マインドフルネスがブームになって久しい昨今、情報源や論文数は爆発的に増えていて、関連イベントも多数あるので、これ以上情報がなくても良い気もしてしまうけど、現役のエンジニアという立場から見たマインドフルネスと、今までマインドフルネスに対して持っていた大きな勘違いを共有したくて、記事を書いてみることにした。
前提・筆者について
自分はヨガの達人でもなければ、お坊さんでもなくて、特に熱心な仏教徒というわけでもない、執筆時点ではフリーランスのエンジニア。最近は機械学習をしたり、FlutterやReactでアプリ開発をしたりしている。
マインドフルネスについては、2016年に『最高の休息法』という本に出会ってマインドフルネスを知ってから、提唱者のジョン・カバットジン先生の『マインドフルネスストレス低減法』を読んだり、『ヨーガ・ストーラ』を読んだり、実際にお寺で瞑想・写経などの体験を行ったり、京都の宝泉寺禅センターで3日間の泊まり込みの禅修行をしたり、Wisdom2.0 Japanなどのイベントなどに積極的に参加したりしている。また、毎日の習慣として、1日15分〜1時間ほど結跏趺坐を組んで瞑想をしている。
そもそものきっかけとしては、2016年の初めに、下垂体前葉機能低下症1を由来とする副腎不全による低血糖発作で倒れて病院に運ばれて以来、難病患者1と認定され、病気と付き合いながらもエンジニアとしてやっていきたいと思い、方法論を探ったのがきっかけ。
当時はあくまで脳疲労の有力な軽減法として生活に少しずつ取り入れただけだったけれど、自分にとっては今や日々の欠かせないものとなっている。
自分の大きな勘違い ― "気づき" 以上のことをしていた自分
ということで、数年間ずっとマインドフルネスを生活に取り入れて、いまや毎日瞑想やヨガをして過ごしている日々なのだけれど、実は2年ほど前まで大きく勘違いしていたことがあった。
それは、「マインドフルネス」という言葉の由来にもなっている、"気づき" (mind) に関することで、「今この瞬間に集中」することで "気づき" があればそれで十分なのに、自分は当初それ以上の思索や操作をしようとして、いつも苦悶していた。
"気づき" があれば十分なのだけれど、それ以上に何か思索や操作をしようとすると、「マインドフルネスって何もしないことなのかな」とか、「どういう風に呼吸やヨガをするのが正しいのだろう」と、例えば書店を巡り歩いては結局疲れるということを繰り返すハメになっていた。
以下で改めて解説するけれど、「今この瞬間に集中」して "気づき" を得ること、それで十分なのだというポイントさえ押さえておけば、多分今後マインドフルネスをやろうと思う人たちの悩みは少なくて済むのではないかなと思う。
そもそもマインドフルネスとは
これはなかなか難しい問題なのだけれど、いわゆる瞑想やヨガのような典型的なマインドフルネスと呼ばれるものはすべて、「今この瞬間に集中」して、 "気づき" を得ること、という点で共通している。そういう意味では、音楽を聴くことも、文字を書くことも、歩くことも、食事をとることも、マインドフルネスになり得るのだけれど、ポイントはいかに「今この瞬間に集中」しているかどうかと、"気づき"を得られているのかという点に集約される。
そういう意味で、いわゆる典型的な瞑想やヨガの「型」2を覚えることも確かにマインドフルネスの第一歩なのだけれど、ヨガってどうやるんだっけと思って書籍や動画を調べるのではなくて、まずこれを読んでいるあなたが「今この瞬間に集中」して、自分の肩のこわばりや、つい浅くなっている呼吸、あと身の回りのささやかな生活音に耳を澄ませたり、冬の冷たい風を感じたり、家族や友人の温かさや、テレビの前で頑張ってるリポーターさんや、毎日荷物を運んでくれている宅配員さんに "気づいて" ほしいと思う。…もうこれだけで十分。あとは何もいらなくて、この気づきを絶やさないようにしていれば、何の書籍や動画も要らない。
自分はいままで、たくさんマインドフルネスの情報源を漁ってきたけれど、それはあくまで自分自身がもっともっと知りたくて、楽しくて勉強していただけで、マインドフルネス自体には必須ではない。そのことは、提唱者のジョン・カバットジン先生の書籍や動画を観ると本当によく分かるのだけれど、集中して気づきを得る以外には何も要らないのだと気づくまでに、自分は数年かかってしまった。(…ある意味、そのこと自体に"気づけた"だけで、マインドフルネスを実践していた甲斐はあったのかもしれない。)
なぜエンジニアにこそ勧めたいのか
マインドフルネスをどうしてエンジニアに勧めたいのかというと、自分自身が社会人になってからずっとエンジニアとして働いていて、体調を崩したからに他ならない。そして、今思えば当時もっと "マインドフルネス" であったならと後悔することが多く、他のエンジニアの人たちにも、意図せず体調を崩たりほしくないから、もっと自分の仕事に誇りをもってほしいから、ただそのことに尽きる。
なぜマインドフルネスがエンジニアの体調管理に有効なのかというと、自分が最初にマインドフルネスを知った本である、『最高の休息法』に詳しく書かれている通り、1つは
- 脳疲労の回復に非常に有効
という点。また、つい姿勢が悪くなりがちで、かつ運動不足になりがちなエンジニアという職業は、それだけでも大変なのに業務に高度な集中が必要で、その
- 集中のコントロールと、毎日の姿勢や呼吸に気づく習慣をつけやすくなる
という点。マインドフルネスがエンジニアに限らず誰にとっても有効なのは既出の文献から明らかなのだけれど、特にエンジニアという職業柄、陥りやすい多数の失敗点の多く、
- 特に体調管理やタスク管理、人間関係の悩みや自尊心の向上
などを、マインドフルネスがうまく手助けしてくれると信じている。
マインドフルネスで失敗しがちなポイント
さて、ここからが本題なのだけれど、マインドフルネスではただ「今この瞬間に集中」して "気づき" を得る、ただこれだけで十分で、あとは何の知識も宗教の知識も不要。ただ、失敗しがちなポイントがいくつかあるので、以下にまとめておきたい。
(ただ余談として、個人的には失敗を重ねることそれ自体がマインドフルネスの意義だと思うし、マインドフルネスを熱心にしたからといって痛みや苦しみそれ自体がなくなるわけでもないので、たくさん失敗してほしい気もしたりする。)
< ポイント1 > 瞑想やヨガ以外でも、何でもマインドフルネスになり得る
よくある勘違いが、瞑想やヨガ以外はマインドフルネスではないというもの。その考え方はたしかに一理あるような気もするけれど、瞑想やヨガはあくまで「薬」や「補助輪」でしかなくて2、本質的なところは毎日の生活や仕事での実践にある。
ただ、なぜ瞑想やヨガが有効なのかというと、蓑輪顕量先生の言葉を借りるなら3、日々の「オートパイロット状態」の思考過程を川の流れに例え、瞑想やヨガはその川に棒を突っ込んで、川の流れを変えてみる行為にあたる。日々毎日ただ自動的に、反射的に反応しているだけの思考過程を、瞑想やヨガという「気づき」によって変えようという試み。
(Image by Hardebeck Media from Pixabay)
なので、実際はそれによって普段の生活や仕事のなかで多くの気づきを得て、自分が苦しんできたことへの対処法を自分で見つけることができることにこそ意義がある。だからこそ、禅修行では「作務」といってただ黙々と掃除をしたり作業をすることが大切なことだとされている。
また、瞑想自身についても、実は瞑想はただ座るだけではなくて、「歩く瞑想」や「書く瞑想」、「食べる瞑想」など何でも瞑想になり得る。ポイントはただ一点だけで、今この瞬間に集中して気づきを得ることができれば、音楽を聴いていても、映画を見ていても、プログラムを書いていても、何でも瞑想になり得る。
< ポイント2 > 苦しみや痛みそれ自身は消えない
つい、マインドフルネスを実践していると、自分自身を変えようとか、過大な期待をしてしまう。でも、あくまでマインドフルネスは気づきを得るだけの行為なので、その答えを与えてはくれないし、ましてや痛みを消すことはできない。
ただ、気づきというのは不思議なもので、一度気づいてしまうと、その後どうでもよくなって関心が薄くなり、執着がなくなることで、「頭の中から」痛みや苦しみが消え去るという現象が起きる。これが実際的に、苦しみや痛みから解放されると言われている所以(ゆえん)である。
この両者の区別をきちんともっておくことが、マインドフルネスを実践する上で大切なポイントで、例えば瞑想で結跏趺坐を組んで座っている最中に、どうしてもお尻が痒くて仕方なくなったり、足が痛くて耐えきれなくなったとしても、その痒みや痛みという「事実」それ自体が消え去ることは決してない。ただ、その事実に気づいて自分の関心をコントロールすることで、その事実の受け止め方が変わって、ただ気づいて関心を向けることで、安心することができて、結果的に痒みや痛みが消えることがある。
もちろん、苦しみや痛みの原因を探求して取り除くこともできるのだけれど、必ずしも対処する必要はないというのがポイント。これについては後半でも詳しく触れるが、「気づき → 対処」をワンセットにしてしまうと、取り除くことができない苦しみが現れたときにどうしていいかわからなくなるし、そもそもすべての気づきに対処すること自体が大きなストレスとなってしまう。
対処しなくても十分に安心を得られるのだという気づきが重要で、多くの気づきのなかで、選りすぐった「本当に対処するべきもの」だけに対処すればそれでOK。そもそも、大切なことを選別したり対処することは、人間誰しも自然と行うものなので、瞑想では気づきを得るだけに留めて、それ以上何もしないことがとても大事。
< ポイント3 > 雑念は無理に消さなくていい
自分自身、今でもそうなのだけれど、瞑想中に雑念を消そう消そうとして、逆に雑念がどんどんと大きくなったり、うまく呼吸しようとするあまりにかえって呼吸の仕方がわからなくなったりする。
でも、実はそのこと自体に気づくというのがとても大切で、特に呼吸を例に挙げると、意識して深呼吸することももちろんできるのだけれど、実際は何も意識しなくても呼吸が止まることはない。雑念についても自然と無限に生まれてくるもので、普段全く意識していないだけで、脳は四六時中いろんなことを考えている。
このことに気づくことが、実はエンジニアがマインドフルネスをすることの一番のポイントじゃないかと思う。というのも、日々業務のことを考えていると、休憩時間も気になったアルゴリズムのことで頭がいっぱいになったり、どうすれば残タスクを納品までに終えることができるかといったことを、帰宅してもずっと考えていたりすることが多いから。実際、その「ながら」思考をすること自体が大きな脳疲労につながっていて、そのこと自体に気づくことが大切。
(Image by Shahariar Lenin from Pixabay)
自分が「ながら」をやっているんだと気づくことができればもう十分で、あとは自分がやりたいように好きなように制御すればいい。アルゴリズムのことを考えたければ、思いっきりそのことに集中して、それだけに熱心になればいいし、肩が痛かったり頭が痛くてそれどころではないのであれば、他人のことなんか気にしないで、いつでも好きに思いっきり休めばいい。
自分に制御できないことをいつまでも不安に思ってクヨクヨと「ながら」思考を重ねていると脳疲労が増すので、そうした雑念に気づくことで、それ自体を雑念に思うかどうかは自分が制御できるようになる。それが、情報過多で刺激過多な現代の生活にとって、一番の処方箋のように思う。
< ポイント4 > 答えを求めない
さて、最後に自分が最も勘違いしていたポイントとして、マインドフルネスを通じてなにかの "答えを得ようとしてしまう" ことについて言及しておきたい。
マインドフルネスで気づきが多くなると、つい、そこで気づいたことにすべて対処してしまいそうになる。例えば床が汚いことに気づいて掃除したり、椅子が体格にあっていないことに気づいて買い物に走ったりする。
そのこと自体は悪いことではないし、大事だと思うのだけれど、マインドフルネス的には、「気づく」ことだけで十分で、それ以上何かしようと無理をしないほうが良い。というか、その「気づき」を得たあとに 自分がその気づきをどのように制御するかの "訓練" それ自体 が、実はマインドフルネスの最大のトレーニングだともいえる。
実際、気づくということはとても残酷なことで、今まで知らなくてよかったようなたくさんの事実に気づくことで、例えば昔の行いが恥ずかしくなったり、例えば今まさに自分がこうしてマインドフルネスについての文章を書いているにも関わらず、肩が痛くて姿勢が悪いことが、気づくと恥ずかしくなったりする。
そうして気づいてしまうと、対処したくなるのが人間というもので、対処し始めると "正解" を求めてしまうが、それは人間として致し方ないことだと思う。でも、「気づき」が得られている時点でもう十分なのであって、それ以上何もしなくても良い。
例えば、自分がいま文章を書いていて肩が痛くなっているのは、これだけ長い文章を書いていれば当然のことだし、長時間かけていればその瞬間瞬間で姿勢が崩れることだってある。でも大切なのは、そのことに気づいて、 自分がそれを制御するもしないも「自由」だ という状態にもってくることであって、それ以上でもそれ以下でもないし、ましてや、その正しい答えをひたすらに求めて書店を巡ったり動画や記事を漁ることでもない。
もちろん、自分が好きな範囲で、正解を探求したり書店をめぐることはとても楽しいし、それが人間の素晴らしさであって醍醐味なのだけれど、それが必須ではない、ということだけ気づいて欲しいなと思う。
自分がこうしてマインドフルネスについての文章を書いていることも、朝の楽しみとして一種の備忘録として書き残しているだけで、これを機に新しいことに気づいてくれる人がいたら嬉しいなと思う一方で、その気付きによって逆に深く悩んでしまうような人がいなければいいなとも思う。
その後者がまさに数年前の自分であって、マインドフルネスを始めたはいいものの、「正しい」やり方がわからなくて悩んだり、かえって仕事や生活に集中できなくなってしまうような、そんな人が一人でも少なくなるように、この文章を書いた。
…だって、答えなんて条件が違えば無数にあって、唯一無二の万能な答えなど存在しないのだから。
まとめ
マインドフルネスは、エンジニアにとっても、誰にとっても、毎日を有意義にする上でとても素晴らしいツールだと思う。実際、ほんの10分間瞑想をしただけで、ご飯がとても美味しく感じられたり、普段のベッドや毛布がすごくフワフワに感じたり、普段の何気ない日差しや小雨が愛しく感じることだってある。
でも、気付きを多く得るということは、一種の諸刃の剣でもあって、気づいたことに対処しようと、思索や操作をしてしまうとドツボにはまるということだけ念頭に置いてほしい。もちろん、気付きをどう制御するかは各人の自由であって、その後のガイドラインを示してくれているのが仏教やキリスト教などの宗教であったり哲学であったりもするのだけれど、気づきだけで十二分に生活は豊かになり、それ以上の対処は必須ではないと気づくことが、マインドフルネスの意義だと思う。
だいぶ技術記事とは趣向の違う、ちょっとポエムな記事になってしまった感があるけど、一人でもマインドフルネスによって日々のエンジニアリングが楽しくなる人が増えてくれたらいいなと思う。
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下垂体前葉機能低下症(指定難病78) - 難病情報センター。多彩な病態があるけれど、自分は副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の単独欠損。難病といっても、服薬のみで毎日普通に暮らせる。 ↩ ↩2
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NHK こころの時代〜宗教・人生〜 瞑想(めいそう)でたどる仏教〜心と身体を観察する (6) より。ただし、言葉をそのまま引用したわけではなく意訳。 ↩