのがとても辛かったのを覚えています。
日を追うごとに私は疲弊していきましたが、妻は自分自身の仕事復帰も相まって私の何倍も疲弊している様子がみてとれました。
1年くらいそんな状況が続いたとき私は妻に言いました。
「もし二人目ができたら絶対に俺が育児休暇とる!」
1年半以上後なんですけど。
突然そんなことを思い立ってしばらく経ち、妻が二人目を妊娠しました。
安定期に入ったタイミングで私はすぐに部長のところに行きました。(その時は自社に戻って別の部署に異動していました)
「部長、1年半以上後なんですけど育児休暇とらせてください!」
部長「あ、そのころ俺たぶん部長じゃないから、いいよ!」
ちなみに、いざ育休取得というタイミングも同じ部長でした
そんな性格の上長だったのは私にとってはラッキーだったのかもしれません。
育休に入るまで
ザワつく総務
在籍していた会社では、女性の産休・育休の実績は多数ありました。
しかし、男性の育休は初ということで、総務に育休の申請等について相談すると、それはそれは焦りまくっていました。
総務「ちょ、ちょっと確認しますので~」
私「いや、育休は女性も男性も同じですって」
総務「いや、でも、何かあるかもしれないから・・・」
初めてのことでザワつかせてしまいました
育休宣言からの日々
宣言が早過ぎたので、しばらくは普通に仕事していました。
ただ早く宣言したことにより、長女の体調不良などが理由で早退や休暇をとった際、今思うと周囲の同僚や上司からすごく理解があったように感じます。正直、仕事も育児も必死だったので周りの気遣いがあまり見えていなかったかも。
同時の同僚たちには負担をかけました。いまさらですが本当に感謝しています。
代替要員がアサインされた
育休まであと3か月という頃、私が不在の間、代わりに入ってくれるメンバーがアサインされました。
元々知っている方だったので非常にやりやすく、期間的にも余裕があったので十分な引継ぎを行うことができました。
勤務最終日
厳密には1月の途中から育休開始でしたが、有給休暇を使ってキリよく年末の納会を勤務最終日としました。
まだ報告していない社内の方々には年末のご挨拶と共に育休に入ることをお知らせしました。
保育園の慣らし保育もしっかり活用し、5月復帰ということで丸4カ月の育休ライフが始まったのです。
ついに育休に入った!
1か月目:ワクワクが止まらない
妻は仕事、長女は保育園、ということで次女との二人の生活が始まりました。
1歳になりヨチヨチ歩き始めたこともあり、どこにお出かけしようとワクワクが止まらない時期でした。
近所の公園、ショッピングモール、ボーネルンドのような室内の遊び場、などなど。
その中でも絶対に行きたかったのが「ママズクラブシアター」。子供向けではない普通の映画を赤ちゃん連れの親向けに上映しているサービスです。
実際に『007/慰めの報酬』を観に行きましたが、機嫌よくあちこち席を移動する娘をあやしながら見るジェームズボンドはストーリーが全く入ってきませんでした
参考:
TOHOシネマズ ベイビークラブシアター(当時の名称はママズクラブシアター)
- 赤ちゃんを抱きながら移動する/赤ちゃんが安心する などの理由から、映画館内の照明を通常より明るく設定します。
- 赤ちゃんを驚かせないように、映画の音量を通常より小さめに設定します。
- 赤ちゃんの体調のために、冷暖房の空調設定を調整します。
2か月目:育児にも慣れてきたが
1か月目はアクティブに動いていましたが、毎日の家事もありますし、だんだん疲れてきました。
おむつを替えたり、ミルクを飲ませたり、離乳食を作ったり、それなりに手際は良くなりましたが、こうやって育児生活を経験してきてものすごく感じたことは 「大人としゃべりたい」 ということです。
赤ちゃんと二人だとまともな会話ができないため、いつまでも二人っきりだとだんだん言葉に飢えてくるのです。
いつもならスルーするスーパーのレジでついついレジのおばちゃんに話しかけてしまったりして。。。
まだ私は長女を保育園に通わせていたので、送り迎えの時に先生や保護者の方と会話する機会があったのですが、長女の育休中に妻はもっと大変だったんだろうなと想像していました。
ちょっと余談になりますが、この頃から妻が次女を寝かしつけてもいつまでもぐずっているところを私が代わると、ものの数分ですやすや寝てくれるのです。そんなことが何度もありました。
日中私とずっと過ごしているので妻を見ても「いつもの人じゃない!」って思うんでしょうね。子供って賢いなぁとつくづく思いました
3か月目:テンションどん底
そうしてストレスが積もりに積もって、いよいよテンションがどん底になった私はある週末に妻に言いました。
「ごめん、今日一人で出かけてきてもいい?」
妻は快く了承してくれて、確か一人で映画を見に行ったような記憶があります。
おそらく漠然とですが1回リセットしたかったんだと思います。
その時は自分自身逃げ出した感がすごく強くて、妻にも子供にも後ろめたい気持ちでいっぱいでした。
でも今はそうやって「リセットしたいと言える」「リセットさせてもらえる」環境があることが大事なんだと思えるようになってきました。
それはお父さんであってもお母さんであっても同じことで、夫婦でお互い育児の疲れを快く緩和させてあげられるような関係でいられることがすごく大事なんじゃないでしょうか。
4か月目:保育園入園で復活!
そんなこんなで3か月が経ち、めでたく次女も4月から長女と同じ保育園に入園することができました。
入園して1週目は午前だけ、2週目はお昼寝明けくらいまでの登園でしたが、その数時間でも一人になれる時間があるというのがまぁ幸せ。
保育園で知り合ったママ友とお迎えまでファミレスでお茶したりして、専業主婦みたいな生活をした日もありました。
もう翌月には仕事に復帰するというのもあったので、その心構えをするためにはいい期間でした。
そう考えると長女の時、妻はこのタイミングで復職だったわけで、ちょっと想像を絶するなと震えました。
保育園最初の1か月は「慣らし保育期間」とよく言いますが、これは親にとっては 「社会人復帰へ向けてのアイドリング期間」 になるわけです。
この期間が多くの働くお父さんお母さんにとってとても大事だということは、実際に自分が体験してみないと分からなかったことです。
復職
5月、GWど真ん中の日に復職しました。
有給休暇を使って大型連休にしている人も多く、復帰初日としてはちょうどよかったかなと思います。
チームメンバーは私の復職を見越してたくさん仕事を残しておいてくれたので、そこから育休前のペースに戻るまでにそう時間はかかりませんでした
特に意味はないですが、この4か月間をグラフにしてみるとこんな感じです。
もし、もう1回育休ができるなら、これを踏まえてやってみたいですね。
あれから14年経って
なかなか男性の育休取得率が上がらないと言われていますが、私が経験した当時に比べたら制度的な後押しもありそうですし、上司に言いやすい雰囲気の企業も増えていると思います。
もしそういった機会があるのなら、ぜひ育児休暇とってみてほしいです。
「お母さんってこんなに大変なんだ」
それを知るだけで世界観が変わると思います。
私は子供ができるまで特別子供好きというわけでもありませんでしたが、育休をとって子供と1対1の時間をたくさん経験したことで新しい自分を発見した気がします。
その時は自覚していないんですが、育休をきっかけにそれ以降ずっと子供と同じ目線で育児をしてきたと思います。
次女が小学生の頃走るのが好きだったのですが私も一緒に走って競い合ったり、英検を受けるというので私も一緒に図書館で勉強して一緒に受検したり、長女が中学受験したときには一緒に過去問を解いて点数を争ったこともありましたね。
育休をとったときの次女が今中学三年生、まもなく高校受験です。
先日までいくつもの学校に学校説明会に行っていましたが(今は必ず学校説明会に行くように中学校で指導されるんですね、ちょっと驚きました)、半分くらいは私が付き添いましたし、それを特に嫌がられることもありません。
育休をとったのが直接影響しているとは思えませんが、中高生という多感な時期に普通に父親に接してくれる女の子も珍しいような気がします。(「パパ、クサい」とかはよく言われますが・・・)
最後に
まさか14年後に自身の育児休暇のことをお話しするとは思いませんでした。
今まで改めて振り返ったことはないのですが、いざ振り返ってみると当時の気持ちが思い出されて楽しかったです。
書いている途中で当時の写真やビデオなんかも見返しちゃって、あぁこの頃はかわいかったなーなんて思ったりして(笑)
LITALICOにアドベントカレンダーの文化があったことがこの記事につながっているので、こういう機会を与えてくださって本当に感謝しています。
来年はちゃんと技術ネタにしないと
(参考)当時読んでいた書籍
いずれも絶版になっているので、古本や図書館で探してください